日能研教務部算数科 真藤 啓
このページは、「進学レーダー2月号」に連載している算数エッセー「算数好きになるくすり ユーリカ1」のうち、問題や解説など、紙面で書ききれなくなったことを補足するために、開設しています。
「エウリカ(わかった)」は英語読みで「ユーリカ」といいます。エウリカと書いた書物も多いように思いますが、日能研では「ユーリカ」を使います。すでに「ユーリカ!きっず」というのがあるのでそろえました。
《参考》
『ユリイカ』は詩や批評を中心に、文学、思想などを広く扱う月刊芸術総合誌の題名で、1956年ごろ伊達得夫さんがユーリカをもじってつけたものです。転じて、作家村上春樹氏は、「ユリイカ」を「思想」という意味の単語として小説に使っています。また、青山真治氏の脚本監督作品の日本映画『EUREKA(ゆりいか)』は第53回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞・エキュメニック賞、ベルギー王立フィルムアーカイブ・グランプリを受賞しています。ユリイカは、もはやエウリカを語源とした新しい別のことばのように思います。
さて、「進学レーダー」の文中の内容を補足しますと、アルキメデスは、正96角形を計算し円周率は (=3.140845・・・・・・)と
=(3.142857・・・・・・)の間にあることを発見しました。
2003年の東大の理系6番(東大前期の理系の問題数はいつも6題で、最後の6は難しいことが多い)に、
円周率は3.05より大きいことを証明せよ。
という、やさしい1行題が出ました。しかし、受験生には結構難問に映ったといいます。
進学レーダーに載せたように次の様に書き加えると多くの中学受験生は解けると思います。
再掲
1辺1cmの正方形の対角線の長さは1.41cmより大きく、1辺2cmの正三角形の高さは1.73cmより大きい。このことから、円周率は3.05より大きいことを説明しなさい。
(2003年 東京大学理系数学「6」改題)
解法
1辺の長さが2cmの正方形ABCDの中に2つの正三角形EBCとFABをかく。正方形の中心をGとすると、直角二等辺三角形GFEの等辺のGE、GFの長さは、
1.73-1=0.73(cm)
EFの長さは、
0.73×1.41=1.0293(cm)
よって、半径2cmの円に内接する正12角形の周は、
1.0293cm×12
ゆえに、円周率は1.0293×12÷4=3.0879>3.05
《参考》
ところで、この問題を見て「円周率がおよそ3.14というのは小学生でも知っているのになぜ3.05なのか」と思った人も多いかもしれませんが、アルキメデスの文献から、円周率の小数第1位まで求めるにも、12×2×2×2=96の正96角形について調べなければならないことが分かっています。ですから、手計算ではとても時間がかかりますので入試に向かないのです。正12角形でも形はかなり円に近くなりますようにそれ以降は収束の遅い級数(数列の和)なのです。
次の表は、海城中の小澤嘉康先生の意欲的な自主教材『円周率』に載っていたもので、小澤嘉康先生ご自身でPCで計算なさったようです。ここで、私がお伝えしたいのは、円周率は苦労しても苦労してもなかなか精度が進みにくいという感じをつかんでほしいということです。
n | 正p角形 | 周の長さ÷2 |
---|---|---|
0 | 6 | 3.0000000000000000000 |
1 | 12 | 3.1058285412302497619 |
2 | 24 | 3.1326286132812368734 |
3 | 48 | 3.1393502030468720676 |
4 | 96 | 3.1410319508905297781 |
5 | 192 | 3.1414524722853442995 |
6 | 384 | 3.1415576079116220853 |
7 | 768 | 3.1415838921489358526 |
8 | 1536 | 3.1415904632367617211 |
9 | 3072 | 3.1415921060430482825 |
10 | 6144 | 3.1415925165881546377 |
11 | 12288 | 3.1415926186407894249 |
12 | 24576 | 3.1415926453212157377 |
(海城中自主教材『円周率π(小澤嘉康先生著)』より)
なお、真藤啓がPC附属の電卓で、
=1.4142135623730950488016887242097
=1.7320508075688772935274463415059
として、正12角形の周で計算すると、
3.1058307373826718548186666338224
となりました。
さて、「3.05以上」であれば、正8角形でも調べることができます。
正8角形で調べると求められるということは、正9角形でも、正10角形でも、正11角形でも、正12角形でも、正13角形でも、・・・要するに8より大きかったらなんでもよい理屈です。
ですが、この中でいちばん簡単なのは本当は正12角形です。
正12角形でだめなら、正8角形なら余計にだめです。
ところが、各予備校の解答速報では、ほとんど正8角形で解いていました。正12角形で解くと、円周率が「3.08以上」とわかり、正8角形で解くと、円周率が「3.05以上」とわかります。これは、まず、正12角形で解いて、次に正8角形で解いて、問題中の文言にとらわれて、さも、まっすぐ正8角形で解いたように装ったものと見られます。本当に、まっすぐ正8角形で解いたのなら、かなり筋の悪い発想だと思います。
中学生位のときに円周率がどの位かを自分で実際に求めようと少し遊んでいれば、らくな問題なはずです。ある予備校の解説では「まず、正8角形で解いてみて、それでだめなら、正12角形で考えればよい。」としたものがありましたが感心できません。紀元前のアルキメデスに笑われます。アルキメデスは、正六角形から、12、24、48、96角形と考えを広げていき、その計算の途中にもいろいろ工夫を凝らしました。これが本筋です。
まず正六角形で考えてみます。円周率は「3.00」以上であるとすぐにわかります。その次は、正12角形で考えます。円周率は「3.08」以上であるとわかります。これで決まりです。
なお、平成15(2003)年12月24日付某著名新聞朝刊では、
ある受験生(合格者)は半径1 の円に内接する正8角形の面積から証明した。「10行足らずの答えだったが、予備校で確かめたら正解だと言われた」そうだ。
ここには正8角形で証明したとありますが、翌日の紙面にそれではできないと訂正が出ました。
24日付「変わる入試2」の記事で、東大の円周率の問題を、森岡優志さんが「正八角形を書いて、その面積が3.05より大きいことを示した」とあるのは誤りで、森岡さんが用いたのは正二十四角形でした。訂正します。
とあります。同紙に「正十二角形の面積でも証明できる」とあるのも誤り。正八角形、正十二角形の面積計算では証明できません。
正6角形の周で考えると、円周率は3となります。
正12角形の面積で考えても円周率は3となります。
正8角形の面積で考えては、円周率は3より小さくなります。
正8角形の周で考えると円周率は3.05より大きくなります。
正12角形の周で考えると円周率は3.08より大きくなります。
正24角形の面積で考えても円周率は3.08より大きくなります。
東大受験生 森岡優志(現東京大学大学院修士1年 地球惑星科学専攻)さんがなぜ、正12角形の周ではなく正24角形の面積で求めたかというと、「正12角形の周よりその外接円の周が長い」ということを説明するよりも、「正24角形の面積よりその外接円の面積が大きい」ということを説明した方がはっきりすると考えたものと思われます。なぜ「正12角形の周よりその外接円の周が長い」かといわれたときに、「正24角形の面積よりその外接円の面積が大きい」という説明を持ち出す方が手っ取り早いことになり、「正12角形の面積よりその外接円の面積が大きい」ではだめだからです。用心深い完璧な解法です。
これに対して、同紙の記者が間違えたのでしょうか。記者は間違えなかったのに、校閲部が「正24角形の面積で」を、並みいる予備校の解答「正8角形の周」を誤って流用し「正8角形の面積」と改めてしまったのではないでしょうか。「周でも面積でも同じだろう。」と思ったのかも知れません。
なお、正24角形の面積は、正12角形の周がわかると簡単にわかります。正24角形は半径を等辺とする二等辺三角形が24個に分けられますが、合同な二つの二等辺三角形はたこ形になります。たこ形とは自分自身が線対称な四角形のことで、対角線が直角に交わります。対角線が直角に交わる四角形は、ひし形と同じように、面積は、
たこ形の面積=1つの対角線×もう1つの対角線÷2
という公式で求められます。
それにしても、さすが東大受験生には余裕のある人もいるものです。
円周率は、分数の無限に長いたし算で求めることができるのですが、だんだん微小な数をたします。たしてもたしてもなかなか、正確さが深まらないのです。それで、なるべく早く近づく公式を導く必要と、その公式でなるべく早く計算できるコンピュータが必要になってきます。
円周率についての計算はスイスのレオンハルト・オイラー(1707-1783)の論文やインドの天才数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(1887-1920)の6番目の論文から、詳しく、つまり難しくなってきます。ラマヌジャンのその後の論文でも楕円積分に由来する円周率の公式をいくつも発見しました。
アルキメデスは、紀元前287年(ごろ?)シラクサに生まれました。シラクサというのはシチリア島にあったギリシアの小さな王国でした。父は天文学者だったので、子どものころは父から学びました。アルキメデスは、自伝で父はたいしたことのない天文学者だと書いています。
その後、エジプトのアレキサンドリアに留学し、ムセイオン大学で物理学やユークリッドの幾何学を学び、シラクサに帰った後、ヒエロン王につかえます。ヒエロン王とアルキメデスは遠縁にあたるそうです。
数々の兵器を作って、おりからの第二次ポエニ戦争で、ローマ軍を散々悩ませましたが、多勢に無勢で、シラクサは陥落します。驚かしにはなっても、具体的な効果はなかったようです。特に凹面鏡の効果はなかったのではと危ぶまれます。
ところで、ユークリッドが理学系なのに対し、アルキメデスは工学系であると思われることが多いようです。これは、アルキメデスが兵器や、水のくみ上げ器を作ったからです。アルキメデスは、生前、「私の墓に球と外接円柱の絵をかいてほしい」といっていたこと。それらが敵の司令官によってなし遂げられたこと。これらのことを併せて考えると、アルキメデスは、シラクサでは大事にされたものの、 アルキメデスの数学は理解されなかったのではないかと思われます。
だからこそ兵器を作って見せ、だからこそ、墓に球と外接円柱の絵を書いてほしいといったのだと思います。
アルキメデスの作った螺旋筒をまわすと、水は下から上に流れることについて、螺旋の筒の中は上下は順送りに移っていって、水は部分部分ではいつも上から下に流れているのです。これはいまでもシラクサに残っているそうです。
日本の田舎で、水車が川の水を高い樋にくみ上げているのを見かけますと、これは全く、労力が要らないのでこの方が優れているとつい思ってしまいます。工学とは、もう少し、理論を組み合わせたものと思ってしまいますが、工学の最初の一歩は案外このようなものなのでしょうか。
シラクサ(シラクーサ)の位置について
イタリアが長靴だとすると、シチリア島は爪先に転がっている石ころのような位置にあります。実際の大きさは日本の九州と四国の平均くらいです。歴史的にはギリシアになったりイタリアになったりしたかと思います。シラクサはシチリアの一部ですが、紙面の都合で、『進学レーダー』ではシチリア島の大部分のような表現になっているかと思いますがここで補足するものです。
(1)ラマヌジャンについて
1918年2月ごろ、ラマヌジャンは療養所に入っており、見舞いに来たハーディーは次のようなことを言った。「乗ってきたタクシーのナンバーが1729だった。特に特徴のない、つまらない数字だったよ」 これを聞いたラマヌジャンは、すぐさま次のように言った。「そんなことはありません。とても興味深い数字です。それは2通りの2つの立方数の和で表せる最小の数です」
これは、1729が次のように表せるということである。1729=123 +13=103+93
これは、ラマヌジャンがあらゆる数に興味を持ち、数に対する探究心が高かったことを表す逸話である。
(ウィキペディア)
タクシーのナンバーは、1729
終戦当時、ラマヌジャンはフィッツロイ・ハウスから別の診療所へ移った。ロンドンから南東数キロ、テムズ川南岸に位置するプットニーの外れにあるこの病院は、外からみると大きな箱としか見えず、計画的に真四角に設計されていた。これは1880年代に流行した一戸建煉瓦家屋が郊外へ広まった影響である。余談だが、数年前セイロンから帰還して暫くの間、この一つに暮らしていたレナード・ウルフは、この建物について、自分を含めインドに居住したことのあるイギリス人たちが味わってきた贅沢からみれば、ずっと格下であるとこきおろしている。しかし、内部装飾はずっと印象的であった。贅を凝らした調度品やステンドグラス、広々とした部星、そして洒落た曲がり階段が見事な調和を育んでいたのである。ラマヌジャンの入院先となった診療所はコリネット通り二番地にあるベッド数八の家屋で、院長のサミュエル・マンデヴィル・フィリップスがひとりで切盛りしていた。
マトロックに比べれば問題なく便がよかった。ハーディ――彼の母親は終戦後暫くしてクランレーでなくなっていた――がラマヌジャンを訪れるのもずっと容易になった。ロンドン行き列車に二時間揺られてから少し車を走らせればプットニーに着く。あるとき、ロンドンから乗ったタクシーのナンバーが1729であった。ラマヌジャンの病室に入るなり、「今日は」と挨拶するや、あの数にはがっかりしたとため息をついたところをみると、彼はその数について少し考えていたに違いない。「つまらない数字だったね。別に縁起悪いわけでもないが」。
「そんなことありませんよ」とラマヌジャンは応じた。「とっても興味深い数字です。二つの立方和として二通りに表わせる最小の数ではありませんか」。ある数が立方数の和である場合、その一組をみつけるのは造作ないことである。例えば35は23+33(8+27)。しかし、これ以外の立方数の和では35にならない。ひとつずつ試してみればわかるが、他の整数でも同じである。一つの組合せはすぐにみつかるが、二つの組合せがある数はとなると、結局1729までないのである。
これには 123+13 (1728+1)と103+93(1000+729)と言う組み合わせがある。
どうしてラマヌジャンはそんなことを知っていたのだろう。突然閃いたわけでもあるまい。このささやかな算術上の発見はすでに何年も前にやっていて、それを『ノート』に記録しておいた、そして数字の世界に慣れ親しんできた彼なれはこそ、それをすぐに記憶の彼方から呼び戻してきたのである。
(『無限の天才(ローバートカーニゲル著 田中靖夫訳)』)
同じような記事を2つ引用したのですが、ウィキペディアのものを見てもぴんときたと思いますが、ハーディは数にはとても興味があった人なのです。『無限の天才』では「あの数にはがっかりしたとため息をついたところをみると、彼はその数について少し考えていたに違いない。」とわざわざ書いています。
(2)ハーディについて
ハーディはラマヌジャンの才能を見出し、ケンブリッジ大学に招いた恩人でもあるイギリスの数学者です。上の2文を見ただけではいかにも凡人のように思われるかもしれませんが、二歳にして100万までの数字を書いていました。これが数学的才能を示唆する最初の兆侯でした。教会で讃美歌を唱いながら、歌番号の約数を一心不乱に捜し求めていたのです。第八四番だって?それなら2×2×3×7じゃないか、と。
つまり、個々の数の性質について幼いころからなみはずれた興味の深いハーディだったのです。そのハーディがラマヌジャンの才能に驚いたのでした。ぜひ補足しておきたいと思うものです。
数学の普通クラスはすぐに卒業し、数学主任教師のユースタス・トマス・クラークから個人指導をうけていました。クラークはケンブリッジのセント・ジョーンズ・カレッジからタランレーの新入生クラス担当として赴任してきたのでしたが、かつてはランダラー(数学の優秀成績者)だった人物です。数学の能力だけでなく、類稀れな教育欲の持ち主で、学生指導には定評がありました。
ハーディは、数学だけでなく彼の手がけるあらゆることに対してその才能を遺憾なく発揮しました。しかし、精神的な脆弱さや気弱さから免れていたわけではありません。やや病的なほどの含羞屋(はにかみや)で、自意識過剰のために、全校生徒の前で賞をもらうことに耐えられないほどでした。そんな必要はないのに、自分が受賞に値しないとわからせようとして、わざと間違った答案を提出したことさえもあります。その点では、妹ガートルードも負けていませんでした。教え子のひとりは彼女のことを「恥ずかしがり屋で遠慮がちな人」と評しています。聖キャサリン校に入学した当時のことをガートルード自身こう回想している。「私はとても内気で、それまで育ってきた環境は当時の女学校でやってゆくには不向きでした」。それがどんなものであったにせよ、育った「環境」はこの兄妹に終生つきまとったのでした。二人は一度も結賭せず、アカデミズム一色に染まった生涯を全うしました。兄妹の母親の育て方が厳格すぎたことが関係あるとみる人もいますがはっきりしません。
再びラマヌジャンにもどってラマヌジャンを数学を啓発したものは何だったかということについて述べたいと思います。その本の名は『純粋・応用数学基礎要覧』です。それを初めて手にしたのは1903年町立高校を卒業する数ヶ月前のことでした。彼の家に寄宿していた学生が見せてくれたものです。この本は5000あまりの定理、公式、幾何図式など数学的事実を羅列したものでした。代数学、三角法、微分積分学、解析幾何学、微分方程式といった19世紀後半に知られた数学の公式ばかりを集めて2巻本にしたもので、その第1巻でした。この本は大学生が学士を取るためのトライパス(数学優等試験)の家庭教師を長年してきたジョージ・カーが書いた本で、っ取り早く数学の試験に合格するための公式集でした。証明はありませんでした。ラマヌジャンはそれを自分で考えました。ラマヌジャンは夢中で取りくみました。その本は、ラマヌジャンに知的活動の暴走を誘発したのでした。19世紀後半の数学を公式をヒントに再創造を促すものでした。
そうしていくうちに、自分でも、新しい色々な数式を発見したので、「ノート」に書き込みました。数学とはこういうふうに表現するものだと勘違いして、「ノート」に発見した数式を書きためました。大学で英作文で赤点を取り、奨学金がとめられて退学に追いこまれます。数学の実力を示すものは「ノート」だけでした。それを書き写して数学者に送りました。論文の形になっていないので、2人の数学者に無視されましたが3人目の数学者ハーデイに認められ論文の書き方を習い数学者と認められるようになっていきました。
(参考文献 『無限の天才(ロバート・カニーゲル著 田中靖夫訳 工作舎)』)
(3)2番目のハーディ・ラマヌジャン数
1729をハーディ・ラマヌジャン数といいます。これは上の逸話によるものです。では、2番目のハーディ・ラマヌジャン数はいくつでしょう。それは、4104です。
つまり、23+163=93+153=4104 です。
ここで、このような、
などの問題が思いつきます。これらは未解決でしょう。なぜなら、まだ話題になってもいないからです。この稿を書いてふと思いついただけです。この問題がもし、10年以内くらいで証明できたら話題にならないでしょうが、さもないと、有名になるかもしれません。なんて考えると勝手におもしろくなります。
当面、1729と4104を覚えておいて、「4104だった。つまらない数だ」などという人がいたら、「とっても興味深い数字です。二つの立方和として二通りに表わせる第2の数ではありませんか」といってみましょう。
円周と直径の比を、つまり円周率を、22:7と223:71の間の数ということをアルキメデスは正96角形の周を計算して求めました。
ところで、223って見覚えありますか。2007=223×9なのです。なあんだ知ってたと思いましたか。
45が出たときに、「45は60のだよ。なぜって、45秒は1分の
だからね。」とか、52が出たとき、「52は13×4だよ。だってトランプはジョーカー抜きで52枚だからね。」などというと、なあんだそれなら知ってたと思ってくれると思ったのですが、中にはすっかり感心してくれることもあります。
しかし、次に出会ったときに、とんでもない数値を言い出すこともあります。子どもだと思って油断してはいけません。たとえば、円周率をしっかり暗記して、問われることもあります。
円周率の暗記法では、
産医師異国に向かう、産後厄なく、産婦み社に、虫散々闇に泣くころに哉。
さんいしいこくにむこう、さんごやくなく、さんふみやしろに、むしさんざんやみになくころにや
3.14159265 358979 3238462 6433832795028 (注)ころは56ではなく50
似たようなのに
産医師異国に向かう、産後厄なく、産婦み社に、虫散々闇に泣く。ご礼には、はよいくな。ひとむく、さんくく、みなごいれ。
3.14159265 358979 3238462 643383279 502884197 16939937510
が知られています。
《参考》
円周率 もっと覚えたい人に(ただし、中学入試から大学入試まで3.14で困るようなことはありません。)
3.1415926535 8979323846 2643383279 5028841971 6939937510 5820974944 5923078164
0628620899 8628034825 3421170679 8214808651 3282306647 0938446095 5058223172
5359408128 4811174502 8410270193 8521105559 6446229489 5493038196 4428810975
6659334461 2847564823 3786783165
円周率暗唱の世界記録は10万桁 日本人千葉県の原口證さん
2004年 54,000桁達成(世界新記録)原口證
2004年 68,000桁達成(世界新記録)原口證
2005年 83,431桁達成(世界新記録)原口證
2006年 10万桁達成(世界新記録)原口證
こんなにすごい記録を持つ人がでてきては、誰もいまさら日本一(=世界一)を目ざす気にはなれないでしょうね。それともやってみますか。原口證さんは次は12万桁くらいで挑戦するでしょうから、14万桁くらいをめざすべきでしょう。お勧めはしませんが。
江戸時代の日本人による公式としては、 建部賢弘(たけべたかひろ1664-1739)や松永良弼(まつながよしすけ1692-1747)などが和算家が研究したようです。精度は同時代の外国の最先端のものよりも劣っていました。
中学入試に関連して次のことを覚えておくとよいでしょう。
《参考》
関連難問が今年(2008年1月10日)の開智中学校1回・特待生選抜で出題されました。
詳説は次回にします。
正三角形を半分に三角定規で有名な「30度60度直角三角形」の3等分、4等分にも使えます。
もっとも4等分は次のような図もできます。
《蛇足》
はい、はい、はいはいはいはい
こんなことを示すと、「合同な形でなく相似つまり大きさの違う形に分けられる?」なんて聞く子もいます。
「はい、はい、はいはいはいはい」
なんてかいてあげると、
「すごい。先生ほんとはすごいんだね。」
ここはすごくないところなんだがなあ。ほんとは、というのもひっかかるなあと思いながら
「えっへん」
と、わざといばって人間性の貧しさを示したりしますが、あんまり通じなかったりします。
ところどころ、わざと間違えたりしたり、知っていることを、知らないふりをしたり、あるいは、子どもの何気ない質問に
「すごい、よいところに気づいたね。」
などというと、あほな先生だなあと思う子もいるようです。危なっかしい授業をする方が、子どもが参加しやすかろうと思うのですが色々な子がいます。
将棋を教えるときは時々わざと負けてあげるとよいといいますが、子どもによるのかもしれません。
次に、せっかくエジプトが舞台の話が続いたので、パピルス文書(もんじょ)『リンド・パピルス』に載っている「単位分数の和」、「パピルスの長さ」、「等比級数」の問題を考えてみましょう。リンドパピルスはイギリス人の収集家ヘンリー・リンドが1858年にエジプトで購入したパピルスで、紀元前17世紀古代エジプトのヒクソス王の頃の数学の文書(本)です。リンド・パピルスの筆者は書記官アーメス(アーモーゼ)なので、ア-メスのパピルスとも言われます。そのことは、序文の文末に「書記官アーメスこれを記す」と書いてあることでわかります。書記官というギリシア古語は僧侶という意味もあるようです。リンド・パピルスは現在大英博物館に保存されていて1868年考古学者アイゼンローンによって解読されました。
また、リンド・パピルス以外のパピルス文書として、19世紀末にロシアの東洋学者B.C.ゴレニチョフがエジプトで手に入れた、リンドパピルスよりさらに200年以上古い時代のものもあります。これはモスクワ・パピルスとかゴレニチョフ・パピルスといいます。数学的記述は少ないようなので、数学の書物としてはリンド・パピルスが最も古いものといわれています。1917年にソ連(現ロシア)科学アカデミー会員B.A.トゥラエフはモスクワ・パピルスの最初の部分のいくつかの部分を翻訳しました。
パピルスとは
という3つの意味があります。なお、パピルスは紙を表す英語ペーパーの語源です。
文書とはいわば本ですが、現在の本とのイメージはないので文書といっておいた方がよいのかもしれません。もっとも、本稿のようにWEB上のものも、いわゆる本ではありませんからこれも文書かも知れません。ただし、本稿は文書(もんじょ)ではなく、文書(ぶんしょ)と呼んでほしいところです。
で、「単位分数の和」の問題ですが、これはずいぶん古くから出ています。この問題は着眼していたので、実はいくつかの資料がありますが、一つだけ出すとしたら新しい方がよいと思いますので、ここでは2007年麻布中のものをご紹介します。
問題 単位分数の和
次の【例】のように、ある分数を、分子が1で分母が異なるいくつかの分数の和でかき表すことを考えます。
(2007年 麻布中[4])
解法
答え 解説例 (1)+
+
(2)
+
+
解説
《参考》
最初にを使わないで、
=
+
+
+
などといろいろに表すこともできます。
《参考》
なお、最初にを使わないで、
を使うと、
=
+
+
=
+
+
+
などと色々に表すことができます。
《参考》 何になるの?
この「分数を単位分数の和で表す」ことは何になるのかはあまりわかっていないと思います。今実際に使われることがありませんからたいした知識とは思えません。ただし、少しややこしいため、当時、身分差別の教養試験として使われた可能性はあるかもしれません。エジプトでは、身分差別もあったのですが、出世できる試験もあったそうです。そうした問題の1つだったのかもしれません。書記官は大変身分が高かったのですが、書記官になる試験は誰でも受けることができたそうです。その話の出典の筆者は数学者の黒田孝郎さんだったと思うのですが、書名は思い出せません。
水の上に頭を出している草の長さを、もぐらずに求める方法の問題も、パピルス文書に出ていますが、この応用は、まれに中学入試にも出ます。
問題
水草AOの水面上の長さABは25cmでした。水草の頭Aを水面まで移動させた点をCとすると、ACの長さは60cmになります。このとき、水草AOの長さは何cmですか。
解法
ACの中点をMとすると、三角形ABCと三角形OMAは相似なので、
AM:AO
=AB:AC=25:60=5:12
AM=30cmなので、
AO=30×=72(cm)
答え 72cm
リンド・パピルスには、等比級数の問題も出ています。同じ数ずつたしてできる数列を差が等しい数列ということで等差数列といいます。等差数列の最初の何番目かまでをすべてたしたものを等差級数といいます。すでに学んだ三角数、四角数は等差級数です。それに対して同じ数ずつかけてできる数列を比が等しい数列ということで等比数列といいます。等比数列の最初の何番目かまでをすべてたしたものを等比級数といいます。(級数の反意語が階差数列です。)
7軒の書記が7匹ずつネコを飼っている。
それぞれのネコは7匹ずつネズミを捕る。
それぞれのネズミは穀物の穂を7本ずつ食べる。
それぞれの穀物の穂からは7マスの穀物がとれる。
これらの数の合計はいくらか。
という問題では、7+72+73+74+75=19607 となります。
「だからどうしたの」と言いたい人ともいると思いますが、というか多いと思いますが、複利計算などに役に立つ数列です。
フィボナッチ(ピサのレオナルド)の『算術書』では「7人の老婦人が7頭のラバを連れて・・・」という問題で出ています。アメリカでは1801年ダニエル・アダムスの『算数教科書』で「7人の婦人が7個の袋を持って・・・」という問題が出ています。また、フロリアン・カジョリの『初等数学史』では「7人の老乞食が7本の杖を・・・」という問題が出ています。江戸時代の日本では吉田光由が『塵劫記』1628年(寛永5年)に「からす算のこと」として、類題を発表しています。結構引用といいますか、引き継がれていることが多いのには改めて驚きます。
また、13世紀のアラビアの数学者イブン・アル・バンナがチェス(西洋将棋)の問題解法で等比級数の解法について述べています。それによると、
むかし、チェスの発案者が、そのほうびに何がほしいといわれたとき、その人は控えめに、
「チェス盤の第一のマスに1粒のムギ、第二のマスに2粒のムギ、第三のマスに4粒のムギ、・・・・・・というように次々に二倍してチェス盤の全部を埋める分のムギ粒をください。」
と言ったといいます。
チェス盤は64に仕切られていますので、
1+2+22+23+・・・+263=264-1=18 446 744 073 709 551 615(粒)
となり、大豊作のすべての麦を集めてもまかないきれない量になります。
同様な話は日本では豊臣秀吉と曾呂利新左衛門の話として知られています。これは、ご存知の方も多いことでしょう。また、これはリュカの「ハノイの塔」にも通じます。また、2進法や規則的図列の面積の和などそれ以外のいくつかの受験算数にも通じます。色々な関連を知ると巨大な算数が見通しのよい小さなものに感じられるようになりさらに大きな関連に思いを馳せられるようになります。
書き出すと、面白い問題やお話が次々に広がって思い出されますが、長くなりましたのでおしまいにしたいと思います。難しすぎるなあと思うところはとばして、興味が湧いたところを、ところどころでちょっと自分でも考えてみると楽しくなります。ただし、これはまれに勘違いをして覚えてしまう危険性も多々あります。何かを発見したと思ったら、身近な先生に相談するなどして確かめておくようにしましょう。