日能研教務部算数科 真藤 啓
このページは、「進学レーダー1月号」に連載している算数エッセー「算数好きになるくすり もとになるもの」のうち、問題や解説など、紙面で書ききれなくなったことを補足するために、開設しています。
エウクレイデスは英語読みでユークリッドといわれています。日本では、ユークリッドと書かれているものが多いのでここでは、以下ユークリッドと書くことにします。
また、『ストイケイア(もとになるもの)』は中国語訳の際に『幾何学原論』と題されたことから、日本でもそのように呼ばれることもあります。訳者はマテオ・リッチ(イタリア人、中国名は利瑪竇(りまとう))というキリスト教会の司祭で、たくさんの西洋文明を中国に広め、中国文化を西洋に伝えました。
「ストイケイア」の内容は幾何学に限らず数論についても多くの記述がみられますので、日本語訳の労作『ユークリッド原論(共立出版1971年)』の記述に倣って、ここでは以下『原論』と言うことにします。
『原論』に書かれていることはユークリッドがすべて発見したことではありません、と言うか、大半は、過去に知られていたバラバラな知識を集めたものです。たとえば、三平方の定理なども第1巻で出てきます。
ところで、『原論』には、今日の書物では考えられないのですが、いわゆる「序章」とか「はじめに」にあたるものがありません。前述『ユークリッド原論(共立出版1971年)』には訳者による序があるので一部抜粋すると、
序
この『原論』という本は全人類の宝ともいうことができる、いわゆるGreat Booksの一つであります。紀元前300年ごろに書かれたものですが、珍しく原形が現在にいたるまで失われることなく、人間が理性にもとづいて、どのようにして緻密な思考を積重ねて組織的に考えを進め整然とした体系をつくることができるかを具体的に示しております。この本はデンマークのすぐれた古典言語学者で数学史家であるⅠ.L.Heibergが編集したユークリッド全集の第1巻から第4巻までに収められている『原論』全13巻を底本としたギリシァ語原典からの日本語訳であります。(略)
(1970年4月 共訳・解説者の一人である 中村幸四郎)
とあります。
ユークリッドについて、いくつかの書物から、断片的なさまざまな知識を得ていましたが、それらは多くの矛盾が生じて途方にくれていました。プラトンの対話篇『テアイテトス』にも出てくるメガラのユークリッドはここでいうユークリッドとは別人であるのに混同した人がいて、矛盾に輪をかけたようです。しかし、伊東俊太郎氏(東京大学名誉教授)の「ユークリッドと『原論』の歴史」には、その全部が網羅されそれらの情報の整合性を図っておられます。分かりやすくかなり信憑性が高いのではないかと思います。その第一節の冒頭の部分を以下に引用します。お子様は将来にわたっていろいろな書物にてユークリッドについての記述に遭遇されることでしょうが、その信憑性などはこれに照らして考えるとよいのではないかと思います。
かなを漢字にしたり、逆に漢字をかなにしたり、名前や地名や用語などにギリシア文字が添えられているものを削除したりしていますが、多くの部分はほとんどそのまま引用しました。本来要約するところですが、なかなか、味わい深い上品な名文と思ったからでもあります。
なお、『進学レーダー』では、「3ドラクマ」と言う通貨単位を用いましたが、これは紀元前から比較的最近まで使われていたエジプトの通貨単位かと認識しています。現在はエジプトドルですが、この貨幣はあまり人気がないそうですので、現地で使い切ったほうがよいという案内が多いです。(2007年現在)しかし、引用のように、出典である、ストバイオスの『精華集』によれば、「3オポロス」となっているようです。「ドラクマ」という文献もいくつもあります。この方が通りがよいかと思いそれを用いましたが「オポロス」が正しいかもしれません。ただし、このエピソード自身の真偽も疑わしいようです。ただ、これらのエピソードがそのまま真であったか、はたまた偽であったかにかかわらず、当初はユークリッドの思惑に反して、難しいと思った人が多かったのではないかと思います。だからこそこうしたエピソードが生まれ、好んで語り継がれるのだろうと思います。このあたり、教える者と習う者との心のズレなどについて考えてほしいと思います。この答えは各自さまざまでしょう。教える者が習う者の心に、習う者は教える者の心にもう一歩近づいたなら、学習効果はもっとあがるのにという局面が多いのではないかと思います。逸話では、教える者のごり押しで終わっていますが、これはある意味で、きちんと説明できない、負けた開き直りとも見られます。
ユークリッドの『原論』は、古来人間の論証的理性の権化として尊ばれ、合理的思考の典範として重んぜられてきた。実際、史上これほどまでに読まれ、研究され、注釈されてきた数学書がほかにあるであろうか。それはたしかに「聖書」につぐ読者人口をもったと言って過言ではない。イギリスにおいては最近までこれが中学校でそのまま教えられていたのであり、われわれ自身の中等教育の「幾何」で学ぶ物も、このヴァリエイションにほかならない。こうして、ユークリッドはわれわれにとってその名の最もよく知られている数学者である。しかし、その名が広く知られているわりには、この人そのものについてはあまりにも知られていない。もっとも古代末期から近世初期にかけて、この偉大な数学者についていろいろなことが言われてきた。たとえば彼の生地についても、エジプトのアレクサンドリアであるとか、シチリアのゲラであるとか、パレスチナのチルスであるとか、さまざまな説があった。しかし、これらはすべて伝承の誤解や同名の別人との混同、さらには語る人のお国自慢による捏造などに基づいており、これらの誤伝にさらに尾ひれのついたようなものを今日ではわれわれは何も信ずることはできない。 それではユークリッドについて残っている確実な証言としては、一体どのようなものがあるのだろう。
まず、彼とほぼ同時代に生きた人びとの言及としてアルキメデス(287ごろ~212B.C.)とアポロニオス(前3世紀後半)のそれがある。アルキメデスの物は、その著『球と円柱について』の第1巻の第2命題の証明の中で「ユークリッド(の『原論』)の第1巻命題2により」)と断っているのが、その唯一の言及である。またアポロニオスのものは、『円錐曲線論』の序文の中でこの自著8巻の内容を述べながら、その第3巻について、「第3巻は立体軌跡の総合に対し有益な多くの定理を含む」とし、「これらの定理の大部分のもの、とくにその最も美しいものは今まで知られなかったものであり、これらの定理をよく認識してみて、われわれはユークリッドによって三つおよび四つの線に解する軌跡が総合されていないということを知った」と述べて、ユークリッドに対する自己の優越性を誇っている。しかしこの両者とも単にユークリッドの名に言及しているのみであって、彼がどのような人であったかについては何も語っていない。このようなユークリッドの人や生涯について多少とも光を投じうる古代のソースとしては、実は次の三つのものしかない。
- 『数学集成』パッポス(3世寂)
- 『精華集』ストバイオス(5世舵)
- 『ユークリッド原論第1巻注釈』プロクロス(5世凝)
このうち第1のパッポスの著作においては、かれがアポロニオスのことにふれているところで、「アポロニオスはユークリッドの下にある弟子たちといっしょに、たいへん長い間アレクサンドリアで過したが、このことから、彼はあのような学問的習慣を身につけたのである」と語られており、これが事実とすればユークリッドはアレクサンドリアで弟子たちを教えていたことになる。さらにパッポスはこの箇所の少し前で、ユークリッドがアリスタイオスの円錐曲線論に対する貢献を無視せず、それを率直に認めている態度をとり上げ、「たとえいくらかでも数学を前進せしめることのできたすべての人びとに対し、ユークリッドはこのように非常に公平で好意的であって、アポロニオスのようにすぐ文句をつけ、それ自身は精密ではあるがやたらと自慢するというようなところがなかった。彼(ユークリッド)は、アリスタイオスの円錐曲線による軌跡について、その証明が完全であることを求めることなく、示しうる限り書き誌した」として、先駆者の業績を素直に認めるユークリッドの公平温和な人がらにふれ、アポロニオスの狷介†高慢(けんかいこうまん)な性格と比較している。この記述には多少パッポスの主観が入っているように思われもするが、いずれにせよこれらはすべてパッポスがアポロニオスについて論じている箇所でたまたまユークリッドに触れたものであって、直接ユークリッドその人を問題としているのではない。
この点第2のストバイオスのものは、ユークリッド自身を主題としてはいるが、それも次のような逸話にすぎない。
「ユークリッドのもとで幾何学を学びはじめたある人が、その最初の定理を学んだとき、ユークリッドにたずねた。“それを学んだことによって、わたしにどんな得があるでしょうか。”すると、ユークリッドは奴隷を呼んで言った。「彼に3オポロスの小銭をおやり、彼は学んだことから利益を得なければならないのだから。」そこでユークリッドの生涯に関する比較的詳しい歴史的叙述としては第3のプロクロスのものだけが残る。しかしこれとても当該箇所を全部訳出してみても、次の十数行で終わってしまう程度の短いものである。
「『原論』を編纂したユークリッドは、これらの人びと(コロボンのへルモティモスやメドウマのピリッボス)よりもさして若くはない。かれはエウドクソスのなした多くのことをまとめ上げ、またテアイテトスのなした多くのものを完全にし、さらに先行者たちによって粗雑に証明されていたものを、非難の打ち所のない厳密な論証にまで高めた。この人(ユークリッド)はプトレマイオス1世のときに生きていた。なぜなら、プトレマイオス1世のすぐあとに生まれたアルキメデスがこのユークリッドのことに言及しているからである。プトレマイオス王がユークリッドにあるとき、幾何学において『原論』よりももっと手っ取り早い道はないかと訊ねたが、そのとき彼は“幾何学に王道なし”と答えたというのである。したがってユークリッドはプラトンの直弟子よりも若く、エラトステネスやアルキメデスよりも年とっていることになる。というのはエラトステネスがどこかで言っているように、この人びと(エラトステネスとアルキメデス)は互いに同時代人であるから。」
これによると、プラトンの直弟子であるエウドクソスやテアイテトスの生存年代はそれぞれ前408年ごろ~355年ごろと前414年ごろ~369年であり、これに対しアルキメデスとエラトステネスの年代はそれぞれ前287年ごろ~212年と前284年ごろ~204年であるから、これにプトレマイオス1世(前367年ごろ~283年)の治世が前306年~前283年にかけてであることを顧慮するならば、ユークリッドの活動期はほぼ紀元前300年を下らないころと推定されよう。このようにするとユークリッドの年代は、プロクロスがいっているように、プラトンの直弟子の年代とアルキメデスの年代のちょうど中間に入り、かつプトレマイオス1世の治世とも一致する。いずれにせよ、5世紀のプロクロスでさえ、ユークリッドの大体の生存年代を、上の引用の示すように、すでに間接的に推理するほかはなくなっているのである。したがってもちろんその詳しい生没年や生地などについては何もわからない。
プロクロスはさらにこれに続けて、「ユークリッドはその目的においてプラトン的であり、この(プラトン)哲学によく通じていた。それゆえ『原論』全体の最後を、いわゆる“プラトンの図形”の横成をもってしたのである」と語っている。『原論』の最後(第13巻)が“プラトンの図形”(五つの正多面体)の構成」をもって終わっていることは確かであるが、しかし『原論』全体の目標がこれにあったのではないことは明らかであり、それは当時の立体幾何学の到達した最高の知識として、『原論』のうちで立体幾何をとり扱った最後の3巻の結論となっているにすぎない。したがって、このことをもってユークリッドをプラトン主義者とすることは、やや牽強付会(けんきょうふかい)†の気味があるし、そもそもプロクロスがユークリッドをプラトニストとしていることは、新プラトン主義者であるプロクロス自身の立場にひきつけた解釈として文字通りにはうけとれない。しかしユークリッドがプラトン哲学を奉じたか否かはしばらく措くとしても、かれがプラトンの周囲にいた数学者の強い影響を受けたことは明らかであるし、おそらくかれ自らも「アカデメイア」の門に入ってそれらの数学者の伝統をうけついだであろうことは容易に想像される。このことは『原論』の重要な実質的内容をユークリッドに先立ってつくり上げたと考えられるピリッボスやエウドクソスやテアイテトスが、みなこの「アカデモスの学園」に属したプラトンの友人であり弟子であることからうかがえる。
さて以上がギリシァ語で書かれた第1次史料から知られるユークリッドの生涯に関するすべてであるといってよいが、中世に入ると10世紀以後のアラビアに、さらに詳しいいくつかの伝承が現われてくるが、しかしこれらは時代もかなり離れているし、アラビア特有の幻想的叙述も混入しているので、史実としての信憑性は大いに希薄となる。しかし興味があるので一つだけ引用しておこう。たとえばアル・キフティーは次のように言っている。
「ナウクラテスの息子でゼナルコスの孫であるユークリッドは、幾何学の創始者とよばれ、かなり古い時代の哲学者で、生まれにおいてはギリシァ人であるが、住んだところでいえばダマスクスの人であり、出生の場所でいえばチルスの人である。かれは幾何学の知識に最も造詣深く、幾何学の基礎または原理と題するきわめてすぐれた有益な書物を編んだが、この種のものにおいてこれ以上普遍的な書物はギリシァ人の間でもそれ以前には存しなかった。否それ以後の時代においても、すべての人がかれの足跡を追っているのであり、かれの学説をはっきりと公に認めないような人はいなかったのである。それゆえ、さらにギリシァやローマやアラビアの幾何学者の少なからざる人びとがこの幾何学の著作を飾りたてる仕事を企て、この書物の注釈や注解やノートを編み、またこの著作自身の要約もつくった。そのようなわけでギリシァの哲学者たちは、かれらの学枚の扉に“ユークリッドの原理を前もって知らざるものは、なんぴともわれらの学校に入るべからず”というあの例の言葉をはりつけるのが慣わしとなったのである。」
まずナウクラテスやゼナルコスというようなユークリッドの父や祖父の名が一体何に由来するのかはっきりしないが、他のアラビア文献ではまたこれと異なった名称が出てくるところをみると(たとえばアル・ナデイームではゼナルコスの代わりにベレニコス)、これがかなり懇意的なものであることがわかるのであって、おそらく父や祖父の名を並記するアラビアの習慣から、5世紀のプロクロスさえ知っていないこれらの名前がデッチ上げられたものと思われる。さらにチルスで生まれダマスカスに住んだということも、このすぐれたギリシァの科学者を西アジアの地に結びつけようとするアラビアの伝統的やりかたの現われと考えられる(かれらのうちのあるものにとってはピタゴラスはソロモンの弟子であり、ヒッパルコスはカルデア人であり、アルキメデスはエジプト人であった)。
実際『原論』のアラビア版を編んだアル・トゥースイーは、自分の出身であるホラーサンのトゥースをユークリッドの生地とさえしている。さらにプラトンの言葉とされている“幾何学を知らざるものは入るべからず”が、“ユークリッドの原理を知らざるものは、われらの学枚に入るべからず”というように変形されていることも、アラビアの伝承の任意性を示すものといえよう。さらにまたユークリッドが“かなり古い時代の哲学者”とされていることは、中世を通じて一般になされていた混同――つまりソクラテスの弟子であった紀元前400年ごろの哲学者でプラトンの対話篇『テアイテトス』にも出てくるメガラのユークリッドとの混同を反映している。この混同はすでに古く、ローマ時代のヴァレリウス・マキシムス(1世紀)にはじまり、16世紀後半にコンマンデイーノによってはじめて訂正されるまで、存続しつづけた。事実中世を通じ近世初頭にいたるまでの長い間、アレクサンドリアの数学者ユークリッドはメガラの哲学者ユークリッドの名の下にかくされてしまっていたのである。
また『原論』がユークリッドの著作ではなく、アポロニオスという“大工”の作品であるというアラビアのもう一つの伝承――この問題には深入しないが――明らかにヒュプシクレスの『原論』第14巻への序文を誤解したもので、ここにもちろん受け入れることはできない。 『原論』がユークリッド自身の著作であることは、プロクロスをはじめとするあらゆる所伝に基づいて、まったく疑いえないところである。
結局ユークリッドについていえることは、かれが紀元前300年ごろに活躍したギリシァの数学者で、はじめはおそらくアテナイの「アカデメイア」で数学を研究し、後にアレクサンドリアに移り、そこで多くの弟子たちを教育するとともにプトレマイオス1世と交わり、『原論』という不朽の大著をはじめいくつかの重要な数学的著作を世に遺したということにつきる。
しかしながら最近ではさらに、このようなユークリッドに関するわずかな事実が引き出されてくる史料の信憑性にすら疑いをさしはさみ、ユークリッドという人物の実在性を否定する学者も現われてきている。たとえばフランスの数学史家イタールは、さきに引用したプロクロスの文章のなかで、“アルキメデスがユークリッドのことを言及している”といわれているのは、『球と円柱について』の証明のなかで「ユークリッドの第1巻命題2より」といういわずもがなの形式的注記をさしているのであり、これはとうていアルキメデス自身のものとはなしえないとして、これからユークリッドについて何事かを推理することはできないと主張し、さらにパッポスの著作の中で、アポロニオスに関してユークリッドにふれた文筆もフルチュに従って後代の加肇であったとする。このようにユークリッドの歴史的実在を根拠づける文献的証拠をひとつひとつ消去してゆくと同時に、『原論』自体がしばしば統一を欠き、本質的に同じ定理が異なった箇所で二度も証明されていたり、後では全然使用されない術語の定義が与えられていたりしているから、こうした『原論』のモザイク的性格はその著者が単数ではなく複数であり、ユークリッドとは現代のブルバキと同様に数学者の集団の名前ではなかったかと考える。そしてこれらの数学者は自分たちの著作を有名なメガラの哲学者ユークリッドに仮託したのかもしれない(ちょうどアレクサンドリアの錬金術の著作がデモクリトスに伎託されたように)。さきにルネサンスのコンマンデイーノにいたるまで、中世を通じて数学者ユークリッドはメガラの哲学者ユークリッドと混同されていたと言ったが、実はこれは混同ではなく、数学者ユークリッドははじめから存在しないのであって、それはアレタサンドリアにおける数学の一つの学派の集団の名称であったのだ――こうした説も浸出されているのである。しかしこのイタールの大胆な提案にもいろいろ問題があろう。さきに引用したアルキメデスのユークリッドに関する言及が、かれの主張するように、アルキメデス自身のものではなく後代の書き加えであることをかりに認めるとしても、アポロニオスが自書の序文でユークリッドの仕事にくらべ自己の優越性を誇っているのは明らかに彼自身のものとせねばならないだろう。しかもこの記述は時代が近いだけに迫真性があるが、そこでかれはユークリッドという個人に大いに対抗心をもやしているかにみえるのは注目される。また「アポロニオスがアレクサンドリアでユークリッドの弟子たちとともに過した」というパッポスの証言がフルチュにしたがってかりに後代の加筆だとしても、パッポスのもう一つの箇所、つまりアポロニオスに比較してユークリッドの公平温和な人がらに触れているところはどうなるのか。これはどうしても後代の付加とすることはできないと思われるが、しかもそこでも集合名詞でなく明らかにユークリッド個人の性格が語られているのである。さらに『原論』全体の統一が緊密でないということをもって、ただちにこれが一個人の著作であることを否定する根拠とはならないのであって、これはユークリッドという人が、そもそも強い個性で全体を統一するというよりも多分に編纂者的性格の持主であって、前にあったものをなるべく残すようなしかたで『原論』を編んだので部分的不統一が生じたのだと考えてもよいであろう。またプトレマイオス1世との交渉を伝えるプロクロスの伝承や、またストバイオスの伝承を否定する積極的理由もない。いずれにせよイタールのはなはだ興味ある仮説も、仔細に検討してゆくと問題が残るのであり、ただちに受け入れることはできない。筆者としてはやはりユークリッドが実在したとして、一応上述したような結論を下してさしつかえないと思う。しかしこのイタールのような疑いを起こさせるほどに、ユークリッドその人について知りうることがあまりにも希薄だということは事実である。
このようにユークリッド自身についてわれわれの知るところは、きわめて少ない。しかしかれの著した『原論』は厳然としてわれわれの前にあり、その全貌をあますところなく知ることができる。古代のかくも長大な数学書がなんら欠損もなくそのまま今日に伝えられているということは、まことに希有なことに属すると言わなくてはならない。そのためには、先人たちによって絶えずこれの保存と伝達の努力がなされてきたことを想起しなければならないし、またこのことはとりもなおさず後の時代におけるユークリッドの絶大な声価を物語っているといえるであろう。
(「ユークリッドと『原論』の歴史」伊東俊太郎の第1節「その人と著作」より抜粋 文中赤字表示は引用者による)
けんかい【狷介】†
頑固で自分の信じるところを固く守り、他人に心を開こうとしないこと。また、そのさま。片意地。
けんきょうふかい【牽強付会】†
道理に合わないことを、自分に都合のよいように無理にこじつけること
数学的内容について『原論』の引用をしないのは、何といっても、紀元前300年のものなので、表現が分かりにくく、それを分かりやすく書き直すと、多くは中学高校の教科書やその他の書物にある、ありふれたことになってしまい、今日この書物自身から直接数学を学ぶというには時代が過ぎているように思うからです。
とはいえ、イギリスでは1901年ペリー講演(欧米における数学教育改良運動の始まり)以前では、幾何学はほぼそのまま『原論』に準じていて、また、菊池大麓(数学で日本人初の東大教授、日本人初の東大総長(学長)、後に文部大臣)が明治時代に日本に持ち帰った数学教育も当時のものでした。
『原論』の第1巻には「ピタゴラスの定理」の証明が載っています。「ピタゴラスの定理」の証明は、今日、数百通りの方法が知られています。 ユークリッドの証明も有名で多くの書物に載っていますが一応ご紹介します。文中「A、B、C、D、・・・・・・」などは、「A、B、Γ、、・・・・・・」となっていたものを改めたものです。
概略を説明しますと、右の図で、左側の正方形AHIB(水色の正方形)の半分が三角形CIBになり、黄色の長方形の半分が三角形ABDになる。ところが、2つの三角形は合同なので、この正方形と長方形の面積は等しい。右側も同様である。
この証明は右の図とともにかなり有名なので、保護者の方は何度も見かけたことがあることでしょう。中学受験算数にはピタゴラスの定理は直接は出てこないのですが、何かの折には、説明することがあります。この図ではなく、次のような図で説明をする人も多いかと思います。
参考類題
2つの長方形ABCDとEBFCが右の図のように重なっています。長方形ABCDの面積が10cm2のとき、長方形EBFCの面積は何cm2になりますか。
(古典問題)
解法
2つの長方形の面積は、ともに三角形EBCの面積の2倍であるから等しい。長方形EBFCの面積=長方形ABCDの面積=10cm2
答え 10cm2
【ピタゴラスの定理の小学生向けの証明】
先の問題では、2つの長方形の面積をお互いの重なりの直角三角形を媒介として考えてみましたが、今度は逆にこの直角三角形を中心に考えてみますと、直角三角形EBCのまわりに3つの直角三角形があると見ることもできます。これらは相似です。(このときの相似条件は「対応する2つの角はそれぞれ等しい」です。)
すると、三角形ABEとDECとFBCの相似比はBE:EC:BCですから、面積比は、BE2:EC2:BC2です。
ところで、右の図のように三角形ABEとDECの面積の和は三角形FBCの面積に等しいので、
BE2+EC2=BC2 となり、証明されました。
ピタゴラスの定理は、普通は3つの正方形で考えますが、正方形でも正三角形でも直角三角形でも半円でも、相似で、対応する辺が直角三角形の3辺に相当すると成立するわけです。
つまり次の図ではいずれも、ア+イ=ウです。
ピタゴラスの定理の関連問題について見てみましょう。
参考類題1
右図の△ABCにおいて、∠B=60であり、3つの五角形X、Y、Zは相似である。いま、五角形X、Y、Zの面積をそれぞれx、y、zとするとき、zをx、yの式で表すと、z=□となる。
(2007年 開成高校)
解法
五角形X、Y、Zの面積比は、x:y:z=BC2:CA2:AB2であり、AB2+BC2=CA2である。
つまり、z+x=yすなわち、z=y-xである。
答え y-x
【注意】 この連載では既出ですが、3×3=32のように同じ数を2個かけることを右肩に小さく2と書いて表します。
参考類題2
図は、直角三角形ABCと、それぞれの辺を直径とする半円です。
AB=8cm、BC=10cm、AC=6cmのとき斜線の部分の面積は何cm2ですか。ただし、円周率は3.14とします。
(2007年 関東学院六浦中)
解法
6×8÷2=24(cm2)
答え 24cm2
別解
3×3×3.14÷2=4.5×3.14
4×4×3.14÷2=8×3.14
5×5×3.14÷2=12.5×3.14
6×8÷2=24
(4.5+8)×3.14+24-12.5×3.14
=24(cm2)
答え 24cm2
参考
上の図のように、斜線部分の面積は直角三角形ABCの面積と等しくなります。これを「ヒポクラテスの三日月」といいます。ヒポクラテスは「医学の父」、「医聖」、「疫学の祖」と呼ばれる有名なお医者さんのヒポクラテスとは別人ですが、いずれも紀元前のギリシア人です。
関連問題1
次の問いに答えなさい。
(2007年 吉祥女子中学校)
解法
答え
参考
(3)は、(2)の半分だから、
13÷2=6.5(cm2)と求めることもできる。
関連問題2
右の図のように正方形が2つあり、小さい正方形の中に円がある。
斜線部分の面積は□cm2である。
(2007年 灘中)
解法
3+5=8(cm)
8×8-3×5÷2×4=34(cm2)
34÷2×0.43=7.31(cm2)
答え 7.31cm2
参考
右のような四分円と直角二等辺三角形の面積比は2:円周率になる。
右の図で、ア、イ、ウの面積比は、
1:0.57:0.43 になる。
記述式解答の場合、0.57や0.43をいきなり使うと、減点になる学校があるそうです。
灘中の1日目などのように、答えだけ書けばよいときとか、記述でも答えの確かめなどに使うと便利なので一応覚えておくと、早く答えが出せます。
-1=0.57 2-
=0.43
円周率が3.14で与えられていないときには、0.57や0.43は使えません。上の式で調整します。
本問題では右のように使っている。
関連問題3
右の四角形ABCDは正方形で、内側の4つの三角形はすべて大きさの同じ直角三角形です。正方形ABCDの面積を求めなさい。
(2007年 神奈川学園中)
解法
10-6=4(cm)
6×10÷2×4+4×4=136(cm2)
答え 136(cm2)
これは、ピタゴラスの定理を使わないピタゴラスの定理の問題です。別の言い方をすると、ピタゴラスの定理の1種の証明でもあります。
文字式で表すと
ピタゴラスの定理
(b-a)2+a×b÷2×4=c2
こうした図では、次のようにして
a2+b2=c2
を導けます。
関連問題4
傾いた平面上で、もっとも急な方向の勾配がであるという。いま、南北方向の勾配を測ったところ、
であった。東西方向の勾配はどれだけか。
(1983年 東大入試文科数学「2」)
解法
次のようになるので
1÷=
答え
参考
この問題は、3月号の「進学レーダー(2007年3月号)」で扱ったものを再掲したものですが、ピタゴラスの定理の軽妙な応用問題だと思います。
次に「進学レーダー」に載せた、1997年の東大の「正三角形内の光線軌跡」です。「正方形内の光線軌跡」は受験算数ではこれまでたくさん出ていますが、「正三角形内の光線軌跡」はあまりみかけないようです。しかし、中学受験生に解けないとは思えませんので、考えてみましょう。
問題 正三角形内の光線軌跡
正三角形ABCがあります。図のように頂点Cから辺ABに垂線CDをひきます。次にCDの4等分点のうち、Dに最も近いものをEとします。
項点Aから点Eの方向に、三角形の内部に向かって出発した光線を考えます。この光線は三角形の各辺で入射角と反射角が等しくなるように反射し、項点に到達するとそこでとまるものとします。また、三角形の内部では光線は直進するものとします。このとき、この光線はどの項点でとまりますか。
(1997年 東京大学理系数学「4」改題)
解法
右のように正三角形を8つかいて、光線を表す直線を引き、BCについてAと対称な点をA、ABについてCと対称な点をCというように次々に頂点の記号を書き込んでいくと、Bでとまることがわかる。
答え B
もとにした問題
正三角形ABCの頂点Aから辺ABとのなす角がの方向に、三角形の内部に向かって出発した光線を考える。ただし0<
<60
とする。この光線は三角形の各辺で入射角と反射角が等しくなるように反射し、頂点に到達するとそこまでとまるものとする。また、三角形の内部では光線は直進するものとする。
(1997年 東京大学理系数学「4」)
解法
答え (1)B (2)12k+3
問題 長方形内の光線反射
台の上に長方形の枠ABCDがある。台の上の球は枠に当たると、当たったときと同じ角度ではねかえるが、A、B、C、Dのうちのどこかにくるとそこで止まる。球を辺AB、ADのどちらとも45の方向にAから発射する。ただし、球は非常に小さいので大きさは無視できるものとする。
図は、ABの長さが4cm、ADの長さが7cmのとき、球が動いた線を示したものである。
この場合、球はBで止まり、この線によってできる正方形のうち最も小さいものは9個である。
次の各問いに答えよ。
(2005年 灘中学校)
解法
答え (1)Dでとまり14個 (2)3.5倍 (3)AB 7cm AD 13cm
東大の問題の類題としては甲陽学院中(2004年)、広中杯ファイナル(2006年)なども浮かびます。
問題
【1】次のの中に適当な数または記号を入れなさい。
右の図1のように、正三角形ABCの頂点Aから出た光が、まず辺BC上の点Dではねかえり、以後正三角形の辺にぶつかるたびにはねかえり続けて、正三角形の頂点に到達したときに止まるものとします。
ただし、光が辺にぶつかると図2の(あ)と(い)の角度が等しくるようにはねかえります。
(2004年 甲陽学院中)
解法
右図から、(1)3、B (2)5、C
問題4
正三角形状のビリヤード台OABがある。頂点Oからボールを発射したところ、ボールは壁と1133回反射した後にとまった。ボールを打ち出した時の角度を図のようにx(0<x<60
)として次の問いに答えよ。
(2006年 広中杯ファイナル)
【練習1】
1133は大きい数なので、小さい数で練習してみよう。
11の場合は右のように6個できる。
【練習2】
13の場合には7個できそうだが、途中で頂点についてしまうものがあるので、
(1,7)・・・・・・0より右に1、右斜め上に7進んだ点
(3,5)・・・・・・0より右に3、右斜め上に5進んだ点
(5,3)・・・・・・0より右に5、右斜め上に3進んだ点
(7,1)・・・・・・0より右に7、右斜め上に1進んだ点
の4点になる。
解法
2004年甲陽学院中の問題は、1997年東京大学理の4によく似ていると思います。そうして、2006年広中杯はその2つを大きな数で聞きなおしています。このように大きな数の問題はなかなか難しいけれども、取り組んで考えてみるとこの種の問題を見通しのよい物にします。
参考 ユークリッドの互除法
最大公約数を求める方法に「互除法」というのがあります。発見者ユークリッドにちなみ「ユークリッドの互除法」ともいいます。ユークリッドは「3の倍数から3の倍数をひくと3の倍数になる。」などを広げていって思いついたようです。
例 6467と6913の最大公約数を求める。
2数のわり算をする。(小さい方の数で大きい方の数を割る。)余りが出たら、余りで先に割った数を割る。以下繰り返す。余りが0になったときにやめ、そのとき最後に割った数が最初の2数の最大公約数になる。
中学入試では長方形の正方形分割の問題などでよく出てきます。
有名なラファエロの壁画『アテナイの学堂』では右前でコンパスを持っているのがユークリッドといわれています。
せっかくエジプトの話が出たので、パピルス文書「リンド・パピルス」における「分数を単位分数の和で表す問題」の背景とか、「水面に顔を出している水草を利用して水深を計る方法」にも触れたかったのですが、長くなりますので、次回「ユーリカ1」のときに触れてみたいと思います。
ユークリッドはいろいろな役に立つことのおおもとをたずね、それを踏まえてこそ、新しいことを考え出せる。そうして、その過程も楽しいものだと考えたようです。
今回、『進学レーダー』では、ユークリッドの逸話を通して、算数(数学)とは、学問とは、という古くて新しい問題について述べてみました。皆さんも色々な考えがあろうかと思います。好意的に読んでいただけると幸いです。
付記
10月号で円錐の斜め切りが楕円になることを論証しましたが、中学校では、円錐を切った模型を見せるようです。ご家庭では「三寸にんじん」を斜め切りしてはいかがでしょう。
三寸にんじん(独立行政法人農畜産業振興機構HPより)
http://alic.vegenet.jp/panfu/carrot/carrot.htm