日能研教務部算数科 真藤 啓
このページは、「進学レーダー11月号」に連載している算数エッセー「算数好きになるくすり とびとび花占い」のうち、問題や解説など、紙面で書ききれなくなったことを補足するために、開設しています。
算数遊戯は室町時代に起こり、その算数遊戯の一環として「とびとび花占い」がすでにあったようです。室町時代の算数遊戯の多くは中国から輸入したものをアレンジしたものです。しかし、「とびとび花占い」は日本で起こったようです。(古い中国の書物にはないようです。)
今回は「とびとび花占い」についてのお話です。『とびとび花占い』の起こりについてははっきりしませんが、『異制庭訓往来(著 東福寺の虎関師錬)』、『遊学往来(著 玄悪法師)』などに出ています。
おもしろいのは、一説には西行法師が、源頼朝からもらった銀の眠り猫を、頼朝邸の門前で遊んでいた子に『とびとび花占い』の要領であげてしまったと伝えられていることです。そもそもは、当時の碩学、藤原通憲(みちのり 1106-1159)が考案したとか、平治の乱で殺された信西が作ったという説もあります。鎌倉時代の書「二十抄」にもあるとか、室町時代初期の「簾中抄」にもあるなど特定できません。
吉田兼好(よしだけんこう)こと、卜部兼好(うらべかねよし 1283年~1350年5月14日)は、鎌倉時代から南北朝時代の随筆家・歌人で吉田神社に関係があったことから吉田兼好(よしだけんこう)と通称されることが多いのですが、兼好が書いた「徒然草」に出てくるので、その時代にもはやったのでしょう。
『進学レーダー』の本文中、初めの部分は、文中にもあるように『徒然草(吉田兼好)』、『塵劫記(吉田光由)』にあることです。中ほどの文は大方のお察しのように『吾妻鏡』にあることです。最後の部分で、西行がとびとび花占いで銀の眠り猫を子どもに渡したというのは、室町時代の本にあるそうで、後述の高木茂男氏の書物などにも書いてあります。
ただし、ここで、ある子が、「僕から数えてください。」と言ったとか、さらにその子が最後に残ったという記述は私の創作です。
「なあんだ。俺の知っていることばかり書いてある」なんて思われないように、わざと、他の本に書いていないことを加えているのです。
問題 このとき、子どもの人数は何人ですか。
さて、このときの人数ですが、答えは16人です。後述の関孝和の表から人数の候補は、
2、16、22、71、227、528、1227、・・・・・・
となり、この中から、10以上20未満のものは16に限ることがわかります。『進学レーダー』の本文の「とびとび花占いで、30人中、14人が除かれたあとに1番目に数えた子が最後まで残る」ということからも、少なくとも16人であれば最後まで残ることは類推されることでしょう。
さて「塵劫記」の著者吉田光由は幼名を与七といい、久篭と号しました。角倉了以の一族です。角倉了以は京都嵯峨に住んでいて海外貿易で有名でした。覚文12年(1672)に75才で没しています。これらは、大矢真一校注「塵劫記」が出典でその他のことは不明です。
ところで、「塵劫記」の塵劫は「きわめて小さい数(塵)と、きわめて大きい数(劫)」という意味ですが、仏教語の「塵点劫(じんでんごう)」の略で、きわめて長い時間という意味で使われているという辞典もあります。
しかし、仏書の塵劫来時絲毫不隔の句に基づいて、嵯峨天竜寺の長老玄光がつけたものであると、玄光の序文の中に見えている版もありますのでここではこれを採用したいと思います。
いずれにしろ、「永遠の書」というような思いで名づけられたのでしょう。同書の最初の方に、次のように大きな数の呼び名が出ています。
大きな数の呼び方(「塵劫記」による)
一(いち)1 十(じゅう)10 百(ひゃく)100(102) 千(せん)1000(103) 万(まん)10000(104) 億(おく)108 兆(ちょう)1012 京(けい)1016 垓(がい)1020
(じょ)1024 穣(じょう)1028 溝(こう)1032 澗(かん)1036 正(せい)1040 載(さい)1044 極(ごく)1048 恒河沙(こうがしゃ)1052 阿僧祇(あそうぎ)1056 那由他(なゆた)1060 不可思議(ふかしぎ)1064 無量大数(むりょうたいすう)1068
今日、これが数の呼び方の基準なので、その意味では、塵劫記の名は本当に相当息が長く語り継がれるのではないかと思われます。大きな数や小さい数についての書物には、いつもその出典に塵劫記の名があげられていますし、これからもあげられるでしょうから。
この数の呼び方は中国から来たものでしょうが、中国古代では載で終わっているので、それ以外は光由が僧の意見などを参考に付け加えたものと思われます。
小数の名については
分、厘、毛、絲、忽、微、繊、沙、塵、埃で、これはすべて10進法です。
なお、本文中の挿入和歌
「惜しむとて 惜しまれぬべき この世かは、身を捨ててこそ 身をも助けめ」
で、「こそ」「助けめ」は係り結びといって、感情を込めて読むところです。「仰げば尊し」のクライマックスの「いまこそ 別れめ」の「こそ」「別れめ」も同じ係り結びです。(知らない人もいるかと思い念のため。)
で、「とびとび花占い」については、江戸時代の日本一の数学者、関孝和(1640~1708)も研究して、漸化式の考えを使って書いていることが読み取れます。
関孝和の「算脱之法」の表
【表の見方】
表はn人いて、10番目ごとに取り除くと、Nn番目の人が最後に残ることを表しています。
n | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Nn-1+10 | 11 | 11 | 12 | 14 | 14 | 12 | 15 | 17 | 18 | 18 | 17 | 15 | 12 | 22 | 17 | 11 | 21 | 13 | 23 | 13 | 23 | 11 | 21 | |
Nn | 1 | 1 | 2 | 4 | 4 | 2 | 5 | 7 | 8 | 8 | 7 | 5 | 2 | 12 | 7 | 1 | 11 | 3 | 13 | 3 | 13 | 1 | 11 | 21 |
nは、人数
Nnは最後に残る人の番号
【表の作り方】
たての列(12、17、5)から、次のたての列(13、15、2)を作るには、
12+1=13 12の次は13 5+10=15
12人のとき最初から数えて5番目が最後に残り。
13人のときに、最初に除かれるのは10番目の人、この時点で残るのは12人。もし、ここで、改めて番号を振りなおすと5番目の人が最後に残る。
5番目とは、10に5をたして最初から数えて、15番目の人ということになるが、13人で15番目というのはいない。15から13を引いて2を得る。
このような方法で、10人ごとに除くとき、1番目が残る場合(Nn=1になる場合)の、人数nを抜き出すと、
2、16、22、71、227、528、1227、・・・・・・
となります。
10人ごとの10などを、孝和は脱数(だっすう)と言いました。孝和はその他の脱数についても調べ、右の表のように表しました。
実際の関孝和の原文は和算なので、縦書きで、甲乙丙丁などの代数文字を使っていますので、ここでは現代風に変えてあります。脱数とは、k番目ごとに取り除くときのkのこと、総数(n)とは、1番目が1番最後まで残るときの初めの人数のことです。
脱数 | 総数(n) | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
2 | 2 | 4 | 8 | 16 | 32 | 64 | 128 |
3 | 4 | 6 | 9 | 31 | 70 | 105 | 355 |
4 | 2 | 5 | 9 | 12 | 16 | 218 | 517 |
5 | 3 | 6 | 12 | 15 | 37 | 58 | 142 |
6 | 2 | 3 | 8 | 14 | 74 | 128 | 319 |
7 | 23 | 50 | 93 | 235 | 320 | 1377 | 4404 |
8 | 2 | 5 | 10 | 20 | 30 | 45 | 77 |
9 | 91 | 146 | 208 | 234 | 475 | 1084 | 1372 |
10 | 2 | 16 | 22 | 71 | 227 | 528 | 1227 |
11 | 3 | 7 | 14 | 17 | 25 | 106 | 171 |
12 | 2 | 3 | 4 | 7 | 16 | 172 | 1169 |
13 | 24 | 26 | 36 | 39 | 895 | 1138 | 5209 |
14 | 2 | 4 | 6 | 7 | 146 | 228 | 1689 |
15 | 4 | 5 | 9 | 12 | 17 | 21 | 79 |
16 | 2 | 6 | 9 | 11 | 20 | 26 | 36 |
17 | 3 | 56 | 76 | 103 | 327 | 1320 | 3484 |
18 | 2 | 3 | 5 | 6 | 11 | 28 | 42 |
19 | 5 | 90 | 95 | 118 | 705 | 924 | 1587 |
20 | 2 | 9 | 10 | 18 | 21 | 81 | 516 |
『とびとび花占い』は数え方を決めた時点で、結果は、一意的に決まります。一見偶然のようですが、公平な分け方ではありません。だから、はじめから与えたい人が決まっているときに、さも平等のように与えるときに便利なずるい?方法です。
西洋では370年ごろにヘゲシッパスがフラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記』を下敷きにして「ヨセフスの問題」と名づけて書いています。それによると、
「ユダヤ人はローマに反抗して独立戦争を起こしました。ユダヤの総司令官ヨセフスは、ヨタパタの町に籠城しましたが、ローマ軍に包囲され46日で陥落、同士40人と洞穴に隠れました。ヨセフスと彼の友人は何とか生き延びたいと思っていましたが、他の者はもはや自決ようと主張しました。いよいよ集団自決をする段になって、ヨセフスは全員を円形に並べ、3番目ごとに他の同士に殺してもらい、最後の一人は自殺をするという方法を提案しました。これが認められたのでヨセフスと友人は16番目と31番目に位置し助かりました。」
とあります。
この話はヨセフスの『ユダヤ戦記』を見ると、とびとび花占い方式をとった事以外はそのままだといいます。
(参考文献 「Play Puzzle」など 高木茂男著 その他)
「トルコ人とキリスト教徒の問題」
ヨセフスの問題の類題としてよく知られているのは11世紀の本に見られる「トルコ人とキリスト教徒の問題」です。
「あるとき、キリスト教徒15人と異教徒であるトルコ人15人の乗る船が難破しました。積荷を捨てて船を軽くしたが、まだ危険でした。ここで、船長は、15人は犠牲となって海に飛び込んでほしいといい、乗客を次のように輪に並べました。まず、キリスト教徒4人、トルコ人5人、キリスト教徒2人、・・・といった具合に、すなわち、次のように並べたのです。
4、5、2、1、3、1、1、2、2、3、1、2、2、1
このように並べたあと、船長が数えて9人目ごとに海へ、身を投じることとしました。そして、うまくキリスト教徒全員を助けたのでした。」
なんともすさまじい話です。
これらはすでにたくさんの書物にも見られ、また英語のWebサイトでも見ることができます。日本の「とびとび花占い」は、中国からではなく西洋から来たのではないかとも考えられますが、その根拠となる文献も見当たりませんので、偶然似たような事が起こったのだと考えてよいのではないかと思います。
もうずいぶん前のことですが、通信(「知の翼」)用に「多角形の外角の和は360°になることを、鉛筆を利用して説明する」ことを書きましたところ、2年後に埼玉大学の某教授が、まったく同じことを算数数学教育学会誌に発表し、自書に書き、高校の検定教科書にも書いたのにはびっくりしました。
私は、とっさに、某教授の弟子の学生が真似たのを流用したと思い、なんか無性にイライラしたことを思い出しました。しかし、これは偶然かもしれません。また、私が自分で考えて誰にも公表しなかった問題が突然入試に出ることもあります。こうしたことは誰しもよくあるようです。
だから、「とびとび花占い」も複数の人があちこちで思いついたのではないかと思います。
たとえば、いくつかの物を順に指差しながら「ど、れ、に、し、よ、う、か、な、天神様の言うとおり」なんて選ぶのも似ていますし、「花占い」で、「愛してる、愛してない、愛してる、愛してない、・・・」と花びらをちぎるのがありますがこれにも通じます。
だから、それらの応用として、誰かを選ぶときに「とびとび花占い」があちこちで発生したものと考えれば、複数の人が思いついたとしてもおかしくないとも考えられます。いくつか文献を調べたのですが特定できませんので「複数の人が思いついた」というのが当面の私の考えです。
中学入試における「とびとび花占い」について検討してみましょう。次の問題は2002年の公文国際学園中等部の問題です。
問題
たとえば、右図のように、円上に16個の点を同じ間かくに並べ、右回りに1から16までの番号をつけます。ここで、つぎのような規則でゲームをします。ある数からはじめて右回りに、1つおきに取りのぞいていく。引き続いて、2周目からも残った数について、1つおきに取りのぞいていく。このとき、右の図では、1から始めると取りのぞかれる数は、1、3、5、7、9、・・・、15、2、6、・・・です。
このとき、次の問いに答えなさい。
(2002年 公文国際学園中等部)
解法
答え (1)16 (2)14 (3)2 (4)1956
《参考》まとめの「公式?」
【注意】2番目から取り除く場合もある。
これらを覚えておくともう大丈夫と思うでしょうか。1番目から取り除く場合はこれで大丈夫ですが、2番目から1つおきに取り除く場合はどうでしょうか。
10個ごとにとり除くときには10番目からとりのぞきますから、2個ごとにとり除くときには2番目からとり除くのが普通だと思うのですが、受験算数の場合には、1番目からと2番目からのものが、半々で出ています。
(対策1) 2つの方法を覚えて、それぞれ解く。
(対策2) 1つの方法をしっかり覚えて、他の場合は覚えた方法に置き換えて解く。
という2種類の対策が考えられます。
また、『とびとび花占い』の問題では、積み上げたカードで出ることもあります。環状に並べたものと本質的には全く同じですが、見かけに惑わされるかもしれませんので一応これも練習してみましょう。『とびとび花占い』の問題はいつどの学校で最初に出したのかははっきりしませんが、2個ごとに除く問題は1988年筑波大学附属駒場中の問題あたりから注目されたようです。
問題
80枚のカードに1から80までの数を1つずつかいて、小さい数が上にくるように順に重ねます。
「一番上のカードを一番下に移動し、次のカードを取り除く」という操作を1回と数えることにして、このカードの山にこの操作を何回もくり返しカードが1枚になったら終わりにします。
次の問いに答えなさい。
(1988年 筑波大学附属駒場中)
解法
2巡目の番号 | 1 | 2 | 3 | 4 | ・・・ |
---|---|---|---|---|---|
もとの数 | 1 | 3 | 5 | 7 | ・・・ |
答え (1)7 (2)76回目 (3)33
《参考》
80枚のうち、64枚になったとき、つまり16×2が取り除かれたあとに、最初に取り除かれるカードの1つ前、16×2+1=33が最後まで残る。
2個ごとの場合の最後の数は計算で求めることができますが、そうでないときには、大変ですから、「あ、そうか」というように気づかせてくれる、よほどうまい誘導がない限り出ないと見てよいでしょう。今のところ出ていません。
なので、最初から数えて何番目は何とか、1巡目の終わり、2巡目の終わり、あるいは2巡目の初め、3巡目の初めは何かという辺りが限度でしょう。このことを確認してみましょう。
そのような問題の草分けは次の1976年、筑波大学附属駒場中がキョウコマ(東京教育大学附属駒場中)といわれていたころの出題です。
問題
1から160までの数字を書いたカードをまるく並べ、160の次に1が続くようにする。これを1のカードからこの順に数えはじめて7枚目ごとに7、14、21、・・・・・・のカードを次々にとりのぞく。1回り終わったら、最後にとったカードの次から数えて7枚目ごとにカードをとりのぞいていくことにする。
(1976年 東京教育大学附属駒場中)
【解法の指針】
これを、2002年の公文国際中等部と比べてみると、パターン的にはキョウコマの方が難しいのですが、数が少ないですから数え上げれば届いてしまうという意味では簡単です。公文国際の場合は2002であるのに対し、キョウコマの場合たかたか160ですからいざとなれば全部書き出して調べると解けるわけですが、それに対して、公文の2002をすべて書くのは大変です。つまり、最近の問題は、単に書き出して試行錯誤をするだけでは答えまで行き着かないという点で難しくなっていて、どうしても、一般化、定理化して押さえないと届かない傾向が見られます。
解法
答え (1)1 (2)4 (3)17
《参考》
とはいえ、こうした「書き出して数えればできる問題」も今なお出るので、書き出す方法で、しっかり押さえ、数値の大きいときには、規則性を見つけて公式を見出し、計算でも解けるようにしなければなりません。表中、1から160まで全部書きこむべきだとか。逆にもっと省けるぞという人もあるかと思いますが、それは、お好みでどうぞ。最初は全部書き込んだ方がよいかもしれません。
将来、「とびとび花占い」でどんな問題が出るかというと、うまい誘導つきの、脱数が2以外のもので最後に残る番号を求める問題が出るのではないかと想定されます。
この稿を書くために、出題のねらいが分かりやすいようにということで、次のような問題を作ってみました。
作品としては完成度は低いのですが、番号を付け直す感覚を身につけてほしいというのがねらいで、その他はわざとあまり作りこまなかったのですが、それでも難しいかもしれません。この問題に関しては、あまり考えずにちょっと考えて、さっさと解法を見た方がよいかもしれません。まあ、その辺もお好みで。
問題
右の図のように6個の石を輪に並べて、1から6のように番号を付けます。1から数えて3個目ごとに、石を取り除いていくと、最後に、1が残るのが確かめられます。
最初の個数が何個であってもいつも1が残るわけではありません。
江戸時代に関孝和という数学者が、最初の個数が1より大きいとき、1番の石が残るのは、最初の個数が、
4、6、9、31、70、105、355、・・・・・・
のときであるということを見つけました。
もし、最初の石の個数が100個の場合は、最後に残るのは何番の石ですか。
(この稿のためのオリジナル問題)
解法
100個は70と105の間の数です。30個までとりのぞいたときに、次に数える石の番号を改めて1としたとき、その1が最後に残ります。最初に3の倍数が除かれます。
30番目の3の倍数は90ですから、91番が最後まで残ります。
式)3×30+1=91(番)
答え 91番
《参考》
前置きで大きなことを言った割にやさしすぎましたか? しかし、これは重要なポイントだと思います。
今回は「とびとび花占い」についてでした。以上のことを踏まえておけば、当面「とびとび花占い」については大丈夫ではないかと思われます。
大学入試ではどうかというと、東大、京大で最近30年くらいは「とびとび花占い」は出ていないと思うので、比較的似た感じのものを、・・・・・・
「とびとび花占い」に少し印象の似た問題が去年(2006年)に京都大学で出ました。
問題
白い玉8個と黒い玉14個があります。これに紐を通して数珠を作ります。このとき、どのように作っても、できた20個の数珠のうち、つながった11個をうまく選ぶとその11個のなかに必ず白球4個、黒玉7個が混じるようにできます。このことを説明しなさい。
(2006年 京都大学5 改題)
解法
たとえば右のように数珠を作ったとし、どこからでもよいが、かりにアから矢印の方の順に1列に並べる。次にそれを碁盤の目の道路の道順に対応させる。白○を「横に1進む」、黒●を「縦(たて)に1進む」というように対応させると、アは図1でAからBまで進む道順に対応させられる。出発点Aから終点Bまで進むとき、A、Bの真ん中の点Cを通るかどうかを調べる。
アからはじめた場合、Cの下側を通るが、たとえば、イからはじめた場合、Cの上側を通り、またたとえば、ウからはじめた場合、Cを通る。つまり、ウから11個区切ると白球4個、黒玉7個が混じるようにできる。
このようなウが必ずあることを示せばよい。
折れ線ABがCを通るときは、Cで区切ればよい。
また、折れ線ABがCを通らないときは、ACを対角線とする長方形と、CBを対角線とする長方形の内部の折れ線を長方形ごと重ねると交点ができる。この交点で区切るとよい。
《参考》
もっと大雑把に言うと、真ん中で出会うときはそれでよし。出会わないときは、その2つを重ねると必ず交わるので、その交点で区切ればよい。
いざわかってしまうと、さほど難しくないのですが、はじめての場合は難しいかと思い、少しクドめに書いています。よく理解できたら、自分で整理してみましょう。
もとにした問題
【5】n、kは自然数でknとする、穴のあいた2k個の白玉と2n-2k個の黒玉にひもを通して輪を作る。このとき適当な2箇所でひもを切ってn個ずつの2組に分け、どちらの組も白玉k個、黒玉n-k個からなるようにできることを示せ。
(2006年 京都大学前期文系数学)
解法
改題と同様に解く。
今回は、日本で鎌倉室町時代に起こったといわれる算数遊戯「とびとび花占い」についてでした。
これ以上時代をさかのぼると、わが国の算数のレベルはあまり高くなかったようです。
万葉集のころに掛け算九九を織り込んで、たとえば、「しし」というところを、「十六」と書いたりするようなのがいくつか見られます。当時としては、「現代風」なかっこいい歌い方だったのかもしれません。
ししとは肉のことで、当時は宍という字を書いていました。鹿の肉、猪の肉を「かのしし」、「いのしし」といったようです。それはいいのですが、縦書きで十六とかくと、宍という字に似ているように思えてきて、関連があるのかと調べてみたのですが、そのような文献は見当たりませんでした。
なお、「とびとび花占い」は、出典では別な言葉でしたが今日では使われなくなった言葉が入っているので置き換えました。