日能研教務部算数科 真藤 啓
このページは、「進学レーダー10月号」に連載している算数エッセー「算数好きになるくすり 座標(ざひょう)」のうち、問題や解説など、紙面で書ききれなくなったことを補足するために、開設しています。
今回は哲学者で数学者でもあった「近世哲学の父」「解析幾何学の祖」であるルネ・デカルトという人のお話でした。「進学レーダー」ではお父さんも少し出てくることからルネという名で書きましたが、ここではデカルトということにします。
デカルトは「方法序説」という本を書きました。この本は「良識はこの世で最も公平に分配されるものである。」とはじまり、「われ思う。ゆえにわれあり。(コギト・エルゴ・スム)」で佳境に入ります。
「方法序説」とはどういう本か、「われ思う。ゆえにわれあり」とはどういう意味か、これについて大学の哲学の試験で出たらどう答えたらよいかという意味では知っていました。つまり、時代背景の知識なしでは知っていました。書物や哲学辞典の丸暗記です。そうして、「だからなんなのさ」という印象でした。
この稿を書くために少し調べてみましたが、デカルトが命がけで書いた時代背景を知ると、その重要性が鮮明に感じられるようになりました。「試験にどう答えるかを学ぶというような学び方ではだめなんだぞ。」という気迫を感じ、反省させられました。
高校の「倫理・社会」や大学の「哲学」で、デカルトについて学んだとき、こうした、当時の状況を添えて教えてくれたら、もっとわかりやすかったのではないかと思います。
「伝記 世界を変えた人々17 ガリレオ・ガリレイ(マイケル・ホワイト 著 日暮雅通 訳)偕成社」は子供向けに書かれたガリレオの伝記ですが、思ったことを発言する困難さといった、当時の状況をわかりやすく伝えています。
では、なぜ「哲学」の授業でこうしたことが教えられないのでしょうか。
中島 義道氏によれば、
思想とは膨大な信念を受け入れること
哲学とはけっして「深い」ことではない。人生の深奥にではなく、「数える」といった日常生活の表面にその秘密のすべてが隠されているのです。これに反して、思想にはどうも日常的な世界理解を一皮むいてその深層を探るという姿勢があるような気がします。
別の言い方をしますと、哲学とはある信念、こう言ってよければ一つの強固な思い込みによって導かれております。それは、誰でもものごとを真剣にかつ徹底的に考え続けてゆけば、硬い岩盤のような普遍的な問いにぶつかるであろう、そしてその普遍的な問いは、例えば「数える」というような単純なものであろう、という信念です。これに対して一般に思想はこういった普遍性に対する信念ですら、ある時代的文化的地域的制約によるのだ、と主張するわけです。
一つわかりやすい例を挙げましょう。デカルトという17世紀フランスの哲学者がおります。彼はあらゆる学問を学んだ後に、あれもこれも「疑いうる」ということに気づいた。彼が眼にしている光景も、彼の身体ですら「実は存在しないのではないか?」と疑いうる。そうした懐疑の荒れ狂う状態にいて、しかし彼は一つの突破口を見いだします。それは、「すべてを疑いうるとしても、疑っている自分が存在していることは確実だ」ということです。これは簡単に「我思うゆえに我あり(cogito,ergo sum)」という命題で表現されます。これについてはうんざりするくらいたくさんの解説がありますが、もちろんこれらに立ち入るのではなく、ここで、私がこれをもち出した経線を思い起こしてもらいたい。デカルトを思想として研究する人々が、「我思うゆえに我あり」というテーゼですら何ら人類普遍の原理ではなくその時代の制約によるのだと主張し、デカルトとその時代背景を研究することはよくあることです。彼らは、このテーゼを何の疑問ももたず時代を飛び越えて考察する哲学者の軽率さ素朴さを、非難することさえあります。しかし、考えてみてください。デカルト自身の原理によって、「時代の制約」などは疑いうる最たるものなのです。いや、じつはデカルト自身の原理によって、人類が存在すること、過去が存在したこと、デカルトが存在したことすら「疑いうる」わけです。思想としてデカルトを読む人は、こんな疑問は沸いてくる余地すらないことでしょう。
つまり、哲学の大きな特徴は、足元にころがっている単純なこと―そのテーマはおのずから決まってくるのですが―に対して、誰でもどの時代でも真剣に考え抜けば同じ疑問に行き着くという信念のもとに、徹底的な懐疑を遂行することです。思想はこの一つの信念を捨てて、むしろ時間・空間・物体などという膨大な信念を受け容れることである、とも言えましょう。
(なかじまよしみち 電気通信大学教授)
『哲学の教科書―思索のダンディズムを磨く(講談社)』
第2章 哲学とは何でないか より
とあります。中島教授は「哲学」は普遍的なものだから、そのときの「時代の制約」など考慮するには及ばないということのようです。主旨はよくわかります。「哲学」としてはそうなのでしょう。それでも、少なくとも私自身は「時代」を考えることによって、より深くデカルトの主張の意義が理解できたように思います。そして、私と同じ主張をする人が少なくないことを、図らずも教授の文中に見つけ、かえって自信を深めてしまいました。いったんは、時代と連動した説明をして、次に時代を超越した話にしていただくと私にはわかりやすかったかもしれません。
その他、デカルトとエリーザベト王女(ドイツ)との往復書簡や、それがキッカケになって書いた「情念論」について、また、クリスティーヌ女王(スウェーデン)がデカルトに対して1649年の初めから、招きの親書を三度出し、四度目には、海軍提督が軍艦で迎えにきて、デカルトは断りきれずに、9月に出発し、10月にストックホルムにつき、翌年1月より、週3回朝5時に王女に対して講義を行わなければならなくなりました。それまで、学校でも軍隊でも、朝は暖かい部屋で横たわってすごしていた病弱なデカルトは、2月には風邪にかかり肺炎になって亡くなってしまいました。この辺りも興味がそそられますが、うまい工合に算数に着地できませんので控えます。
また、8月号で、ブレーズ・パスカルは堕落したキリスト教徒を批判し、キリスト教を非難する者からは守ろうとしたというようなことを書きましたが、パスカルはデカルトに対しても批判をしています。デカルトとパスカルとは時折対比されることがあります。貴族出身であること、幼くして母を亡くしていること、病弱であったこと、神童であったことなど、また、それぞれ、それなりにキリスト教を信仰したことなど、いくつもの共通点が見られるからでしょう。なにより、2人は算数(数学)の学習の楽しさを気づいたということで一致しています。
なお、デカルトが空間座標に気づいたのは、ドイツのドナウ川に沿ったウルムという町ですが、この町からはのちにアルベルト・アインシュタインが生まれています。
空間座標の正式な形のものは受験算数にはほとんど出ません。しかし本質的には同じである問題は出ます。ここでは受験算数的に直したものと、もとの問題をみてみましょう。
問題
立方体を積み重ねました。3つの頂点A、B、Cを通る平面について、点Dと対称な点Eはどれでしょう。図に●をかき加えて示しなさい。
(2006年 京都大学文系数学改題)
答えもかいてあるので、特に問題はないと思います。もとにした問題は、2006年京都大学(総合人間、文、教育、法、経済学部)の問題2で、次のような問題です。
問題
座標空間に4点A(2,1,0)、B(1,0,1)、C(0,1,2)、D(1,3,7)がある。3点A、B、Cを通る平面に関して点Dと対称な点をEとするとき、点Eの座標を求めよ。
解法
空間座標にA、B、C、Dの各点をとると、A、B、Cを通る平面(平面z=-x+2)は、xz平面(平面y=0)に垂直な平面になることがわかる。
そこで、この空間を「平面y=3」で切ると、右のように「平面y=3」上でのEの座標は、(x,z)=(-5,1)となるから、空間図形上では、(x,y,z)=(-5,3,1)となる。
答え (-5,3,1)
参考
もとのままだと、答えに負の数が残るので、設定の数値を換えて改題としました。
いくつかの大学予備校の解法は、A、B、Cを通る平面(平面z=-x+2)が、xz平面(平面y=0)に垂直であるということに触れているものがありませんでした。xz平面(平面y=0)に垂直でない場合にも通用する、一般的な解法をしていました。そのことに対する評価は一長一短ですが、xz平面(平面y=0)に垂直であることを見抜いて、上の解法を使った方が早く解けると思いました。そうして、日ごろ、中学受験に触れていると、こういう点に気づきやすいと思います。
立体をスライスしてみましょう。
チーズやハムの薄切りを食べたことがあるでしょう。薄切りをスライスといいます。立体をスライスすることを考えると、よりはっきり分かることもあります。前回、正四面体は立方体に内接することを学びました。また、正四面体は正三角形を積み重ねたものであるという見方もできることがわかったと思います。正四面体は正三角錐でもありますから、あたりまえですね。
ところで、正四面体は長方形を積み重ねたものであるという見方もできます。縦長がだんだん横長になりますからちょうど真ん中で正方形になります。
このとき、切り口の長方形の周は一定です。そのことは次の展開図で明らかでしょう。
正四面体のかき方は下のアとイの2通りあります。これを重ねると、ウのような立体星形ができます。重複した部分はエのように正八面体です。
ウのような立体をヨハネス・ケプラー(天文学者)は「八角星」と名づけたそうです。
ア+イ=ウ+エ
なので、ウの体積は
ウ=ア+イ-エ
と求められます。
また、エの図から、正四面体の中に正八面体が内接していること、正四面体もその正八面体も正方形の切り口で半分にできること、そのとき、切り口となる正方形は共通のものであるというようなことがわかります。
I 大学入試改題 2007年大阪大学(理、工、基礎)
問題
1辺の長さが10cmの立方体ABCD-EFGHがあります。この立方体に内接する正四面体について次の問いに答えなさい。
解法
(1) 正四面体ACFHをABCDに平行な面で切断することを考えます。
次のそれぞれの場合の、切り口の面積を求めなさい。
(2) 正四面体ACFHと正四面体BDEGの重なり合う部分は正八面体である。
正八面体の体積 10×10÷2×5÷3×2=(cm3)
答え (1)(ア)42cm2 (イ)48cm2 (2)cm3
II 大学入試問題 (もとの問題)
問題
空間に8個の点A(0,0,0)、B(1,0,0)、C(1,1,0)、D(0,1,0)、E(0,0,1)、F(1,0,1)、G(1,1,1)、H(0,1,1)をとる。
(1) 四面体ACFHを平面z=t(0t
1)で切断したとき、切断面の面積をtで表せ。
(2) 四面体ACFHと四面体BDEGの重なり合う部分の体積を求めよ。
(2007年 大阪大学(理、工、基礎工学部)後期)
解法
(1)空間座標を描いて、見当をつけて
平面z=t(0t
1)を描く。
1辺1の正方形から、等辺の長さがそれぞれt、(1-t)の直角二等辺三角形を2個ずつ取り除けばよい。言い換えると、1辺1の正方形から、1辺の長さがそれぞれt、(1-t)の正方形を1個ずつ取り除けばよい。すると右の図のようになる。右の2つの長方形の面積が求める面積になるから、
t×(1-t)×2=t×2-t×t×2
(2)重なりは正八面体なので、たとえば2つの正四角錐とみると、
底面積は、高さは
それが2個分だから、
×
÷3×2=
答え (1)t×2-t×t×2 (2)
[注意]
(1)では無理数を使わないように無理数をさけて解きましたが、高校生は普通はこうは解きません。
今回は、3次元空間座標についてご案内しました。3次元空間座標は高校範囲ですから、直接中学入試には出ませんが、本質的には大学入試と同じ問題が出ています。
類題演習1
右の図は1辺が10cmの立方体である。この立方体から4つの角すいを切り取った残りの角すいB-EGDについて次の各問いに答えなさい。
(1998年 日本大学第一中)
解法
答え (1)cm3 (2)正方形、50cm2
立体切りでは、たとえば、2回切りを出し、これなどは、ちょっとした大学入試以上に煩雑です。
発展問題
1辺の長さが3cmの立方体の中に、右の図のようにどの辺の長さも等しい正三角すいBDEGが入っています。(角すいの体積)=(底面積)×(高さ)×として、次の問いに答えなさい。
(2002年 ラ・サール中)
【解法の指針】
(1)(2)(3)とも、長方形AEGCを含む面について面対称になる。この面で切ったときの切り口を底面として体積を考えるとよい。
解法
答え (1)9cm3 (2)4cm3 (3)cm3
参考 半分どうしの体積比で比べる
ところで、8月号で、
ブレ-ズ・パスカルは、円錐曲線に関する、射影幾何学の「パスカルの定理」を発見しました。 と書きましたが、これは、パスカルの父の友人であったデザルクの「デザルクの定理」から思いついたといわれています。パスカルが16歳のときです。「パスカルの定理」は円錐曲線に内接する6角形に関する定理なのですが、かなり難しい定理ですので省きます。難しいというよりも発想が奇抜すぎて、追発見の喜びを共有できないように思います。居並ぶ数学者をして「すごい」といわせた定理なのです。
ただし、円錐を切ったときの切り口の形はどんな図形になるかということは時折、中学入試に出ることがあります。
たとえば、1990年の明治大学付属明治中、最近では2006年成城学園中に出ています。もっと古くから出ていますが、円錐を斜め切りにすると切り口は楕円になると知っていたので、注目して問題を収集していませんでした。
2006年の成城学園中の問題に対し、「子どもにどう説明するのかしら」という職員の声を耳にし、なるほどこれは説明が難しそうだなと思いました。そうして、私自身、子どものころこれを聞いたとき、太いほうが太くなって卵形になるような気がしたのを思い出しました。
問題
(2006年 成城学園中)
(1990年 明治大学付属明治中)
円錐を平面で切ったときの切り口の形を円錐曲線といい、「双曲線、楕円、放物線」の3種類できることが知られていますが、小学生に対しては説明しにくいのではないでしょうか。
ここでは、円錐を斜めに切ったときに楕円ができることの説明を試みてみます。
円柱を斜めに切ったときの切り口が楕円になることの説明をします。
【予備知識1】 (楕円の定義)
2定点からの距離の和が一定な閉じた平面図形を楕円という。
右の図で、A、Bが定点で、PはPA+PB=一定となるように動く動点であるとき、Pの軌跡を楕円という。
参考 今回の説明には不要な、ついでの知識、回転楕円体、楕円体
【予備知識2】 (接線は等しい)
円外の1点から円にひいた2接線の距離は等しい。
球外の1点から球にひいた接線の距離は等しい。
【予備知識3】 (円錐と内接球)
円錐の中で球が接するとき接点の集合は底面に平行な円になる。
説明
結論 円錐を斜めに切る平面があるとき、その切り口の周をSとする。このSが一般に楕円になることを説明する。
その切り口の平面と円錐の側面の両方に接する球が平面の上下に1つずつできる。平面との接点をA、Bとする。
円錐と球の接点は円を作るのでその円周をT、Uとする。(【予備知識3】)
S上の任意の点Pに対して、点Pを通る円錐の母線と円T、Uとの交点を点Q、Rと呼ぶと、円T、Uは平行なので、
PR+PQ=QR(=一定)(【予備知識3】)
また、PA、PQは球外の1点Pから球への接線になるので等しい。
PA=PQ、同様にPB=PR(【予備知識2】)
よってPA+PB=PQ+PR=RQ(=一定)となるから、
円錐を斜めに切ったときの切り口Sは楕円になる。(【予備知識1】)
どうも、もっと簡単に伝えられる方法があるべきですが、一応これだと筋が通っているはずです。いつもながら、少し難しすぎるとは思うのですが、受験算数をしっかり見通すには、こうした視点が必要だと思います。
よくわからない人はとりあえず、円錐曲線の形だけは覚えておきましょう。
回転軸に平行に切ったときは双曲線になる。
斜めに切ったときは楕円になる。
母線に平行に切ったときは放物線になる。
【注意】 用語は覚えなくてもよいです。形を覚えておきましょう。
なお、円錐曲線を発見したのはメナイクモス(紀元前375-325)であるといわれています。彼はヘレニズム文化を築いたアレキサンダー大王(古代マケドニア、東はインドから、西はイタリアに及ぶ大国家を建設)の数学の先生でした。
算数(数学)は、限りなく普遍的なものであり、わがままな権力者にもこびることのないものです。学び方の規範となるものです。アリストテレスの先生であったプラトンという哲学者も「図形の学習をしていない人は誰も弟子にしません」といっています。これが算数(数学)の魅力であり力なのでしょう。
習ったことを習ったまま覚えるのではなく、そのことから、どんなことが考えられるかを自分自身で考えてみる。それは、数学の歴史ではとっくに発見されていることであっても、自分自身にとっては発見です。そのとき、とってもうれしくなります。そうした発見の例のようなことを、あるいはきっかけのようなものを示せたらよいと思います。
そうしたら、きっと算数(数学)が大好きになってくれると思うからです。