東日本大震災で親を亡くした子どもたちのための“ある施設”が東北で産声をあげようとしています。 それは阪神淡路大震災の後に神戸で生まれた「レインボーハウス」。 子どもたちが素直な思いを打ち明けられる場所です。 その建物は津波の被害が比較的少なかった宮城県石巻市の市街地にあります。 去年11月の時点では、まだ空っぽの建物でした。 これから5年先も10年先も子どもたちを支えていく場所になります。 あしなが育英会はこれまで、学校の体育館などを借りて東日本大震災で親を亡くした子どもたちと交流してきました。 気兼ねせずに溜めこんだ思いを吐き出す心のケアプログラムのひとつです。 【あしなが育英会東北事務所・林田吉司所長】 「絶対子どもたちは傷ついている。なにかしらの形で“大人も見守ってるよ、ひとりじゃないよ”というメッセージを差し上げる機会を作っていかないと子どもは傷ついたまま終わってしまうということが見えていた、神戸の体験で。すぐ立ち上げました」 去年7月の交流会で、ひとつの出会いが生まれました。 【福井友利さん】 「ゆっぴです。4際のとき阪神淡路大震災でお母さんを亡くしました」 【梶原真奈美ちゃん】 「ママを津波で亡くしました」 2つの大震災で、同じ経験をした2人です。 阪神淡路大震災で母親を亡くした大学3年生の福井友利さん(21)。 震災から4年をかけてあしなが育英会が設立した神戸レインボーハウスは、友利さんにとってかけがえのない場所です。 自分と同じように親を亡くした子どもたちの存在が彼女を支えてきました。 【福井友利さん】 「学校の友達には言えないこともあるけどレインボーハウスで会った友達には言える。『寂しい』とか。・・・同じような境遇やからかな」 たくさんの人形に囲まれた柔らかな雰囲気の中で仲間たちと思いを分かち合う「おしゃべりの部屋」。 やり場のない怒りや胸のモヤモヤをサンドバッグにぶつける「火山の部屋」。 レインボーハウスがあったから毎日を笑って過ごすことができていると友利さんは思っています。 【福井友利さん(募金活動)】 「東日本大震災で親を失ってしまった子どもたちに、思いを吐きだすことができる場所がありません。その場所が東北レインボーハウスです。一人でも多くの子どもたちが抱えている感情を吐き出し心の底から笑えるようになるために、みなさまのお力を貸してはいただけないでしょうか」 友利さんは毎月東北の被災地を訪れ、子どもたちとの交流を続けています。 東日本大震災で母親を亡くした石巻市の梶原真奈美(かじわらまなみ)ちゃん(9)。 【祖母・梶原精子さん】 「参観日あるんだ…ちょっと気が引けるのよ、お母さんたちみんな若いでしょ。ばあちゃま参観日行かなくてもいい?」 【真奈美ちゃん】 「ばあちゃまも来て」 津波の爪痕が残る自宅で現在は、祖母といとこの家族と一緒に暮らしています。 【祖母・精子さん】 「ママと3人で暮らしてたときはうんと仲良くってさ、笑わない日はなかったんだけどあの明るい真奈美から一瞬にして笑顔が消えた」 母・希久美さん(当時37)。 大好きなママがいなくなって、心にはぽっかりと穴が空いたままです。 ママに宛てた誕生日のメッセージ。 【メッセージ】 「38さいのたんじょうびおめでとう。3がつ11にちのしんさいがなければよかったね。ママだいすき。いままでそだててくれてありがとう」 誕生日を迎えられなかったママへのメッセージです。 真奈美ちゃんはいま、小学3年生。 去年の交流会に参加してから、友利さんとの再会を心待ちにしていました。 【祖母・精子さん】 「“ゆっぴお姉ちゃんね、地震でお母さん死んじゃったんだって。だから真奈だけじゃないんだ、お母さんいないの”って、それで親しみを抱いたんじゃないかな、真奈美は」 ひとりじゃないと伝えるために―。 あしなが育英会は東北レインボーハウスの建設計画を進めてきました。 その中で見つかったのが百貨店の販売所だったこの建物です。 今後、室内を改装したうえで『石巻レインボーハウス』として使うことになりました。 震災から1年を前にして東北の地に初めてできた、子どもたちが集まれる場所です。 【福井友利さん】 「絶対体育館よりこっちの方がいい。下がカーペットっていうのがレインボーハウスっぽい」 【スタッフ】 「子どもたちは体育館が避難所だったから、なおさらこういう家みたいな環境がすごく温かい」 まだ改装に手をつけたばかりで、設備は整っていません。 それでも神戸のレインボーハウスに通じる温かさと安心感が漂っています。 先月末、この建物を使った初めての交流会が開かれました。 この日は18人の子どもが参加しました。 走り回ったり、話をしたり、ときには少し甘えてみたり。 主導権は子どもたちに渡して、大人たちはそっと寄り添います。 真奈美ちゃんは少しずつ、ママの話もするようになりました。 空っぽだった建物が、レインボーハウスになろうとしています。 3時間の交流会が終わりました。 子どもたちがそれぞれの日常に戻っていきます。 【福井友利さん】 「自分が来られる時は来て、子どもたちの笑顔が溢れるような場所になっていったらいいかな」 【祖母・精子さん】 「(真奈美ちゃんが)“ばあちゃま今度いつあるの?今度またあそこでしょ”って言うから、これからずっとあそこだと思うよって言ったら“じゃあまた行こうね”って」 東日本大震災では、1500人を超える子どもが親を亡くしました。 レインボーハウスはこれから長い時間をかけて、子どもたちの心に寄り添い続けます。