福島第1原発事故 避難すべきか悩み続ける福島市渡利地区の親子を取材しました。
島第1原発の事故に由来する放射性物質は、線量計の数字でしか実感できない存在で、「健康に問題ない低線量」と言われても、被ばく量は着実に累積します。
その影響は、いつの日か、何らかの形で表れるかわからないと、不安の中で生きる少女と、その父親を取材しました。
低い放射線量を長期間被ばくしている子どもたち。
福島を離れるべきかとどまるべきか、苦悩する家族を追った。
避難勧奨地点と同等の高い放射線量が確認されている、福島市渡利地区。
ここに住む菅野吉広さん(44)は、子どもたちのため、定期的に通学路などを測定している。
菅野さんは「今、2.51マイクロシーベルト(μSv)/h。2.7マイクロシーベルト/hぐらいですね、今は。若干(雪が)遮蔽(しゃへい)しているかもしれないです。(以前はいくつくらいだった?)以前は、3.1マイクロシーベルト/hぐらいありました」と話した。
菅野さんの長女、小学6年生の安佑(あゆ)さん(12)。
放射能についての授業は、体育館で全校児童を集めて行われた1回のみで、疑問をぶつけることもできなかったという。
安佑さんは「放射能をどうやって防げるかとかっていうのも知りたかったので。なんか、裏切られた感じとかあります」と話した。
2011年、福島市が配布した、外部被ばくを測定するガラスバッジ(個人放射線量計)。
10月と11月の2カ月間、安佑さんが装着した結果が届いていた。
菅野さんは「0.3ですね。0.3ミリシーベルト(mSv)/hですね。(その数値をどう見るか、解説は?)いや、何もないですね。これだけです」と話した。
安佑さんは「放射能とかが危険だし、自分の身とかを守りたいから、避難はしたいけど...。友達とかと離れるのは嫌だし」と話した。
今回、菅野さんは、リアルタイムで被ばく量がわかる線量計で、安佑さんの24時間の被ばく量を調べることにした。
安佑さんは夜、放射線計を枕元に置いて就寝。
翌朝、放射線計を見た安佑さんは「ゼロじゃなくなってます」と話した。
渡利地区から避難すべきか、菅野さんの家族は、今も悩み続けている。
福島市は、2月から渡利地区の住宅除染をスタートさせるが、2011年度は一部地域に限定される。
菅野さん一家の地域は、対象外だった。
福島市危機管理室(除染担当)の草野利明防災専門官は「特別、その時(除染作業中)だけ避難する必要があるとか、あるいは、渡利地区が全部終わるまで、お子さんはずっと避難した方がいいとか、というようなことにはならないと」と話した。
一方、同じ渡利地区でも、放射能に対して別のとらえ方をしている家庭もある。
渡利地区在住の父親は「7月ごろの放射線量ですと、地上から1メートルぐらい(の高さ)で、だいたい2〜6マイクロシーベルト/hぐらいでしたね。さほど神経質になることでは、わたしはないと思ってるんですけども」と話した。
24時間の測定を行った結果、安佑さんの被ばく量は、4マイクロシーベルト。
菅野さんは、ショックを隠せなかった。
菅野さんは「この危機感、恐怖心、不安。自分の娘や息子が、普通の子どもたちの何十倍も危険な状況にさらされてるんだという判断しか、僕にはできないですね」と話した。
避難か、とどまるか。
さまざまな思いが交錯する福島市で、住民との対話に臨んだ京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は「本当にどうするのがいいのか、申し訳ないけれども、わたし自身もよくわかりません。特に子どもたちに、その危険が集中的にいってしまうということも知らなければいけませんので。わたしは、できるかぎり避難を、やはりすべきだと」と話した。
渡利地区の子ども連れをピックアップした菅野さんは、放射線量が低い、福島市内の土湯温泉へ向かった。
「子どもたちの被ばく量を少しでも減らしたい」という思いから、菅野さんは、環境保護団体と組んで、渡利地区の子どもたちの週末避難、「わたり土湯ぽかぽかプロジェクト」を始めた。
全国からの寄付で、子どもと妊婦は無料で宿泊できる。
原発事故から、外遊びをしていなかった安佑さんの表情に、輝きが戻っていた。
安佑さんは「あっち(渡利)だと、やっぱり放射能がきたりしちゃうじゃないですか。だから、それであんまり雪を触れなかったりして。やっぱり、たまにはこういうところで遊ぶのもいいかな」と話した。
菅野さんは「これが本当の子どもの姿だと思うんですけども、今の渡利では、こういう顔はなかなか見られないんで。企画してよかったなと思ってますね」と話した。
低線量被ばくの影響は、まだ十分に解明されていない。
子どもの未来を守るため、福島の親は葛藤を続ける。
(02/09 01:53)