剣正が感じるのは背後からの僅かな温かさと、ゴツゴツした感触。そして恐怖以外の何物でもない。
以前、百代に首根っこを掴まれ川神学園の屋上からダイブした経験があったが、今回のコレは以前のソレとは次元が違う。
体験したことのない高度から下を覗くだけでも脚が竦むというのに、その高さから飛び降りたのだ。恐怖を感じないわけがない。
「………………」
恐怖を感じると悲鳴を上げたりするが、剣正からは何も声が発せられていない。
まだ余裕があるのかと思うが、そうではなかった。
あまりの恐怖に声が出ないのだ。
「パラシュートを開くので、衝撃に備えてください」
「………………」
背後から軍人が注意を促したが、返事はない。
剣正は必死に戦っていた。
よく漫画やアニメなどで見る光景。
今まで味わったことのない恐怖に出会った時の人間の行動。
恐怖により、その場にへたり込み、声が出ない。声の代わりにとばかりに出てくるのは水。それも下半身から。
これまで学園生徒の前で醜態を晒してきた剣正でも、それだけは成人を前にした男としてしてはいけない。有るのか無いのかわからないようなプライドがソレを許さない。
剣正が出来ることは、断固たる決意と決して断金の意思をもって下半身から飛び出そうとしている水分を押さえ込むことだけ。
意識を散らしてしまえば、すぐにダムは決壊し大災害が巻き起こってしまう。主に剣正の下半身に集中にだが……。
もし意識を手放そうものなら、気を失う前になくしてしまうものがある。それは男としての尊厳。
それだけは守ってみせると剣正は心に誓い、日本からも地上からも遠く離れた場所から落ちていく。
――数分後
無事地上に降り立った剣正は、生きていることへの喜びと恐怖から抜け出た安堵感から少し涙していたのは仕方ないだろう。
そして普通の精神状態に戻ると同時に、我慢していた尿意を発散すべく、軍人に伝え少し離れた場所へと向かった。
帰ってきた剣正の顔は晴れやかだった。
その後、待機していた軍用車に乗せられた剣正は、目的地である駐屯地までの道程を硬いシートの上で過ごした。
「よく来てくれたね。歓迎しよう」
そう言って剣正を出迎えたのは、剣正の誘拐を企てた張本人であるフランク・フリードリヒ。
「来たというか……無理やり連れて来られたというか……」
「フム、こちらへ来たまえ」
剣正のげんなりした様子を見てフランクは疲れているのだと判断し、キャンプの中へと剣正を案内した。
軍用ヘリや戦車、小型銃器に対人・対戦車用無反動砲などの軍用兵器を物珍しそうに見る剣正にフランクは、その都度立ち止まり軽く説明などをしながらキャンプ内を歩いていた。
「中将殿ここに居られましたか」
フランクが剣正に120㎜迫撃砲の説明をしている所にやってきたのは赤い髪長く伸ばし、片目を眼帯で隠した女性の軍人だった。
「浅井君紹介しよう。彼女はマルギッテ・エーベルバッハ。我が軍の若きエースであり私の信頼する部下だ」
「浅井剣正です。よろしく」
「マルギッテ・エーベルバッハです」
軽くお辞儀をした剣正に対し、軍人らしくビシッとした態度で挨拶を返すマルギッテ。
挨拶を済ませたマルギッテはフランクへと戦果と被害を伝達する。
「ご苦労だった。本日はこれで作戦行動を終える。明日からの作戦に備え各自準備と休息を怠らないように伝えてくれ」
「ハッ!」
フランクの命令にマルギッテは敬礼し、この場を離れて行く。
そしてマルギッテは一部始終をカヤの外から見ていた剣正とすれ違う時に、一瞬だけではあったが視線を移していたが、剣正はそれに気付くことはなかった。
◇◆◇◆◇
日も暮れ月が暗い夜の空を照らす頃、大勢の軍人に囲まれるようにして剣正は立っていた。
「あのー……なんで俺に何か用でしょうか?」
「私は誇り高き軍人だ」
「それはわかってるけど」
「だがその前に武人でもある」
剣正はようやく自分がこの場にいる理由がわかった。
”武人”それは剣正が最も苦手とする人種であり、目指さなければならないもの。
己の強さを求め、強き者を求める人種。それが剣正の知っている”武人”だった。
「もしかして、戦わなくちゃダメ?」
「私と拳を交えること光栄に思いなさい」
「なんで俺が戦わないといけないんだ?」
「川神百代と戦ったそうですね」
「まぁ、負けちまったけどな」
「それが理由です」
「だから負けたって言ってるじゃん!」
「川神百代の強さは、世界でも有名です。その武人と素晴らしい戦いをしたとクリスお嬢様から話を聞きました」
剣正と百代の決闘を見ていたクリスは、剣正にとっての優、大和にとっての百代のように慕う姉貴分であるマルギッテに話していたのだ。
それを聞いたマルギッテにとって、今回の剣正来訪は僥倖だった。
「本当はボコボコにされただけなんだけどな……」
「謙遜はよしなさい」
「まぁ、いいさ。こんだけ期待されてちゃ逃げるに逃げらんねぇしな。でもこれだけは約束してくれ」
「一応聞いておきましょう」
剣正がマルギッテの勝負を受けたことに周囲の軍人たちから歓喜の声が上がる。
軍律に厳しく、普段は寡黙な彼らも、こういった騒ぎが大好きなのだ。
「これっきりにしてくれよ。戦闘は苦手なんだ」
「善処しましょう」
「そう言ってくれるだけでも嬉しいよ」
剣正の頭に浮かんだのは百代。何度断っても「戦え」と言って聞かず、あげく半分は自分のせいとはいえ全校生徒の前で戦わせられたのだ。
マルギッテのように少しでも自分の話を聞いてくれる人間と出会えてよかったと感動している剣正。
ここ一ヶ月ほどで感動する水準が下がっている剣正だった。
◇◆◇◆◇
数多くの戦場を駆け抜けてきたマルギッテ・エーベルバッハ。出撃するたびに戦果を挙げ、一度食らいついたら相手の命が尽き果てるまで離さぬその姿から付いた名は『猟犬』。
尋常ではない殺気にも似た闘気を全身から放つマルギッテの猛攻を、剣正は手足を使い次々に受け流していく。決して反撃はせず防御に徹する。そんなやり取りが五分間続いていた。
矢継ぎ早に放たれる攻撃を見切り外側へと受け流す剣正。マルギッテは受け流された拳の変わりにと砂塵を巻き上げながら蹴りを放つ。
それを後方に下がる事で難なく避ける剣正。かわされる事を予測していたのかマルギッテは舞い上がった砂埃の中を身を低くし剣正へと肉薄していく。
接近したマルギッテは低い体制から跳び膝蹴りを繰り出したが、これもヒラリと避けられてしまう。着地と同時に地面を転がり距離を取るマルギッテ。動作の大きな攻撃は放つ前後に致命的な隙を生んでしまい、それを狙われない為の当然の動作だった。
だが剣正は避けた場所から一歩も動かずマルギッテへと視線を向けていた。
「何故反撃してこない。答えなさい」
立ち上がったマルギッテは、その鋭い目つきで剣正を睨みながら淡々と言葉を紡いだ。
「俺の専門は防御なんだ。気にすることなくかかって来なよ」
射殺すような視線を気にすることなく剣正は返事をすると、いつもの構えをすると手首を返しクイっと動かした。
そんな剣正の舐めた態度と口調に少しばかりマルギッテに熱が入りだす。
「……Hasen」
これまで素手だったマルギッテの両手にはどこから出したのか木で作られたトンファーが握られる。
「Jagd!」
剣正には意味のわからない言葉だったが、なんとなくわかることがあった。
それはマルギッテが怒っていること。
先ほどまでも怒涛のような攻撃だったが、それとは比にならないほど攻撃速度と威力が上がっていた。
持ち前の視力の良さを生かして素手なら大抵の攻撃なら受け流せる剣正だったが、トンファーなどの武具を持ち出されると難易度は格段に上がりヘタをすれば大怪我をしてしまう。
何か剣正も武器があれば良いのだが、いかんせん剣正は武具の扱いに関しては素人並で、付け焼刃にもならない。
百代との戦闘以降、気による肉体強化をできるようになていた剣正だが、硬質な鈍器や鋭利な刃物を無効化できるまでには至っておらず、ただひたすら避けるしか選択はない。
両手に握られたトンファーによる攻撃の継ぎ目を狙って接近するも、すぐに蹴りが飛んでくることもあり、思うように接近できない。
(仕方ないか……あまりこれは使いたくねぇが)
腹部を狙った突きを難なく避けた剣正は集中する。
そう、百代戦で見せた視力を無理やり向上させる技だった。
見るから視るへ昇華する剣正の視力に捉えられないものはない。
はじめからこの技を使えばいいと思うが、この技には欠点があった。
爆発的に人外と思わざる得ない視力を得られるが、時間制限という枷があるのだ。
おいそれと使って勝負を決めきれなければ、剣正に待っているのは敗北の二文字。
そして剣正が最も危惧しているのは使用後の代償。
無理やり向上させられた視力は、目に大きな負荷を掛けてしまう。結果、数時間から数日間の視力低下、場合によっては一時的にではあるが目が見えなくなってしまう。最悪のケースは失明という可能性も考えなくてはならない。
だからといって、剣正はこれを絶対に使わないとは言わない。
なぜなら
目の前にぶつかってくる人間が武人がいる
手を抜くなんて失礼な真似は絶対に許さない
そう、学んだから。
引き上げられた動体視力は、マルギッテの暴風の如き攻撃を微風のように捉え、本来なら継ぎ目の見えないトンファーの連撃から、起死回生の突破口を見つける。
そして飛び込む。死地へと……その先にある台風の目に向かって。
「クッ……!」
結果から言うと、マルギッテは剣正の接近を許した。
剣正の速度が上がったわけでもない。
マルギッテの速度が落ちたわけでもない。
ただ剣正がマルギッテの予想を超え無風地帯へと飛び込んだのだ。
剣正の取った行動は、高速で回る大型タービンへ向かってダイブするのと同じ行為。
一歩間違えれば大怪我や最悪死を向かえる行動。
だが、剣正はやり遂げた。
そして剣正に待っているのは、待望の瞬間。
技量と勇気を持ってして得られる最高の瞬間。
「もらったぁぁぁぁぁああ!!」
超至近距離まで詰めた剣正が繰り出すのは下方から突き上げるようにしてブチかます肘打ち。
マルギッテが接近した敵を引き剥がすように放った膝蹴りよりも一瞬だけ早く、剣正の肘がマルギッテの体に突き刺さる。
「ッ……!」
さらに剣正は手を緩めず追撃をかける。
地上から数センチ浮いたマルギッテの腕を取り投げた。
ドンと鈍い音を立ててマルギッテの体は地面に叩き付けられ、肺から強制的に排出させられた空気が口から漏れ出る。
「ハァハァ、これでどうだ……」
普通の人間なら一撃目の痛みで戦闘意欲をなくし、二撃目の衝撃で意識を失くす。
「……Hasen Jagd」
マルギッテは立った。
そう、剣正が戦っているのは通常の人間ではない。
「流石です……貴方の実力認めてあげましょう」
彼女は武人。
剣正が目指す川神百代と同じ人種。
「やっぱり駄目か……攻撃力不足は否めないね」
「久し振りに両目で世界を見るのもよいでしょう」
スルリとマルギッテの顔から眼帯が外される。
「ようやく本気になったか」
「私に本気を出させたこと誇りに思いなさい」
周囲にいる軍人からの歓声は鳴り止み、辺りには静けさ広がる。
そして静けさに呼応するように、マルギッテを中心に闘気が膨れ上がっていく。
先ほどまでの荒々しい気とは違い、今マルギッテから発せられているのは冷酷で鋭利に研ぎ澄まされた刃物のような闘気。
「そうこなくちゃ、俺が奥の手を使った意味がねぇ」
そう言う、剣正の片目は閉じられていた。
時間制限という枷から逃れるには、片目ずつ解放するしかなかったのだ。
視界は半分になり戦闘を続行するには困難を極める状況ながらも、剣正は笑っていた。
いつの間にか剣正も”武人”になっていたのだ。
いや、昔の姿に戻ったと言ったほうが正しい。
「その目」
「片目さえ使えれば十分さ。間違っても手加減なんてしないでくれよ?」
「愚問です」
「それならいい」
剣正が……
マルギッテが……
同時に一歩踏み出し、接近していく。
そして互いの闘志に巻き込まれるようにして、戦いが再開される。
本気を出したマルギッテの攻撃は剣正の体を掠り始めだす。
剣正の額からは汗が吹き出て、苦悶の表情を浮かべるようになる。
いくら視力が良いからといっても、やはり片目しか見えていない状態では攻撃を見切るのは不可能に近い。
それでも避け続けるのは剣正の武人としての意地と、低下してなお光る類稀なる視力のおかげだろう。
剣正とマルギッテによる戦いも終幕を迎えようとしていた。
「これが最後だな」
「久々に楽しめた。感謝してあげても」
「それは戦いが終わってから言ってくれ」
マルギッテの言葉を遮って、剣正が話しかける。それを聞いてマルギッテの顔に笑みが浮かぶ。
「それじゃあ、いくぜ」
再び剣正の目に奇跡の力が宿る。
片目だけとはいえ目に映る全てのものの動きをスローで捉える視力は、相手からすれば脅威以外の何物でもない。
マルギッテも、それをわかっていて攻撃を繰り出す。
見切れるものなら見切ってみろ
そして反撃できるならしてみせろ
と言わんばかりに……。
そして剣正の目に映ったのは、そんなマルギッテの姿
では、なかった。
ソレは遠く離れた地点に光るモノ。
光を反射して光ってしまったスコープだった。
「危ねぇっ!!」
剣正は飛び出した。
一撃必殺の威力を秘めたトンファーを常人では決して見切ることのできない速度で乱撃を見舞うマルギッテに向かってダイブする。
タッチの差だった。
トンファーを身に受けながらもマルギッテの体を突き飛ばした剣正と、ライフルから飛び出た弾丸がマルギッテの居た位置を通過するのは……。
「チィ、よくも私の戦いを穢してくれたな……万死に値する」
マルギッテの顔には怒りの表情が浮かぶ。
部下に聖戦を穢した者を直ちに殺せと命じる。
「よかった……間に合ったみたいだな……」
マルギッテの無事を薄れ行く意識の中で剣正は確認すると目を閉じた。
マルさんやっと出せてよかった。
いつにも増してブレを感じる文でしたがお許しを……orz
何気に今回が一話の文量が最も多かった回でしたw
決着はアレです……ドロー的な感じのアレですw
え? あのままやってたらどうなったかって?
それは皆さんの想像にお任せしますw
私はマルさんの勝ちに一票!
主人公だからって勝てるという甘い考えはさせませんw
それでは恒例の……
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【みなとそふと】を全力で応援しています!
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