立ち読み週刊朝日

バンダイ御曹司がハマった愛欲と金欲

公私混同の経営者は大王製紙だけじゃなかった

週刊朝日2011年12月9日号配信

世間知らずのおバカな御曹司といえば、会社のカネをカジノですった大王製紙の前会長が筆頭格だが、おもちゃ業界のトップメーカー、バンダイの元会長もなかなかの御仁らしい。2代目のボンボンで、障害児におもちゃを貸し出す財団の理事長なのに、財団のカネに手を付けたというのだ。これじゃあ、たまごっちも泣いている!?


 街路樹がイルミネーションで輝き、子どもたちが、サンタさんからのプレゼントを心待ちにする季節が到来した。おもちゃメーカーにとっては一年で最大のかき入れ時だ。

 しかし、そんなおもちゃ業界のリーディングカンパニーであるバンダイ(バンダイナムコグループ)の名に傷をつける事態が水面下で起きている。震源は、かつて同社の社長、会長を務めた創業家の「御曹司」だ。

 旧知の関係者が苦りきった顔でこう語る。

「バンダイの創業者が私財を投じて設立した、障害児におもちゃを貸し出す事業を支援する財団があります。御曹司はその理事長に納まっているのですが、触ってはいけない財団の基本財産に手を付け、自身の会社の負債の穴埋めに使ってしまったようなのです」

 会社法違反(特別背任)の疑いで逮捕された大王製紙の井川意高(もとたか)前会長を彷彿とさせる新たな「事件」が起こっているというのだ。

 バンダイは1950年に東京都台東区で「萬代屋」として産声を上げた。創業者の山科直治(なおはる)氏は金沢市出身で、地元の商業学校卒業後、繊維メーカーに就職したが、一念発起して上京し、おもちゃの世界に飛び込んだ。当時の本社は30坪ほどの木造家屋で、2階が家族の住居、1階が倉庫兼用の店舗だったという。

 当初はセルロイド製の人形やゴムまりなどを販売していたが、「もぐらたたきゲーム」や、「鉄腕アトム」といったキャラクター商品が次々とヒット。80年代に入ると「ガンプラ」(アニメ「機動戦士ガンダム」のプラモデル)が大ブームとなって業績を大きく伸ばし、グループ全体で年商約4千億円を誇る大企業になった。

「直治さんは創業者にありがちなワンマン社長でしたが、人情に厚く、社員から非常に慕われていました。97年に79歳で亡くなりましたが、バンダイを一代で業界トップに成長させた名経営者でした」(財界ジャーナリストの小宮和行氏)

 この立志伝中の人物の跡を継いだのが、長男の山科誠氏(66)だった。

 子どものころからシナリオライターや小説家にあこがれ、慶応大卒業後、小学館に入社した。しかし、希望した書籍編集ではなく営業担当になったこともあり、わずか2年でバンダイへ転職。28歳で取締役、35歳で社長になった。

「アイデアマンで、『たまごっち』を大ヒットさせるなど功績もありましたが、97年に旧セガ・エンタープライゼスとの合併話を独断で強引に進め、社員の猛反発を受けて頓挫。責任を取って社長を辞めました。趣味人といった風情の人物で、社長向きではないように感じましたね」(小宮氏)

 社長辞任後も会長として経営に携わったが、業績悪化などの責任を取って99年に代表権のない名誉会長に。2004年には取締役からも外れた。それでもバンダイの5・1%の株を所有する大株主だった(バンダイは05年、ゲーム大手のナムコと経営統合し、共同持ち株会社「バンダイナムコホールディングス」を設立)。

 山科氏は社長在任中から「茶屋二郎」というペンネームで念願の作家活動を始め、『遠く永い夢』(日新報道)、『一八六八年 終りの始まり』(講談社)といった歴史小説などを執筆してきた。ただ、作家業は道楽の域を出なかったようだ。山科氏自身が雑誌にこう綴っている。

「本が売れなくても気にしない全くのノー天気作家」「飲み屋のママに『先生』と言われた瞬間、すべては文学者という至福な時空に様変わりして勘定書などは空に飛んで行ってしまう」(「財界」07年2月27日号)

◆私財を投じた父、財布にした息子◆

 還暦を過ぎ、本来なら悠々自適の楽隠居で、文筆活動に専念すればよさそうなものである。ところが、実際には冒頭で触れた「金銭トラブル」が持ち上がった。

 事件の舞台となったのは「財団法人日本おもちゃ図書館財団」(以下、おもちゃ財団)である。

「おもちゃ図書館」とは、障害のある子どもに遊び場を提供し、おもちゃの無料貸し出しを行うボランティア活動で、81年に東京都三鷹市で始まり、全国に広まっていった。

「経営が順調なうちに何か一つ残したい」

 そう考えた山科直治氏は、おもちゃ図書館の活動を支援することにし、84年に4億3千万円の私財を投じ、おもちゃ財団を設立した。

 現在、おもちゃ図書館は全国約500カ所で活動し、主に公民館のような公共施設を利用して月1、2回程度開館するところが多いが、常設館もある。

 財団の内部資料によると、基本財産は10年3月末時点で、約3億円の普通預金と、約38万のバンダイナムコホールディングス株(簿価で約3億円。以下、バンダイ株)から成っていた。

 理事長ポストは97年に、初代の直治氏から2代目の誠氏へ受け継がれた。山科親子と同郷の森喜朗元首相も、理事の一人だ。

 バンダイも長年この財団を支援してきた。例えば10年度は、バンダイが300万円、グループ会社のハピネットとバンダイロジパルがそれぞれ100万円と50万円を寄付している。

 民間の公益活動を促す政策提言をしている公益法人協会の太田達男理事長によると、財団法人の基本財産は、動かさないのが"基本のキ"だ。

「基本財産は、法人格が与えられる基礎となる財産であり、法人の『命』といっていい。理事長の一存で好き勝手に動かしていい性質のものではありません」

 ところが、おもちゃ財団では、そうした「常識」は通らなかった。

 本誌は財団の預金通帳の写しを入手した。名義は「財団法人 日本おもちゃ図書館財団 理事長 山科誠」。中身を見ると「山科ホールディングス」(以下、山科HD)や「サンカ」といった会社との間で、数百万円から数千万円ものカネが頻繁にやりとりされている。

 山科HDもサンカも、山科氏の資産を運用するための個人会社で、代表は山科氏だ。山科HDの元役員がこう証言する。

「山科さんは財団のお金を運用して利益を出し、持ち出した分は後で返せばいいと思っていたようです。私は山科さんに言われるがままに、基本財産の現金を株式などで運用しましたが、1億円以上の赤字を出し、返すことが徐々に苦しくなりました。また、バンダイ株は株価が高いときに売り、安いときに買い戻すように運用し、一時はかなり利益を出しましたが、その運用益は財団ではなく山科HDに入れました」

◆「数字の帳尻だけ合わせておいて」◆

 今年初めまで財団の経理を担当していた女性も、内情をこう明かす。

「3年くらい前から、山科理事長はしょっちゅう財団のお金を引き出し、決算期や理事会に報告を上げるときだけ口座に戻して帳尻を合わせていました。報告書を上げたらまたすぐ引き出す。その繰り返しでした」

 山科氏にとって財団の基本財産は「第2の財布」だったようだが、そんなむちゃなやりくりが長続きするはずもない。案の定、今年3月期の収支報告書では、基本財産からバンダイ株が消失し、代わりに預金が約3億円増えていた。この"異常事態"に気づいた財団幹部は山科氏に詰め寄った。

「収支報告書は6月の理事会に提出して承認を得なければなりません。山科理事長に聞くと、『額面どおりに売って処分した』なんてシレッと言う。基本財産を処分するなんて、理事会で話し合ったことすらない。『これは違法行為ですよ。私は理事会で問いただされても、何も答えられません』と言うと、理事長は『数字の帳尻だけ合わせておいてくれれば、あとは自分が説明するから』と言いました。結局、理事会では誰も気づかなかったのか、問題の収支報告書がそのまま通ってしまいましたが......」

 株が現金に化けた理由について、前出の山科HD元役員はこう説明する。

「財団のバンダイ株は昨年末ごろにすべて売って現金化しました。それを3月の決算前に買い戻そうとしたのですが、株価が上がっていて買い戻せなかった。それで収支報告書に保有株が記載できなかったのです」

 その後、さらに驚くべき事態に発展していく。

 3月末時点では、株はなくなったものの、財団の預金口座には約6億円の現金があった。ところが、山科HD関係者によると、その口座の残高が今年9月下旬には5千万円まで目減りしていたというのだ。本当に5億円以上のカネが消えたのか。前出の財団幹部は首を振るばかり。

「私は基本財産の通帳を見せてもらったこともなければ、どこにあるのかも知りません。山科理事長と、理事長の会社の税理士しか触れないのです」

「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律」には、
「理事は、一般財団法人の財産のうち一般財団法人の目的である事業を行うために不可欠なものとして定款で定めた基本財産があるときは、定款で定めるところにより、これを維持しなければならず、かつ、これについて一般財団法人の目的である事業を行うことを妨げることとなる処分をしてはならない」(第172条2項)
 とある。そしておもちゃ財団の定款にはこうある。

「基本財産は、これを処分し、又は担保に供することができない。ただし、本財団の事業遂行上止むを得ない理由があるときは、理事会において、理事現在数の3分の2以上の議決を経、厚生労働大臣の承認を得て、その一部を処分し、又はその全部若しくは一部を担保に供することができる」(第8条)

 つまり、おもちゃ財団の基本財産は、理事会の議決と所管大臣の承認があって初めて動かせる。今回指摘されているような行為は、明白な違法行為なのだ。

◆"愛人"に綴った「一つになろう」◆

 北沢栄・元東北公益文科大教授(公益学)はこう指摘する。

「理事会に諮らずに勝手に使った段階で、背任罪にあたることは間違いない。財団は、勝手に使われた基本財産を取り返す必要がある。使途をきっちり調査したうえで、理事長が返さなければ、刑事告発せざるを得ないでしょう」

 おもちゃ財団を所管する厚生労働省も戸惑いを隠さない。

「法人からきちんと話を聞いて状況を把握しないと、明確なコメントはできませんが、不適切な運営が本当になされているのならば、財団の解散も含め、しかるべき対応をとることになります」(障害福祉課)

 本誌の取材でこの問題を知った、おもちゃ図書館の創設者で財団の元理事である小林るつ子さんは、憤りをあらわにした。

「あきれてモノが言えません。これが事実なら、誠さんは福祉を食い物にしたことになる。お父様の直治さんは、私が自分のお金をおもちゃ図書館につぎ込んでいるのを知って、それじゃいけないと支援してくださった。でも、誠さんはそういうお父様の志を何も受け継いでいない。財団の発足当初は、旧厚生省のOBが事務局長に就任していましたが、誠さんの代になって排除してしまった。自分の意のままにならない人は置きたくなかったのでしょう。こんなことなら、財団はいっそ解体して、一から出直したほうがいい」

 それにしても、資産家のはずの山科氏が、なぜこんな「禁じ手」に出たのか。原因はその人柄にあると、友人や知人は口をそろえる。

「要するに、脇の甘いお坊ちゃんなんです。悪い人ではないけれど、ヨイショに弱くて、周囲は怪しげな人ばかり。安易なもうけ話に乗っては、だまされていました」(20年来の知人)

「女性関係も派手だったし、不動産投資にハマったり、趣味のヨットに大金をつぎ込んだりしていました」(会社関係者)

 既婚者の山科氏が艶福家であることは、自他ともに認めるところだったようだ。バンダイの社長を辞任したころ、
「山科元社長と女優・山咲千里の気になる噂」(「週刊実話」97年6月19日号)
 といった見出しが週刊誌をにぎわせた。女優のかたせ梨乃との関係をにおわせる怪文書が社内で出回ったことも報じられた。

 不倫関係がこじれて裁判に発展したこともある。

 裁判で提出された陳述書によると、山科氏は91年から02年にかけて芸術家のAさんと交際した。40代後半のAさんは、高島礼子似の清楚な和風美人だ。Aさんが話す。

「年は離れていましたが、文学や日本の伝統文化など趣味が合いました。山科さんは奥さんと不仲で離婚する予定だと言うので、つい付き合ってしまいました。いまでは一時の気の迷いだったと猛省しています」

 山科氏はAさんへの思いをラブレターに綿々と綴っていた。以下、その触りだけご紹介すると--。

〈あなたは男から見ると楊貴妃であり、傾城傾国の運勢を持った女性ということになります。男にとっては最も魅力的な女性でありながら、逆に最も危険な女になるということです〉
〈魂は私に語っています。聖なる剣と聖なる燭台が一つになって、二人は永遠の命を得られる聖なる王宮に入ることができると〉(原文ママ)

 山科氏はAさんと海外へたびたび出かけ、1本5千円もする花を毎月30本贈り、揚げ句の果てには2億円以上かけて一戸建てを購入し、プレゼントしたという。別れた後で、その購入資金を返すか返さないかで訴訟となり、Aさんが3500万円を支払うことで和解が成立した。くだんのラブレターは、訴訟の証拠として採用されたものの一部だ。

 そんな女性関係以上にカネがかかったのが、怪しげな投資話だったという。

 ゴルフ場買収や不動産投資などを繰り返し、多額の負債を抱えた山科氏は昨年、IT関連の会社を本格稼働させた。動画配信事業が軸で、当初は「次のグーグルを目指す」「わが人生最後の大チャレンジ」と鼻息は荒かったというが、うまくいかなかったようだ。

「事業のパートナーに選んだ人物が名うてのワルで、通常では考えられない外注などを行い、巨額の損失を会社に与えた。被害は約5億円と聞いています」(前出の山科HD元役員)

 この失敗が山科氏の"自転車操業"を破綻させる決定打になったようだ。別の山科HD元幹部が言う。

「山科さんは、バンダイ株が最高値のときで約150億円、不動産で約20億円の個人資産を持っていました。しかし、数々のトラブルや失敗で株を手放し、不動産にもほとんど抵当を付けられてしまっています」

◆社長時代掲げた「夢」を奪うのか◆

 世間知らずのボンボンが「愛欲」と「金欲」に迷って資産を蕩尽し、手を付けてはいけない財団のカネを使い込んでしまったのか。

 山科HDに取材を申し込んだが、「回答する義務はありません」というファクスが返ってきただけだった。

 そこで本誌は、東京・銀座の山科HDが入っているビルを訪ね、山科氏が男性2人と連れだって出てきたところを直撃した。それまで上機嫌で話していた山科氏に「週刊朝日ですが......」と切り出すと、途端に顔色が変わり、
「いま大事なお客さんと一緒だから。それに取材には答えないと伝えたはずです」
 と取り付く島もなかった。

 かつて山科家の会社だったバンダイは、
「おっしゃることが事実かどうか確認できないので、コメントのしようがありません」(広報IR担当)
 と言うばかり。

 財団理事の森元首相に取材を申し込むと、代理人の弁護士から以下のような回答が書面で返ってきた。

「森喜朗氏は直治氏の晩年、『息子のことをよろしく頼む』と言われていました。(山科氏の問題については)それ自体が真実かどうか、知りません。仮に真実だったとしても、その事実を全く知りません。財団の資産の現状も知りません」

 旧厚生省児童家庭局長で財団の初代副理事長だった金田一郎氏はこう話す。

「事務局に役人OBがいれば、基本財産を流用させたりはしなかったでしょう。直治さんは事業家として大変素晴らしい方で尊敬していましたが、誠さんはバンダイの経営すらあまり熱心ではないようでした。直治さんが『息子は事業には向いてない。小説を書くほうが好きなんだ』とぼやいていたのを覚えています」

 都内のおもちゃ図書館を訪ねると、障害のある子どもたちが遊んでいた。10年以上通っているという20代後半の男性もいた。

「ここは本当に気を使わなくていい場所です。みんなが親類のようなもので、親としても安らかな気持ちになります」(母親の一人)

 山科氏はバンダイの社長だった83年、「夢・クリエイション」という企業スローガンを掲げた。子どもに夢を与えるべき会社の2代目が、障害のある子どもたちの喜びを奪うなど言語道断である。 (本誌・田中裕康、篠原大輔、大貫聡子)