手塚治虫14歳 天才の原点 プロとして最初の1枚、復刻
産経新聞 2月6日(月)8時29分配信
|
拡大写真 |
昭和37年、34歳の手塚治虫。この年に虫プロダクションを設立し、アニメ制作にも情熱を注いだ(写真:産経新聞) |
【フォト】14歳のときに作った冊子の最初に掲載された4コマ漫画
作品集には、手塚の創作ノート12冊の復刻版と、プロとしての最初の1枚を含む小冊子「オヤヂ探偵」、同時期の習作「バリトン工場事件」を収録。小学校時代から鉛筆で漫画を描いていた手塚が、初めてペンとインクを使って描いたのが「オヤヂ探偵」の扉絵とみられる一コマだ。「オヤヂ探偵」は手塚が冊子にして同級生の間で回し読みされたもので、これまで出版されることはなかった。
描かれたひげ面の男性は、“ヒゲオヤジ”として以後、手塚作品の多くに見られる重要なキャラクター。級友の祖父をモデルにしたとされ、絵柄はすでに後年の作品につながる完成度の高さが見て取れる。一方で、小冊子のコマ割は単純な升目状のものを多用しており、未熟さものぞく。発行元の小学館クリエイティブで編集を担当した川村寛さん(63)は「天才の若いころの素養とそこからの漫画の進化、成り立ちの過程を見て、研究の役に立ててほしい」と話している。
12冊の創作ノートは「宇宙艇事件」「月世界の生活」(未発表作品)や「ジャングル大帝」「ファウスト」といったヒット作の下書きなど。手塚の没後に残されていたノートをそのまま復刻したもので、表と裏の両方から書き始めたものや天地を逆に使ったものもある。中には大学で受けた医学の講義内容や住んでいた下宿の家賃なども記されており、当時の生活状況がうかがえる。創作に限らず、思いついたことは何でも書き加えていったらしい。
創作ノートの下書きには後に作品化された漫画と相違点もある。「ジャングル大帝」の“主人公”レオは、下書きの段階では双子として描かれていた。またネーム(コマ割りをした漫画の下書き)の前に、文章で脚本を書いている作品もみられる。
作品によっては下書きが複数のノートにまたがって描かれているものもあり、相互のつながりを追っていくことで作品が仕上がっている過程を見て取ることができそうだ。解説を寄せた同志社大の竹内オサム教授は創作ノートについて「漫画が好きで好きでたまらない一青年が、自らの作品を壮大な物語に仕立てあげようとした成長のありさまをよく伝えている」と評している。
創作ノートの復刻について、川村さんは「手塚作品がそれ以後の漫画家に及ぼした影響は絶大で、手塚漫画の研究は日本漫画を研究することに等しいといえる。学術的にも貴重なもので、多くの人に原典に触れてもらいたい」と話している。
【プロフィル】手塚治虫(てづか・おさむ) 漫画家。昭和3年、大阪府豊中市生まれ、兵庫県宝塚市育ち。大阪大付属医学専門部在籍中の21年、「マアチャンの日記帳」でデビュー。37年には、アニメ制作会社の「虫プロダクション」を設立し、アニメ作家としても活躍した。平成元年、60歳で死去。主な作品に「鉄腕アトム」「ブラック・ジャック」「火の鳥」など。講談社から刊行された「手塚治虫漫画全集」は全400巻に及んだ。
【関連記事】
「ジャングル大帝」など手塚治虫さんの生原稿見つかる
ブラック・ジャックついに完結!天国の監督に捧ぐ
本宮ひろ志 手塚治虫にケンカ売り二度と口利いてもらえず
メーテルにモデルの女性いた! 松本零士が語る不思議な出会い
累計2億部「ゴルゴ13」人気の秘密は…?
最終更新:2月6日(月)12時26分
この話題に関するブログ 3件
関連トピックス
主なニュースサイトで 手塚治虫(1928-1989) の記事を読む
この記事を読んでいる人はこんな記事も読んでいます
- オセロ中島 「知っとこ!」司会降板決定 松嶋は続投写真(スポニチアネックス) 2月7日(火)7時0分
- エディ・マーフィ自動車事故で死亡との報道を弟がツイッターで否定写真(シネマトゥデイ) 2月6日(月)2時6分
- “関西の視聴率男”やしきたかじん休養宣言…振り回されるテレビ局写真(産経新聞) 2月5日(日)20時26分
- 伊紙がインテル長友を酷評「切腹しなければならないほどのミス」写真(SOCCER KING) 2月6日(月)14時58分
- 早乙女太一&西山茉希 手つなぎ帰国!写真(スポニチアネックス) 2月6日(月)7時1分