岡田克也副総理は7日の参院予算委員会で、沖縄返還(1972年)にあたって米国が支払うことになっていた地権者の土地の原状回復補償費を日本側が肩代わりした日米間の密約について「歴代の首相や外相が90年ごろまで、外務省から(密約が)あると報告を受けながら、存在を国会でも否定してきたことは本当に許し難い」と述べ、当時の自民党政権の対応を強く批判した。小野次郎氏(みんなの党)への答弁。
密約を巡っては、毎日新聞記者(当時)の西山太吉さんが71年に肩代わりを報じたが、西山さんは外務省の女性事務官をそそのかして極秘電文を入手したとして国家公務員法違反罪で起訴され、最高裁で有罪が確定。00年以降、米公文書や元外務官僚の証言で密約の存在が裏付けられたが、外務省はその後も、公式には密約の存在を認めてこなかった。
岡田氏は09年の政権交代で外相に就任すると、同年11月にこの問題を含む日米間の四つの「外交密約」を検証する有識者委員会を省内に設置。同委は10年3月、日本側の肩代わりを「広義の密約」と認めた。
この日の予算委で小野氏は事件を題材にした「運命の人」というドラマが放映中であることに触れ「国家間の密約について、三十数年後に認めたことに何らかの思いはあるか」と質問。岡田氏は「どうしてそういうことが起こったのか、ということは深刻に反省すべきだ。開き直りは許されない」と力説した。
有識者委は「広義の密約」を認めたが、外務省はその後も文書の存在は否定し続けた。西山さんらは09年、文書の開示を求め国を提訴。東京地裁は10年4月、密約の存在を認めて国に文書開示を命じる判決を言い渡したが、昨年9月の高裁判決では、文書が廃棄された可能性があるとして開示請求を却下。西山さんらは現在、最高裁に上告中だ。
当時外相として、西山さんらに訴えられる側に立った岡田氏は「ある意味対立する形になったが、密約問題で犠牲になった方の一人だ。今までの努力や苦労に対して申し訳なく、ジャーナリストとしての行動に対しては一定の敬意を表したい」と語った。【福岡静哉】
毎日新聞 2012年2月7日 20時43分(最終更新 2月8日 0時21分)