日本人4人目のムエタイ王者でラジャダムナン・スーパーライト級王者の石井宏樹(33)=藤本=が3月11日、東京・後楽園ホールで同級4位ゲンファーン・ボーブアンチョン(22)と初防衛戦を行う。ムエタイはタイの国技。これまで日本人王者は石井を含めてわずか4人で、しかも過去3人は初防衛戦をことごとく退けられた。600年の歴史の壁は高い。成功すれば歴史を刻む“快挙”だ。 (山崎照朝)
「ムエタイ王者の自分にしかない人生。最大のチャンスだと思っている」。史上初の日本人王者初防衛に意気込む石井。小、中学時代は野球少年。それが15歳、中学3年の時に格闘技に目覚めた。「当時はぽっちゃりしてて、女の子にもてたくて」と、当初はダイエット目的。高校入学と同時に、通学途中にあったジムに入門。藤本ジムは“キックの鬼”沢村忠を生んだ名門・目黒ジムを引き継ぐ。習う姿勢が徐々に変わってきたのは、プロで活躍する先輩たちの格好良さを知ってから。強くて気持ちも優しいスター選手に憧れを抱いた。
プロデビューは17歳。派手なKOデビューだった。だが、2、3戦目を判定負けで落とし、プロの厳しさを思い知った。ここでも助けてくれたのはジムの先輩だった。キック中心の生活を求める石井に先輩が職を世話してくれ、キックボクサーとしての環境を整えてくれた。練習に明け暮れてぽっちゃり顔も精悍(せいかん)さを増し、キャリアとともにファンを増やした。
そんな石井にムエタイ王座挑戦のチャンスが訪れたのは、05年8月。ジャルンチャイ・ジョーラチャダーゴン(タイ)とのラジャダムナン・ライト級王座決定戦。結果は0−3の完敗。その後もラジャダムナン&WMCスーパーライト級王者決定戦に08年3月と10年3月と挑んだがいずれも判定で敗れ、国技の厚い壁に阻まれた。しかし、ドラマはこの後に起こった。同年7月のタイ人選手とのノンタイトル戦で2回に強烈な左膝蹴りを受け、小腸が破裂。最後は左肘打ちでKOされ、病院に運ばれた。
「倒されたのはあの試合が初めて。1週間入院した。ショックで引退も考えました」。踏みとどまらせたのは退院後の練習だった。引退も考えていたが、予想以上に体が動いた自分に驚いた。再起戦は翌年3月。2回KOで再起を飾ると、そのまま無傷の3連勝。その勢いで昨年10月、ラジャダムナン・スーパーライト級王者決定戦をアピサックK・Tジム(タイ)と争い3−0の判定勝ち。4度目の王座決定戦で日本人4人目のムエタイ王者になった。「引退を考えた過去がなかったら、今もなかった。あきらめずにやってきて本当に良かった」と号泣した。
「10代から先輩たちにかわいがってもらった。誰も成し得ていない初防衛で恩返ししたい」。平常心で国技に新たな歴史を刻む。
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