日々是落書

   

曽我さんのこと

2011-11-28 22:26:00 | お知らせ

昔若い頃国立<クニタチ>に住んでいた。

当時の国立は百恵ちゃんブームの真っただ中で街としてのブランドイメージがアップしていたようだけど、もちろんそんな理由で選んだのではなくて、たまたま銭湯がすぐそばにある風呂なしアパートがそこで見つかっただけだった。
格別興味はなかったけれど雑貨屋や骨董品の店が結構あって、覗いてみるのは楽しかった。
その中に女優・曽我町子さんの店・ステラもあった。

今考えると恐ろしいけど、田舎から出てきた怖いもの知らずというか;いやそれ以外にないけれど、ショーウィンドーから覗いてエキゾチックなアクセサリーが置いてあるのを確認するだけでするっと入ってしまった。入った後で値札を見て(文字通り)仰天。とても自分の買えそうなものはなかった。
もちろん高価でない雑貨もあるにはあったが、当時まだそういうものにあまり興味がなかった。
それでも数回足を運んだんだから、店にしたらいい迷惑だった筈。

その後結婚して、連れと二人で何回か国立を歩いた時にステラに入ったことがあった。
曽我さんが店にいないこともあったが、その時は丁度店におられて色々と話をしてくれた。
自分は詳しくは知らなかったが当時(バブル崩壊の数年後)特撮の悪役を演じたおかげで凄い人気だったらしい。

何しろ自分にとっては『5年3組魔法組』の魔女ベルバラで記憶が止まっていたので、そのへんのブームのことはよく分からない。よく分からないけどなんか凄いらしいという理解が限度だった。

海外に買い付けに行くとノミの市のようなところも覗くらしく、土地の子供達と目が合うと勢いよく「バンドーラ!」と言われるのよ!とさも誇らしげといったふうに語ってくれた。
でも(当の特撮番組を放送した)アメリカの会社からは一銭も貰っていないとも言っていた。
森繁久彌氏と役者の肖像権の保護を訴えるために一緒に陳情に行ったことも話してくれた。

丁度藤子・F・不二雄氏が亡くなった直後だった。
曽我さんは葬儀に行かなかったそうで、知人から「恩知らず」と言われたらしい。
でも彼女は「お葬式に行ったからって、先生はもう亡くなられてて・・・亡骸じゃない?お話が出来るわけじゃないし・・・葬儀場に先生が居るっていう訳でもないでしょ?私はもう心の中でお参りしたからいいの」と言い切っていた。
確かに、葬儀と言うのは生きている側の人間にとって必要なものではある。
だから理解は出来た。

それだけではなく曽我さんの経歴を考えれば納得出来る。
世に名前が出たのは『オバケのQ太郎』がきっかけだったとしても、それだけでやっていけた訳でもない。たとえば自分はオバQの曽我さんを知らない。憶えていない。
自分にとっては魔女の女優さんであり、店を訪ねた頃の世の多くの人にとっては特撮の悪役だった。だがリアルにはステラの経営者だ。
きっかけは必要かもしれないが、それだけで人生を渡っていける人はそうそういない。そこは本人の努力と運次第だろう。

余談だけれど、さいとうたかお氏があるインタビュー内で、同じように貸本時代から描いていた同業者でさいとうさんのように残れた人とそうでない人の差は何ですか?と聞かれて「運です」と答えたという話を思い出す。

色々な話をしてくれた中で「私海外行ったら凄い人気者なのよ!」と話した時の顔はとてもはつらつとしていた。
「どこに行っても子供達が寄ってくるんだから!」と言ったあの笑顔はしかし、肖像権が認められ、作品が高く売りつけられていたらあり得なかったかもしれない。
彼女にとっては悔しい話だったろうけれど、日本のTV局が二束三文(←まあ想像だけど)で売り渡したから可能だったのかもしれない。

著作権や肖像権のことを考えると、そういうものを手放してしまった方が確かに伝播はする。
パチンコ台だって最初に考えた人は権利を主張しなかったそうで、それで真似されて大いに広まったらしい。(もっとも当人は釘の打つ位置など、細部にわたって計算し尽くした自分の作った台の再現は、他人には出来っこないという自信があったかららしいが。そして実際そうだったという)

でも最初の1回は認められたいという創作側の気持ちも分かる。その功績は知られていたいという欲。それを汚れたものだとは考えられない。
その「間」はなあ…、と曽我さんのことを思い出すとつい考えてしまう。

そして今家にいる猫の1匹はステラから連れてきたもの。
古木で作られたというフレームに大人しく収まり、我が家から出ていこうとはしない。

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藤子先生の葬儀についての部分、記憶違いしていました。思い出せましたので訂正しました。   2012.1.23.