小学校の宿題
テーマ:中学受験我が家の方針に、中学受験はするけれど、今通っている小学校の事も真面目にやるというのがあります。
ですので、小学校と塾の行事が重なった時は、小学校が優先ですし、小学校から出される宿題も、自分でやる事になります。
但し、夏休みの自由工作や自由研究で、どうしても自分一人で出来ない所や、分からない所はアドバイスしたり、手伝ったりはしています。
今年の夏休みに彼が工作している所です。
しかし、最近、小学校の宿題にあれれと思うようなものがいくつかあり、正直な話、これって意味があるのかなって思うことがあります。
でも、だからといってこれを手伝うわけにはいきませんし、サボらせるわけにもいきません。
まぁ、これも仕方ない事なのでしょうね。
その宿題の一つですが、
まぁ、本当は彼が悪いからなのですが、
忘れ物に対する罰という事に対しての宿題でした。
確かに教材を忘れた事は悪い事です。
それを直して、忘れ物をなくさせる事は大事です。
でも、そのことに勉強まがいの事をさせるのは、どうなのでしょうか?
彼は、そうはなっていませんが、子供によっては、忘れ物がなくなったとしても、勉強自体を嫌いになってしまうのではないでしょうか。
それ宿題とは、400字詰め原稿用紙2枚に、国語の教科書の巻末に書いてある漢字をただ、順番に隙間なく書いていくという、写経もどきなのです。
写経であれば、まだ意味があるので、考える事も覚える事も出来ると思うのですが、巻末の漢字なんて、ただ順に並んでいるだけで、意味があるわけでもないし、ただ単に書くだけなんて、苦行以外の何物でもありませんでした。
彼も1時間くらいかけて書いていました。
忘れ物の罰と、意味のない写経・・・・私の中ではどうしても繋がりません。
罰なら罰として、もっと他の物があるのではって思っています。
それこそ、トイレ掃除でもさせてくれた方が、親としてはありがたいのですが・・・
そして、こんな宿題しか出せない教師対して、また新たな不信感が湧いてしまうのです。
1 ■公平性のある罰
忘れ物再発防止策というお題で作文を提出というのがよいでしょうか?
公平性の観点から子どもに応じて対応(罰)を変えないのは基本のような気がしますし、公平に実施状況を査定できる罰ならば、作業ベースの罰にならざるを得ないような気がします。「たしかにトイレ掃除しました 判子」は親にとって都合のよい罰ですが、効果的か、再発防止できるか、という観点で?のような気がします。もちろん「忘れ物再発防止策というお題で作文」も然り。「嫌だと思うこと」をさせるところに反省が生まれる、それを苦行という形でプラスに持っていくのは、アリかなという気がしますね。
まあ、ひとつの考えです。