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サングラスはミタ 阪神ひと筋40年、名物トレーナーが退団

産経新聞 2月7日(火)9時22分配信

サングラスはミタ 阪神ひと筋40年、名物トレーナーが退団
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退団後は「趣味の囲碁に週1回ぐらい通おうと思っています」と穏やかに話す猿木さん=甲子園球場(写真:産経新聞)
 阪神ファンならずとも、プロ野球のテレビ中継などで見覚えがあるだろう。試合中、阪神の選手が傷つくと、すぐさまベンチから飛び出していた、あのサングラスの名物トレーナーが、64歳の誕生日となる今月24日に退団する。タイガースの元チーフトレーナー、猿木忠男さん(63)。実直な人柄と物事に動じない包容力で選手を見守り続けた43年間を振り返ってもらった。

【フォト】懐かしの甲子園球場にたたずむ猿木忠男さん

 入団は1969年で「同期」には3代目ミスタータイガースと呼ばれた田淵幸一がいる。それ以来、チームに帯同し、タテジマ戦士の体のケアに携わってきた。

 一番の思い出という日本一に輝いた85年、遠征先で高熱を出した真弓明信には3日間点滴を打ち、3連戦出場にこぎつけた。ある年、掛布雅之が帯状ヘルペスにかかり、痛みで一睡もできなかったときにはサラシを巻くなどして対処。

 巨人と優勝争いを繰り広げた73年は、勝てば優勝という試合の先発を任された江夏豊が「一世一代のマッサージをしてくれ」とトレーナー室にやってきた。「チームが強いとトレーナーは忙しく、弱いときほど忙しくない。故障者が多くて優勝できなかったら『何しとんねん』といわれる世界」としみじみ語る。

 大きな功績のひとつとして知られるのが、70年代後半、米教育リーグに帯同した経験を生かして球団に持ち込んだアイシングだ。「そう言われているようですね」と謙虚に笑うが、最初は見向きもされなかったアイシングは今では当たり前のケアになっている。

 トレーニングメニューの進化とともに傷害予防の分野も積極的に研究。体に対する考え方の意識が大きく変わったのも猿木さんの時代だった。

 そんな猿木さんを支えたのが良子夫人(62)だ。シーズン中に結婚式を挙げたが、それが終わると新婦、親族を式場に残して電車に飛び乗り、甲子園球場に向かった。シーズン中はほとんどがナイターで帰宅は深夜に及ぶ。良子さんは朝方に起こすわけにはいかないと幼子3人を朝、公園に連れて行き、猿木さんをゆっくり眠らせてくれた。「野球はまったく知りませんが、3人の子を一人で育ててくれたようなもの。嫁さんの都合がつけば、海外旅行でもできたらいいと思いますね」と感謝を口にする。

 退団後は「何かしらの社会還元をしたい。それが地域振興にもつながればいいですね」と地元の団塊の世代たちと、公園などで健康を目的とした体操やストレッチを教えたいと考えている。

 一人のOBとしての願いはただ一つ。優勝を後輩にも味わってほしいということ。「いろいろな苦労が報われるのは優勝しかないんです」。今後はベンチからスタンドへと場所を変え、タテジマをそっと見守り続ける。(嶋田知加子)


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最終更新:2月7日(火)12時1分

産経新聞

 

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