「闘病記A2病棟@」
其の2

A2病棟@  其の2

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其の2


     堤防の野良猫


一年前、2006年、4月。玲子の母親で社長の美恵子と共に会社を運営していたが、得意先の内製化により、下請けの当社だけでは立ち行かなくなり、今後どう経営を再建するかということで親族会議を行っていた。
県の経営改善補助融資を採りつける事や、保証協会のバックアップによる銀行融資や、大幅なリストラで景気回復までどうにか持ちこたえさせようと常務の俺は考えていた。
社長は七十一歳となり認知症の症状が出始めていた。兼ねえてから経営方針が合わず議論が絶えなかった。
仕事についても折り合いが悪く互いに憎しみに近い感情をもっていた。
お互いにすぐに感情的になり、社長は同じ話を何度も繰り返す痴呆症状ガ顕著で、一向に話の進展が無い時期が続いた。
美恵子が経営から身を引く代わりに、退職金を八千万円用意しろと言い出す。
土台無理な話ばかりで、嫌がらせを言っているだけだ。
間に入った美恵子の姉の千代子が美恵子を諭すように静止した。
当然、俺と玲子のこちら側の再建案に賛成であったはずであった。


翌日会社に出社してみると、異様な空気が漂っていた。社長に付いていた古株社員だけあつめて、経営方針の会議を開くと言う話が出来上がっていた。
その殆どが自分のリストラ計画に乗っている社員ばかりだ。
仲介役は千代子が勤めた。広く話を聞きたいと言うことで、まず、社長より発言があった。

「藤沢は自分の言うことを一切聞かず、反発ばかりして会社が上手くまわらない。人望も無く、おまけに大幅なリストラの計画までもっており、社員の殆どを解雇させようとしています。」口々に社員から誹謗の言葉があびせられた。
「あんたなんかが社長になったら皆会社を辞めますよ。とんでもない話だ。」
「こうなったら藤沢のほうに辞めてもらって残りの社員でやったほうが上手くいくんじゃないですか。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
おもむろに司会役の千代子が口を開く。

「意見は出尽くしたようですね。会社再建に向けて是からも社長を支えて皆で頑張りましょう。藤沢に経営を任せても社員が居なければ会社が成り立たなくなりますので。私も微力ながら資金援助しますので安心してください。」

「社長、本当にこれでよいのですね。自分が会社を辞めることで再建できるとお考えなんですね。」
社長に向き直って再確認する。視線を合わさず深く頷かれた。


十七年に渡る職場だった。先代の社長が末期癌で逝かれた後を継いで今まで努力してきた。
たとえ不景気で会社が倒産しても最後まで見届けるつもりだった。
申し訳なさと悔しさで一杯になり、深く傷つき強い人間不信と軽い鬱状態が残った。


玲子に連絡してことの経緯を説明した。その夜、玲子はパニックになり、友人の香織の家に相談をしに血相を変えて出てしまった。
残った二人の子供たちで今後の現実の対策を深夜まで語り合った。
一番厄介なのは会社の多額な連帯保証だった。
たとえ千代子が資金援助しても、金融機関との交渉役が居なくなり信用が無くなれば、あの会社はもって三ヵ月だろう。
その後は自己破産するしかない。
家のローンもまだ半分残っている。
まず弁護士に相談して残された期日までに家族を安全な環境に導かねばならなかった。
どの弁護士も直ぐにでも自己破産の手続きを取るようにとしかアドバイスをしてくれない。
まずどう動いて何を残せるかが解らなかった。


家が差し押さえになる前に売却すれば、銀行のローンの残りを返却してもまだ幾らかは資金が残るはずだ。
不動産屋を何件もあたり、次の貸家の契約を同時に手配してもらい、大急ぎで物件を探した。
4LDKでペットの犬も可能な貸家探しは難航した。
玲子に犬はもう諦めろと何度も諭したが譲らない。
また、玲子の自宅での英語塾の仕事も継続けたい為に移転範囲も限定されていた。
加えて貸家の賃貸契約には現在の職業が必要と成るために、辞めた会社の名前を偽って利用できる時間は限られていた。

諦めかけていた時に、娘の麻衣子が近所で貸家の看板を見つけてきた。早々に不動産屋に電話を掛けて賃貸料の交渉に入った。
月十万を八万まで値切って契約を交わし、翌週には慌ただしく引越しを済ませることに成功した。
玲子の交友関係からご近所さんが入れ替わりに引越しを手伝ったり差し入れを頂いたりした。
ここからも玲子の人脈の広さと人望の厚さが伺われた。
愛犬は、ほとぼりが冷めるまで近所に預かってもらい、身を潜めるような暮らしをはじめた。
娘の麻衣子は今年、大学の医学部二年生で、大学の近くのアパートに住ませて緊急避難させた。
事態が落ち着くまでは、奨学金だけで全ての生活費や授業料のやりくりをしてもらわなくてはならない。

それに比べ、これまでの自分は余りに自己中心的であったと思う。
自分が困り果てていても誰も助けてくれないし、人が困って居ても芯から助けようとは思わなかった。
軽い鬱状態が長く続いたのではないかと思う。
この現状に対して精神が切れかけていた気がするが、自己破産の書物を三冊買い込み、インターネットで猛勉強し闇の世界との均衡を保とうと努力した。
また玲子に対して夫婦生活がここまで続けられたのは、自分勝手な思い込みを玲子に押し付けたからだ。
あんな非道な社長のもとでも会社に入社して社をもり立て、家族を守りたてて来た事で、ある意味での負い目を何時も負わせていた。
お互いそれでちょうど良い夫婦関係であると勝手に思い込んでいたのだ。
きっと今までの自分自身の心の持ち様に罰がくだされたのだろう。



また五ヶ月に渡る四十七歳の就職活動は困難を極めた。主にインターネットを利用して、営業のリーダー的求人情報を探した。
リクナビは大変活用させてもらったサイトだ。地元で大変親しい印刷会社の専務さんから、うちに来ないかと誘われたが、給料の安さと将来展望が低いことからペインディングしさしてしまった。
初めてレジメの書類選考を通過したときには、絶対にこのチャンスを逃さず、今まで自分が頑張って辛抱してきて本当に良かったと歓喜に震えた。
ハローワークからも博多の企業で気になる募集が目に留まっていた。
同時に二社とも大阪と福岡で面接し、そろって三日後に採用の通知を貰った。
家族とも相談して悩みに悩んだ挙句、博多の医療関係の企業に就職することにした。
九月より博多での二週間に渡る研修が予定されていた。



お盆の帰省は五年ぶりに家族四人での里帰りとなった。
どうもこの頃から軽い躁状態へと静かに満ち潮の波が来ていたようだ。
楽しい旅行になるはずであった。
しかし、小さなことから母親と口論になり収集が付かなくなり、険悪な空気で終わった帰郷であった。
玲子に対しても酷く人間性を否定する言葉を吐いて深く傷つけた。

同居の兄は総合失調症を患い、十年以上も入退院を繰り返していた。
鬱病での診療ミスで長い間効鬱剤を投与され、幻覚や架空の世界を自分の殻の中に何重にも形成するようになっていった。
キングギドラは山岐の大蛇の復活であると誇らしげに言い、石の力に魅せられ三千万もローンを組み宝石を買いあさり、高級な香木を焚いて瞑想じみたことを繰り返した。
どうしてもあちらの世界から戻ってこれずに、離婚と自己破産を立て続けに体験した。
イラク湾岸戦争中止を強く願い、アメリカ軍事幹部へ捻の力を送り、無謀な殺戮を阻止しようと試みたが力及ばず、大そう責任を感じ落ち込んでいった。
そして新緑の頃、森に車を止め自殺を図った。

幸い首の傷は頚動脈まで達することなく、腹の刺し傷も急所を外れていたために一命を取り留めた。
しかしその車中の有様はむごたらしいものであった。
べっとり血糊がしたたり、糊上に張り付きとても見られたものでは無く、直ぐに車は廃車にした。



双極性障害は遺伝こそしないが、発祥因子は遺伝する。アレルギー体質がその因子によって異なって起こるのに似て要因としてそうなる可能性が高いのだ。
通常では百人に一人の割合で発症するが、親が双極性障害の子供の場合は十分の一の確率で発病するのだ。
しかし、この双極性感情障害の遺伝子は何故脈々と受け継がれて良くのだろう。
原始の時代、人類は狩猟民族であった。そして鋭い感覚と想像力を持った躁状態の民族だけが生き残った事は容易に理解できる。
その当時は人類のなんと80%もが双極性感情障害であったらしい。
躁状態で狩猟した肉は保存して、鬱の時期にはゆっくりと休養し、次の躁を待てばよいのだ。



九月も後半に入り、いよいよ博多での研修が始まった。会社契約の賃貸マンションでの自炊生活である。
研修は高度なパソコン操作を必要とされたが、どうにか持ちこたえて長崎営業所の所長として帰って来られたのも軽い躁状態が進行していたためであろう。
事実、自宅を営業所として活用していたため、いくら仕事をサボっていても会社には判らず傍若無人な振る舞いを繰り返し始めていた。
ある日携帯の電源を切っていた時、会社から直接緊急な連絡が何度も入り、営業所長としての資質を疑われ、社長から激怒された。
翌日福岡に急遽呼ばれ、総括本部長より、解雇通知を言い渡された。
しかしこんな会社こちらから辞めてやると気楽に考えて再び求職活動が始まった。
この頃はっきりと躁状態の兆候が出始めていたのだ。
季節は秋になろうとしていた。。。

インターネットで自分のブログを立ち上げていた。中でも、佐藤さんという三十前後の明るい女性とのやり取りが気晴らしとなっていた。
ある晩、玲子に嘘をついて食事に出かけたが実際お会いするとイメージがあわず、それっきりでお付き合いは萎んでいった。
しかし後日、玲子に携帯のメールの記録を全て盗み見され、大変な怒り様でつっかかられた。 
ベッドで寝ていたら本気で布団を剥ぎ取られ殴る蹴るの暴行を受けた。
まだこの状況でも焼きもちをやけることが自分には不可解であった。



予想どおり会社は二回目の不渡りを出し倒産した。
自己破産の手続きを取っていたので弁護士から一月に裁判があると説明があった。
昔のように家財道具まで差し押さえにはならないと言うことで少し安心した。


失業手当も今月で切れる為に、就職活動を急がねばならない。同時にハローワークから長崎の有望なベンチャー企業の募集に釘付けになった。長崎発東京、大阪に支店を持ち、遠くドバイまで視野に入れた有能な経営者だ。5回にも渡る面接により難関を突破してついに2006年一月より入社が決定した。



入社後二日目での引き継ぎ同行時、辞めてゆく担当者からベンチャー企業とは名ばかりで、実は親族による家内企業であることがわかった。
すでに自分が配属されたポストは市場が破綻しており、今年度の不可能なノルマだけが大きくのしかかっていた。ただ仕事は面白く、その世界的なスケールで活躍できることには、やり甲斐があった。
社長がこと細かく仕事のノウハウを教えてくれるので、随分と刺激を受けて尊敬していた。
資金調達の手段など今までの自分のスケールでは考えも及ばない手法を使われていた。
経済産業通商省補助事業という名目で不正操作をはたらき、国から多額の融資を調達していた。
良い意味でも悪い意味でも、自分の仕事に対する姿勢が共感できると共に、その優れた経営能力は圧巻であった。

まさに病的なほど細かく指導を受けた。
以前、経営が軌道にまだ乗らない時、社長は鬱病にかかり、今でもカウンセラーをつけていたらしい。胃癌のオペを国立病院で受けていたらしく、同じ病院で薬を処方せれているらしい。

また、外回りが終わった後のデクスワークも大変で、毎晩十時まで残業していた。
パソコンの操作が遅いために余計に内勤作業が負担となっていた。
月一度の営業会議では、チームごとにパワーポイントでプレゼンテーションするのだが、入社して四ヵ月後にノルマに対するアクションが不十分であることを指摘され、槍玉に挙げられていた。

会社はバイオ技術を応用した屋上緑化事業がメインであり、自分は汚水処理の微生物剤の担当であった。
あいかわらず毎回営業会議では実績が上がらず、ノイローゼ状態となり、一週間殆ど眠れずに苦しんだ。
その間、自己破産の裁判があり自責の念にかられた。仕事のことが頭から離れず、思考能力が極端に低下していった。
何時も本当に苦しく、意識が遠のく思いがした。
そして自ら心療内科の門を叩いたのだ。



鬱病との診断により処方された効鬱剤パキシルは処方二日目で驚くほど直ぐに効きだした。
あんなに大変だった仕事が面白いようにアイデアが沸き、あらゆる人脈を使い、多忙を極めるころ仕事の成果が現れ出した。
気が大きくなり、部長とも仕事の方針について激論を戦わせた。
自分は会社を愛していたし、四ヵ月に渡っての仕事も面白みが出始めていた。
しかしその時、思いもよらない突然の解雇通知を玲子から聞かされるとは夢にまで思わなかった。
会社は何故、直接自分に告げなかったのかも不可解であった。
再び心療内科で受診した時、Drから処方ミスで躁転換していて、うちでは治療がもう出来ないと告げられ、国立病院に紹介状を書くと言われた。

「この藪医者め。初めから兄が躁鬱病である事は承知のはずだ。慎重に効鬱剤を処方すべきで有ったはずだ。」

どうにかして、この状況を打開して生き延びなければならないと強く思った。
たぶん自分でも躁転換したのだろうと思えた。


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