「闘病記A2病棟@」
最終章
A2病棟@ 最終章
最終章

七月二十二日 土曜日 六時四十分起床。朝から下痢をする。髭を剃って顔を洗う。
テレビのニュースを1時間見る。全国的な大雨で死者が出ているらしい。
十時二十分に風呂に入る。その後意識が飛び、寝たきりになる。
午後、昼食殆んど食べる。また患者の嫌がらせに会う。1日中寝たきりになる。
三時四十分にナースステーションまで何とか行き、メールチェックする。
*気分を楽に持って下さい‥ね。*
夕食、また食べる場所なし。空いたスペースに座ると、直ぐに大坪さんが来て食べ粕を飛ばして喚いた。
「俺はこいつを追い込んでいる。」
看護師からきつく注意されると、食事を止めてトレーごとバケツに放り投げた。
七時三十分また下痢をする。しかし大坪さんの仕業でトイレットペーパーがまた無い。
仕方なく芯で尻を拭って手を洗う。
自室で再度このノートを読み直す。失われた意識が戻って来る。
腰痛に始まり、外泊において玲子に許しを乞うた様な気持ちになって、気が抜けて、再入院後のパニックで寝込みが酷くなっているのだ。
院内のストレスも大きい。
鬱の仮面の下では乗り切れない現状がある。
七月二十三日 日曜日 六時三十分起床。鏡で自分の顔をまじまじと見つめる。
アトピーがまた悪化している。目は眼光が鋭くなってきている。だいぶ窶れてきた。
十時三十分下痢が止まらない。午前中は寝たきりになる。
午後昼食を全て食べられる。食欲が出てきている。
ナースステーションに入る時、吉沢恭子と広瀬さんが外から見つめているのが解る。
*今日は豪雨です〜明日昼から行きますね。待ってて下さい。*
何か玲子の身に大変な事が起こっている様でならないし、メールチェックのストレスがかなり大きい。
四時十分に玲子から電話がある。
「抗鬱剤の効果が出始めて居るかも知れない。食欲が出始めている。体調はあまり良くない。」
「無理は禁物よ。院内生活にストレスがあるんじゃないの?」
「今はA2病棟中の患者を敵に回している。酷い状態だ。」
「解った、明日午後から行くから待って居てね。」
大坪さんからしつこく話しかけられる。
「何であんたは四時になるとセンターに入って、鍵が掛けられるんだ。」
「俺は知っているんだ。皆にも教えてるんだ。」
吉沢恭子が対人操作をしているのだろう。
夕食はまた大坪さんが目の前に居座り嫌がらせをする。虐めてると言いふらしている。
現実の自分の置かれている立場がはっきりとした。
吉沢恭子の対人操作でA2病棟全体が自分に敵意を持って居る事は事実だ。
イエスタディーの歌声が心を和ませる。深代さんにお礼を言う。歌声は実に心地よい。
六時五十分自室で鬱の仮面を取る。
ストレスさえ無ければ自己は目の前まで回復している。躁の波が来ているかも知れないが、確かだ。
そしてどれだけの患者さんの好意を裏切ってきた事だろう。
玲子に対してもどれだけの裏切りをして来た事か、麻衣子や龍之介にも本当の愛情は殆んど無かっただろう。ピーチとサクラもその純真な心を疎ましく思えて裏切ってしまった。
そしてその償いをしなければならない。
八時までこのノートをさかのぼって読み返す事が出来る。
八時三十分に吉井看護師に全ての事実を話す。
「吉沢恭子は境界性人格障害だと確信しています。彼女を中心にしてÅ2病棟で今なにが起こっているか注意深く観察して下さい。食事中の嫌がらせや、トイレの嫌がらせなど大坪さんを使って色々仕掛けてきています。益々エスカレートしてくるでしょう。」
「解りました。注意して対処してゆきます。Dr.にも報告しておきます。」
吉沢恭子と大坪さんを呼び出してもらい、話すが、被害妄想として扱われる。
その後謝りに自室まで大坪さんが来た。
いずれにしても、看護師の監視は厳しくなるだろう。
七月二十四日 月曜日 入院三カ月目になる。
朝食の時に吉沢恭子からいい加減に疑うのは止めろと怒鳴られる。
新患で十九歳の躁鬱病の小石君から励まされる。食後また意識がまどろむ。
午後の昼食は物々しい看護師達の監視の下で行われた。全部食べる事が出来る。風呂に入って玲子の面会を待つ。
一時三十分に玲子がやって来る。面会室が一杯で仕方なく食堂で話す。
「A2病棟での嫌がらせがエスカレートしている。患者の怒りを買ったようだ。」
「転院をしてもいいのよ。三か月で丁度保険の切り替えがあるのよ。私はあなたの言う事を信じるわ。」
洗濯物とタオルと桶を持って来てくれる。昨日からの心の動きを伝える。
「患者の好意も裏切り、家族に対しても愛情の欠落した自分が厭でたまらない。」
「何かして欲しい事はないの?」
「夏休みのレッスンも少なめにしたから、何時でも外泊して良いのよ。」
玲子なりに俺のことを受け入れる調整をしていてくれている。次は金曜日に来てくれる様だ。
土日のメールは中止する様に取り決める。
仲尾Dr.面会。
「来週に向けて抗鬱剤が効いて来ますので、その後の回復を見て、外泊後に退院出来ると思います。」
「他の患者さん達にどう見られるかでは無く、藤沢さんご自身が病気を回復させる為に入院されている事をしっかりと自覚して下さい。」
夕食の時に大坪さんと小石君は俺が鬱ではないことを知っていた。
七時にテレビを見る為に談話室に行く。吉沢恭子と広瀬さんとの会話で鬱のふりを見破られる。
鬱から躁転換時に自殺が多いのは頷ける。
鬱の時は自殺する気力さえ無いのだから。
退院後の生活も院内の現実も何一つ希望が無い様な気がしてならないのだ。
七月二十五日 火曜日 六時三十分起床。髭剃り洗顔、ラジオ体操。
小石君より親切に単行本とメールアドレスを渡される。
仲尾Dr.面会。
「B1病棟への転院を検討しています。患者間のストレスは良くない事です。マイペースが一番です。新しく過敏な抗鬱剤を処方してみます。」
午後自室で昼食を食べる。やはり1人の方が食欲が出る。
三時四十分にナースステーションに入るが、広瀬さんから鍵をかける前に押し入られ、携帯を確認される。
*お父さん。お父さん〜ありふれた時間が恋しいよ。*
夏休みの家族団らんの風景だろう。
夕食、完全に居場所が無くなる。
自室で食べる事にする。この方がストレスが無くて良いのは以前から解っていたが、どうも釈然としないので、無理をしてでも食堂で食べるようにしていたのだ。
もう全て開き直って自分自身の為にのみの行動が取れるかどうかに掛かっている。
全ての終わりを切望してはいけないと念じる。
七月二十六日 水曜日 六時二十分起床。小石君に正気な処を見られる。
顔のアトピー悪化。痒くは無いのだが、額に広がっている。ネリゾナを塗っておく。
今日から梅雨明けらしい。ベッドのシーツを替える。
仲尾Dr.面会。何も進展なし。
午後、昼食三分の1しか食べられない。小石君と看護師の谷村さんがガードしてくれる。
1時間掛けてノートを読み返す。外泊初日からの流れを確認する。
今の自分に残されている本当の姿を見つめ直さねばならない。
とゆうより、本来の自分がどうしようもなく駄目なのだから、基礎から作り上げて行くしか無いと思えた。
四時にナースセンターに入ると同時に吉沢恭子が飛び込んできた。
「何で藤沢さんだけが、携帯を使って良いのですか!皆ストライキをしようと言ってるんですよ。」
看護師長の藤木さんが制して外に追いやった。
「これはDr.の治療方針です。藤沢さんには必要な治療なんです。」
「誰もそんなことで納得できるはずありません。藤沢さんの身の危険だってあり得ますからね。」
*金曜日仕事がたてこんだので明日1時位に行きます。待ってて‥ね*
玲子から電話もかかってくる。
「メールの件でA2病棟中が大変な事になっている。患者達の反感を買ってしまった。」
「ちゃんと保護してもらいなさいよ。明日1時に行きますからね。」
玲子も泣きそうな声で話していた。
仲尾Dr.面会。メールの件と現状を説明する。
今日は保護室に泊まった方が良いと言われたが、殺されたってそれはそれで良い様な気がして断る。
夕方躁状態の小石くんに借りていた本を返しに行く。日本海軍の将校の自伝で至る所に病的にアンダーラインが引いてあった。ざっと目を通しただけだった。
自室に戻ると同時にドアに爆音が響く。
怒りを買ったのか。A2病棟院内は慌ただしく厳戒態勢が敷かれる。
夕食も厳重な警備が敷かれ、誰1人喋る者もいなかったし、殆んどの患者が自室にトレーを持って行った。
七時に同室の田代さんに、今回のA2病棟で起こっている全てを打ち明ける。
藤沢さんのせいでは無いと言われたが、吉沢恭子と親しかった為、苦渋の表情を見せた。
八時にナースセンターにて小石君の担当医から説明があった。小石君ではないと。
小石君も気にするなと部屋まで来てくれた。全く正常だ。勘違いをしてしまったのか。
とすれば、あれは大坪さんの仕業かもしれない。いや、どの患者も俺の事を憎んでいるのだから。
また一段と大変な院内生活になってしまったが、今後のことは病院に任せるより仕方がない。
自分が蒔いた種だからしょうがない。玲子と明日は何を話そうか。楽しい話が出来ると良いのだが。
俺の犯した罪の数々はもう償いようがないのだ。
三歳の頃、子猫を殺した。とても可愛い子猫だったが、なつかないのに腹が立ち、何度も地面に叩きつけて公園に穴を掘って埋めた。
大学の時一度だけ万引きをした。三千円程度の革のベルトだったが、魔がさしたとしか言いようがない。
そしてもと彼女を残酷な仕打ちで捨てた。三年に渡る交際であったが、最後の夜に彼女をオーガズムに導いて、そのまま別れた。
死を持って罰を受けるべき人間なのだろう。
これ以上の負担は玲子に掛けられない。
漠然と、もう会えないような気がする。
いや、死を決意する。
七月二十七日 木曜日 六時三十分起床。何時もの朝の風景?
仲尾Dr.面会。昨夜の件について本当の事を話すが、やはり被害妄想として信じてもらえなかった。
「今後、個室に移動してもらっても良いですし、B1病棟へ移動してもらっても良いです。ただ、院内での生活は一時的なもので、退院してからが現実の世界ですので、勘違いされません様に。」
今日からまた薬の量が増える。自分にも病院にもとても深く失望する・・・。
玲子が来る前にしなければならない事がある。
丁度玲子が来るタイミングで。
少しセンチメンタルになる。
タオルの金属ハンガーが外れることは承知していた。
今までの自分の罪の清算と感謝を込めて。
首にタオルを巻きつけハンガーで金てこの様にして締め上げる。
まず音が聞こえなくなり、目が見えなくなった。
ただ心臓の音だけがドクン、ドクンと生きよと言う。
死への恐怖をこの時初めて味わう。
途端にハンガーを緩めてしまった。
あと一歩で死に切れなかった。
顔がうっ血し、髪がバサバサと抜け落ちる。
放心状態でいると、看護師から「面会です。」と案内がきた。
何食わぬ顔で玲子と面会。
顔のうっ血はアトピーの悪化と言う事にした。
CDプレーヤーとコップ、半パンと洗濯物を持って来てくれる。
抜け落ちる髪を気づかれない様にテーブルの下に足で掻き集める。
「お盆には外泊出来ると良いね。自分の為に病気と闘い、入院しているのだから、人の目は気にしなさんな。」
「今日は何か落着きが無いけど、薬のせいかな。」
玄関まで見送り、オペルに乗せてこのまま家に帰ろうと言って別れる。
退院したらもう通院は二度としない。
仲尾Dr.面会し、何と今週の日曜日より外泊の許可が出る。
玲子より仲尾Dr.に電話があり、願いが叶えられたのだ。
風呂に入り髪を洗ったが、お岩さんの様に髪が抜け落ちた。たった十数秒脳に血流が止まっただけで後遺症が残るのだろう。
七時三十分、自室でCDを聞く。確かな玲子の愛のメッセージが詰まっている。
A2病棟の外は厳戒態勢が敷かれており、誰もが自室に閉じこもってシーンとしている。
自殺を決意してからの俺の心境は目まぐるしく変化する。
鬱状態から躁状態へのプロセスでの自殺はこんな不安定な心の病的な動きから衝動的であり、確信的に起こるものだろう。
まだ生きよと言うことかもしれないが、それでも決意は鈍らない。
遺言では無いが、ノートに心境を書き綴る。
それにしても玲子はよく此処まで支えてくれて大変だったと思う。玲子、本当に良く此処まで愛してくれた。
感謝の気持ちでいっぱいだ。ありがとう。
麻衣子、龍之介ありがとう。ピーチとサクラありがとう。もう少しで他界に行く身で有ると思いながら、一方では出直しをしてみようかとも思ったりもする。
玲子にこれ以上の負担は不可能だ。自分でもどうしようもない処まで来てしまっている。
玲子、愛をいっぱい貰ったよ。キツイ愛し方だけど本当の愛情を沢山もらった。
家族を再度構築して、やり直さねばならない気持ちも勿論ある。
しかしもう疲れ過ぎて、今夜はこれでさよならだ。
もう考えない方が良いようだ。
自分の病気の本質と、体の回復具合を見れば、もう裏切りでも無責任でもなく、ただ時が流れ、生と死の狭間の一瞬の出来事だったのかも知れない。
自分は拓哉と言う名を持った。しかし、己自体を開拓するにも、その己自体がどうしようもない詐欺師であった。
最後に玲子、よくやってくれた。精神が凛として、立派な人だった。
本当に今まで有難うございました。天使と悪魔の玲子、でも天使だったよ。
明日、第三の目で自分をコントロールして、自らの意思で躁転換できるだろう。
そして精神を自由に解放され、せめて死の瞬間だけは、あの神の領域に達して逝きたい。
七月二十八日 金曜日 六時起床。顔のアトピーの治療をしてもらう。ラジオ体操、そして排便。
仲尾Dr.面会。顔を見るなり不思議そうにアトピーが急激に悪化した様子を眺められた。
首を絞めてうっ血したことはばれなかった。
「今度の外泊は日曜日の午後からの一泊だけです。抗鬱剤の効果が出始めて来ますので、慎重に外泊してきて下さい。何か心の動きで不安定さを感じたら直ぐに連絡してください。藤沢さんもご存じの様にこの時期に自殺未遂や本当に自殺される方が多いのです。」
目の前にその張本人が居るのに少し驚いたが、可笑しくなってにやけてしまった。
そんな不謹慎なとこも病的かもしれないと思った。
自殺をする全ての人は、断言するが病的な心を持っている。
どれだけ辛い人生でも生きている限り尊いものだと思う。
病気や怪我や借金や大切な人を亡くした人は心を病んで生きる選択肢を放棄する。
若しも死後の世界があるとすれば、あの時どうして自殺したのだろうと後悔の念に囚われ続けるのだろう。
人間である以上、受けた生命は何よりも貴いものだ。
理解はしているが、衝動を抑えることが如何に大変であるか、病的な心を持った俺には苦悩が伴う。
心理プログラムは欠席する。昼にまた下痢をする。
四時にメールチェックをする。
*日曜日に外泊許可とった。一時半に迎えに行く。今日はもう返信しなくていいよ。あさって会えるから明日もメールはお休みします。なんかあったら電話して。*
田代さんと二人きりで自室にいる時、大坪さんと小石君が立て続けに訪れた。小石君には鬱では無く正常な姿がばれてしまう。
一人自室でいる時、今度こそ消えて無くなりたいと言う強い衝動に駆りたてられる。
ベッドを立てて手すりにタオルを掛けて首を吊る。
タオルに弾力があり、上手く中ずりになれない。
何度か試みたが死に切れなかった。
また放心状態となってしまった。
夕食の時間の案内が聞こえてきた。ずるずると食堂に出かけて、何時ものように戒厳令の中で食事をする。また大坪さんが狙っているのが解る。
今夜も大変な夜になっている。患者は静まり返り、寝られないと訴える者も多数いる。
どうも藤沢に悪霊が付いていると言う噂が飛び交っているようだ。
これも吉沢恭子の境界例のなせる技なのか、もう今の自分にとってはどうでも良いことだ。
この病棟では自殺する事は不可能であることは解った。
玲子との糸を再三に渡って離そうとしたがやはり共に生きて行く選択肢しかないのだろう。
さて、この先、生きて行く事が許されるならば、どう一歩を踏み出せば良いのかが全く解らない。
人間的に許される者では無い自分が陰に潜んでいる。
しかし、生への執着は死への恐怖からも明らかである。
一方、生きていても死んでいても己の精神や心がバラバラになることが、心が存在しない事が怖いのだ。
良い所が何一つも無い人間が生きて行くだけで良いはずがない。
俺は確実に今を生きて行くには、鬱から躁転換への肯定を歩んでいるのだ。
七月二十九日 土曜日 六時三十分起床。鏡を見るが顔のうっ血がだいぶ取れる。眼光も鋭さが戻りつつある。外泊届を提出する。再度一歩ずつ確実に歩んで行く。
十時に風呂に入るが他の患者は俺を避けて殆んど入らない。お陰でゆっくりと久しぶりに湯船に浸かれた。自分が如何に避けられているかが理解できた。
昼食も堂々と食堂で全部食べられた。吉沢恭子のグループだけが遠巻きに自分を監視している。
三時までベッドで意識が飛ぶ。本当に意識と言うものが死んだように途切れていた。そして何の予告も無く目覚めるのである。
夕食も全て食べる。厳戒態勢で看護師達が監視しているので、数名の患者も一言も喋らない。吉沢恭子がトレーを持って話しかけてきた。
「藤沢さん、何か雰囲気変わらない?」
「ちょっと死にそびれたら、開き直れた。」
「そう、手ごわいわね。」
お互い瞳で対決して、吉沢恭子が先に視線をそらした。長い黒髪をなびかせて、踵を返すと、トレーを乱暴に片づけて去って行った。
明日の外泊の用意を始める。髭剃り、ステロイド外用薬、洗濯物、このノート。
もう成るようにしか成らないのだから動き出した方が良いと思えた。
再構築した自己を基にもう一度信じて、歩みだそうと思える。そしてまた意識が飛ぶ。
七月三十日 日曜日 五時三十分起床。朝からナースステーションで爪を切る。
朝食も綺麗に食べる。同室の田代さんに外泊出来るお礼を言う。
「田代さんが同室で自分はとても救われました。お陰でまた外泊が出来ます。」
「そんな自分は何もしていませんよ。藤沢さんの苦悩は痛いほど解りましたけど。」
俺はA2病棟の悪霊よりも、もっと厄介な怪物を封印して、この先の人生を歩んで行かねばならないのだ。
もう二度と躁状態での暴走はできない。自然に死が俺に訪れる瞬間まで封印するのだ。
午後玲子が迎えに来る。今日は神妙な顔をしている。夏休みの龍之介は受験の合宿でいないらしい。
スムーズにオペルは夏の太陽を反射させて走り出した。
「もうすっかり夏だな。日差しがとても強い。」
「私は痩せているから夏は苦手。七月なのにもうバテているのよ。」
「苦労を掛けてるからな。大変だっただろう。」
「そんなことない。夫婦だもの。」
自宅に到着してマッサージチェアーでくつろぐ。
玲子に何時ものように足の裏を揉んでもらいながら、ゆっくりと話し始める。
「玲子がこの前面会に来た時、実は未遂の直後だったんだ。タオルで首を絞めぬいて。丁度玲子が来る時間に合わせて骸になってしまおうと思ったんだ。衝動は怖いね、思い込んだら止められないもんだ。あと少しと言う処で心臓の鼓動だけ聞こえるんだ。そしたら急に怖くなって失敗したんだ。でも希死願望が強くてね、ノートに遺言めいたこと書いて、次の日にも何度も試みたんだ。でも駄目だった。そしたら何か開き直れたと言うか悟ったんだ。生かされていると。こんな俺でも苦悩しながら、這いずりながらでも生きよと言うサインが感じ取れたんだ。もう大丈夫。」
玲子は驚きもしないで俺の話を聞いてくれた。そして涙目で呟いた。
「お帰り、お父さん。」
そして抱きつかれた。全身全霊で抱擁された。
「やっと此方の世界に帰って来たわね。私信じてたの、辛かったでしょう。」
「玲子のお陰だよ。精神的にも一回りタフになったかもよ。」
二人で夕食を美味しく頂く。好きだったバーボンを少しだけロックで貰う。
豚肉のニンニク炒めでスタミナを付けた。
テレビを見て、シャワーを浴びて、二人で功名が辻を楽しく見てから睡眠薬を飲んでサクラと一緒に二階のベッドに潜り込んだ。
今日の二人の会話は何処かぎこちなく、玲子が俺の体調に合わせてくれていたのだろう。
このまま切り取った人生の1ページになる事を願っている。
少し疲れたなと思ったら、また意識を失っていた・・・。
此れまでA2病棟@を読んで下さり、有難うございました。
これは荘年男性の双極性障害1型の躁と鬱を通した体験記です。
此れ以降は社会復帰して日々回復して行く姿を毎日の記事にして
終わらないA2病棟@として書き足して行きます。
御病気の皆さまとご家族様にとって少しの参考となり、また病気の偏見を取り去るつもりで綴りました。
風 蘭より感謝を込めて。。。
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七月二十二日 土曜日 六時四十分起床。朝から下痢をする。髭を剃って顔を洗う。
テレビのニュースを1時間見る。全国的な大雨で死者が出ているらしい。
十時二十分に風呂に入る。その後意識が飛び、寝たきりになる。
午後、昼食殆んど食べる。また患者の嫌がらせに会う。1日中寝たきりになる。
三時四十分にナースステーションまで何とか行き、メールチェックする。
*気分を楽に持って下さい‥ね。*
夕食、また食べる場所なし。空いたスペースに座ると、直ぐに大坪さんが来て食べ粕を飛ばして喚いた。
「俺はこいつを追い込んでいる。」
看護師からきつく注意されると、食事を止めてトレーごとバケツに放り投げた。
七時三十分また下痢をする。しかし大坪さんの仕業でトイレットペーパーがまた無い。
仕方なく芯で尻を拭って手を洗う。
自室で再度このノートを読み直す。失われた意識が戻って来る。
腰痛に始まり、外泊において玲子に許しを乞うた様な気持ちになって、気が抜けて、再入院後のパニックで寝込みが酷くなっているのだ。
院内のストレスも大きい。
鬱の仮面の下では乗り切れない現状がある。
七月二十三日 日曜日 六時三十分起床。鏡で自分の顔をまじまじと見つめる。
アトピーがまた悪化している。目は眼光が鋭くなってきている。だいぶ窶れてきた。
十時三十分下痢が止まらない。午前中は寝たきりになる。
午後昼食を全て食べられる。食欲が出てきている。
ナースステーションに入る時、吉沢恭子と広瀬さんが外から見つめているのが解る。
*今日は豪雨です〜明日昼から行きますね。待ってて下さい。*
何か玲子の身に大変な事が起こっている様でならないし、メールチェックのストレスがかなり大きい。
四時十分に玲子から電話がある。
「抗鬱剤の効果が出始めて居るかも知れない。食欲が出始めている。体調はあまり良くない。」
「無理は禁物よ。院内生活にストレスがあるんじゃないの?」
「今はA2病棟中の患者を敵に回している。酷い状態だ。」
「解った、明日午後から行くから待って居てね。」
大坪さんからしつこく話しかけられる。
「何であんたは四時になるとセンターに入って、鍵が掛けられるんだ。」
「俺は知っているんだ。皆にも教えてるんだ。」
吉沢恭子が対人操作をしているのだろう。
夕食はまた大坪さんが目の前に居座り嫌がらせをする。虐めてると言いふらしている。
現実の自分の置かれている立場がはっきりとした。
吉沢恭子の対人操作でA2病棟全体が自分に敵意を持って居る事は事実だ。
イエスタディーの歌声が心を和ませる。深代さんにお礼を言う。歌声は実に心地よい。
六時五十分自室で鬱の仮面を取る。
ストレスさえ無ければ自己は目の前まで回復している。躁の波が来ているかも知れないが、確かだ。
そしてどれだけの患者さんの好意を裏切ってきた事だろう。
玲子に対してもどれだけの裏切りをして来た事か、麻衣子や龍之介にも本当の愛情は殆んど無かっただろう。ピーチとサクラもその純真な心を疎ましく思えて裏切ってしまった。
そしてその償いをしなければならない。
八時までこのノートをさかのぼって読み返す事が出来る。
八時三十分に吉井看護師に全ての事実を話す。
「吉沢恭子は境界性人格障害だと確信しています。彼女を中心にしてÅ2病棟で今なにが起こっているか注意深く観察して下さい。食事中の嫌がらせや、トイレの嫌がらせなど大坪さんを使って色々仕掛けてきています。益々エスカレートしてくるでしょう。」
「解りました。注意して対処してゆきます。Dr.にも報告しておきます。」
吉沢恭子と大坪さんを呼び出してもらい、話すが、被害妄想として扱われる。
その後謝りに自室まで大坪さんが来た。
いずれにしても、看護師の監視は厳しくなるだろう。
七月二十四日 月曜日 入院三カ月目になる。
朝食の時に吉沢恭子からいい加減に疑うのは止めろと怒鳴られる。
新患で十九歳の躁鬱病の小石君から励まされる。食後また意識がまどろむ。
午後の昼食は物々しい看護師達の監視の下で行われた。全部食べる事が出来る。風呂に入って玲子の面会を待つ。
一時三十分に玲子がやって来る。面会室が一杯で仕方なく食堂で話す。
「A2病棟での嫌がらせがエスカレートしている。患者の怒りを買ったようだ。」
「転院をしてもいいのよ。三か月で丁度保険の切り替えがあるのよ。私はあなたの言う事を信じるわ。」
洗濯物とタオルと桶を持って来てくれる。昨日からの心の動きを伝える。
「患者の好意も裏切り、家族に対しても愛情の欠落した自分が厭でたまらない。」
「何かして欲しい事はないの?」
「夏休みのレッスンも少なめにしたから、何時でも外泊して良いのよ。」
玲子なりに俺のことを受け入れる調整をしていてくれている。次は金曜日に来てくれる様だ。
土日のメールは中止する様に取り決める。
仲尾Dr.面会。
「来週に向けて抗鬱剤が効いて来ますので、その後の回復を見て、外泊後に退院出来ると思います。」
「他の患者さん達にどう見られるかでは無く、藤沢さんご自身が病気を回復させる為に入院されている事をしっかりと自覚して下さい。」
夕食の時に大坪さんと小石君は俺が鬱ではないことを知っていた。
七時にテレビを見る為に談話室に行く。吉沢恭子と広瀬さんとの会話で鬱のふりを見破られる。
鬱から躁転換時に自殺が多いのは頷ける。
鬱の時は自殺する気力さえ無いのだから。
退院後の生活も院内の現実も何一つ希望が無い様な気がしてならないのだ。
七月二十五日 火曜日 六時三十分起床。髭剃り洗顔、ラジオ体操。
小石君より親切に単行本とメールアドレスを渡される。
仲尾Dr.面会。
「B1病棟への転院を検討しています。患者間のストレスは良くない事です。マイペースが一番です。新しく過敏な抗鬱剤を処方してみます。」
午後自室で昼食を食べる。やはり1人の方が食欲が出る。
三時四十分にナースステーションに入るが、広瀬さんから鍵をかける前に押し入られ、携帯を確認される。
*お父さん。お父さん〜ありふれた時間が恋しいよ。*
夏休みの家族団らんの風景だろう。
夕食、完全に居場所が無くなる。
自室で食べる事にする。この方がストレスが無くて良いのは以前から解っていたが、どうも釈然としないので、無理をしてでも食堂で食べるようにしていたのだ。
もう全て開き直って自分自身の為にのみの行動が取れるかどうかに掛かっている。
全ての終わりを切望してはいけないと念じる。
七月二十六日 水曜日 六時二十分起床。小石君に正気な処を見られる。
顔のアトピー悪化。痒くは無いのだが、額に広がっている。ネリゾナを塗っておく。
今日から梅雨明けらしい。ベッドのシーツを替える。
仲尾Dr.面会。何も進展なし。
午後、昼食三分の1しか食べられない。小石君と看護師の谷村さんがガードしてくれる。
1時間掛けてノートを読み返す。外泊初日からの流れを確認する。
今の自分に残されている本当の姿を見つめ直さねばならない。
とゆうより、本来の自分がどうしようもなく駄目なのだから、基礎から作り上げて行くしか無いと思えた。
四時にナースセンターに入ると同時に吉沢恭子が飛び込んできた。
「何で藤沢さんだけが、携帯を使って良いのですか!皆ストライキをしようと言ってるんですよ。」
看護師長の藤木さんが制して外に追いやった。
「これはDr.の治療方針です。藤沢さんには必要な治療なんです。」
「誰もそんなことで納得できるはずありません。藤沢さんの身の危険だってあり得ますからね。」
*金曜日仕事がたてこんだので明日1時位に行きます。待ってて‥ね*
玲子から電話もかかってくる。
「メールの件でA2病棟中が大変な事になっている。患者達の反感を買ってしまった。」
「ちゃんと保護してもらいなさいよ。明日1時に行きますからね。」
玲子も泣きそうな声で話していた。
仲尾Dr.面会。メールの件と現状を説明する。
今日は保護室に泊まった方が良いと言われたが、殺されたってそれはそれで良い様な気がして断る。
夕方躁状態の小石くんに借りていた本を返しに行く。日本海軍の将校の自伝で至る所に病的にアンダーラインが引いてあった。ざっと目を通しただけだった。
自室に戻ると同時にドアに爆音が響く。
怒りを買ったのか。A2病棟院内は慌ただしく厳戒態勢が敷かれる。
夕食も厳重な警備が敷かれ、誰1人喋る者もいなかったし、殆んどの患者が自室にトレーを持って行った。
七時に同室の田代さんに、今回のA2病棟で起こっている全てを打ち明ける。
藤沢さんのせいでは無いと言われたが、吉沢恭子と親しかった為、苦渋の表情を見せた。
八時にナースセンターにて小石君の担当医から説明があった。小石君ではないと。
小石君も気にするなと部屋まで来てくれた。全く正常だ。勘違いをしてしまったのか。
とすれば、あれは大坪さんの仕業かもしれない。いや、どの患者も俺の事を憎んでいるのだから。
また一段と大変な院内生活になってしまったが、今後のことは病院に任せるより仕方がない。
自分が蒔いた種だからしょうがない。玲子と明日は何を話そうか。楽しい話が出来ると良いのだが。
俺の犯した罪の数々はもう償いようがないのだ。
三歳の頃、子猫を殺した。とても可愛い子猫だったが、なつかないのに腹が立ち、何度も地面に叩きつけて公園に穴を掘って埋めた。
大学の時一度だけ万引きをした。三千円程度の革のベルトだったが、魔がさしたとしか言いようがない。
そしてもと彼女を残酷な仕打ちで捨てた。三年に渡る交際であったが、最後の夜に彼女をオーガズムに導いて、そのまま別れた。
死を持って罰を受けるべき人間なのだろう。
これ以上の負担は玲子に掛けられない。
漠然と、もう会えないような気がする。
いや、死を決意する。
七月二十七日 木曜日 六時三十分起床。何時もの朝の風景?
仲尾Dr.面会。昨夜の件について本当の事を話すが、やはり被害妄想として信じてもらえなかった。
「今後、個室に移動してもらっても良いですし、B1病棟へ移動してもらっても良いです。ただ、院内での生活は一時的なもので、退院してからが現実の世界ですので、勘違いされません様に。」
今日からまた薬の量が増える。自分にも病院にもとても深く失望する・・・。
玲子が来る前にしなければならない事がある。
丁度玲子が来るタイミングで。
少しセンチメンタルになる。
タオルの金属ハンガーが外れることは承知していた。
今までの自分の罪の清算と感謝を込めて。
首にタオルを巻きつけハンガーで金てこの様にして締め上げる。
まず音が聞こえなくなり、目が見えなくなった。
ただ心臓の音だけがドクン、ドクンと生きよと言う。
死への恐怖をこの時初めて味わう。
途端にハンガーを緩めてしまった。
あと一歩で死に切れなかった。
顔がうっ血し、髪がバサバサと抜け落ちる。
放心状態でいると、看護師から「面会です。」と案内がきた。
何食わぬ顔で玲子と面会。
顔のうっ血はアトピーの悪化と言う事にした。
CDプレーヤーとコップ、半パンと洗濯物を持って来てくれる。
抜け落ちる髪を気づかれない様にテーブルの下に足で掻き集める。
「お盆には外泊出来ると良いね。自分の為に病気と闘い、入院しているのだから、人の目は気にしなさんな。」
「今日は何か落着きが無いけど、薬のせいかな。」
玄関まで見送り、オペルに乗せてこのまま家に帰ろうと言って別れる。
退院したらもう通院は二度としない。
仲尾Dr.面会し、何と今週の日曜日より外泊の許可が出る。
玲子より仲尾Dr.に電話があり、願いが叶えられたのだ。
風呂に入り髪を洗ったが、お岩さんの様に髪が抜け落ちた。たった十数秒脳に血流が止まっただけで後遺症が残るのだろう。
七時三十分、自室でCDを聞く。確かな玲子の愛のメッセージが詰まっている。
A2病棟の外は厳戒態勢が敷かれており、誰もが自室に閉じこもってシーンとしている。
自殺を決意してからの俺の心境は目まぐるしく変化する。
鬱状態から躁状態へのプロセスでの自殺はこんな不安定な心の病的な動きから衝動的であり、確信的に起こるものだろう。
まだ生きよと言うことかもしれないが、それでも決意は鈍らない。
遺言では無いが、ノートに心境を書き綴る。
それにしても玲子はよく此処まで支えてくれて大変だったと思う。玲子、本当に良く此処まで愛してくれた。
感謝の気持ちでいっぱいだ。ありがとう。
麻衣子、龍之介ありがとう。ピーチとサクラありがとう。もう少しで他界に行く身で有ると思いながら、一方では出直しをしてみようかとも思ったりもする。
玲子にこれ以上の負担は不可能だ。自分でもどうしようもない処まで来てしまっている。
玲子、愛をいっぱい貰ったよ。キツイ愛し方だけど本当の愛情を沢山もらった。
家族を再度構築して、やり直さねばならない気持ちも勿論ある。
しかしもう疲れ過ぎて、今夜はこれでさよならだ。
もう考えない方が良いようだ。
自分の病気の本質と、体の回復具合を見れば、もう裏切りでも無責任でもなく、ただ時が流れ、生と死の狭間の一瞬の出来事だったのかも知れない。
自分は拓哉と言う名を持った。しかし、己自体を開拓するにも、その己自体がどうしようもない詐欺師であった。
最後に玲子、よくやってくれた。精神が凛として、立派な人だった。
本当に今まで有難うございました。天使と悪魔の玲子、でも天使だったよ。
明日、第三の目で自分をコントロールして、自らの意思で躁転換できるだろう。
そして精神を自由に解放され、せめて死の瞬間だけは、あの神の領域に達して逝きたい。
七月二十八日 金曜日 六時起床。顔のアトピーの治療をしてもらう。ラジオ体操、そして排便。
仲尾Dr.面会。顔を見るなり不思議そうにアトピーが急激に悪化した様子を眺められた。
首を絞めてうっ血したことはばれなかった。
「今度の外泊は日曜日の午後からの一泊だけです。抗鬱剤の効果が出始めて来ますので、慎重に外泊してきて下さい。何か心の動きで不安定さを感じたら直ぐに連絡してください。藤沢さんもご存じの様にこの時期に自殺未遂や本当に自殺される方が多いのです。」
目の前にその張本人が居るのに少し驚いたが、可笑しくなってにやけてしまった。
そんな不謹慎なとこも病的かもしれないと思った。
自殺をする全ての人は、断言するが病的な心を持っている。
どれだけ辛い人生でも生きている限り尊いものだと思う。
病気や怪我や借金や大切な人を亡くした人は心を病んで生きる選択肢を放棄する。
若しも死後の世界があるとすれば、あの時どうして自殺したのだろうと後悔の念に囚われ続けるのだろう。
人間である以上、受けた生命は何よりも貴いものだ。
理解はしているが、衝動を抑えることが如何に大変であるか、病的な心を持った俺には苦悩が伴う。
心理プログラムは欠席する。昼にまた下痢をする。
四時にメールチェックをする。
*日曜日に外泊許可とった。一時半に迎えに行く。今日はもう返信しなくていいよ。あさって会えるから明日もメールはお休みします。なんかあったら電話して。*
田代さんと二人きりで自室にいる時、大坪さんと小石君が立て続けに訪れた。小石君には鬱では無く正常な姿がばれてしまう。
一人自室でいる時、今度こそ消えて無くなりたいと言う強い衝動に駆りたてられる。
ベッドを立てて手すりにタオルを掛けて首を吊る。
タオルに弾力があり、上手く中ずりになれない。
何度か試みたが死に切れなかった。
また放心状態となってしまった。
夕食の時間の案内が聞こえてきた。ずるずると食堂に出かけて、何時ものように戒厳令の中で食事をする。また大坪さんが狙っているのが解る。
今夜も大変な夜になっている。患者は静まり返り、寝られないと訴える者も多数いる。
どうも藤沢に悪霊が付いていると言う噂が飛び交っているようだ。
これも吉沢恭子の境界例のなせる技なのか、もう今の自分にとってはどうでも良いことだ。
この病棟では自殺する事は不可能であることは解った。
玲子との糸を再三に渡って離そうとしたがやはり共に生きて行く選択肢しかないのだろう。
さて、この先、生きて行く事が許されるならば、どう一歩を踏み出せば良いのかが全く解らない。
人間的に許される者では無い自分が陰に潜んでいる。
しかし、生への執着は死への恐怖からも明らかである。
一方、生きていても死んでいても己の精神や心がバラバラになることが、心が存在しない事が怖いのだ。
良い所が何一つも無い人間が生きて行くだけで良いはずがない。
俺は確実に今を生きて行くには、鬱から躁転換への肯定を歩んでいるのだ。
七月二十九日 土曜日 六時三十分起床。鏡を見るが顔のうっ血がだいぶ取れる。眼光も鋭さが戻りつつある。外泊届を提出する。再度一歩ずつ確実に歩んで行く。
十時に風呂に入るが他の患者は俺を避けて殆んど入らない。お陰でゆっくりと久しぶりに湯船に浸かれた。自分が如何に避けられているかが理解できた。
昼食も堂々と食堂で全部食べられた。吉沢恭子のグループだけが遠巻きに自分を監視している。
三時までベッドで意識が飛ぶ。本当に意識と言うものが死んだように途切れていた。そして何の予告も無く目覚めるのである。
夕食も全て食べる。厳戒態勢で看護師達が監視しているので、数名の患者も一言も喋らない。吉沢恭子がトレーを持って話しかけてきた。
「藤沢さん、何か雰囲気変わらない?」
「ちょっと死にそびれたら、開き直れた。」
「そう、手ごわいわね。」
お互い瞳で対決して、吉沢恭子が先に視線をそらした。長い黒髪をなびかせて、踵を返すと、トレーを乱暴に片づけて去って行った。
明日の外泊の用意を始める。髭剃り、ステロイド外用薬、洗濯物、このノート。
もう成るようにしか成らないのだから動き出した方が良いと思えた。
再構築した自己を基にもう一度信じて、歩みだそうと思える。そしてまた意識が飛ぶ。
七月三十日 日曜日 五時三十分起床。朝からナースステーションで爪を切る。
朝食も綺麗に食べる。同室の田代さんに外泊出来るお礼を言う。
「田代さんが同室で自分はとても救われました。お陰でまた外泊が出来ます。」
「そんな自分は何もしていませんよ。藤沢さんの苦悩は痛いほど解りましたけど。」
俺はA2病棟の悪霊よりも、もっと厄介な怪物を封印して、この先の人生を歩んで行かねばならないのだ。
もう二度と躁状態での暴走はできない。自然に死が俺に訪れる瞬間まで封印するのだ。
午後玲子が迎えに来る。今日は神妙な顔をしている。夏休みの龍之介は受験の合宿でいないらしい。
スムーズにオペルは夏の太陽を反射させて走り出した。
「もうすっかり夏だな。日差しがとても強い。」
「私は痩せているから夏は苦手。七月なのにもうバテているのよ。」
「苦労を掛けてるからな。大変だっただろう。」
「そんなことない。夫婦だもの。」
自宅に到着してマッサージチェアーでくつろぐ。
玲子に何時ものように足の裏を揉んでもらいながら、ゆっくりと話し始める。
「玲子がこの前面会に来た時、実は未遂の直後だったんだ。タオルで首を絞めぬいて。丁度玲子が来る時間に合わせて骸になってしまおうと思ったんだ。衝動は怖いね、思い込んだら止められないもんだ。あと少しと言う処で心臓の鼓動だけ聞こえるんだ。そしたら急に怖くなって失敗したんだ。でも希死願望が強くてね、ノートに遺言めいたこと書いて、次の日にも何度も試みたんだ。でも駄目だった。そしたら何か開き直れたと言うか悟ったんだ。生かされていると。こんな俺でも苦悩しながら、這いずりながらでも生きよと言うサインが感じ取れたんだ。もう大丈夫。」
玲子は驚きもしないで俺の話を聞いてくれた。そして涙目で呟いた。
「お帰り、お父さん。」
そして抱きつかれた。全身全霊で抱擁された。
「やっと此方の世界に帰って来たわね。私信じてたの、辛かったでしょう。」
「玲子のお陰だよ。精神的にも一回りタフになったかもよ。」
二人で夕食を美味しく頂く。好きだったバーボンを少しだけロックで貰う。
豚肉のニンニク炒めでスタミナを付けた。
テレビを見て、シャワーを浴びて、二人で功名が辻を楽しく見てから睡眠薬を飲んでサクラと一緒に二階のベッドに潜り込んだ。
今日の二人の会話は何処かぎこちなく、玲子が俺の体調に合わせてくれていたのだろう。
このまま切り取った人生の1ページになる事を願っている。
少し疲れたなと思ったら、また意識を失っていた・・・。
此れまでA2病棟@を読んで下さり、有難うございました。
これは荘年男性の双極性障害1型の躁と鬱を通した体験記です。
此れ以降は社会復帰して日々回復して行く姿を毎日の記事にして
終わらないA2病棟@として書き足して行きます。
御病気の皆さまとご家族様にとって少しの参考となり、また病気の偏見を取り去るつもりで綴りました。
風 蘭より感謝を込めて。。。
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