ユーロ圏のドタバタ悲喜劇をみながら、ふと思うことがある。日本経済は、単一通貨圏である。その単一通貨は円である。日本経済は、いつまで円単一通貨圏であり続けられるだろうか。
ある領域が単一通貨圏として安定的に存続できるためには、条件がある。二つの条件だ。そのうちのいずれか一つが満たされていなければ、その領域は単一通貨圏とは成り得ない。条件その一が経済実態の完全収斂(しゅうれん)。その二が中央所得再分配装置の存在だ。
その一からみていこう。経済実態が完全に収斂しているとは、どういうことか。要は、そのエリアの津々浦々、どこに行っても、経済実態が完璧に同じだということである。どこに行っても、物価水準は同じ。失業率も同じ。賃金水準も同じ。金利も同じ。
このような状態であれば、そのエリアの中に複数の通貨が存在することには、意味がない。たとえ、その領域の中に多数の国々が含まれていたとしても、経済実態が同じだということは、すなわち、それら各国の購買力が皆同じだということだ。A国とB国との間で購買力が同じなら、A国の通貨とB国の通貨は1対1の関係にある。1対1の関係で交換可能な二つの通貨なら、それらを一つの共通通貨、すなわち単一通貨に置き換えることに、何ら問題はない。
しからば、この領域の中において経済実態が完璧に平準化していなければ、どうか。その場合には、単一通貨の導入は無理なのか。そんなことはない。この場合にも、第二の条件、すなわち中央所得再分配装置の存在が確保されていれば、大丈夫である。
中央所得再分配装置とは何か。それは、その領域内の経済実態格差を埋めるための装置だ。リッチなA国と貧しいB国との間でどうしても単一通貨を共有したければ、どうするか。答えは簡単だ。リッチなA国からカネを巻き上げて、貧しいB国に補助金を出してあげればいい。こうして両国の購買力格差を埋めてあげることができれば、そこに単一通貨圏ができ上がる。
ここまでくれば、ユーロ圏の問題は明らかだ。ユーロ圏は、上記の二つの条件のうち、いずれも満たしてはいない。したがって、ユーロ圏は単一通貨圏としての存続が不可能だ。
さて、ここで日本経済に目を転じよう。日本経済は、その津々浦々において経済実態の完璧な収斂・平準化が実現されている空間か。明らかに、そんなことはない。地域格差というものが存在する。その地域格差は、むしろ、次第に拡大しつつあるのが現状だ。
こうした実態にもかかわらず、日本経済は円単一通貨圏として成り立っている。それはなぜか。これまた、答えは簡単だ。そこに中央所得再分配装置が存在するからである。この中央所得再分配装置を、我々は財政と呼んでいる。
そもそも、この地球経済上に、単一通貨圏の第一条件、すなわち経済実態の完全収斂が実現している国民国家というものが、どれほど存在しているか。相当に小さな国でも、その津々浦々を通じて、経済実態が全く同じだというケースはまれだ。現に、典型的な小国経済であるベルギーにおいても、北のフラマン地域と南のワロン地域の間には、相当に大きな経済格差が存在する。
かくして、多くの国々を単一通貨圏たらしめているのは、実をいえば、単一通貨圏に関する第一条件ではなくて、第二条件の方なのである。アメリカもそうだ。イギリスもそうだ。ドイツもそうだ。イタリアもそうである。
ご記憶の通り、イタリアには、かつてリラという独自通貨があった。ユーロ圏誕生前の話だ。イタリアをリラ単一通貨圏としておくためには、北部イタリアから南部イタリアへの多大な所得移転を要した。働き者の北イタリア。おさぼり者の南イタリア。北イタリア側では、そのようなイメージで南側をみている。おさぼり者を養うために、働き者たちはなぜ、税金を払わなければならないのか。
こんなことなら、いっそのこと、北イタリアは独立する。そして、独自の通貨を持つ。それを主張して一躍イタリア政界に躍り出たのが、今日の「北部同盟」である。
統一ドイツが誕生してから、既に20年以上の歳月が流れた。だが、旧東西ドイツ間の経済格差は、なお、歴然としている。それを平準化するための東西間の所得移転は、今日なお、莫大(ばくだい)な金額に及んでいる。ポンド単一通貨圏であるイギリスにおいては、スコットランドがいつでも通貨的独立に踏み切れるよう、準備態勢をとって身構えている。
日本の場合にはどうか。経済実態の完璧収斂無きこの経済圏において、いつまで、円という単一通貨を保持し続けることができるだろうか。それを可能にするための財政は、いまや、空前の窮地に立たされている。そのもの自体の存立が、危ぶまれている。中央所得再分配装置が壊れた時、不ぞろいの経済圏である日本で何が起こるか。
そもそも、円という単一通貨を共有していなければ、日本経済はやっていけないのだろうか。そんなこともなさそうな気がする。ご一緒に追究していきたいテーマだ。=毎週日曜日に掲載
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