都合で引越がキャンセルとなり、その旨を引越し屋さんに連絡した。
何度もくりかえし説明しているにもかかわらず、
他社さんに入れ知恵されたんでしょう?等々。
延々説明を繰り返す羽目になってしまった…。
他社のほうが安く見積もり提示してきて、
そっちに乗り換える人が多いからあんなに粘ったんだろうけど、
本当に困った。
最終的には
近しい人がいわゆる「ゆとり教育」世代、
且つ趣味がゲームだったので、Wiiをプレイさせてその姿勢を観察してみた。
・ムービーが我慢出来ない
1分超えるとスキップできないかとコントローラーをカチャカチャ押し出す
・メッセージは読まない
したがって↓
メッセージを読まないから、会話が終わった瞬間どうして良いかわからなくなる
何かあるたびに「次どうするの?」
・「○ボタンを押しながら×」の動作ができない
何度挑戦しても全く学習しないので、最終的に私が片方のボタンを押したままにしてあげていた
・諦めが早い
謎解き系の仕掛けには2,3度挑戦してわからなかったら諦める
事細かく教えて上げるとその通りに一応プレイする
・集中力が持たない
ゲームは好きだけど、プレイしていられる時間はもって40分程度
健康的ではあるが
■結論
(元ネタ:http://www.bengo4.com/bbs/read/104409.html)
当時大学に通いながらアルバイトをしていた私は、家族の紹介で都内のある会社(A社)が主催する所謂自己啓発セミナーにボランティア・スタッフとして参加しました。
当初ボランティアの内容はセミナー当日に会場を設営するなど簡単なものでしたが、1年ほど続けた頃、A社の社員から営業活動を求められました。具体的には、A社が指定した人物を勧誘したり、説明会を企画して人を集めるといった内容でした。
加えて、セミナー申込のキャンセルを少なくすることも活動の一環でした。A社としては申込みはあくまで任意としていますが、実際は強引な勧誘も多々あり、後日キャンセルを申し出る人は多いのですが、そうした場合に再度説得することもボランティアの活動でした。
申込数やキャンセル率には目標があり、達成できないと叱責されることもしばしばありました。そもそも昼間は大学に通っていますので、ボランティアは夕方以降の参加となり、叱責が深夜に及ぶこともありました。
ボランティアを続ける中で、私自身もセミナーに参加するよう求められました。勧誘してくる者が身内ということもあり、断れずにいくつか参加しました。セミナーの基本的な内容は講話と「シェア」と呼ばれる参加者の内面の吐露、ロールプレイングのようなものなどで構成され、3〜4日間、2時間に1回30分程度の休憩をはさみながら朝8時〜夜8時まで行われます。上級のセミナーになると週に1度、夕方に2〜3時間程度を2ヶ月続けるというものもあります。
上級のセミナーを開始後しばらくしたある日、全く何もする気の起きない日が続くようになりました。後日、大学のカウンセラーのすすめで精神科を受診し、うつ病と診断されました。大学は留年、アルバイトは休職扱いとなり、1年間を療養に費やしました。
発症の時期や精神的ストレスの度合いを考えれば、A社での活動がうつ病の引き金となった可能性が極めて強いと思うのですが、責任を追求することは出来るのでしょうか?
ちなみに、セミナーに参加する際には「セミナー中、過度な精神的ストレスを感じる場合があり、自己の責任で参加する」旨の同意書に署名を求められます。
横だけど、その幼女に悪戯しようとしている不審人物的な語り口調はなんとかならないのですかっ
増田の議論にのるとしても、ワンピースの最終回がどうなるかわからない以上、
「連載が始まった時からわかっていた」なんていえないはずでは?
「ゲーセン系」の議論は一通り出たと思うけど、同時に引っかかった点がある。
ゲーセン系の話に噛みついた人はあくまでも「泣ける」と安易に感動した人に向けられたものである。
それを「感動しちゃ悪いんですか!?」って逆ギレしていた感じ。
確かに個々の感じ方は様々でいいけど、安易に「面白い」「つまらない」を言いすぎる風潮があるかもしれない。
「ここの〇〇が面白かった」「あそこはよかったけれども、この点がよくない」とか
一人一人が根拠を持っていればあそこまで大きくなることもなかったとは思う。
要は「全肯定」か「全否定」かしかないから溝は埋まることはないってわけ。
ただ、物語の読解力や全体を見る力は全体的に低下しているのかもしれない。
圧倒的に「自分が理解できない=つまらない」だと思っている人が多い。
それはあくまでも「個人」が理解できないものなのに、「全体」が理解できないと思って
感想レビューに「最悪。見る価値(読む価値)なし」とか平気で書き捨てるのはどうなんだろうと思う。
それも「全肯定」か「全否定」しかできないから起こる現象なんだろうか。
その流れでよく言われるのが「起承転結がなってないから最悪」という言葉。
確かに物語の基本は起承転結かもしれないけど、必ず起承転結があるとは限らない。
それをまるで鬼の首をとったかのように言い張るのはどうかと思う。
作文も起承転結、小説も映画も全部起承転結じゃないと理解できない頭になってるんじゃないだろうか。
頭に「結」を持ってくる論文が書けないという子も、「起承転結」に囚われてるんじゃないだろうか。
それもこれも「全肯定」か「全否定」かしかできないのと関係があるんじゃないだろうか。
そこまで真剣に考えている人が少ないなら少ないなりに何らかの傾向が見えたらと思ったけれども
相手を楽しませるためにはコミュニケーションスキルを磨いたり、
この手の増田に見られるような、「たくさん主張を列挙してさも真理を語ったかのような血液型占い的ロジック」はほんと滅亡すべきだと思います
「ワンピースはドラゴンボールを超えた」という人もいるけど、ちゃんちゃらおかしい。
★
もちろん今のところ、ワンピースの人気は高いけど、それはただ流行っているというだけ。
どうせ連載が終わったら、「ワンピース?ああ、そんな漫画もあったな」という感じになってしまうよ。
連載終了後も根強いファンがいて、ゲームやグッズが発売され続けるドラゴンボールにはぜったいなれないと思う。
★
★
★
ある漫画がロングセラーになれるかどうか、これを決めるのはみんながその漫画を何度も読み返すかどうかにかかってる。
もし読み返されなかったら、すぐに忘れ去られてしまうだろう。
★
アニメ「イカ娘」は2期が製作されたのに、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」はされてない。
まあ、作ってもよかったんだろうけど、もし俺妹2期が放送されたとして、イカ娘2期の場合と同じ高さのテンションでそれを迎えられる人って多くないと思う。
「ああ、そういえば俺妹とか、あったなあ」という感じだろう。
★
俺妹の1期放送中は各話を何度も繰り返し観た人も、いざ最終回を迎えた後では、俺妹に対する興味が失せてしまった、という人は結構多いはず。
たまに観返しても、「あれ?こんなアニメだったっけ?もっと面白かった気がしたが・・・。」といった違和感を覚える。
★
この原因は、そもそも俺妹というアニメが「最終回が気になる」タイプのアニメだったからだ。
視聴者は、「主人公と妹が仲良くなれるか??」という緊張感を最終回までずーっと引きずってきた。
しかしいざ妹が素直になったのを観ると、その緊張感は消えてしまう。
★
むしろ近年まれに見る傑作だった。
ただこういう種類のアニメは、最終回後に観ると面白さが半減してしまう。
「ペリーヌ物語」なんてのも好い例だ。
★
逆にイカ娘は、緊張感がぜんぜんない。
しかも各話独立のため、1期全体を通した一貫性というのも無い。
だからみんな、純粋に1話1話が面白いという理由だけでイカ娘を観ていたはずだ。
こういうタイプのアニメというのは、放送が終わっても何度観ても面白さは変わらない。
★
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基本的に、俺妹のような「最終回が気になる」タイプのアニメは、最終回が終わった後は忘れら去られることが多い。
ただし例外的に、最終回が視聴者に欲求不満を残すような終わり方をするアニメは、何度も観返される。
たとえば「あしたのジョー」。
あるいは「エヴァンゲリオン」。
こういうアニメは最終回を迎えた後も「いつも心のどこかに引っかかっている」ということになる。
だからみんなふたたび観る。
★
2つ目の例外として、「まだ続きがありそうな終わり方」をした漫画は、何度も読み返される。
たとえば「スラムダンク」。
もしこれが「桜木が全国優勝して終わり」とかだったら、読者はみんな心から満足して、その漫画のことをきれいさっぱり忘れたはずだ。
あるいは「ドラゴンボール」。
悟空より強い敵はまだまだたくさん出てくるんじゃないかと思わせる。
鳥山明さまの終わらせ方は本当に上手いと思う。
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さて問題のワンピース。
読者は「いったいワンピースとは何だろう?」と気になりながら読んでいる。
そしてシャンクスとの再会も気になるところ。
★
こういうありったけの伏線を張っておいて、いざ最終回を迎えてすべての伏線が回収されるとき、その満足感は計り知れないが、逆にその分だけ、えらく気の抜けたことになってしまう。
だからふたたび読み返そうにも、「ああ、ひとつなぎの大秘宝ってのはつまり4つの〇のことなんだよね。」などとわかっていたら、面白さ半減もいいとこだ。
★
みんなの中にはこういう反論があるかもしれない。
「私はアラバスタ編は何度読んでも泣けるよ」という人が。
しかしそれはワンピースという漫画がまだ「終わっていない」からだ。
しかしいざ終わってしまえば、「過去の漫画」になってしまうだろう。
それがワンピース。
「『家庭』の価値をアウトソーシングできる」と思える人は、結婚なんてしなくていいんでないの?というツッコミにどう答えるの、ってことじゃないの。
まあ、
結婚には(世間の思う)100とかましてプライスレスな価値なんてないよ、30くらいしかないよ、でも30は得だからすればいいよ、でも所詮30だから、得るも捨てるもこだわる必要なんてないよ
と言いたいのだろうとは思うけど
結婚にプライスレスどころか100の価値もなくて、他でも得られる30程度の価値がないなら、何も苦労して結婚なんてしたくないなあ
という意見との違いは、結婚を「得るも捨てるも(簡単に)できるもの」という風に捉えるか「苦労してするもの」と捉えるかが違っているだけであってさ。
要するに、まだ余裕のある(手前の方の)アラサー女子と非モテでは前提が違うということでないの。どっちがどう、つーんではなくて。
ついでに「どっちがどう」の話もしておくと、個人的には、「ものごとの面白さを味わう力のない人」に「面白いもの」はいわゆる「豚に真珠」だと思ってるので、気の毒だが、結婚に向いてない人・結婚の面白さが分からない人・面白さを味わう力がそもそもない人なんかは、別に最初から結婚なんてしなくていいよ、むしろ、真面目に結婚をしたい人から見れば迷惑だから手を出すなよ、としか思わない。勝間にそんなこと言われないと結婚する気もおきないなら、結婚なんてやめとけば?
ただ、社会的にはそういう人を少しでも上手に煽って次世代を再生産させないと困るから、いろいろ煽る人がいて、その意味で勝間にも重要な役割はあるんだろうなあ、とは思うけどさ。
1クラスの上限が40人だと、1学年が41人になると20人と21人のクラスになるのね。
そういえば、高校の恩師は、3年間の研修センター飛ばしになっていたわ。
素行とか実力とかそう問題じゃないんだな。
↓
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俺の理想の女の子,それは女子校生で,私立校生で,男のおの字も知らない処女で,大人しくて,明るく,時には強気で,でも生意気ではなく,ある程度客観的にも美人で,清楚で,お淑やかで,黒髪で,ちょっと野暮ったくて,頭がよく,素直で,変な趣味をもたず(特に腐女子),教養があり,俺と話が会い,礼節をわきまえ,料理ができ,身体健康で,胸もある程度あり,幼児体型でなく,合コンやネットあるいはナンパではない真っ当なシチュエーションで知り合い,ご両親のステータスもある程度高く,ふとした瞬間に真っ赤になってもじもじしちゃう女の子!!!告白のシチュエーションもバッチリだった!今すぐにでも結婚してくれ嫁になってくれ!子供は2人にしようか!
役満だよ君!
趣味丸出しでいいんじゃね。それも個性のひとつと認識されるだろうし。
俺の友人も似たような職種だが、LEDのドットが並んでる奴で、説明書を読んだ人間にしか現在時刻がわからないようなやつを職場につけていってる。
バカがに連投
やる気にならないのはやらなくていいことだと思う。それで留年するとしたら、それは増田が学校に向いていなかったというだけのことだろう。身も蓋もないって?そりゃそうだ。
やれモチベーションだ自己啓発だ鬱だと世の中いろいろ言うが、それらは要するに「無理をする」という前提だ。そして、人間は「無理をする」ようには、余りできていない。
動物として見れば、恒温動物のくせに毛皮も常備しておらず、爪も牙もないのに体は大きいので餌を大量に必要とし、粘膜も露出しているから病害虫への耐性も決して高くはない。また、社会性のある生き物のくせに多頭飼いが難しく個別のスペースがないとストレスで病気になる。唯一の利点として言える大脳の大きさからくる記号操作能力を活用してこれらの条件を克服できる個体も稀には見られるが、大抵は自分たちの使う記号に振り回されてむしろストレスを増やす有様。
一つの生き物として見たとき、こんなに「飼いにくい」生き物はない。大抵の人は、増田のように「自分」という生き物すら飼いきれず持てあましてる。
「やる気出させる」というのは、どっかにボタンとかあるのではなく、上のような「人間の飼い方」を熟知した上で、「ニンゲン」というペットを上手に健康に飼ってやるということに他ならない。清潔な寝床と餌を用意し、病気に気遣い、個別スペースを用意しつつ社会性も発揮できるように他のニンゲンと交流させてやり、大脳で処理するのに適切なレベルの記号環境を整えてやり、そのための活動できる時間と場所を確保してやって初めて、「やる気をもってニンゲンが特定の記号課題に取り組む」という状況が作れるものだ。「ニンゲン」を飼うのは、それだけ難しいことだ。少なくとも、ストレス下で、他のこと(餌や住環境や健康や、また、「将来」という別の記号課題等)に気が散る中で、特定の、それもニンゲンにとってそれほど興味も湧かず困難な(レベル的に適切でない)記号課題を与えて、すらすらとそれに取り組むことを期待するなど、一ブリーダーとしては、脳天気すぎる。もっと色々とすべきことがあるだろう。
というわけで、元増田は、悪いことは言わないからとりあえず部屋の掃除から始めれ。
いらんもんは捨てるかすべて見えないところに片付けろ。課題に取り組めない理由が「面白くない」なのか「難しい」なのかもはっきりさせて、「面白くない」ならもっと課題を面白くできるように、「難しい」なら基礎の勉強をしろ。洗濯もしろ。料理もしろ。餌と住環境を整えろ。
それでも「やる気」とやらが出ないとしたら、それはさすがに病気かもしれん。医者に相談にイケ。まあ、そういうことはおそらくないと思うがな。
いずれにせよ、話はそれからだ。
教職員の採用については、俗に「定数法」と呼ばれる法律があり、それに基づく各都道府県の条例に基づいて、正採用の教職員の数は明確に決まってる。具体的には、現行の定数法は1クラスを40人としているので、仮にとある都道府県に40000人の生徒がいたら、クラスの数は1000。そうなると、各クラスには担任副担任2名を置くので、正採用できる教職員の数は2000人ということになる。基準の適用の仕方は色々あるし、小学校の定数は最近若干変わってきているし、他にも自治体独自で作る枠もあるし、一方実際のクラス数はもっと多い(全ての学級の「上限」が40人なのだから、それより数の少ないクラスもある=実際のクラス数は40で割ったより多くなる)が、とにかく、大体そんな感じに「正採用の人数」は決まっている。
で、統廃合のときどうするかだけど、当然「いつ」統廃合するかは決まっているから、計画が決まるあたりから採用調整を行う。子どもの数は出生数から分かるわけだから、将来的にどのくらい学校が必要か不要かはある程度分かっているわけで、それを見越して採用調整を行う。特に、この20年間くらいは、子どもの数の急激な減少期だったりしたから、学校の統廃合も激しく進み、相当の採用調整を行う必要があった。
かといって、雇っている教員のクビをぽんぽん切れるわけではないので、教員の数を減らすには、原則「早期退職」とか「定年による自然減」に拠るしかない。統廃合前にそれをある程度進めないといけないので、たとえばある学校を一つ統廃合する前の年には、その一校分くらいの教員数を減らし終わってる必要がある。だから、大体その前年まで採用数を減らして教員の数を減るに任せる必要がある。だから、前年くらいにはその都道府県の中に(足りない分を補う)期限付き講師があふれるという減少が起こるというわけ。まあ、学校を廃校にすると言っても、いきなり全学年が消えるというつぶし方をしなくてもよい。新1年生が入ってこない状況にすれば、教員数は1学年ずつ減らしていくという手もあるから、講師による調整数も、せいぜい1学年分ずつということにもできる。それでも、この10年くらいは、複数の学校を一気に統廃合する関係上、さすがに調整きかない分もあるためか、定年後の再雇用枠とか、教育委員会内への出向とか、研修センターで研修とか、まあいろいろ無理矢理な調整をする必要があることもあった。
上の増田が書いてる「2クラスに教師が3人」というのは、色々勘違いがあって、そもそも「1クラスに2人」が標準だから、2クラス3人ならむしろ教師が足りないことになる。多分(主たる)担任のことを言ってるのだと思うが、3人の教師が付くのは、学級担任とは別枠の何かとして配当されているという事情によるのであって、「教員が余ってるからぶちこむ」とかそういう事情とは違うと思う(そんな余裕はない)。多分、片方の担任の指導力に不安があるとか体調不安があるとかクラスに発達障害の子どもがいるとか、まあそんな事情だろう。
それにしても、期限付き講師は、昔は採用に際し有利になることもあったようだが(逆に、前評判が出回って不利になる人もいたと噂に聞くが)、今は特にそういうことも原則ないと思うので、そうなると本当に、採用試験に受からない限り、使い捨てである。色々と問題は多いと思う。