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2012年 2月 1日(水)放送
ジャンル社会問題 自然・科学 医療・福祉
(NO.3151)

家族が脳死になったとき

視聴率 9.2%
株式会社ビデオリサーチ 世帯視聴率(関東地区)

突然の脳死 決断迫られる家族

高度な救急医療で知られる札幌市内の病院です。
この日くも膜下出血で入院していた40代の男性患者の家族を主治医が集めました。

「基本的には 脳室が潰れてなくなっている状態
脳の溝がなくなっている状態なので」

患者の脳は、出血によって腫れ上がり本来の機能を失っていました。

「今日の検査の結果として 脳死の状態だろうと考えています」

医師は、患者が脳死である可能性が高いことを説明し、回復に向けた治療は難しいと告げました。
さらに、続けてもう一つの重要な話を切り出しました。

「この先 何ができるかと考えたときに その1つとしては臓器提供があります」

患者の臓器を別の患者に提供するという選択肢があることを伝えるオプション提示。
通常、脳死になった人は数日から10日ほどで亡くなることが多いため家族は、限られた時間の中で提供するかどうかを決断しなければなりません。

家族を悩ませたのは、男性が臓器提供の意思表示カードを持っていなかったことでした。

本人に提供の意思はあったのか。
家族が友人などに尋ねて回りましたが手がかりは、ありませんでした。
倒れる前は、看護師として働き一人でも多くの患者を助けたいと話していた男性。
家族は、臓器提供を望むだろうと考え、前向きに検討したいと医師に伝えました。

「人のためになるのであればということで (臓器提供の説明を)お願いしたいです」

家族が臓器提供の検討を望んだ場合、臓器移植コーディネーターという移植の専門家が詳しい説明をします。
家族が、正式に提供を承諾した段階で脳死判定が2回にわたって行われ法的に死亡が確定します。
その上で、臓器の摘出が行われることになります。

翌朝。
病院に臓器移植コーディネーターがやって来ました。

「(臓器を)すべて提供しなければいけない訳でもないですし
臓器提供を希望されなくても もちろんそれは家族の意思なので」

コーディネーターは、家族に臓器提供の具体的なプロセスなどを説明していきます。

「脳死判定という決められた検査があるんですけども
2回目の検査が終わった時間が ご本人様の死亡の時刻になります」

このとき男性の妻が訴えたのは、臓器提供を承諾することは夫の死の瞬間を自分たちが決めることにつながるという違和感でした。

「脳死判定して死亡時間が決まるじゃないですか
(その後本人が)頑張ってても死亡時間は変わらないんですか?」

「変わらないです」

このまま臓器提供を承諾するのか。
それとも、夫の命が自然に消えゆくまで、時間が許す限り看取る道を選ぶのか。
妻は迷いました。

改正臓器移植法の施行から1年半。
臓器提供に対する本人の意思が確かめられないまま家族に生と死の判断が委ねられるケースが増えています。
肉親が脳死となった場合の家族の葛藤は深まっています。

「対面しないと理解しえない事情なんです 脳死って
いくら言葉で言っても本で読んだって
多分分からないと思います その方に接してみなかったら」

男性の妻は、悩んだ末、臓器の提供はせず脳死判定も行わないという決断をしました。

●脳死からの臓器提供 家族の葛藤

臓器提供を承諾したものの、本人の意思を十分に確認できなかったことにわだかまりを抱き続けている家族もいます。
おととしの秋脳死となった女性の臓器提供を承諾した夫と3人の娘です。

この家族の長女です。
当時、家族は病院側から臓器提供の話を聞いたものの母親の意思が確認できず戸惑っていたといいます。
僅かな手がかりは次女が、おぼろげに記憶していた母親のつぶやきでした。

「前に妹が母とテレビを見ながら 『移植してもいいかな』なんて話をしていたよと聞いて」

すでに、脳死状態と診断されていた母親はいつ亡くなってもおかしくない状況でした。
家族は慌しい中で、臓器を提供する決断をしました。

「状態が悪くなれば 渡せるものも渡せなくなるから
生きてる限られた期間の中で 他に助けられるものがあるんだったらっていう考えがあって」

脳死判定が行われ母親の死が確定。
心臓や肺など、6つの臓器が移植を待つ患者のもとへ送られました。
それから、1年余り。
人助けができたという気持ちとともに、大切な決断とじっくり向き合うことができなかったのではないかという思いが残っているといいます。
臓器提供は正しかったのか。
心に迷いを感じるたびに母親の臓器を移植した患者からの感謝の手紙を読み返しています。

「やっぱり本人じゃないと分からないことだから 家族だとしても
最後の最後まで大きな傷あとをつけたまんま 送り出してしまってるんで 良かったのかなって」

脳死からの臓器提供 ゆれる家族たち

ゲスト柳田邦男さん(ノンフィクション作家)

●決断後 家族が抱える苦悩

非常に象徴的な問題点が、今のリポートで出ていたと思うんですね。
一つはいろいろ苦悩しながら同意して、しかし、提供後、なんか時々ですね、心の中の傷がうずくような意味で、よかったのかっていう思いがよみがえってくる例、それからもう一つはやっぱり、本人の意思が確認できなくて、悩んだ末に、提供をお断りするという、この2つの事例ですね。
でもこの2つの事例はともに共通性があるのは、家族が苦悩を抱えるという、その点において、共通性があると思うんですね。

●大きくなる家族の心理的な負担

脳死移植が始まってもうすでに十数年たちますけれども、初期のころは、脳死判定あるいは臓器提供、それの是非論みたいな意味で、大変意見が分かれたり、あるいは家族もそういう意見を踏まえながら悩んだりっていう傾向が強かったんですけれど、だんだん、10年たつ中で、移植医療そのものがかなり定着してきて、そしてわれわれ検証会議で検証した、今までのほぼ100例近いんですが、その経過を見ますと、医学的に脳死判定を間違えたとか、あるいはとんでもないミスがあったとか、そういうことはないんですね。
細かい点で若干データが足りなかったとかはあっても、それは脳死判定そのものの本質的に関わるものではなかったと、そういう意味では、脳死判定自体の信頼性は高まったと言っていいと思うんですが、ただそれと同時に、問題になってきたのは、家族の問題なんですね。

とりわけ法改正後、カードを持っていなくても、家族の同意があればという、法律が変わったことによって、家族にかかってくる心理的な負担が非常に大きくなって、それが先ほどのリポートに出ているわけですけれども、突然死でもショックなのに、突然死プラス脳死という、経験もなければ知識もあまり持ち合わせていないような事態の前で、家族がたじろぐのは当然だと思うんですね。

本当に脳死自体も理解できないし、あるいは、まあそうだろうと思っても、果たして臓器を取り出して、提供することは、旅立つ人に対して、いいんだろうか、悪いんだろうか。
先ほどの娘さんの傷をつけた、体に傷をつけたということが、ずっと引きずる問題になったと言ってましたけどね。
そういう問題が一体これからの移植医療の中で、どういうふうにしたらいいんだろうかということこそ、今問われていることだと思うんですね。
もう百数十例の臓器提供の事例がありまして、そのうち検証作業を終えたのが約100例なんですね。
98ですけれど。
その中でやっぱりいろんな問題点が見えてきました。

先ほど言いましたように、医学的な問題点はなくても、家族が抱えた問題が無いわけではない、全体に言えば、提供したことによって、亡くなった大事な家族がどこかで生きているという気持ちを持てるとか、あるいはそういう人のために役立ったっていうことが、残された人にとって生きる支えになるとか、あるいは誇りになるとかですね、中には娘さんの臓器を提供した親が、あの娘は家族にとって宝石のような存在ですというような形で生きる支えにしている家族もありますしね。
そういう意味では全般的にいえば、提供したことがその後、生きる残されたご家族にとっては、プラスに働いている例が多いですね。
でも、必ずしも全員ではなくて、中にはやっぱり後悔したり、あるいは葛藤を起こしたりして、悩んでおられる。
あるいは内的な日々を送るようになってしまったとか、あるいはぼーっとしている時間が多くて、交通事故を起こしそうになったとか、そういう問題を抱える方も結構いるんですね。
そこをどうするかですね。

脳死からの臓器提供 家族をどう支えるか

救命救急に力を入れてきた川崎市内の大学病院です。
この病院でも改正臓器移植法の施行後、患者本人の意思が確認できないまま家族が臓器提供の判断を迫られるケースが増えています。

「臓器移植のカードとかあります?」

「ないです」

「(臓器移植は)やめてくれとかは言っていたとかあります?」

「確認はしてません」

医療スタッフへのアンケートから浮かび上がってきたのは、苦しい判断を迫られる家族とのコミュニケーションの重要性です。

これまでは、治療にばかり力を注いできたため、患者が脳死状態になったときその家族へのケアが、後回しになりがちだったというのです。

「どうしても『治療どうしたらいいか』ということだけしか家族と相談してなかったかもしれません
もし患者さんが亡くなったらどうしようかとか ご家族の今の気持ちはどうだろうかとか全部踏まえた上で話をしていたか」

臓器提供という難しい決断を迫られる家族を支えるため、病院では支援チームを立ち上げました。
患者や家族の情報を医師だけでなく、看護師やコーディネーター検査技師など現場全体で共有します。
オプション提示をどのように行うかなど難しい対応もチームで検討しています。

「ご両親が『最後まで希望を捨てたくない』ということで
臓器提供の話をする段階じゃないだろうと」

支援チームでは家族への対応を中心に据えた実践的なシミュレーションも繰り返しています。
臓器提供の段取りに追われ家族を、せかすような空気が生まれていないかスタッフどうしで確認し合います。

「こういうお話になって戸惑いもあるかと思うんですけれども
今までの先生のお話の理解は大丈夫でしょうか?」

「分からないこととか聞いていただいたり 止めることも可能ですので
このへんはご本人様の意思を尊重して 私たちもお手伝いをしたいと考えております」

法律の改正後、悩みを深める家族。
限られた時間の中で、納得のいく決断を下してもらうための支援が救急医療の現場に求められています。

「患者さんの意見をどう聞くか 自分の意見をどう言うか
きちんと家族の希望や意思を受け止める
それができなかったら 臓器提供の話はなしですね」

家族が直面する苦しみを和らげるため、脳死になった人の看取りを大切にする試みも始まっています。
この病院ではオプション提示と同時に、残りの時間をどう過ごしたいかを家族に尋ね、可能なかぎりその願いをかなえようとしています。
この家族は、アウトドアが趣味だった息子と一緒にベッドごと散歩に出かけたいと病院に要望しました。

こちらの家族は臓器を摘出するまでの1週間、おしゃれだった母親の髪を染めたり爪にマニキュアを塗ってあげたりして過ごしました。
家族が、みずからの選択を後悔しないためにも臓器提供へのプロセスを看取りの一部として捉えることが大切だと、病院では考えています。

「患者さんが亡くなるっていうところで 出来ること出来ないことありますけども
患者さんを看取っていくことを取り組む中で はじめて臓器移植があるんじゃないでしょうかね」

●救急現場で問われる看取りの医療

今の医療現場ですね、紹介されたのは、非常に先駆的だと思いますね。
救急現場でこういうことが行われるというのは、本当に新しい試みだと思います。
振り返ってみますと、がんの終末期医療において、このような先駆的な取り組みが行われ始めたのが30年前なんですね。
それを言い方変えると、今、救急医療現場は30年遅れて、やっと家族というものを視野に入れた看取りの医療というのに向き合い始めたと言えると思うんです。
そこで大事なのは、今のエピソードの中にもありましたけれども、その患者は一体最後、どのように過ごしたかっただろうか、それをご家族ならではの目で感じ取って、そして家族自身も納得のいく形で、最後まで患者に寄り添うようなことをする。
マニキュア塗るとか、外の空気を吸わせて、お散歩するとか、それを可能にするような医療環境、また医療スタッフの取り組みですね。
これはお医者さん1人ではできなくて、チーム医療としてそういうものに取り組む。
象徴的なのは、今までの救急医療っていうのは、医学的に患者の救命ということだけ向き合って、家族は廊下で待たされるっていうこういう分離された形だったものを、この脳死現場においては、分離ではなくて、一体のものとして、で、家族っていうのは、亡くなっていく患者と人生を共有してたわけです。
それは精神的な命を共有しているわけですよね。
ですから、臓器提供っていうものは、よくいわれる命のリレーということで、心臓とか肝臓とかですね、腎臓とか、それを他者にリレーして、命を救ってあげるっていう面だけでいわれますけど、実は、もっと大事なことがあって、それは、精神的な命が亡くなっていく人の持っていた生きざまとか、ことばとか、その最後の生き方とか、それが残される人の心の中で生き続けるということだし、それがよりよいものになって、看取った家族が納得できたときに初めて本当の意味での命のリレーが、その家族の、縦線の中で、あるいは輪の中で行われるということで、この誠心誠意の命のリレーって、今まで議論されてないんですね。
それがこの看取りの医療というものが、この救急現場で問われていると。

●旅立つ人と残される家族 納得いく看取りを

悩んだときに、やっぱり大事なことはカウンセラーのような人を呼べる、あるいは一晩一緒に考えてもらうとか、そしてもう一つは医療スタッフがそれぞれ、自分の内実というか、精神性を高めて、本当に旅立つ人と、残される家族と魂レベルでのコミュニケーションができる。
そしてこうしたらどうでしょうかということが納得いく看取りになっていくという、こういう態勢ができることが究極のよりよき移植医療なんではないかなと思いますね。