・「自己肯定力」ということばは、
ずいぶんと大げさでむつかしい感じに思えるのですが、
いろんなことを考えたりするときに、
よく思い出すようになりました。
この漢字ばかりならんだことばを、
耳で聞いてすぐにわかることばに直すならば、
「いいね」ってことになるのかなぁ。
「いいね」という声が、外からだけでなく、
胸のなかから聞こえてくるかどうか。
それが「自己肯定力」かなぁと思うんです。
そういうふうに考えたとき、
ぼく自身に「自己肯定力」が
しっかり備わっているかというと、
「仮免」で路上教習中っていうくらいかなぁ。
「いいね」を感じるにも、
「よくないね」の在庫を
じょうずに片づけないといけないからね。
・お寺さんだとか、昔の人が、
若い人を教育するときに、
「便所そうじ」をさせることがあるでしょう。
あれ、「自己肯定力」をキイにすると、
よくわかるような気がするんです。
便所というのは、「よくないね」と思われやすい場です。
「よくないね」といっしょに、暮らしているわけです。
でも、一所懸命にそうじをし続けていくと、
「いいね」と言えるような場所になっていく‥‥。
「よくないね」と、がまんして共存していたのに、
それが「いいね」に変化したら、うれしいですもんね。
もともと便所にあるものは、じぶんたちの排泄物です。
じぶんが食って生きて出したものですから、
元々がじぶんだったものです。
そのことを「いいね」にできたら、つまりそれは、
自己を肯定する力がついたということですよね。
きっと、汚い部屋のそうじや、借金の返済なんかも、
そういう意味を持っているんでしょうね。
まだまだ、ぼくは仮免ですけど、考えてみました。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
今日からの気仙沼には、三國万里子さんたちと行きまーす。
ずいぶんと大げさでむつかしい感じに思えるのですが、
いろんなことを考えたりするときに、
よく思い出すようになりました。
この漢字ばかりならんだことばを、
耳で聞いてすぐにわかることばに直すならば、
「いいね」ってことになるのかなぁ。
「いいね」という声が、外からだけでなく、
胸のなかから聞こえてくるかどうか。
それが「自己肯定力」かなぁと思うんです。
そういうふうに考えたとき、
ぼく自身に「自己肯定力」が
しっかり備わっているかというと、
「仮免」で路上教習中っていうくらいかなぁ。
「いいね」を感じるにも、
「よくないね」の在庫を
じょうずに片づけないといけないからね。
・お寺さんだとか、昔の人が、
若い人を教育するときに、
「便所そうじ」をさせることがあるでしょう。
あれ、「自己肯定力」をキイにすると、
よくわかるような気がするんです。
便所というのは、「よくないね」と思われやすい場です。
「よくないね」といっしょに、暮らしているわけです。
でも、一所懸命にそうじをし続けていくと、
「いいね」と言えるような場所になっていく‥‥。
「よくないね」と、がまんして共存していたのに、
それが「いいね」に変化したら、うれしいですもんね。
もともと便所にあるものは、じぶんたちの排泄物です。
じぶんが食って生きて出したものですから、
元々がじぶんだったものです。
そのことを「いいね」にできたら、つまりそれは、
自己を肯定する力がついたということですよね。
きっと、汚い部屋のそうじや、借金の返済なんかも、
そういう意味を持っているんでしょうね。
まだまだ、ぼくは仮免ですけど、考えてみました。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
今日からの気仙沼には、三國万里子さんたちと行きまーす。
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