<この国はどこへ行こうとしているのか>
墨色の被布--作家の玄侑宗久さんは、福島県三春町にある福聚寺(ふくじゅうじ)の住職でもある。寺は福島第1原発から西へわずか45キロ。震災直後の2カ月で、玄侑さんの寺の檀家(だんか)だけでも5人が自殺した。
「福島県民の間で、いくつもの心の分裂が深刻化している」と言う。放射能から逃れるため福島から出る、出ない。残ったとしても地元の米や野菜を食べる、食べない。子どもに食べさせる、食べさせない。それらはまるで「踏み絵」のような苦痛を伴う。
「放射能の問題は、結局精神的な問題になってしまっています。年間100ミリシーベルト以下の低線量被ばくについては健康被害を示す明確なデータがない。現代人は分からないことに向き合うのが苦手ですからどちらかに分類したがり、その結果二つの極端な立場が生まれた。放射線は少なければ少ない方がよいと考える悲観的立場と、塩分などと同様に放射線も適量ならば体にいいという楽観的立場です。どちらも医学的には証明が難しいため、信仰に近い様相を呈しています」
万が一を考えれば、悲観的立場の方が“正義”だろう。「注意しなければならないのは、こうした態度を他県の人から取られれば、それはあっさりと『差別』になってしまうということです。福島の人とは接しない方がいい、結婚しない方がいい、と」
玄侑さんは、ひとまず冷静になって原発事故前の生活でどれだけ被ばくしていたか知る必要があるとし、放射性カリウムを例に説明する。
「放射性セシウムばかり注目されていますが、もともと自然界には放射性カリウム40がある。我々にとって必須ミネラルであるカリウムのうち、0・01%は放射性カリウムで、バナナ1本に40ベクレル、米は1キロ当たり30ベクレル分が含まれる。体重60キロの人は約4000ベクレルの放射線を発しています。これが有害なら母親が赤ちゃんを抱くのも危ない。今福島に必要なのは、信仰やイデオロギーに陥ることなく具体を見ながら対処することです。夢のような放射線ゼロを目指すこの正しき人々が、私は最も怖いのです」
福島を分裂させる原因は、国の責任放棄にもある。昨年4月から政府の東日本大震災復興構想会議委員も務める玄侑さん。放射能に汚染された土壌などを保管する「中間貯蔵施設」の建設を巡る問題を気に掛ける。野田佳彦首相は原発が立地する双葉町と大熊町を含む双葉郡(6町2村)内への設置を要請しているが、「なし崩し的に最終処分場になるのでは」との懸念もあり、結論は出ていない。
「国は、双葉郡の6町2村で話し合って決めてくださいと言っているが、決まるわけがない。8町村が集まれば、たとえ双葉郡内での受け入れはやむを得ないと思っていても、みんな自分の町だけには持ってこさせたくないわけです。双葉町の井戸川克隆町長は『双葉郡民も国民ですか。憲法で守られていますか』と聞きましたが、人権の問題が出てきたら、もう当事者間では決まりません。みんなの人権を守るために誰かの人権を踏みにじるのが国家の仕組みですが、その責任を国家が放棄したのですから」
玄侑さんはやや身を乗り出した。だが、怒りを抑えるように落ち着いた口調のまま続けた。「結局、自己責任の発想です。国は、町村がこう言ったからこうしたという言い訳を常に考えている。国は腹案を持っているはずですから、県も交えて腹を割って話し合い、ごまかしなく誠意をもって正面からお願いするしかないのです。犠牲を強いる代わりに当然の手当てとして、一時的にせよ永続的にせよ、町村単位で移転できる代替地を国があっせんせねばなりません。そうでなければ全国に散らばった福島県民は、完全にユダヤ人状態になってしまう。国としての責任と決断が問われています」
震災を機に、原発に代表される効率や市場経済を優先するシステムの危うさが露呈したはずだった。しかし、この国はその教訓を生かす方向には進んでいない。玄侑さんはそう感じる。
特に納得がいかないのは環太平洋パートナーシップ協定(TPP)参加に向けた、震災前と変わらない国の態度だ。「福島は風評被害だけでどうしようもない状況ですから、世界的競争力も何もありません。政府はTPPに参加しなければ『バスに乗り遅れる』と言いましたが、そのバスはどこへ向かっているのか。世界の流れがおかしくなっているとは思いませんか。IMF(国際通貨基金)が助けようとしているのは、ギリシャ人ではなく、ギリシャの銀行なのですよ」と、語気を強める。
では、どうすべきか。
「開いて戦うのとは逆に、『閉じる』ことを考えるべきだと思います。今回の震災で、人間関係の濃さなど東北地方独特のあり方が随分強みになりました。それは効率だけに割り切られていない地方の暮らしの強みであり、そういうローカルなものを尊重した『小さな自治』を取り入れる方向に向かうべきです。それは電力も同じです」
低線量被ばくの身体への影響や、今後進むべき方向。今の日本には、個人レベルでも行政レベルでも「分からないこと」が山積だ。
「分からないことに分からないまま向き合い、曖昧模糊(もこ)とした現実を暗中模索で進むしかないでしょう。それは福島に限りません。いくら計画を立てて将来が見えるつもりになっていても、先のことは分からないと今回の震災でみんなが痛感したはずです」
玄侑さんは震災後、鴨長明の「方丈記」を何度も読み返した。物事の変化を受け入れ、揺らぎながらしなやかに生きていく……方丈記に書かれたメッセージが、以前にも増して心に染みたという。
「分からないままで生きていながら、起こった出来事にフレキシブルに対応していく生き方が無常という力なのでしょうね。だから揺るぎない信念なんて持ってはいけないし、むしろ揺らいでいいんです。政治家だって、震災前と震災後で同じマニフェストでいけるはずがありません」
「揺らぎながら生きるのは、座禅と似ています。座禅は動かないで座っているように見えますが、常に前後左右に微動しながら一番落ち着く重心を探す。外的な入力があれば敏感に反応し、また揺らいで重心を修正する」
揺らぎながら重心を探し、少しずつ前に進み安定する--。福島から震災後の新しい生き方が投げかけられている。【山寺香】
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■人物略歴
1956年、福島県生まれ。慶大卒。ごみ焼却場作業員、ナイトクラブのフロアマネジャーなどを経験後、京都・天龍寺道場に入門。01年「中陰の花」で芥川賞受賞。08年から福聚寺住職。東日本大震災復興構想会議委員。「リーラ 神の庭の遊戯」「阿修羅」「福島に生きる」など著書多数。
毎日新聞 2012年2月3日 東京夕刊