プロジェクトプランナー 真壁智治をモデレーターとし、第一線で活躍する建築家をゲストに招き、現代における住宅計画の"研究"と"設計"の両面から討議します。
第5ターム
“場所性”と“形式性”の間で(3/3)
木下庸子×乾久美子×真壁智治
第5ターム
“場所性”と“形式性”の間で(2/3)
木下庸子×乾久美子×真壁智治
第5ターム
“場所性”と“形式性”の間で(1/3)
木下庸子×乾久美子×真壁智治
第4ターム
集まって住むことの新しいかたち(3/3)
西田司×中川エリカ×篠原聡子×真壁智治
第4ターム
集まって住むことの新しいかたち(2/3)
西田司×中川エリカ×篠原聡子×真壁智治
第4ターム
集まって住むことの新しいかたち(1/3)
西田司×中川エリカ×篠原聡子×真壁智治
第3ターム
2010年、建築家が考える「エコハウス」(3/3)
竹内昌義×難波和彦×真壁智治
第3ターム
2010年、建築家が考える「エコハウス」(2/3)
竹内昌義×難波和彦×真壁智治
第3ターム
2010年、建築家が考える「エコハウス」(1/3)
竹内昌義×難波和彦×真壁智治
第1・2ターム総括(後半)研究と設計の距離
真壁智治
第1・2ターム総括(前半)研究と設計の距離
真壁智治
Vol.11〜16
第2ターム
小泉雅生×高橋晶子×真壁智治
▼
Vol.0〜10
第1ターム
難波和彦×篠原聡子×真壁智治
▼
家の知/討議 vol.24第4ターム
集まって住むことの新しいかたち(3/3)
西田司×中川エリカ×篠原聡子×真壁智治
風通しをよくする建物をつくったわけ
真壁:
今日は共立女子大学の堀啓二さんと研究室の学生さん、日本女子大の学生さんが参加しています。堀さんからもご意見いただけますでしょうか。
堀:
さきほど篠原さんから原風景の話がありましたが、僕の原風景にも今日の体験は結びつくところがあるのではと感じました。ヨコハマアパートメントに来るのは、今日が初めてでした。おじさんには少々きつい坂を登って(笑)、この上にあるのかなと思ったら、また下ろされて。さらに「く」の字に曲がって…。街の風景が、すごく懐かしい感じがしたのです。何故かなと思い返してみたら、僕が小さいころは、街に工場やお店がたくさんあって、そういう場所がかっこうの遊び場だったんですね。そこで働いている人は、僕の友だちのお父さん、お母さんだから、そういった工場やお店は、まさに浸食できる空間だったんです。そういう場所が、街にたくさん点在していて、その上にコミュニティが何となくできあがっていました。こういう「見る・見られる」の関係のなかでの生活は、今はほとんどなくなってしまいましたが、ヨコハマアパートメントには、そういう懐かしい感じがすごくある。こういった建物が密集したエリアで近所の人たちとも、何となく関係性が生まれ続けるということが、すばらしいと思いました。
その上で、ひとつ知りたいのは、西田さんがこのような空間を「アート」というきっかけでつくられたわけですが、そこにはどんな原風景をお持ちなのだろうかと。もちろん僕とは年齢も大分離れているわけで、恐らく僕の持っている原風景とは違う原風景のなかで育ったのだと思います。こういう空間をつくろうという背景に、小さいころのソーシャルなイメージって何かありましたか。
西田:
僕自身は、なかなかそのような自分の原風景と一緒に建築や空間を描くという思考はないのですが。育った街は神奈川県藤沢市の海沿いの、郊外というよりは、昔の別荘地が建て変わっていくような場所でした。だから、街に余白が多く、空き地があって友だちとキャッチボールをしたり、家と家のすき間を抜けられたりと、遊び場の境界としては、少し曖昧だったように感じます。さきほど、この建物にふらっと入る人はほぼいないと言いましたが、子どもは比較的気軽に入ってきて、階段で遊んでいたりするのです。余白を発見し遊ぶ感覚は、僕が小さいころと同じだなと感じます。密集した住宅地の中で、ここは子供にとって入り易い居場所なのかなと感じています。
真壁:
今のやりとりで僕が感じたことは、恐らく堀さんにとっては、この風景が原風景なんだけど、やはり西田さんにとっては、この風景は発見なんだなと思いました。密集した街にこういう空間があると面白いのではないか、という発見なのでしょう。西田さんのような若い建築家たちにとっては、やはり新しく再発見されるソースなのかもしれません。
中川さんにとって、こういう空間の発見や解き方につながったヒントというのは、どこかにありましたか。
中川:
さきほど浸食されるというお話がありましたが、篠原さんがおっしゃったように物理的に街とつながっていることが、この場所ではとても重要なことだと思っています。ある日、ヨコハマアパートメントを説明するときに、どう説明すべきかと考えながら帰り道を歩いていると、ふと角に建っているガソリンスタンドに目が留まったんです。そのガソリンスタンドは、すごく高い天井を持っていて、物理的にすごく開放的な場所で、違う方向から歩いてきた周辺の住人同士が、角でガソリンスタンドの空間越しに挨拶をされていました。交差点に物理的に開放的に建っているガソリンスタンドは、その街の風通しをすごく良くしているように見えました。なんて魅力的なんだと、はっとしましたね。街に寄与するというのは、こういうことなのではないかと。すでにあるけれど気がついていなかった環境を、ヨコハマアパートメントという建築をつくり、体験したことで、再発見したような感覚です。
真壁:
「風通しをよくする建物」、いい言葉ですね。
中川:
例えば、この空間がこれだけ四方向に開いていたとしても、天井高が低かったら、ここまでの開放性はなかったと思います。それはやはり天井高を上げて、本当に外のように使われる開放性があるということが、ここの空間としての価値だと思っています。それは街のなかで見たときのガソリンスタンドが持っているような立ち姿や、街への空間もしくは環境的寄与の仕方に、通じるものがあるのかもしれません。
真壁:
計画あるいはプランニングについても、ヨコハマアパートメントは、この一階の広場空間から住戸の気配が一切ないというのが、とても設計として優れていると思ったのです。普通なら、この一階の共用部から玄関のドアが見えていたり、窓があったりするのかもしれない。そこがスパっと切れているところが見事ですね。
堀:
完全に見えない。けど、気配は感じますよね。さらに住戸の方はとても面積が狭い。
真壁:
そのコントラストがまたいいですよね。
それでは、今日は学生さんにもたくさん来ていただいていますので、何か質問があればお願いします。きっとこのようなプログラムは、みんなの卒業設計や修士設計にも、往々にしてあることだと思います。
学生A:
大学3年生の者です。今日、はじめて見学させていただきました。訪れる前は、一階の半屋外はもっと外のような感覚だと思っていたのですが、意外と落ち着けることに驚きました。外部のようだけど、揺れているカーテンに囲まれていて、まるで内部のようでもある。そこで、ひとつ感じたことは、意外とこの一階の広場空間に上に住んでいる方々のモノが表出していない、それはなんでだろうと思いました。それは、制作の場としての機能を持っているからなのか、外から人が入ってくる場所だからなのかと。
真壁:
その表出があまりされていないということは、あなたにとっては気持ちがいいことですか?それとも、生理的にいやなものでしょうか。
学生A:
私は表出が多いことは、いいことだなと思っています。でも、そうなっていないこと、そうさせているものは何だろうということに疑問を持ちました。
真壁:
なるほど。確かに、ここで広場に表出しているものは、例えば、制作のための絵の具だったり、キャンバスだったりするもので、洗濯物などは干されていませんね。
篠原:
通常、集合住宅の場合の表出というものは、その表出自体が、公共に対するメディアとなりますよね。でも、ヨコハマアパートメントの場合は、制作をすること、アクティビティそのものがメディアになっているから、そこに新しさと面白味を感じるのだと思います。だからこそ、ここに住人たちが、いろんなものを表出してくるというのは、難しいし、少し違うような気がします。普通に言うところの表出の前に、集合住宅が持っているメディア性の問題があるように感じます。
真壁:
以前、石上純也さんが設計をされた神奈川工科大学KAIT工房を見に行ったのですが、そこではその辺にコーヒーやカップラーメンが表出しているわけです(笑)。それらが、あの細い多数の柱の中で、実に鈍化されているのです。けれども、ものが溢れてくる風景をコントロールすることはものの表出を制限したり、隠すことではないということです。KAIT工房もこの空間もクリエイティブに関わるものが表出してくる。
西田:
でも、実際は、さほど綺麗にしている訳ではないです。例えば、そこに鍋があって、こっちにはプリンターが置いてあって、あっちには三輪車があったり。よく見ると入居者のものが出ています。でも空間を見渡すと、隣の建物の室外機が見えたり、隣家の軒や窓辺が見えていて、それが同じ視界の延長に見え、風景としての解像度が部屋と言うより街に近く、ヒトの活動やモノの存在が多焦点で背景に感じます。
中川:
今日、皆さんがいらっしゃることを、ヨコハマアパートメントの住人は、あらかじめ知っているのです。自分がたとえいなくても、この場所に人を招くという予定があることから、住民の方々はある距離感を図って、1階の自分の倉庫内に物をしまうのです。逆に、自分がいる時には自分の物が溢れることもあるのでしょう。たとえば、ここで製作をする、自分の友達を招く時などです。先ほど篠原さんがおっしゃった「アクティビティそのものがメディアになっている」というのは、まさにおっしゃる通りで、ここで何が起こるかという一概にはいえないアクティビティや状況、それによる距離感がそのまま、ここに住む住人とヨコハマアパートメントとの距離であり、ヨコハマアパートメントと街との距離なのだと思います。常に更新され、その更新は住民によるアクティビティだけによるのではない、ということが、この場所らしさなのだと思います。
篠原:
そういったことも、この広場空間の天井の高さがもう少しでも低ければ、自分とモノとの距離感が違っていたのでしょうね。
堀:
そう考えると、さきほどの浸食してくるという話は、実はこの空間自体が外へ浸食しているということでもあるわけですね。
篠原:
それはそうだと思いますね。
真壁:
ただ、浸食してくるものと浸食していくものとが、イーブンなのかもしれません。
他に質問は、ありませんか。