2011-12-16
独ハンデルスブラット紙東京特派員のスピーチ 「原発事故後の生活」
12月15日、ドイツの経済紙「ハンデルスブラット」に、デュッセルドルフで行われた特派員会議における東京特派員のスピーチを紹介する記事が掲載された。
この9ヶ月間、ドイツのメディアは先頭を切ってフクシマ事故について報道して来たが、これまでのテレビ番組や新聞記事はあくまでもジャーナリズムとしての報道だった。しかし、このスピーチは、特派員であるコイヒェル氏がジャーナリストという立場からというよりも、この災害を体験した個人として語ったものである。語られた言葉から、同氏が日本に少なからず愛着と共感を抱いて日本での生活を送って来たことが伝わって来る。現在の日本の状況、とりわけ首都圏の生活状況についてここまで語られたことは今までになかったように思う。
以下、記事の全文訳。(Eisberg訳)
原発事故後の生活
ヤーン•コイヒェル氏はハンデルスブラット紙の東京特派員である。コイヒェル氏は「フクシマ」に苦悩する日本とともに苦悩している。デュッセルドルフ議事堂にて、同氏は「原子力災害後の生活」について語った。
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去年、私はこの特派員会議の場で、中国特派員である同僚のプレゼンテーションを聴きながら、こんなことを考えていました。「日本についてプレゼンテーションをする番が来るのは、いつの会議でのことになるかな」それまで日本は世界で第二の経済大国として、経済的には確かに重要な位置にありましたが、多くのジャーナリストにとって退屈な国でした。飽和状態の工業国。いまや、アジアと言えばそれは中国を指します。中国、中国、とにかく中国なのです。
3月11日はこの構図を少なくともしばらくの間、変えることになりました。もちろん、世界経済を活性化させる国が中国であることに変わりはありません。しかし、今年の絵、2011年の絵を記憶の中に呼び起こそうとすれば、我々は皆すぐに、あの地震と破壊的な津波、そしてフクシマ原発事故のことを思うでしょう。ですから、今日のこの会議で私が壇上に立つことになるだろうということは、わりあい早くからわかっていました。
今日、私はとても複雑な思いでこの場に立っています。みなさんにフクシマの悲しい状況についてのみ、お話するべきかどうか考えました。状況は本当に気が滅入るものだからです。ですから、事故のことばかりではなく、日本の一般的なことについてもお話しようかとも考えました。しかし、スピーチ時間が当初の予定の10分から7分に短縮されましたので、その部分については、このことだけを言っておくにとどめたいと思います。日本は本当に美しい国、とても心優しい人びとの住む国です。
3月11日のフクシマ事故は、私にとってとても個人的な出来事です。あのときの地震を自ら体験したのです。地下40メートルの地下鉄の駅でのことでした。死の恐怖とはどんなものか、今の私は知っています。そして私は、あと数日でハンデルスブラット紙の日本特派員ではなくなります。予定より早く任期を終わらせて欲しいと本部にお願いしました。何故なら、私には3歳の息子がいます。私には息子に対する責任があります。私の目から見て、東京は現在、安心して子どもを育てられる町ではありません。被曝の不安があるのです。
こう考えるのは私だけではありません。お子さんのいるフランクフルター•アルゲマイネ紙の女性特派員も同様の決断をしました。彼女は来年1月1日付けで北京へ戻ります。ドイツ在外商工会議所は、小さな子どものいる人はもう誰も日本へ駐在に来ないと言っています。大使館でも日本への駐在を拒否する職員がいます。大使館が職員に推薦するドイツ人医師も、ドイツ人やフランス人の患者はもうほとんど来なくなったと言っています。
どうしてだかおわかりでしょうか。フクシマは、ドイツのマスメディアではほとんど報道されなくなりましたが、日本にとって、日本の住民にとっては日々、継続進行しているのです。実際に毎日、フクシマのニュースが日本の新聞の一面に載っています。
「私は泣くわけにはいかない」
事故の報道が絶えないのは当然です。今になってようやく事故の影響がはっきりと目に見えるようになって来たのですから。フクシマとその周辺の汚染は明白です。福島第一原子力発電所周辺地域の状況は本当に酷い。除染作業は困難を極めています。汚染物質を集めて保管するだけでも30年かかり、環境省はそれには140億米ドルかかるとしています。2800万トンの汚染された土壌、2300万トンの瓦礫を保管しなければならない。どこへ保管すればいいのでしょう。それすらもまだ決まっていません。多くの県が放射性のゴミの保管を拒否しています。
原発自体の現状も安定した状況とは到底いえません。東電の最悪のシナリオによると、冷却装置が再び機能しなくなれば、38時間以内にまたメルトダウンが起こる可能性があるのです。
影響を大きく受けた地域では、精神的に病気になる人が増えています。狭い避難所では泣くことすらできない人びとがたくさんいました。ある避難者はこう言いました。「泣きたくても泣くわけにはいきません。私が泣けば、ここにいる人みんなが泣きだすでしょうから」
東京や横浜でも、状況は厳しいものです。不安を駆り立てる事実がどんどん明らかになって来ています。自分で放射線量を測定する人が増えているからです。自分の不安は他人に不快な印象を与えてしまうかもしれないという心配から、人びとはこっそりと測定します。私の知り合いの日本人女性はガイガーカウンターをみかんの入った袋に紛れ込ませ、私の妻に貸してくれました。東京とその周辺では放射線量が極めて高い場所が次々に見つかっています。そこにいれば一生分の放射線許容量を一年間で浴びてしまうほど線量の高い場所もあります。さらに横浜では最近、白血病の原因となる極めて危険なストロンチウムが発見されました。そんなところで日本人は一体どうしているのかと、みなさんは思われるでしょう。現実はこうです。行く場所のある人は避難しています。日本人もできる人はそうしているのです。避難することのできない人は被曝のことは考えないようにするか、少なくとも自分の周りを調べて、安全にいられる場所を知ろうとしています。
飲料水は巨大なボトルに詰められ、ハワイから輸送されている
私達のマンションの下の階の人達は沖縄へ引っ越し、左隣のご家族は飲料水を特大ボトルでハワイから今日までずっと取り寄せています。そして、大気中の放射線は最大の危険ですらないのです。特に危険なのは、汚染された食品を食べることです。汚染された食品をめぐる数々のスキャンダルがあった後、私達は遠くに住む妻の叔母に野菜や牛乳を送ってもらうことにしました。安全な牛乳は1パック4ユーロもします。
経済に関して言えば、もちろん日本経済はフクシマ事故でダメージを受けています。事故後、物流システムが驚くべき速さで再建され再開されたことは事実です。もし、タイの洪水がなかったなら、トヨタ自動車は実際、年末までに生産の遅れを取り戻していたことでしょう。しかし、日本経済にとって2011年は悪運続きでした。まず地震と原発事故が起こり、タイの洪水があり、さらにユーロ危機がそれに追い討ちをかけました。日本の輸出産業は極端な円高の打撃を受けています。日本経済が強いからではなく、ヨーロッパと米国が不安定なために円高になっています。投資家らは円に逃げているのです。そして為替市場に国がどんなに介入措置を取っても、円はなかなか下がりません。
話が少しフクシマ事故から反れたところでスピーチ終了の時間となりました。ですが、あと三つだけ、言わせて下さい。
フクシマはまだ終わっていません。みなさん、日本はこれからまだ何十年もフクシマと関わっていかなければならないのです。
最近の科学的調査で、セシウム137の大部分が日本の東部および北東部に降ったことがわかりましたが、その半減期は30年です。
そして最後に私の個人的な考えを述べさせて下さい。メルケル首相の脱原発の動機やタイムラインについて、いろいろな意見があるでしょうし、議論はこれからも続いて行くでしょう。しかし、日本でのフクシマの経験はドイツの脱原発の決定が絶対に正しいということを私に教えてくれました。
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