2010年01月07日
■ 建築意匠論 近代の建築: 3 ロシア構成主義
※ 講義用資料
目次 「建築意匠論 近代の建築」
1 近代化の諸条件 [公開終了] 2 均質空間への移行 [公開終了] 3 ロシア構成主義
4 未来派[公開終了] 5 デ・ステイル [公開終了] 6 バウハウス / 7 フランク・ロイド・ライト [公開終了]
8 ル・コルビュジエ [公開終了] 9 ミース・ファン・デル・ローエ [公開終了]
3 ロシア構成主義
1910年代半ば頃に始まった、ソ連における総合的な芸術運動。社会主義国家の建設という政治的な目標と密接な関係を維持しつつ展開していった。なお、1917年にはロシア革命(二月革命・十月革命)が起きている。
「ブルジョワ」的な「芸術のための芸術」を批判し、新しい社会にふさわしい芸術を追究していった。しかし運動としては1930年代半ば頃から徐々に終息へと向かい、一般にスターリン政権下での保守的な社会主義リアリズムに取って替わられたと考えられている*1。
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図版: ウラジミール・タトリン「第三インターナショナル記念塔計画案」(1919/20年)*2
十月革命ののちに、第三インターナショナル(コミンテルン)を記念すべく、このタトリンの案をペトログラード(のちレニングラード、現サンクトペテルブルク)に建立することが計画された(が、実現されることはなかった)。
鉄、鋼、ガラスなどの工業製品を素材としており、地軸に沿った傾斜を帯びつつ高さ400mにいたる螺旋状の構造体を外郭とする。
さらにこの構造体の内部には四つのプラトン立体が組み込まれている。
これらの立体は、それぞれの基準で一定期間のあいだに一回転することにより、外枠の螺旋形態から独立した表現を取ることが想定されていた。
最下部の立方体には講演や立法会議などに使用される施設が収められており、一年のあいだに一回転する。
その上には管理職にかかわる施設群を収めた四角錐が配置され、一ヶ月のあいだに一回転を終える。
四角錐の上には新聞・ラジオなどの情報通信にかかわる施設を収めた円柱状の構造体が位置しており、ちょうど一日で一回転を終了する。この構造体にはさらに、上空にさまざまのメッセージを投影するための巨大な投影機械を設置することが予定されていた。
最上階には半球状の形態をしたラジオ装置が据えられている。
関連ページ:
・タトリン塔 第三インターナショナル記念塔 3D模型 [→ URL]
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図版: イワン・レオニドフ「レーニン研究所計画案」(1927年)
1927年にモスクワの現代建築展と建築雑誌に発表された。
ガラスのカーテンウォールを基盤とした純粋形態からなる文化的な複合施設の集合体を、茫漠たる広さを備えた立地上に巨大なスケールで展開したもの。
図版 右: 同「レーニン研究所計画案」
[出典: ru.wikipedia.org 内]
垂直・水平に伸び広がる二つの棟、そしてワイヤーによって地上から浮遊した球体、という三つの形態の合成からなる。
高層棟は1500万冊を収蔵できる巨大な蔵書保管庫。
施設の標識ともなるこの直方体の塔からは、モスクワ市街が眺望できるようになっている。
三方向に伸びる低層棟には閲覧室・小教室が収められている。
浮遊する球形の内部には、最大4000人を収容できる可動壁付きの大講堂があり、さらに映画の投影機やプラネタリウムをも備えた種々の研究施設なども収められている*3。
これらのビル群は遠隔通信用の機材を装備しており、外部とモノレールで接続される計画であった。
図版 下:
リシツキー「雲の鐙 【あぶみ】」 フォトモンタージュ (Wolkenbügel, 1923/25)
垂直の支柱と、高さ50メートルの空中に持ち上げられた水平のオフィス階、という形態的な対照の際立つ構成。
写真で手前側の支柱に載っている二階建てのオフィスは、右奥で向こう側へとL字型に折れ曲がり、もう一方の支柱に載っている三層のオフィス階の非対称的な位置に接合されている。
垂直と水平の軸を交叉させた形状は、リシツキーの建築論から導き出されている。
彼は、論考「車輪 ― プロペラそして次に起こること」(1935年)において、人間の運動形態と建築の形態との並行的な進化に関する仮説を立てている。
それによれば、歩行による移動がピラミッド型の三角形に、車による移動が直方体に、そして飛行機による移動が逆三角形に、それぞれ理念的に対応するとされる。
また、「雲の鐙」が計画された時期には、ロシア革命以後の新しい都市構造の計画が具体的なものとなりつつあった。
「雲の鐙」はこの都市計画の力学が集中する場所に建設されることが念頭に置かれていた(ただし、実際に建設されることはなかった)。
「古いモスクワの都市構造がもっている諸条件のなかで、新しい時代の要求に応じたオフィス建築を作りたいといのが、いわゆる雲の鐙の構想を導き出す基本的な考えであった。モスクワは集中的な都市で、同心円状にめぐらされる環状道路と(中央クレムリンから)放射状に走る大通りで構成されている。提案された建築は、環状道路と放射状の大通りの交点という、交通量の最も激しいところに立つように計画されている。*4」
「われわれの抱く未来の観念の一つは、基礎の克服であり、大地への束縛の克服である。われわれは、この観念を一連の〔「雲の鐙」を含む〕計画案において発展させてきた。〔…〕基礎の克服、大地への束縛の克服はさらに進み、重力自体の克服を目指すにいたる。つまり、浮遊する立体、物理的‐動力学的な建築を願うのである。*5」
□ プロウン
リシツキーは、このような建築理論に先行する造形の理論と実践を、1919年頃から、「プロウン」と呼ばれる一連の絵画的な作品群のなかで精錬していた。
「プロウン」とは、「新しいものを確立するためのプロジェクト」を意味するロシア語の略称である。
リシツキー自身は、プロウンを「絵画から建築への乗換駅」と説明していたが、それは、単純化していえば、シュプレマティズム*6において開示された空間表現を引き継ぎ、三次元的に翻訳ないし拡張したものである*7。
プロウンの特徴として、アクソノメトリック図法の非自然的な使用が挙げられる。
二次元の〈平面〉への徹底化された還元によって再現的な描写から解放されたシュプレマティズムの位相に、三次元の〈立体〉が ― 遠近法的な錯覚によることなく ― 直観的に把握しうる仕方であらためて配置される。
双方の〈次元〉は、それらが同一の画面のなかに並存する場合があることからも分かるように、自然な次元性を再現しようとしたものではない。したがって、アクソノメトリック図法で描かれた〈立体〉は、重力への支配から解かれたような浮遊感を帯びることになる。
図版 下: リシツキー『二つの正方形の物語』、冒頭ページ(1922年)
シュプレマティズムと同型の幾何学的モティーフを平面に配置。
図版 下: リシツキー『二つの正方形の物語』、二ページ(1922年)
プロウンのモティーフの導入。アクソノメトリック図法による立体描写が球面の上に置かれている。
「われわれは、プロウンの表面が絵であることをやめ、それを四方八方から見ながら、上から下からのぞき込み、下から詳しく見つつ、われわれがその周囲をぐるりと回らなければならない、そういった構造に変わることを知った。その成果は、正しい角度で水平の位置にある絵画のまさに一つの軸が破壊されたことにある。その周りをめぐって、われわれは、われわれ自身をそのスペースにねじ込む。われわれは、プロウンに動きを与え、かくして、数多くの投影軸を得るのである。*8」
図版 下: リシツキー『二つの正方形の物語』より(1922年)
図版 下: リシツキー「プロウン」(Proun, ca. 1925)
関連ページ:
・Designs by El Lissitzky, Getty research institute [→ URL]
図版 下: エル・リシツキー「レーニン演壇」(1920年)
[以下、公開時期 2010年1月7日-2012年1月7日]
*1: このような「定説」とは対照的に、たとえば以下の論著において、社会主義リアリズムはむしろロシア前衛芸術の継承者と位置づけられている。ボリス・グロイス『全体芸術様式 スターリン』亀山郁夫 古賀義顕訳(現代思潮社、2000年)。
*3: 本田晃子「建築が飛び立つとき ― レオニドフのレーニン研究所をめぐる考察」、『ロシア語ロシア文学研究』38(日本ロシア文学会,2006年)を参照[→ pdf]。
*4: El Lissitzky, "Alte Stadt: neue Baukörper", Russland, Neues Bauen in der Welt, Bd. 1 (Anton Schroll, 1930), S. 29-30: 谷本尚子『国際構成主義 ― 中欧モダニズム再考』(世界思想社、2007年)、126頁。
*5: Lissitzky, "Zukunft und Utopie", Russland, Neues Bauen in der Welt, Bd. 1, S. 36-7: 谷本、前掲書、128-9頁。
*6: 本サイト内の関連記事として、「カジミール・マレーヴィチ、その作品と理論」[→ URL]を参照。
*7: 「シュプレマティズムは、透視図法の有限な視覚ピラミッドの頂点を無限の中に移した。〔…〕シュプレマティズムの空間は、画面から前方へという方向でも、奥行きの方向でも形づくられる。画面をゼロとすれば、奥行きの方向をマイナス、前方の方向をプラス、あるいはその反対、とすることができる。このようにして、シュプレマティズムは、遠近法による三次元空間のイリュージョンを画面から一掃し、それに代えて、前方へも後方へも無限に延長しうる非合理的な空間のイリュージョンを作りだしたのである」。Lissitzky, "Art and pangeometry", Sophie Lissitzky-Küppers, ed., El Lissitzky: Life, Letters, Texts (1967; Thames and Hudson, 1980), p. 354: 谷本、前掲書120頁。
*8: Lissitzky, "Proun, Nicht Weltvisionen, sondern - Weltrealität", De Stijl, v. 5, n. 6 (1922), p. 83: 谷本、前掲書、122頁。