きょうのコラム「時鐘」 2012年2月3日

 季節の分かれ目だから「節分(せつぶん)」だそうで、これで冬は終わり。そう言われても、この雪景色と連日の雪すかしである。どこが春か、と言いたくなる

それでも「どこかで春が生まれてる」と、かつて歌った。短い歌詞に、「どこかで」が5回も繰り返される。目をこらし、耳を澄(す)ませば、かすかに春の気配が伝わってくる。いい年をして、今ごろになると口ずさむこともある

いまは「山の三月そよ風吹いて」と歌うという。学校では「そよ風」でなく「東風(こち)吹いて」と教わり、そう覚えている。「こーちー」と引っ張るのは歌いにくい。「こち」という古めかしい言葉も、もうはやらない。だから、「教育的配慮(はいりょ)」で歌詞が変わったのだろう

だが、とりわけ北陸では、強い北風がふと東の風に変わって、春の訪れを知る。そよ風が吹けば、「どこかで春」どころか「どこもかも春」である。歌詞の手直しは、地域の風土(ふうど)が分からない東京発の改悪か。けしからんと思う

季節の移(うつ)ろいに鈍(にぶ)くなる首都圏(しゅとけん)から、いらぬおせっかいはしてほしくない。地方にいると時々、「中央」の連中のおかしさが見えてくる。