プルシェンコ劇場の第3幕が開演 (2/2)
すべての逆境を吹き飛ばした絶対王者
■けが悪化でショートは4回転回避「過去へ旅するようなものだが、棄権はしない」
彼にとって2年ぶりの国際大会。ISUの成績規定を満たしておらず、特別に出場許可を得て、予選からの出場となった。大会に向けての練習中に左ひざの半月版損傷が悪化したため、「トウを突くだけで痛い」という状態での試合。しかし予選は4回転トゥループを決めて首位通過し、「けがのことを考えないようにした。この状態でこれくらいできるなら、再手術したらもっとすごい演技ができる」と手ごたえをつかんだ。
ところがショートプログラム前日の練習中、4回転トゥループを跳んだときに膝に激痛が走り、曲げ伸ばしする事すら困難になってしまった。自身が一番こだわりを持ち、4回転を跳ばない選手を『男子ではなくダンス』とまで言った彼が、切り札を失ったのだ。もしプライドに固執するなら棄権もあり得たが、冷静な判断を下した。「4回転を跳ばない試合なんて、過去へ旅するようなもの。でも全力の演技はできないが、棄権はしない。棄権は、もうベッドから起き上がれなくなった時だけだ」と。それはプルシェンコとしては大きな前進だった。
迎えたショートプログラム。ジャンプは「3回転ルッツ+3回転トゥループ、トリプルアクセル、3回転ループ」の構成。ところが4回転を捨てたプルシェンコは、今までとは違う新しい魅力を見せた。何といってもスピードがあり、演技全体に隙がなく、止まったまま上半身で演技するような場面はほとんどない。ショートプログラム上位6人のうち、プルシェンコ以外全員が4回転に挑んだのに対して、彼はエレメンツの出来栄え(GOE)と演技全体の魅力を高く評価された。
結果は、同じ門下生のアルトゥール・ガチンスキーと0.09点の僅差で、2位発進。アレクセイ・ミーシンコーチは、ショートプログラム後、勝ち誇ったように言った。「怪我で4回転は跳べなかった。しかし今日の演技でもう、プルシェンコがいかに素晴らしく、そして危険な男であるかは分かっただろう」。
■新境地の2本のステップ、演技と出来栄えで見せる新しい戦い方
そして1月28日、男子フリー。会場の「モーターポイントアリーナ」を埋め尽くした観客達は、“危険”を更に味わうことになる。まずは冒頭で高さのある完璧な4回転トゥループ、続いて宙に浮いているかのような雄大なトリプルアクセルを2本。負傷を抱えているとは思えない、4回転王の復活だった。
さらに見所は、「ロクサーヌのタンゴ」の妖艶な雰囲気に合わせた、2本のステップだった。中盤のステップは、ゆっくりと、いや、ねっとりとジャッジを誘惑するような動き。深いエッジワークを駆使してスピード感を見せるパトリック・チャン(カナダ)や小塚崇彦(トヨタ自動車)とは違うタイプの、あえてスピードを落として“溜め”で音楽性を見せるステップだ。そして曲調が激しくなる後半のステップでは、曲調に合わせて感情を爆発。激しく顔や手を振って情熱を表現する上半身のパワーが、足を通って氷に伝わっていった。2本のステップとも、エッジワークの巧みさを見せるためのステップではなく、音楽を表現するために踊った結果がステップになっている。新境地ともいえるステップだった。
あっという間の4分半。「どうだ」と言わんばかりの強気の表情で、人差し指を突きたて「1位」を確信するプルシェンコを、観客全員がスタンディングオベーションで讃(たた)えた。バンクーバー五輪の時は立った人はまばらだったが、この夜は座って拍手する事がおこがましいほどの、異様な空気が会場を満たしていた。
ジャッジの評価が、さらに物語る。「4回転トゥループ」「トリプルアクセル+3回転トゥループ」「3回転ループ」と2つのステップは、最高評価の「+3」を付けたジャッジが何人もいた。「演技力」と「音楽解釈」は、国際大会では異例ともいえる9点台の応酬となった。フリー176.52、総合261.23でどちらも自己最高得点。7度目の欧州王者に輝いた。
「実は予選ではとても疲れてしまって、後半で良い演技が出来なかった。だからフリーの前はしっかりマッサージを受けて、いいウォームアップをして、それでエモーショナルな演技をできたんだ」とプルシェンコ。4回転ジャンプ以外の要素で見せ、出来栄えと演技構成点で他を引き離す演技。それはバンクーバー五輪で、彼ができなかった闘い方だった。
■「試合の空気が好きなんだ。アドレナリンが沸いてくる、あの感覚」
「今日みんなにありがとうを言いたい。応援してくれた観客と仲間、そして評価してくれたジャッジに! 本当だよ。僕はね、試合の空気が好きなんだ。アドレナリンが沸いてきて、勝つか負けるか分からない気持ちで集中する。その感覚が好きなんだ」。
優勝後、少年のようなあどけない笑顔で喜びを語るプルシェンコ。それは、五輪の金メダルという名誉に固執するのではない、純粋にフィギュアスケートを愛する一人のアスリートの姿にすら見えた。2月にはドイツで左ひざの手術を受け、来シーズンはフル出場するという。余りに出来過ぎた復活劇にあぜんとするメディア陣を前に、こう付け加えた。
「ソチ五輪が終わったら、自分に『もう十分だろ』って言い聞かせるよ」。
<了>
・欧州選手権・まとめページ (2012/1/30)
・欧州選手権・男子FS結果 (2012/1/28)
・欧州選手権・男子SP結果 (2012/1/26)
・【選手プロフィール】エフゲニー・プルシェンコ (2012/1/31)
・フィギュアコラム一覧 (2012/1/31)
野口美恵元毎日新聞記者、スポーツライター。自らのフィギュアスケート経験と審判資格をもとに、ルールや技術に正確な記事を執筆。日本オリンピック委員会広報部ライターとして、バンクーバー五輪を取材した。「Number」、「AERA」、「World Figure Skating」などに寄稿。最新著書の「フィギュアスケート 美のテクニック」(新書館)は、フィギュアスケートにおける美しい滑りとは何かを徹底追及した一冊。 |