プルシェンコ劇場の第3幕が開演 (1/2)
すべての逆境を吹き飛ばした絶対王者
■3度目“現役時代”のスタート
「まるで本物のプルシェンコみたいだ!」
フリーの演技直後、エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)は、自身の演技を振り返ってこう口にした。2010年のバンクーバー五輪以来、約2年ぶりとなる公式戦。必ずしも好意的な期待ばかりではない、周囲の微妙な空気を本人が一番感じていた。だからこそ、素直に喜ぶよりも、自身を揶揄(やゆ)するようなセリフが思わず口に出たのだ。
バンクーバー五輪では銀メダルになり、絶対王者の時代は終わったという見方もあった。さらに左ひざと背中のけがは悪化し、29歳のいま、肉体的な限界とも言われた。しかしそのすべての逆境は、プルシェンコの前では何の意味もなさなかった。ジャッジにも観客にも誰にも文句を言わせない圧巻の演技、そして自己最高点での優勝。
「僕がまだ終わっていないってことを証明したかった。そして一番の夢であるソチ五輪を目指すんだ」とプルシェンコ。3度目の“現役時代”は、華々しくまた猛々しいスタートを切った。
■五輪銀メダルとアマチュア資格剥奪 苦杯をなめた2年間
五輪連覇を狙っていた2010年のバンクーバー五輪は、彼にとって苦い思い出だ。4回転を跳ばなかったエバン・ライサチェク(アメリカ)が優勝し、4回転を跳んだ彼は銀メダル。ライサチェクとの大きな点差は、スピンやステップなど各エレメンツの出来栄え(GOE)と、「技のつなぎの要素」への評価だった。いわば「滑って跳んでの繰り返しの演技」とみなしたジャッジがいたのだ。
メダリスト会見では「採点方法を変えるべきだ。五輪王者が4回転をやらないなんて。今の男子はダンスになってしまった」と、採点方法を批判。しかし採点を批判することは、ジャッジの人間そのものを批判することでもある。決して紳士的な言動とは受け止められなかった。そしてバンクーバー五輪直後には、自身4度目となるソチ五輪を目指すと宣言したのだ。五輪の金メダルにこだわり過ぎる、コレクターのような印象すら与えた。
彼を取り巻く環境はさらに悪化した。バンクーバー五輪後の3〜4月に、アマチュアでありながら許可なくアイスショーに出たとして、国際スケート連盟(ISU)が試合出場資格を剥奪したのだ。ソチ五輪への道は、スタートからつまづいた。その後、アマチュア資格の回復をISUに要請。2011年6月に資格回復が決定されるまで1年間、不安な時間を過ごした。
■バンクーバー五輪とは違う、ソチ五輪への入念な青写真
一度は奪われかけたソチ五輪出場の夢。それが可能となるとプルシェンコは、バンクーバー五輪とは違い、入念な青写真を描き始めた。まず、かねてから負傷を抱えていた左ひざと背中の手術を受けた。そして、前回のように五輪シーズンに突然復帰するのではなく、段階を踏んで準備していこうと考えたのだ。彼が話した青写真は、このようなものだった。
(1)今シーズンに国際大会に1つ出て力を証明する、(2)膝の再手術をして健康面の不安をなくす、(3)来シーズンはグランプリシリーズからすべての大会に出て信用を得る、(4)2014年ソチ五輪に出て表彰台の真ん中に立ってみんなに手を振る。
「バンクーバー五輪に出たときは、周りの人々がみな『できる訳がない、3年間休んでカムバックするのは不可能だ』と言って僕を信じてくれなかった。でも僕は終わっていない。ソチ五輪では31歳になるけれどまだアスリートとして闘えるということを証明したいんだ」
そして2012年1月23日、イギリス・シェフィールドの地で、復活への第一歩となる欧州選手権を迎えた。
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