記事削除についてのお詫び!
昨日、盲導犬の扱いをネット上で<虐待>と告発するには4つの「すべし」が大事であるという思いでブログに一文を掲載した。だが、それは予期しない反応を招いた。虐待の有無、盲導犬の排尿管理の是非をテーマとするコメントでブログが荒れる結果となった。私は、この二つのテーマに関して言及する立場にはない。その経緯と全体像を知る立場にはないので、当然のことである。ただ、コメントが寄せられた一文とコメントを削除した手前、その事情は説明しておきたい。
4つのすべしとは、次のようである。
1、事実と真実とをはっきりと区別すべし。
2、関係者の人権と心情へとに配慮すべし。
3、情報発信が他者に及ぼす影響も検討すべし。
4、時を越えて、場を越えて生き続ける写真の公開は慎重にすべし。
私は、ネットでの情報発信においては4つの「すべし」が大事であると固く信じている。ややこしいのは、<事実と真実とをはっきりと区別すべし>である。「情報で示している10の事実が全て事実であっても、『○○である』と結論付けた発信内容が真実とは限らない」というのが私の認識。かかる、事実と真実との誤認は、私の犯した誤まりの一つである。
私には、全て事実に基づいて確かな情報を発信した強い確信があった。でも、私は、その事実の解釈で大きな間違いをしていた。最初に描いたストーリーが正しいと信じて全ての事実を解釈し、それらを別の角度から見るという作業を省いた。結果、伝えた事実に間違いはなかったが、その結論は真逆のものであった。そのことによって、私は関係各位に多大な迷惑をかけてしまった。最初に遭遇した事実から受けた強い衝撃が、私を誤まりへと導いた。この経験は、今でも思い出す。そのことが、私に「4つのすべし」を発信させたのかも知れない。
我がブログを「嘘だ、本当だ」の論争の場にはしたくない。私は、そういう趣味を持ち合わせていない。だから、2、3についての詳細は割愛する。ただし。削除した一文を書く動機となった<写真の公開>については、あらためて真意を述べて置く。
写真は、前後の関係を切り捨てた一瞬の切り取りに過ぎない。決して、事象の全体像を反映している訳ではない。それなのに、写されている事象に関する印象を2000字を越える長文の記事以上に与える一種の化け物である。写真そのものには、つらつらとした説明が書かれている訳ではない。それゆえに、写真は、時を越えて、場を越えて生き続けることも可能である。
たかが、歩きながら排尿している盲導犬の姿。されど、歩きながら排尿している盲導犬の姿。この公開された写真は、必ずや、時を越えて、場を越えて生き続けるであろう。すなわち、かかる写真の公開によって、一地方の一盲導犬に関する出来ごとは、全国で活動する盲導犬育成組織、その関係者、多くの盲導犬の今と未来とに関するものへと変質したのである。九州の一地方の出来ごとを告発するための写真は、公開されたその瞬間から、全国の盲導犬の今と未来とに影響を及ぼす存在と化したのである。ここに、私が、昨夜、眠れなかった理由がある。眠気眼で怒りに任せた一文を書いた理由がある。
しかし、「時を越えて、場を越えて生き続ける写真の公開は慎重にすべし」は、今や遅しである。覆水は盆には返らないからである。公開された写真が、全国の盲導犬の今と未来とに影響を及ぼす化け物という認識が私の杞憂であることを願って事情説明を終わる。
虐待の有無、盲導犬の排尿管理の是非は、私が取り上げるべきテーマではない。一部には、先の一文が、それについて言及しているかのような印象を与えたようだ。そのことで、私のブログが論争の場になるのは、私の趣味でも関心事でもない。そういうことで、先の記事は削除した。実に手前勝手な行為である。改めてお詫びしておきたい。
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