つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

「「妻帯は厳禁」永平寺に求める訴訟却下」について

2011-09-24 07:57:19 | 仏教・宗教・カルト・霊感商法関連ニュース
「妻帯は厳禁」永平寺に求める訴訟却下 福井地裁(asahi.com)

余りに下らないニュースだったのだが、一応、ウチの宗派の一件でもあるから、採り上げないわけにはいくまい。今回の一件だが、栃木県足利市に住む男性僧侶(61)が、曹洞宗の僧侶が妻を持つのは開祖・道元禅師(1200〜1253)の教えに反するとして、曹洞宗の大本山永平寺(福井県永平寺町)に対し、僧侶の教育を改めるよう求めた訴訟を、今年7月に起こしていたそうだ。道元禅師の教えに反するとはいうが、どの辺だろう?

又、外道も妻なきあり。妻なしといへども、仏法に入らざれば、邪見の外道なり。仏弟子も、在家の二衆は夫婦あり。夫婦あれども、仏弟子なれば、人中・天上にも、かたをひとしくする余類なし。
    『正法眼蔵』「礼拝得髄」巻


この辺か?でも、これも、「在家の二衆は夫婦あり」とはしているが、「夫婦あるは在家なり」とはしていないところがポイントなんだが(揚げ足取りの可能性もあるけど)。

訴えを起こした本人としては、「今の仏教界に乱れを正すよう伝えたかった」そうだが、そもそも、「仏教界」って一体何だ?「乱れ」というのは、一僧侶が決められるようなものなのか?

ハッキリ言おう。この僧侶の考えは「横暴」である。時代錯誤も甚だしい。封建主義の江戸時代なら、こういう発想も良いだろう。だが今はどうだ?「信教の自由」があるではないか。よって、上記訴えに対する判決が22日、福井地裁で下りたが、平野剛史裁判官は「裁判所が僧侶の教育を是正するのは信教の自由の侵害にあたる」と訴えを却下している。

まぁ、この訴訟却下は当然である。もし、ここで、国の裁判所が、一宗派の教義に介入するようなことがあれば、大きな問題が起きる。どうにも、マスコミはそれが分かっていない。例えば、この記事に於いて『朝日新聞』では、こんなコメントを付している。

「仏教には「不邪淫(ふじゃいん)」という妻帯を禁じる戒律があり、厳格な仏教国の僧侶は妻を持たないのが一般的だ。しかし、日本は1872(明治5)年、太政官布告で妻帯を認め、僧侶の生活も変わっていった」

ということだそうだ。そもそも、【今日の朝日新聞に載っていた気になること】というような記事を臆面も無く書いてしまう朝日が終わっているなと思うのは、「不邪淫」とは、妻帯を禁じる戒律では無く、「性交渉」を規定する戒律だ。例えば、中村元博士編『仏教語大辞典』(東京書籍)では、「不邪淫」項に「男女間の品行を正しく守ること。道ならざる愛欲をおかすことなかるべし、という意」とある。実質的には、「不倫の禁止」こそが最大の目的である。

関連して、以前、【第三不邪婬戒(『梵網菩薩戒経』参究:十重禁戒3)】という記事も書いたので、合わせてご参照願いたい。また、そもそも、我々は「戒の護持の仕方」自体が、菩薩戒的護持をするのであり、多分、ここでいわれているような声聞戒的護持とは相容れない。その辺の詳細は【受戒と持戒】でもご覧いただくと良いだろう。また、「セックスレス夫婦」なら如何?声聞戒的な護持の仕方でも、妻帯に問題は無い。

また、朝日の記事でいう「厳格な仏教国の僧侶」という言葉も不明瞭だ。朝日は、日本の国教を仏教にでもしたいのだろうか?そうではあるまい。ただ、日本の仏教を批判したいだけなのだ、共産主義の発想で。だからこそ、「一般的」なんていう言葉を使ってしまっている。我々日本仏教には、どこかに本店があって機能する「フランチャイズ」というわけではない。よって、実際のところ、仏教の諸現象とはどこまでも特殊事例の積み重ねである。今の日本に対して、他の国のありようを並べて比べても無駄なのである。

「信教の自由」というのは、それ程に自由だ。にもかかわらず、一部の「高名な学者」は、「仏陀の真の教え」とか「仏陀の戒律」とかを振りかざして日本仏教を批判するが、そもそも学者連中に日本仏教を批判する資格は無い。権利も無い。何故ならば、「どのような教義を持っていても自由」だからだ(無論、反社会的な行為を認める場合には、その教義を信奉する者達は法律によって裁かれなくてはならない。かのオウム真理教のように。だが、僧侶による結婚や性交渉は反社会的行為だろうか?)。だから、我々は、自分達で江戸時代に僧侶の妻帯を禁じた「法度」が停止された段階で、「僧侶は妻帯する」と受け容れたはずなのだ(無論、「妻帯しない自由」もある)。この選択は自由である。問題は、これに対して、「信者」が付くかどうかだけである。そして、現状、信者がいて、布施を得て生活している僧侶が多いことからすれば、ここに問題は無いと判断できる。

日本仏教寺院の檀信徒では無いような人には理解できないかもしれないが、今時の檀信徒の中には、かなり本気で「お世継ぎ問題」を考えて下さる方がいる。これは、副住職(または住職)で、30歳も超えて独身だと、檀家さんが本気で行く末を心配し出す、ということだ。もちろん、その焦燥感は理解できる。何故なら、跡継ぎがいない状況で、今の住職に何かあったら、自分も、自分の先祖も、供養されない危機が訪れるからだ。よって、「結婚相手」「子供(お世継ぎ)」について、「早く何とかしろ」というわけだ。行き過ぎると、「ウチの孫を嫁にもらってはくれないか?」とか、本気でいったりする。これは、ごく一部かも知れないが、しかし儼然と存在する事実である。

よって、外野から、妻帯を批判することは許されない。

しかし問題だと思うのは、この栃木県の僧侶である。どうして、「信教の自由」を保障している憲法の基本を理解しようとしないのだろう?もし、「信教の自由」が無いとすればどうなるのかを想像してみると良いだろう。あっという間に、かつての国家神道の時代のように、日本全体が「カルト化」してしまうと思うがね。キリスト教徒は再び弾圧され、数多くの殉教者を生み出し、イスラム世界が日本に本格的には行ってきつつある昨今、そちらとの宗教戦争も勃発するだろう。

また、他にも幾つか問題があると思うのは、現在、曹洞宗に於ける僧侶の教育を担うのは、永平寺だけでは無い。大本山は、横浜市鶴見区にある總持寺もある。そして、全国に数多くある「専門僧堂」も同様である。それらは「無視」するのだろうか?だとすれば、偏狭である。

また、教義的問題は、両大本山に決定権が有るとは聞いていない。むしろ、現状それを持っているのは、曹洞宗宗務庁教学部学事課であると思うが如何?その学事課も、教学審議会を通して合議して決めていくのであり、我々曹洞宗というのは、誰かが何かを専決できるような、未熟な組織では無いと思う。この栃木県の僧侶、本気で何かを変えたいのなら、曹洞宗内の選挙を通して変えていくべきである。いきなり本山を相手に裁判を起こして、それで何とかして貰おう、という発想自体ナンセンスであるし、ハッキリ申し上げれば、永平寺に対して礼を失する行為である。かつて、選挙すら無く、裁判を起こす手段すら限定されていたため、諸問題(悪弊)を改めようが無かった江戸元禄期とは話が違うのだ。元禄期は、だからこそ命を賭けて幕府・寺社奉行に直訴して、幕府が曹洞宗の教義を決めた(「宗統復古運動―つらつら日暮らしWiki」参照)が、もう、そんな幕府は無い。相手は、幕府とは逆に、「そっちで好きにやれ」と言ってくる日本政府なのだし、我々曹洞宗の寺院も、それぞれが「独立して運営されている宗教法人」である。

つまり、我々は、我々で教義を自由勝手に決めて、その賛同者を信者にすれば良いだけのことである。だから、日本仏教の僧侶が妻帯(実際は、「妻帯」だけ扱うと、女性差別になると思う。比丘は男性だが、比丘尼は女性で、女性僧侶も曹洞宗にいるのだから、その方々の「夫帯」はどうするのか?という話も必要だ。だが、妻帯を問題視する必要が無いのと同じように、夫帯も問題視すべきでは無い、と拙僧は思う)するのが嫌だ、という人は、今の曹洞宗を始めとする日本仏教の信者で無くなれば良いのである。それこそ、南方仏教や台湾、朝鮮半島の仏教あたりなら、妻帯を「ケガレ」と見なす差別思想者の自己満足を満たしてくれるであろう(嘲笑)

しかし、この訴訟が却下されたことによって、拙僧は今の日本人が「信教の自由」を再確認してくれたことの影響を評価したい。もし、それを考えて、この栃木県の僧侶が裁判を起こしたとすれば、むしろ、この僧侶は、拙僧と理念を同じくする同行善知識である・・・いや、この言い方は皮肉が効き過ぎか?多分、拙僧とは絶対に相容れない人だと思う(汗)詳しいことは、ウチの研究所に、足利市に自坊を持つ先生がおられるので、来週聞いてみよう。

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13 コメント

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是非 (kenryu)
2011-09-24 08:56:38
tenjin95師
ご無沙汰していますが、いつも拝見しております。方々から、好奇の眼差しと共に、この件についての意見を求められます。
是非、足利市が自坊の先生にお伺い下さいませ。
Unknown (市堀玉宗)
2011-09-24 09:40:16
お疲れ様です。
ある意味怖いですね。
今時、このようなことを言い出すお坊さんがいる事が。それも戦後生まれ!
朝日の不邪淫戒の解釈も、それこそ一般的な理解を代表している(つもり)なのでしょうが、マスコミが社会的コンセンサスをミスリードしないことを祈ります。
私見として (石塚 祐堂)
2011-09-24 09:41:45
>>tenjin95大兄

当方は真宗大谷派ゆえ、公的に妻帯を認めています。
ですが、妻帯をしながら、ほかの人と関係を持って良いのか?というと、決してそうではないと思います。
宗祖親鸞聖人が恵信尼公との結婚を決めたのは、(法然上人の指示からという説もありますが)女人往生を具現する、ということが大なる目的ではなかったかと確認しています。

この栃木県の僧侶殿は「仏教界の乱れを正す」と申しておいでですが、むしろ、おっしゃった本人のほうが、いちばん乱れやすい心持だからこそ、こんな考えを起こしたのではないでしょうか?
助化師さま (叢林@Net)
2011-09-24 11:48:20
すべてを言い尽くした的確なご指摘かと。

その意味においても、やはりコメントするに値しない今回の訴訟だったと思います。

まず、なぜこの問題を司法に訴えるのかが未だに意味不明です。

もしや「司法」ではなく「嗣法」上の問題だったのですかね
Unknown (shosen)
2011-09-24 18:18:47
足利市と言えばS金先生のトコロだなぁ、、と思いつつ、いや、裁判に訴えるという何とも驚きの気持ちでもって、このニュース見ておりました。

つくづく、僧侶(寺院住職)とは、その相手方との関係性において見方のころっと変わってしまう存在(職業)なのだなと思いました。こういうのって、他にあまりないですよね。「仏教の諸現象とはどこまでも特殊事例の積み重ね」であることの証拠でしょうか。だからこそおもしろいのかも知れません・・。
おっしゃっている「お世継ぎ問題」も、これはこれで別の問題(例えば不妊に関するものとか)もあるわけですが、夫婦、そして周囲で良い関係を、お互い労りつつ育てていくというのも精進の一姿でしょうか。

この件、ちょっと背景がわかりませんので何ともですが、なんだか八つ当たりのような気がします。。
Unknown (ヒロ)
2011-09-25 21:34:06
こんにちは。
日本仏教界にも原理主義者がいるんですね。

他国の仏教からみれば日本仏教は異端だし、いっそ紛らわしいから日本仏教から仏教の二文字は抜いて、別の字をの付けた方が良いのではないでしょうか。
そうすりゃすべて解決。
妻帯も問題なし。
アカヒなんぞに批判される事はないし。
まして他国の仏教と比較される筋合いは無いわけだし。

その昔、富永仲基の大乗非仏説で、大乗経典は釈迦の言行とは何の関係も無いと書いていますよね。

>つまり、我々は、我々で教義を自由勝手に決めて、その賛同者を信者にすれば良いだけのことである。

これだって自由ですよね。

お坊様のブログを拝見し、妻帯の問題を信教の自由と結びつけて書かれておりましたが、大政官布告で妻帯を認めると言われても、「大きなお世話だ、私らは今までと同じでよい。」と言えばよかったのではないのでしょうか。

信教の自由を語るのであれば、そのほうがより説得力を持つのではないでしょうか。

それとも太政官布告って命令だったのでしょうか。
違った、幕府の締め付け厳しく妻帯を認めてなかっただけなのですね。

それにしても、上座部仏教や他の国の仏教を

>妻帯を「ケガレ」と見なす差別思想者

その事を疑問視する人に対しては。

>日本仏教の僧侶が妻帯するのが嫌だ、という人は、今の曹洞宗を始めとする日本仏教の信者で無くなれば良いのである。

お坊様、言い方が過激ですね(笑)

秋の彼岸で田舎の菩提寺に行ってまいりました。

皆さんコメントありがとうございます。 (tenjin95)
2011-09-25 22:08:36
> kenryu老師

> ご無沙汰していますが、いつも拝見しております。方々から、好奇の眼差しと共に、この件についての意見を求められます。

そうでしたか。いや、それは大変でございます。

> 是非、足利市が自坊の先生にお伺い下さいませ。

承知いたしました。そのようにいたします。

> 市堀玉宗 さん

> ある意味怖いですね。

そうですね。自分が懐いている「正しさ」を無条件に相手にも押しつけようとする人が、ウチの宗内にいるというだけで、何とも不気味です。

> 今時、このようなことを言い出すお坊さんがいる事が。それも戦後生まれ!

戦後生まれだから、かもしれません。所謂「団塊の世代」ですよね。或る意味、戦前生まれと変わらない気質を持ったこの世代の人ならやりかねません。

> 朝日の不邪淫戒の解釈も、それこそ一般的な理解を代表している(つもり)なのでしょうが、マスコミが社会的コンセンサスをミスリードしないことを祈ります。

ご指摘の通りですね。とりあえず、この一件については、朝日以外はまともな採り上げ方をしていないようですけれども、もうちょっと色々と勉強してから記事を書けば良いのに、と思いますね。

> 石塚祐堂 さん

> 当方は真宗大谷派ゆえ、公的に妻帯を認めています。

そうですね。江戸時代も同様でした。

> ですが、妻帯をしながら、ほかの人と関係を持って良いのか?というと、決してそうではないと思います。

それはそうでしょうね。

> 宗祖親鸞聖人が恵信尼公との結婚を決めたのは、(法然上人の指示からという説もありますが)女人往生を具現する、ということが大なる目的ではなかったかと確認しています。

他力本願の前に、戒律は意味が無いですし、ご指摘の通りの理由だったのでしょう。

> この栃木県の僧侶殿は「仏教界の乱れを正す」と申しておいでですが、むしろ、おっしゃった本人のほうが、いちばん乱れやすい心持だからこそ、こんな考えを起こしたのではないでしょうか?

何ともいえませんが、結局、他人に決められなければ守れない戒律など、果たしてどれほどの意味があろうか?とも思いますね。

> 叢林@Net さん

> すべてを言い尽くした的確なご指摘かと。

ありがとうございます。

> その意味においても、やはりコメントするに値しない今回の訴訟だったと思います。

そうですね。永平寺も迷惑だったことでしょう。

> まず、なぜこの問題を司法に訴えるのかが未だに意味不明です。

仰る通りです。正直、本人だけが守っていれば良いのでは無いかと思いますね。

> え もしや「司法」ではなく「嗣法」上の問題だったのですかね

だとすれば、訴える先は、「裁判所」ではなくて、「室中」ですね。

> shosen さん

> 足利市と言えばS金先生のトコロだなぁ、、と思いつつ、いや、裁判に訴えるという何とも驚きの気持ちでもって、このニュース見ておりました。

確かにS金老師の御自坊もありますね。拙僧が思っていたのは、S部老師でした。

> つくづく、僧侶(寺院住職)とは、その相手方との関係性において見方のころっと変わってしまう存在(職業)なのだなと思いました。こういうのって、他にあまりないですよね。「仏教の諸現象とはどこまでも特殊事例の積み重ね」であることの証拠でしょうか。だからこそおもしろいのかも知れません・・。

そうですね。仏陀の時代も同様に、仏教っていうのは、中央集権的政体にそぐわないように思いますね。よって、特殊事例の積み重ね、という表現は、その内実を表現するのに適しているかな、という感じがしています。

> おっしゃっている「お世継ぎ問題」も、これはこれで別の問題(例えば不妊に関するものとか)もあるわけですが、夫婦、そして周囲で良い関係を、お互い労りつつ育てていくというのも精進の一姿でしょうか。

そんなところだと思います。心配は、あくまでも未来に希望を持っているからだと信じたいところです。

> この件、ちょっと背景がわかりませんので何ともですが、なんだか八つ当たりのような気がします。。

確かに、動機は不明ですね。

> ヒロ さん

> 日本仏教界にも原理主義者がいるんですね。

拙僧は、原理主義者ではないですね。本当に原理主義なら、曹洞宗以外に、浄土真宗や、日蓮宗のことまで学び、敬意を払う必要が無いように思います。或いは、チベット仏教の現状に憂慮するのは何故でしょうか?この記事だけ見て、「原理主義者」だとレッテルを貼られたのであれば、心外ですね。

> 他国の仏教からみれば日本仏教は異端だし、いっそ紛らわしいから日本仏教から仏教の二文字は抜いて、別の字をの付けた方が良いのではないでしょうか。

他国の仏教から、日本仏教を見る必要性について、まともな理由を仰ること出来ますか?

> そうすりゃすべて解決。妻帯も問題なし。

日本だけが妻帯していると思っているなら、大きな間違いですよ。

> その昔、富永仲基の大乗非仏説で、大乗経典は釈迦の言行とは何の関係も無いと書いていますよね。

う〜ん・・・まぁ、今は既に、富永の方法も批判されているし、御指摘の「釈迦の言行」については、かなり幅広に取られているんですけど、一般の人は知らずに、俗説化された「大乗非仏説」を信じているというところでしょうか。

> お坊様のブログを拝見し、妻帯の問題を信教の自由と結びつけて書かれておりましたが、大政官布告で妻帯を認めると言われても、「大きなお世話だ、私らは今までと同じでよい。」と言えばよかったのではないのでしょうか。

でも、本当に、そう言える状況にあったかどうか、現状は、言ってこなかったという事実の上にあるわけですが、このことについて、「言わなかった」とばかり、貴方は思っているのでしょうが、いろいろと調べてみると「言えなかった」という状況もあったようです。歴史の細部を学ぶ前に、安易に決め付けるのは良くないと思いますね。

> 信教の自由を語るのであれば、そのほうがより説得力を持つのではないでしょうか。

貴方の価値観に合うか、合わないか、という観点で、「僧侶の妻帯が嫌だ」というのは、何となく分かりました。また、貴方にとって、妻帯しない僧侶の方が、「宗教者として説得力を持つ」というのも分かりました。であれば、急ぎの妻帯を勧める檀信徒について、貴方はどう説明されますか?目を閉じ、無いことにしますか。それとも、自分とは合わないことを理由に、その人達と、血みどろの争いでもしますか?「自由」という言葉を弄しながら、一方で、相手に、自分の好みとは合わないことをしていることを詰っているのが貴方です。結局、自分にとって都合の良いことにばかり「自由」を使っていることになり、それは議論として不誠実です。拙僧は何て言ったのか?我々に教義選択の自由があるなら、信者側にも宗教者を選ぶ側にも自由がある、といっているのです。

貴方は、現在の日本仏教者に、選択の自由を認めようとしていません。それはまさに、議論としては幼稚に過ぎます。

>それとも太政官布告って命令だったのでしょうか。違った、幕府の締め付け厳しく妻帯を認めてなかっただけなのですね。

この辺ですが、「事実上の命令」に受け取っていた、当時の僧がいたことも分かっています。それくらい、新政府の布告っていうのは、重かったようですよ。今の政府の感覚で考えると大間違いです。何せ、シビリアンコントロールが効かない、事実上の軍事政権として、とんでもない武力を持った連中だったのですから。

> お坊様、言い方が過激ですね(笑)

そうでしょうか?自分の感覚に合わないから、過激に思えているだけでしょう。普通ですよ、こんな発言。
何故裁判所へ? (御坊哲)
2011-09-26 22:10:02
宗教上の問題を何故世俗の法律に委ねようとしたのか合点がいきませんね。
裁判所がまともに取り合うとでも考えたのでしょうか、その思考回路と知的レベルにはかなり問題がありそうです。僧侶としての最低限の常識をもたない人が、何故僧侶たりえているのか、その意味で宗門の責任が問われてしかるべきではないでしょうか。
コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2011-09-27 07:09:14
> 御坊哲 さん

> 宗教上の問題を何故世俗の法律に委ねようとしたのか合点がいきませんね。

仰る通りです。この辺は、基本ですね。

> 裁判所がまともに取り合うとでも考えたのでしょうか、その思考回路と知的レベルにはかなり問題がありそうです。僧侶としての最低限の常識をもたない人が、何故僧侶たりえているのか、その意味で宗門の責任が問われてしかるべきではないでしょうか。

その後の調査で、朝日は上記の如く「僧侶」と書きましたが、もう、僧籍は無く、「自称」だという話も聞こえてきました。その意味では、確かに、曹洞宗ではどなたも出家できて、その出家功徳を謳いますが、出家させた受業師の責任は問われるべきかと存じます。
ありがとうございます (ヒロ)
2011-09-27 21:54:04
お答えありがとうございます。
昨日今日と仕事で大阪へ行っておりました。

まず最初に誤解が無き用申し上げますが、私個人は僧侶の妻帯につきましては、多くの皆さんと同じ用に、それほど深く考えてはおりません。
ちなみに何度も書きますが私は宗教には無知です。
それゆえ、浄土真宗以外の宗派では、明らかに戒律でやってはいけないと書かれているにも関わらず、現に行われている事を不思議に思っているだけです。

それから原理主義者の書き込みに関しては、私はお坊様の事を申している訳ではございません。
福井地裁に訴えを出したという足利市在住の曹洞宗の僧侶の事です。
かのお坊様は道元禅師の教えに忠実に生きてらっしゃるのでしょうかねぇ。
まあ司法の場に出たという事は、広く一般の人々にこの問題を知ってほしいとの思いなのでしょうね。
永平寺を訴えたのは、誰でも知っているお寺ですし、一般の方が思う曹洞宗のシンボルだからでしょう。
總持寺が曹洞宗の大本山である事は私ですら知っています。
でもこと訴訟となった場合のインパクトは「永平寺を訴える」には負けるでしょうね。

> 裁判所がまともに取り合うとでも考えたのでしょうか、その思考回路と知的レベルにはかなり問題がありそうです。僧侶としての最低限の常識をもたない人が、何故僧侶たりえているのか、その意味で宗門の責任が問われてしかるべきではないでしょうか。

まあ方法論は別にして、反対になぜ足利市の僧侶が同じ僧侶にここまで口を極めて批判されなければならないのか分かりません。
戒律をを忠実に守っている僧侶でしょう。
反対に、かのお坊様をヒステリックに非難する僧侶は、心にやましさでも持っているのでは・・と勘ぐっちゃいますよ。
まあ、無知蒙昧、下種の勘ぐりですからお許し下さい。

>他国の仏教から、日本仏教を見る必要性について、まともな理由を仰ること出来ますか?

まあ、これはあくまで日本国内の問題なのですから、他国から見る必要性は無いのでしょう。
ただし、日本仏教の経典すべてがmade in Japanならお坊様のご質問にお手上げですけど、経典の一部でも使っていて、元とは違う解釈(方便)をしているのであれば、彼らからはどの様に見えるのかな?と、思って書いただけです。

>日本だけが妻帯していると思っているなら、大きな間違いですよ。

一部はチベットや韓国に居るのは知っています。
韓国の妻帯僧は日帝時代に入って来たとかで、韓国国内での妻帯僧と従来型(?)僧同士の大喧嘩はニュースにもなりましたね。
血の気が多い国民性だから、ぶつかり合うと僧侶といえど流血騒ぎですね。
他の国の事は勉強不足なので知りません。

>今は既に、富永の方法も批判されているし、御指摘の「釈迦の言行」については、かなり幅広に取られているんですけど、一般の人は知らずに、俗説化された「大乗非仏説」を信じているというところでしょうか。

と言う事は、富永仲基の「大乗非仏説」は論破されたのですか。
これも勉強不足でした。

>急ぎの妻帯を勧める急ぎの妻帯を勧める檀信徒について、貴方はどう説明されますか?

かっては本山の高僧が多くの弟子の中から選りすぐり、彼らを各地の寺に配したと聞きました。
当然各寺には優れた僧侶が来られ、檀信徒の尊敬を集めた訳ですね。
テレビでやっていた「日本むかし話」でも本山から荒れ果てた寺に若い僧侶がやってきて、
寺を再興し尊敬を集めたなんて話が有りましたね。

>急ぎの妻帯を勧める急ぎの妻帯を勧める檀信徒について

寺の存続についての事で、世襲が前提なので有れば「後継ぎを早く」てな事になるのじゃないですか。
世襲が前提でなければ当然檀家衆は本山へ僧侶の派遣をお願いするのではないですか。

と、ここまで書いていて、偶然http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2102694.htmlを見ました。
こんな事だれも知らないですよ。お寺様も本当はたいへんなのですね。

生意気申しまして申し訳ございませんでした。

これからもいろいろ教えて頂ければ幸いです。
コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2011-09-27 23:54:16
> ヒロ さん

> まず最初に誤解が無き用申し上げますが、私個人は僧侶の妻帯につきましては、多くの皆さんと同じ用に、それほど深く考えてはおりません。

出来ることなら、肯定的に捉えていただきたいところですが・・・

> ちなみに何度も書きますが私は宗教には無知です。それゆえ、浄土真宗以外の宗派では、明らかに戒律でやってはいけないと書かれているにも関わらず、現に行われている事を不思議に思っているだけです。

ちょっと専門的になりますが、我々は、「戒律に書いてある、だからやっちゃダメ」という「守り方」を「声聞戒」とし、「戒律にあるけど、破ることが出来ない戒があるよ」というのを「菩薩戒」としています。我々が護持しているのは菩薩戒です。よって、ご指摘の様な発想自体をしていないわけです。

なお、破ることが出来ない、どうやっても守れる、というのは既に大乗経典『大般涅槃経』に書いてございます。

> それから原理主義者の書き込みに関しては、私はお坊様の事を申している訳ではございません。

実は、そうなのでは?とも思いましたが、先に頂戴した文章全体が、どうにも、今の日本仏教について、「仏教では無い」というニュアンスで書かれているように感じたので、敢えて拙僧に向けてだと捉え、反論しました。もし、そうでなかったのなら、謝罪します。申し訳ありませんでした。

> かのお坊様は道元禅師の教えに忠実に生きてらっしゃるのでしょうかねぇ。

いや、拙僧はそうは思いません。それから、後で調べたのですが、この方、一時は曹洞宗の僧籍も持っていたようですが、今では事実上、僧籍が無い「自称僧侶」だという話も入ってきました。まぁ、朝日あたりはその辺、ちゃんと書かないでしょうからね。

> まあ司法の場に出たという事は、広く一般の人々にこの問題を知ってほしいとの思いなのでしょうね。

どうでしょうか?
こういう手合いはご存じないですか?「とりあえず相手を悪し様に貶すことで、自分の方が正統的だと思わせる人」です。色々と判断すると、この訴えた人は、そういうタイプの人のようです。

> まあ方法論は別にして、反対になぜ足利市の僧侶が同じ僧侶にここまで口を極めて批判されなければならないのか分かりません。戒律をを忠実に守っている僧侶でしょう。

先に申し上げた如く、拙僧はこの「自称僧侶」について、どうにも「自分だけが正しい」「他の僧侶は間違っている」という考えを懐いているように感じています。もし、そうだとするならば、前者は「不自讃毀他戒」という戒に、後者は「不説過戒」という戒に、それぞれ背いています。戒は、不邪淫戒や不殺生戒だけでは無いので、その意味では、この僧侶は他の僧侶をどうこう言う資格が無いように思えます。

> 反対に、かのお坊様をヒステリックに非難する僧侶は、心にやましさでも持っているのでは・・と勘ぐっちゃいますよ。まあ、無知蒙昧、下種の勘ぐりですからお許し下さい。

別に、我々は何てことも無く妻帯して、子供に寺を継がせるだけなので、「ヒステリックに非難」という程、深刻ではありません。拙僧は、道理も分からず、こういう裁判をするような輩が、生理的に嫌いなだけです。それで、こういう記事を書いた次第です。正義を背負うような輩は、本当に始末に負えません。

> ただし、日本仏教の経典すべてがmade in Japanならお坊様のご質問にお手上げですけど、経典の一部でも使っていて、元とは違う解釈(方便)をしているのであれば、彼らからはどの様に見えるのかな?と、思って書いただけです。

日本の解釈をしたら、その経典は現実に、日本仕様って事ですよね。よって、ここで仰っていることは、拙僧には理解できません。まぁ、大概、日本の仏教を異端視したい連中は、そもそも大乗経典なんか知らないでしょうから、まったく別の宗教に思えるのかもしれません。もっとも、拙僧は「仏教が1つである必要性」を感じておりませんが。

> 一部はチベットや韓国に居るのは知っています。

他にも、中国南部の上座部仏教や、モンゴル仏教にもいますね。

> と言う事は、富永仲基の「大乗非仏説」は論破されたのですか。これも勉強不足でした。

富永が採った方法は、経典を比較し、「付け加えられた箇所がある」と判断すると、それを「加上」とします。問題は、富永がその「加上」を無条件に「後代の添加」としたことです。その点は、現在批判されています。

> かっては本山の高僧が多くの弟子の中から選りすぐり、彼らを各地の寺に配したと聞きました。当然各寺には優れた僧侶が来られ、檀信徒の尊敬を集めた訳ですね。

いつの時代のことでしょうか。なお、曹洞宗では、こういう状況はごく稀だったように思います。よって、稀なので、「各地の寺に配置」という程一般化できるとは思えません。なお、他宗派は知りません。

また、檀信徒の尊敬を集める条件は多種多様です。この自称僧侶がいう破戒僧でも人気がある人がいます。

> テレビでやっていた「日本むかし話」でも本山から荒れ果てた寺に若い僧侶がやってきて、寺を再興し尊敬を集めたなんて話が有りましたね。

まぁ、説話は説話なので、これも一般化されると困ります。事例としてはあったと思いますが。

> 寺の存続についての事で、世襲が前提なので有れば「後継ぎを早く」てな事になるのじゃないですか。世襲が前提でなければ当然檀家衆は本山へ僧侶の派遣をお願いするのではないですか。

世襲を前提に、ということと合わせて、世襲を自主的に望む、という事があります。それは、世話になった和尚の子や孫に、面倒を見て貰いたいという人間関係です。

本山に頼みたいという人がいるのかもしれませんが、最近では僧侶の世界も人手不足ですから、本当に良い僧侶と巡り会えるかどうかは、世襲と変わらない、場合によっては、世襲より酷いってこともあるかもしれませんよ・・・

世襲については、悪しき面しか考えられていないという現状は歪んでいます。実際には良い面も、それこそ仏陀の定めた戒律なんぞ吹き飛ばすほどに良い面もたくさんあるのです。
4重戒 (在家信者)
2011-10-12 08:40:06
出家僧には具足戒(250戒、尼は384戒)あり、うち4重禁戒は違反すると、断頭罪として僧団から追放される。不マイ(ノーセックス)、大嘘をつかない、盗まない、殺さない、の4つです。在家は5戒で、不邪淫がありますが、そもそも出家には不邪淫戒はありません。これが日本でいわれるのは、クラマジューが偽戒律として、「十重四十八軽戒」(通称、大乗菩薩戒)を作ったためです。彼自身女を抱きつつ経典翻訳をしていたような人物です。訴訟した坊さんがいるような寺なら私は是非信者になりたいものです。
コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2011-10-12 08:44:41
> 在家信者 さん

> 出家僧には具足戒(250戒、尼は384戒)あり、うち4重禁戒は違反すると、断頭罪として僧団から追放される。不マイ(ノーセックス)、大嘘をつかない、盗まない、殺さない、の4つです。在家は5戒で、不邪淫がありますが、そもそも出家には不邪淫戒はありません。

まぁ、声聞戒はこの通りですね。

> これが日本でいわれるのは、クラマジューが偽戒律として、「十重四十八軽戒」(通称、大乗菩薩戒)を作ったためです。

我々は「偽戒律」として認識しておらず、この菩薩戒こそが正しいと思っています。勝手に、「真偽」を決める権利は貴方にはありません。「信教の自由」って知っていますか?

> 彼自身女を抱きつつ経典翻訳をしていたような人物です。訴訟した坊さんがいるような寺なら私は是非信者になりたいものです。

アハハ(笑)拙僧は、自分だけが正しい、他はみんな間違っていると譫言を言い続けるような坊主の信者にだけは成りたくないものです。まぁ、それも含めて「信教の自由」ですから、貴方の好きにすれば良いと思いますけどね。鳩摩羅什三蔵万歳!!

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