DMHO(dihydrogen monoxide)という化学物質があります。この物質の特徴は以下の通りです。
(1)酸性雨の主成分である
(2)強い温室効果を持ち、地球温暖化の原因となっている
(3)高レベルのDHMOにさらされることで植物の成長が阻害される
(4)末期ガンの腫瘍細胞中にも必ず含まれている
(5)固体状態のDHMOに長時間触れていると、皮膚の大規模な損傷を起こす
(6)多くの金属を腐食・劣化させる
(7)自動車のブレーキや電気系統の機能低下の原因となる
この物質は日本中の工場で冷却・洗浄・溶剤などとして何の規制もなく使用、排出され、河川だけでなく母乳や南極の氷にまで高濃度のDHMOが検出されています。
このような危険な物質の使用は即刻中止すべきです。
この恐ろしいDMHOを和訳すると、一酸化二水素(H2O)、つまりただの水です。水の危険性を訴えたのですが、嘘は一つもありません。
同様にあらゆる物質の危険性を指摘することができます。例えば「コーラよりもはるかに高カロリー・高脂肪で大量摂取すれば下痢を引き起こす。雑菌が繁殖しやすく食中毒を引き起こす」と言えば牛乳です。このように危険性を訴えることは無限に出来るのに対し、安全性を完全に証明するのは不可能です。動物実験では人間への作用がわからない、未知の作用があるかもしれない、他の物質と複合的に作用するかもしれない、などと心配のしようはいくらでもあるからです。ある物をあると証明するには一つ証拠を挙げればいいだけですが、ない物をないと証明するには全ての事象を検証しなければならず実質不可能で悪魔の証明と呼ばれます。そして安全と安心にまつわる問題は危険性を主張する側が正義、安全性を主張する側が国や企業の意向を受けた悪という単純な図式にはめられてしまいます。安全を主張する側はもし何かあった際には責任を負わなければならないのに対し、危険性を主張する側には何の責任も発生しません。安全の主張は高度な科学的知見が必要になるのに対し、危険の主張は誰でもでき、サプリや健康器具などの商売にもなります。現在の福島の問題でも同様です。放射線を過剰に恐れる必要はないという科学者は御用学者と呼ばれ叩かれるのに対し、何の科学的知見を持たずに反原発を訴えるミュージシャンや俳優がもてはやされます。科学者は叩かれることを恐れ何も言わなくなり、科学的な議論が成立しなくなります。そうして放射線の恐ろしさばかりが一人歩きし、福島を貶めることになるのです。