講演要旨『人体実験を許すな。~携帯電磁波の危険性~

                           

伊那谷の環境と健康を守る会 設立一周年 記念講演会〉
                        2011911日 塩尻総合文化センター
                   

                                馬奈木昭雄弁護士




 今日は、公害による健康被害や環境破壊を基本的にどう考えるか、あるいはそれにどう立ち向かっていくのかということについて、法律の観点から話してみたいと思います。

 わたしは1969年に弁護士になりました。この年に水俣病の一次訴訟が提訴されました。その後、水俣病は2次訴訟、3次訴訟、そして最近和解が成立したノーモアミナマタ訴訟(4次)というかたちで解決していきました。

◇終わりなき水俣病
水俣病裁判は最初の提訴からもう40年が経過しています。公式に最初の患者が見つかったのは、昭和31年ですから、その時点から計算するとすでに50年以上が過ぎています。

 この3月にノーモアミナマタ訴訟が決着して、わたしどもは慰労会を開きました。

 その時、司会者が、わたしども古手の弁護士や医師に対して、「今日のところは、水俣病はまだ終わっていない。これから次の訴訟がある」と挨拶するのは遠慮してくれと言われた。

 ところが藤野さんというベテランの医師が、「まだ、残された課題がたくさんあるんだよね」と発言してしまった。そこでわたしも彼の尻馬に乗って、「今日は5次訴訟の決起集会となりました」と言ってしまいました。

 なぜ、水俣病は50年を過ぎても、まだ、解決できないのでしょうか。他の公害裁判は、さっさと解決しているのに、水俣病の裁判はなぜ決着が着かないのですか、と質問されることがよくあります。わたしは当事者なので、そんなふうにと言われると、その言葉に非難が込められているように感じます。

 確かにすでに決着がついた公害訴訟はたくさんあります。しかし、それは問題が解決したからたたかいが終わったのでしょうか?そうではありません。

 わたしどものスローガンは「被害者の最後の一人まで」救済することです。わたしどもがたたかいを終わることができないのは、最後の一人までまだたどり着いていないからなんです。ですから、当然、第5次訴訟を起こします。

 さて、わたしが弁護士1年生で取り組んだ1次訴訟では、加害企業チッソの企業責任を問いました。大量殺人、殺戮の責任を問うたのです。

 2次訴訟では、水俣病とはどのような病気なのかを争いました。これも完勝しました。控訴審でも勝ちました。これを受けて当時の環境庁長官は、チッソに対して上告しないようにアドバイスしました。その結果、チッソは上告を断念して、判決は高裁で確定しました。

 ですからわたしどもは当然、国が水俣病の認定基準を改めてくれるものと思いました。実際、「認定基準を改めてくれますよね」と念を押しました。ところがこれに対して、環境庁長官は「名せりふ」を吐きました。「行政と司法は違うんです」と言ったのです。「行政判断はまた別でございます」と開きなおり、判決には従いませんでした。

 余談になりますが、最も悪質な組織体は国・官僚です。国民に被害を与えて平然として恥じないのが国・官僚です。

 もちろん極めてたちの悪い加害企業もありますが、それよりももっと悪いのが国・官僚です。わたしはこれまでいろいろな公害裁判に取り組んできた経緯から、自信をもってそのことを断言しておきます。

 われわれが裁判を通じてやっているのは、もちろん環境問題との戦いでありますが、別の側面もあります。それは国民主権を勝ち取る戦いであります。

 本来、物ごとを決めるのはだれなのでしょうか?官僚たちは、物ごとを決めるのは自分だと思っています。それもひとりの課長がそんなふうに考え「わたしが国だ。わたしが物事を決める」と平然と言います。

 しかし、物ごとを決めるのは国民です。とりわけ公害の被害が出ているとすれば、それは被害者が決めるべきなんです。

ですからわたしどもの戦いは、官僚の手から、物事の決定権を住民の手に取り返す戦い、あるいは国民主権を勝ち取る戦いでもあるのです。

 わたしどもは、環境長官の暴言に対して、「それならば」ということで、国を相手に訴訟を起こしたのです。それが水俣病の3次訴訟であります。この裁判でもわたしどもは完勝しました。そして福岡高裁で和解決着しました。

 ところが救済もれの患者さんが出てしまった。実はわたしどもは、それを承知の上で和解したのです。そのために随分非難を受けました。非難されましたが、わたしどもは、「生きているうちに救済を」という目標がありましたから、これまで戦ってきた被害者の救済を優先したのです。そこで、救済にもれた人々を対象にノーモアミナマタ訴訟(第4次訴訟)を起こしたのです。

 このノーモアミナマタ訴訟も2011年3月に和解で決着しましたが、和解内容は十分に満足がいくものとは言えません。わたしどもは不十分なことを理解しています。ですから5次訴訟をやるわけです。

◇携帯電磁波と環境ホルモン
 さて、その5次訴訟はいかなる訴訟なのでしょうか?5次訴訟とは何か?実は、これが今日の講演のテーマなんです。結論を先に申し上げますと、環境ホルモンの問題であります。

 水俣病の原因は一般的に有機水銀と言われていますが、わたしどもはチッソの排水が原因だと考えています。チッソは排水の中の有機水銀だけを選んで流したわけではありません。

 有機水銀だけではなく、チッソが流したあらゆる毒が被害を生みだしたわけです。ですから原因は工場排水なんです。自然科学の観点から言っても、水俣病の原因は、チッソの工場排水というのがわたしどもの法律論です。

 その排水が環境ホルモンの影響と思われる現象を生命体に出現させました。たとえば昭和31年から34年にかけて水俣病の被害が最も激烈に出た地域を対象に、そこで生まれた赤ちゃん(流産した胎児を含む)の男女比に関する統計を取った記録があります。それによると、男女比が歴然と違っているのです。

 生命が誕生した瞬間は、みんな女性です。その後、性染色体や女性ホルモンの働きによって、男と女に分かれます。しかし、それがうまく働かなければ、当然、男女比が狂ってきます。このような実態は、これから徐々に明らかになっていくと思います。

 遺憾ながら国は絶対に被害に関する調査をしません。しかし、新生児の男女比が違う事実が、わたしどもが一緒になって水俣病に取り組んでいる医師たちの調査研究でも明らかになってきています。

 わたしどもは水俣病を「100年戦争」と考えております。被害が次世代、さらには第3世代まで続くからです。それゆえにこの被害の実態を明らかにする戦いは、今後も続けなければなりません。

 わたしたちは中継基地を作ってはならないと主張しています。なぜかといえば、危険だからです。

 しかし、「危険」とか「安全」を、われわれはどのように考えるべきなのでしょうか?

 ドコモにしろ、KDDIにしろ、国にしろ、場合によっては市町村までもが、携帯電磁波は「安全に決っています」と言います。「なぜ安全なのですか?」と質問すると、必ず「国の基準に従っているから安全だ」という答えが返ってきます。

 わたしは、さまざまな公害問題に取り組んできましたが、彼らが安全と主張する根拠として、「国の基準に従っているから」という答えしか聞いたことがありません。それとは違う答えを聞いたことがありません。

 そこで「国の基準に従うとはどういうことですか」とお尋ねすると、(建築物の)構造基準と「毒」の排出基準の両方を守れば安全なんだと言います。

元ドコモの従業員で、今は北海道大学の教授をされている野島俊雄さんは、「国の基準を守っているから安全だ」と言っておられます。そこで「国の基準は安全基準なんですか?」と質問すると、平然と「そうですよ」とおっしゃる。

 しかしこれは嘘です。論理的に小学生でも分かる嘘です。事実としても間違っています。

◇国の基準を守れば安全なのか?
 日本の基準は、1000μW/㎠(マイクロワット・パー・平方センチメートル)です。「マイクロ」という単位が出てきますが、環境汚染の問題では単位の概念として、「ミリ」、「マイクロ」、「ナノ」、「ピコ」の大きく4つの単位が使われます。単位の違いで、どの程度の危険性を意味するのかが分かります。

 たとえば福島原発で「シーベルト」という単位が知られるようになりました。その前についている単位をご記憶ですか?「ミリ」シーベルトでしょう。

 そして大気中に拡散したセシウムなど大気汚染の話になると、「マイクロ」(たとえばマイクロシーベルト)が使われます。

 「ミリ」の議論は何を対象にやっているのか?それは、第一原子炉の建屋の労働者を対象にした議論の時です。たとえば政府は、基準を100ミリシーベルトから、250ミリシーベルトに引き上げましたね。

 「ミリ」という単位は、毒劇物法による毒物の概念規定でもあります。ある物質が毒物といえるかどうかを判断する際、その毒をマウスに食べさせます。24時間以内に、あるいは48時間以内に半数が死ねば毒物として指定されます。

 この単位が「ミリ」です。つまり「ミリ」の単位は、症状がすぐに出る病気の話で使われるのです。ですから福島の原発問題で、大本営発表に登場する御用学者が「現時点では大丈夫です。病気になりません」と言う時は、24時間、あるいは48時間で病気になるかどうかの話をしているわけです。

 「現時点では大丈夫」という意味は、裏を返せば「将来発病するかどうかは知りませんよ」ということなんです。この点をメディアは隠しています。

 一方、将来発病するかどうかの議論では、「マイクロ」という単位が使われます。「マイクロ」という単位は、毒が蓄積・濃縮して一定量に達して発病する公害を論じるときの単位なのです。水俣病で議論されました。

 繰り返しになりますが、日本の電波防護指針(基準)は1000μW/㎠です。しかし、1000μW/㎠であると同時に、単位を変えると1「ミリ」でもあるのです。つまりミリ単位の議論対象にもなるほど高い値なのです。

 福島原発の問題はもちろん、携帯電磁波の問題でも平然とミリの議論をしているわけです。つまり現時点で急性の症状がでるかどうかの議論をしているのであって、長期にわたって被曝したとき将来被害がでるかどうかの議論をしているのではありません。

 ですから基準を守っているから将来も安全ということにはならないのです。これを理解しなければ、日本の基準のまやかしは理解できないとわたしは思います。

さて、毒物の危険性についてですが、本来人間の体は、毒に対して関門を持っています。簡単に毒にやられるようであれば、生きていけないからです。事実、生命体が地球に誕生して以来、延々と毒と闘ってきたわけです。

 生命が誕生して、最初の毒はなんであったか?それは酸素です。酸素は猛毒でした。だから最初の生物は、空気が嫌いな生物でした。それから酸素になれて、酸素を体内に取り込んで生きていく生物に進化したわけです。

 個別の生命体が特に守らなければならない重要な臓器が何かといえば、まず脳です。だから脳関(血液脳関門)があるのです。毒は脳関を突破できないとまで言われてきました。

もうひとつは、種族を維持するための生殖器です。女性の胎盤も毒を通しません。お母さんは自分の胎児を毒から守ることが出来るといわれてきました。

 しかし、水俣病の毒は、脳関も胎盤もやすやすと突破しました。同じことがカネミ油症事件でも起きました。なぜ、それが起きたのか?答えは簡単です。

 人間が知らない毒だったからです。つまり生命体が誕生した後、延々とおつきあいしてきた毒ではなかったからです。人間が人工的に作り出した毒だったからです。だから防御がきかないわけです。

 今、あえてこの話をするのは、電磁波でも同じことが起きているからです。
通常、病気は毒が蓄積・濃縮し、一定量に達して初めて発病します。この臨界点を閾値(いきち)と呼びます。

 日本政府は、「一定量の毒が体の中で蓄積されると発病します。それ以下の量であれば、毎日毎日体に取り込んでも大丈夫なんですよ」という考えです。

「だからダイオキシンも安心しましょうね。発病量には達しませんから、毎日採り込んでも大丈夫です。焼却施設を作られても、騒ぐことはないんです。安心しましょう」という言い分なんです。

 ところが発病に閾値が関係ない場合もあるんです。それは環境ホルモンが関係している場合です。いわゆるホルモン撹乱(かくらん)物質がいたずらをする時です。

 たとえばある娘さんが妊娠され、夏に伊那市に帰省したとします。その時、たまたま隣に環境ホルモンを出す施設があったとします。滞在したのはわずか1週間。ところがその間に働くホルモン作用の期間があった。そうすると当然、ホルモンの働きが撹乱されて異常が発生する可能性があります。このようなケースでは閾値はまったく関係ありません。

 これがぞくに「シングル・ヒット」と呼ばれるものです。発病に至るまでは域値があるという国の考えは、野球で言えば、ランナーが1塁に出て、2塁へ進み、さらに3塁を回って本塁へ戻り、やっと得点になるという考え方です。日本政府によれば、ダイオキシンの場合、「今の日本の国民は2塁を回ったところ。まだ、本塁まで時間がある。だからまだ大丈夫だ」という考え方です。

 ところが環境ホルモンが働くと、1塁ベースに出ただけで被害が起きます。だからシングル・ヒットで得点になる。本塁までいかなくても、得点になる。しかも、動物にも植物にも異常はおきます。

 生命体はみんな微妙なホルモン作用によって生命を保っているからです。ホルモンのかく乱作用が異変を引き起こすと考えれば、論理的にもそうなります。そうならないという専門家の意見のほうが、わたしには理解し難い。

 いま、わたしたちはこういう危険性の下で生きているわけです。電磁波問題とは、まさにこのような被害をもたらす公害のことです。環境ホルモンについて書かれた本を読むと、電磁波問題の本質がとてもよく分かります。

 もちろんミリ単位の毒性の被害もあります。たとえばバチカン放送事件。これはバチカン放送の放送タワーから発せられる電磁波が原因で、白血病が多発した事件です。神の声を伝えるバチカン放送が、刑事罰をくらいました。これはミリ単位の被害です。

◇国が定めた基準そのものが誤り
環境ホルモンは、DNAを損傷します。だから次世代、さらには第3世代へと被害が及ぶのです。

くどいようですがミリ単位の人身被害もあります。現に出ています。そのような被害は当然に対策がとられます。だけどわたしどもが本気で怖いと思っているものは、もっと小さな値で議論される環境ホルモンによる被害です。

 電磁波問題の場合、単位でいうと、0・1μW/㎠。0・01、0.001、さらに0.0001というレベルで議論されています。すなわち、ナノ・ピコという単位です。

こうした状況の下で、日本は1000μW/㎠というとんでもない基準を設定しているわけです。この基準を守ったら安全なんでしょうか?「ふざけるな」と言いたいですね。1000μW/㎠などというとぼけた基準が世界のどこにありますか?

 ところが実はあるんです。国際非電離放射線防護委員会(ICNIRP) が定めた世界基準が1000です。

 しかし、これはだれについての世界基準なのか分かりますか?電磁波に晒される現場で働く労働者を対象とした世界基準なんです。つまり福島原発の例で言えば、建屋に入って働く労働者を対象とした安全基準なんです。守らなければすぐに病気になる量の基準なんです。従って1日に24時間、365日電磁波に被曝する場合の基準ではありません。

それから世界の基準ということでいえば、実は旧社会主義といわれた国々がみんな低い事実があります。これについてはわたしなりの理解があります。要するにこれらの国々では、IC産業が強くないからなんです。米国ではIC産業が強いですよね。大独占資本主義の国がゆるい基準値で、まだ独占資本がそれほど力をもっていない国では、厳しい基準値になっている傾向があります。

基準値が安全かどうかという問題は、小学生でも簡単に理解できます。基準が変われば、あっという間に基準が間違いだったことが分かるからです。ダイオキシンの例でいいますと、日本政府はダイオキシンは絶対に安全だと言い続けてきました。日弁連が危険だから規制するように提言したにもかかわらずが、「安全だ」と言って断った。

 ところがそれから何年もたたないうちに、政府は規制に転じました。日本全国の小中学校に焼却炉を使わないように通達を出したのです。日本全国一斉に使用禁止にするぐらい危険だと思ったのでしょう。

かつての規制値は80ナノ(焼却炉の煙突から外へ出る瞬間の規制値)でした。80ナノ以下は安全だと言っていました。だから10ナノ以下の炉は、優秀きわまりないと言っていました。

 ところが基準値を0・1ナノに変更しました。政府がかつて安全きわまりないと言っていた10ナノの炉は、危険きわまりない炉になりました。

元来、基準値を守れば安全だと考える論理そのものが間違っているのです。日本政府が設定している基準値は、これを超えたら一発アウトなので、絶対に超えてはならない数字のことなんです。いわば絶対危険値を基準として採用しているのです。

ですから基準以下の数字であれば安全ということにはなりません。安全な値は、さらにその下にあります。当然、中間にグレーの部分があります。限りなく白に近いところから、限りなく黒に近い領域があります。日本政府やドコモは、これらのグレーゾーンを安全領域ということにすり替えています。

 あえて申し上げますが、これまでの大きな公害事件は、国の基準値を破ったから起きたのではありません。たとえば水俣病についていえば、チッソは工場排水の排出基準を守っていました。水道用水として使用できる基準すらもクリアーしていました。国の基準からすれば、飲み水として使ってもよかったのです。

 わたしたちはこの事実を忘れてはならないと思います。講演などで、わたしはこの事実を水俣病の教訓として、いつも伝えます。国の基準値を守れば安全だというのは嘘です。国の基準を守っていたのに水俣病は起きたのです。

 カネミ油症も同じでした。カネミの油は、当時の国の基準だと、PCBが混じっていることが分かっていたにもかかわらず、売ってもよかったんです。基準違反でもありませんでした。

さらに筑豊じん肺訴訟でも同じような状況がありました。国が定めた粉じんの規制基準そのものが間違っていました。もっと厳しい基準に変えなければならないのに、国は変えなかった。変更を怠った。わたしどもはこうした点を主張して、勝訴したわけです。

 まさに電磁波問題も同じことが言えるのではないでしょうか。1000μW/㎠というとぼけた基準の誤りは、すでに科学的に裏付けられています。

◇奪われし未来
 バイオイニシアティブ報告という報告があります。これは14名の科学者が、2000を超える論文を精査し、さらに12名の専門分野の科学者の校閲を経て公にした報告です。EU議会は、この報告書を検討して、国際非電離放射線防護委員会(ICNIRP)が設定している現在の世界基準は不十分なので、0・1、あるいは0.01まで厳しくすることを決議しました。



 それを受けてフランスの裁判所は、ベルサイユで起きた中継基地局の撤去を求める訴訟で、原告住民を勝たせ、電話会社に対して基地局の撤去命令を出しました。さらに控訴審でも勝ちました。しかも損害賠償も命じたのです。

 この裁判では、われわれとまったく同じ議論が交わされました。フランスの電話会社は、ドコモが主張していることと、まったく同じ主張をし、住民側も、われわれとまったく同じ主張をしています。異なったのは、裁判所の判断だけです。日本の裁判所は、原告住民の声を聞く耳を持ちませんが、フランスの裁判所は、「おっしゃる通りです」ということで住民を勝たせました。

 わたしどもが裁判所に提出した(三潴訴訟の)最終準備書面は、裁判が終わった08年の時点で、われわれが入手した全資料を網羅しております。わたしどもの顧問である研究者の先生方がいかに優秀だったかということです。その先生方が指摘された全文献の評価を最終準備書面でしております。

 レイチェル・カーソンが、ちょうどわれわれがカネミ油症や水俣病に取り組んでいるとき、『沈黙の春』という本を書きました。これは有機化学毒の恐ろしさを書いた本です。鳥がさえずらない、虫が鳴かない沈黙の春に警鐘を鳴らした本です。

  それから20年後、今度は、『奪われし未来』という本が出版されました。だれの未来が奪われたのでしょうか?子や孫の未来が奪われたのです。これは人類滅亡の危機が迫っているという恐るべき警告であります。

 当時の副大統領ゴアが巻頭文を書きました。ゴアが大統領選挙に勝っていれば、少しは状況も変わっていたのではないかと思いますが、 ブッシュが勝ち、それ以来、米国での環境ホルモンの研究はばったりと止まりました。もちろん論文はどんどん出ていますが、一般的な形で出回らなくなりました。

このような危険な時代にわれわれは立ち向かっているわけです。それは敢えていえば、官僚とのたたかいです。わたしどもの主張を貫くたたかいです。国民主権を貫くたたかいです。【「伊那谷の環境と健康を守る会」制作】



PROFILE * まなぎ・あきお

水俣病第一次訴訟に専従するため、197012月より1974年まで

水俣で法律事務所を開設。75年、久留米市で久留米第一法律事務

所を開設。水俣病訴訟弁護団副団長、九州予防接種弁護団長、

筑豊じん肺訴訟弁護団長、中国残留孤児福岡訴訟弁護団団長、

「よみがえれ!有明」訴訟弁護団長など歴任。地域の問題と

国の責任追及を中心に被害者救済の取り組みに数多く携わる。

電磁波問題については九州中継塔裁判・三潴訴訟(携帯電話基地局

操業禁止等請求事件)弁護団長

主な著書 『人が人らしく生きるために 公害・環境と人権』 (岩崎書店)

       その他、水俣病訴訟」法の科学1号、環境と正義などに論文多数


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