原発事故のため現在も自宅に戻れない福島県楢葉町の住民が入居するいわき市の仮設住宅。無機質に並ぶ住宅の傍らに「いわき ならは村 ふれあい広場」の看板を掲げた仮設の商店と理髪店がある。そば屋とパン屋も間もなくできるという。
このうち食品などを扱う15坪ほどの商店は、もともと楢葉町内でスーパー2店を経営していた株式会社「ネモト」が昨年12月にオープンさせた。同町出身の従業員、佐藤涼子さん(40)は「仮設に住んでいる人はだいたい知っているから、顔を見れば声が掛けやすい」と話す。不便な生活を強いられる仮設住宅の人たちにとっては身近で必要な存在になっている。震災後、この店以外にも、隣接する町に主に原発作業員をターゲットにした2店をオープンさせた。
しかし、ネモト社長の根本茂樹さん(50)は先行きの不安を口にする。仮設住宅には高齢者が多く、若者に比べ売り上げが見込めない。「経営する店舗は増えたのに、年商は9億2000万円から1億円余りに激減した。仮設住宅の人たちの役に立っているのはうれしいが、経営が苦しいなかで店をいつまで続けられるか分からない」と話す。
一方、事故で緊急時避難準備区域(昨年9月30日に解除)となっていた同県広野町の住民が住む市内の別の仮設住宅。集会所で年配の女性が医師に健康相談をしていた。現在69歳。原発事故で家に住めなくなり、一時は神奈川県に避難して現地の市営住宅に当選したが、再び福島に戻ってきたという。広野町の家に空き巣が入りテレビや現金が盗まれ、遠方にいるのが心配になったからだという。「私は原発事故の影響が心配だけど、じいちゃん(夫)が『もう年をとっているし戻りたい』というから」
津波で家を流された同町出身の男性(65)は「先祖代々の土地なので戻りたい気持ちはあるが、町はまだ除染もされていないのに本当に大丈夫なのか不安はある。私たちはモルモット扱いされているのではないか」と訴え、行政の対応に不信感を募らせた。
いわき市から原発方面につながる国道6号を車で北上したが、広野町では外を出歩く住民の姿を見かけることは、ほとんどなかった。町によると、震災前の人口約5500人のうち、町内に戻ったのは現在約250人。放射能への不安に加え、帰っても医者やスーパー、そして働き先がないことなどが原因だという。【勝野俊一郎】
毎日新聞 2012年1月30日 地方版