福島 川内村長が「帰村宣言」
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福島 川内村長が「帰村宣言」

1月31日 17時34分 twitterでつぶやく(クリックするとNHKサイトを離れます)

東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で、住民の9割以上が村の外に避難している福島県川内村の遠藤村長は、ことし4月に役場や学校を元の場所で再開するとしたスケジュールを公表し、住民に村に戻るよう呼びかける『帰村宣言』を行いました。原発事故で役場ごと避難している福島県内の9つの自治体で、役場を元の場所に戻すのは川内村が初めてです。

福島県川内村は、原発事故の影響で村全体が立ち入りが禁止される警戒区域と原発の異常に備えて避難の準備を行う緊急時避難準備区域に指定され、およそ3000人の住民全員が村からの避難を余儀なくされました。緊急時避難準備区域の指定は去年9月に解除されましたが、村には人口のおよそ7%に当たる200人余りしか戻っていません。こうしたなか、川内村の遠藤雄幸村長は、福島県の佐藤知事を訪ね、住民が村に戻るための環境作りを始めるため、4月から役場や学校を元の場所で再開することを伝えました。そのうえで、遠藤村長は、「これからのほうが課題が多い。今後も、住民が元の生活に戻れるように援助してほしい」と除染作業やインフラの復旧などで支援を継続するよう求めました。これに対して、佐藤知事は、「帰村宣言については、避難している人みんなが良かったと思っていると思います」とねぎらい、引き続き支援することを約束しました。遠藤村長は、このあとの記者会見で、「『帰村宣言』をし、戻れる人は戻る、心配な人はもう少し様子を見てから戻るという方針を示したもので、スタートラインです。将来的には住民全員が戻れるように環境を整えたい」と述べました。原発事故の影響で役場ごと避難している福島県内の9つの自治体で、役場を元の場所に戻すのは川内村が初めてです。藤村官房長官は、午後の記者会見で、「去年9月末に緊急時避難準備区域が解除されたあと、川内村は、行政機能やインフラなど、生活環境の復旧に向けた取り組みや、学校などの除染を進めてきたと聞いている。帰村宣言は、住民のふるさと帰還に向けた重要な第一歩と認識しており、政府としても、住民の不安がないように、除染を進めるなどして、村の取り組みを積極的に支援していきたい」と述べました。

「帰村宣言」について、郡山市の仮設住宅に避難している川内村の住民に話を聞きました。74歳の男性は、「医療機関や店が再開すれば村に戻りたいと思いますが、今はまだ生活できる環境が整っていないので帰れません」と話していました。また、53歳の女性は、「失業給付で生活しているので、それが切れたら職に就こうと思います。ただ、村では働き口を探すのが難しいので、しばらくこちらに残ろうと考えています」と話していました。一方、別の54歳の女性は、「不安や心配も感じますが、村に戻りたい気持ちもあるので、自分の家に帰ろうと思います」と話していました。90歳の男性は、「先祖代々受け継いできた土地にやっぱり帰りたいので、村の方針に従って村に戻り、庭の手入れをしたり花を育てたりしたいです」と話していました。

川内村は、「帰村宣言」で、ことし4月から村内の保育所と小学校、中学校の合わせて3か所を元の場所で再開することを決めましたが、去年12月に、保護者を対象に村が行ったアンケートでは、17%しか元の学校に戻さないと回答しています。アンケートは、210人の児童・生徒の保護者を対象に行われ、これまでに回答があった169人のうち、4月から元の保育所や学校に通学させたいと回答したのは30人と全体の17%にとどまりました。その理由について、保護者の間からは除染が進んでいないことが挙げられています。村は、当初、村内の保育所と小学校、中学校の3か所の教育施設や医療施設、それに警戒区域を除くおよそ2800棟の住宅のほとんどについて、3月までに除染を終えたいとしていました。しかし、例年に比べて雪が多く降り、除染が大幅に遅れていて、除染自体が始まっているのは、保育所と小学校、中学校の3か所だけで、住宅や通学路の除染は始まっていません。このため、3月いっぱいで、保育所と小学校、中学校の3か所だけでも除染を終わらせ、放射線量が比較的高い地域で、子どもがいる家庭の住宅を優先的に除染する方針に転換することになりました。しかし、いつまでに住宅や通学路の除染が終わるのか見通しは立っていません。また、村内には、個人商店を含む95の事業所がありましたが、地元の商工会によりますと、再開しているのはおよそ3割にあたる35の事業所にとどまっているということです。再開しているのも、多くが個人商店や小規模の事業所で、村での雇用の場は確保できていない状況で、4月以降も再開する事業所が増えるかは不透明な状況です。このほか、原発事故以前は原発関連で働いていた住民が仕事を失いました。村では新たな雇用を生み出そうと、企業を誘致する取り組みを進めていますが、どの程度、受け皿になるのか見通しは立っていません。