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トップ  >  先週の講演、論文不正問題

 先週は久留米大学で講演。循環器の教室なのでIL-17と血管新生を中心に未発表データを主に紹介する。まだ未発表の話なので新鮮で刺激的だったようだ。週末はリウマチ関連の会合。やはりIL-17を中心にこの会ではreviewと既に論文発表した仕事をまとめて話す。JAK阻害剤やeomesの話だが、もう何度も話しているせいかこれだけでは新鮮味にかけると思い急遽血管新生の話も入れた。リウマチの会は若手の先生が多くものすごく熱心で質問も多かった。こういう講演ではどの程度の知識の集団か行ってみないとわからないことが多い。今回は皆さん高レベルだったので血管新生の話は少しは新鮮に映ったのではないかと思う。やっはり学術講演はreviewやpublishした話だけでは物足りない。新しい話題を提供したい、、、がなかなかそんなにデータが次々出るわけではない。

先週ある先生から某研究所からの多数の論文にデータの改ざんの疑いがあることを知らされた。その告発のHPや動画をみるとかなり稚拙な流用、改ざんのようだがその数の多さに驚く。このHPを開設した人はそのほか多くの不正を告発してきたようで、よくこんなのに気がついたな、というものもある。感心してばかりもいられない。研究者は襟を正すべきだろう。

しかしデータの取り扱いは難しい。昔どなたかが”よい論文は良質の推理小説のようなものだ”と言われたことがあるが、どうしても論文にはstoryが欲しくなる。そこでデータを捏造するのは論外で、そんなのは研究者をやる資格はない。本当のフィクションになってしまう。しかしstroyにあうかあわないかわからない微妙なデータも出てくる。そこで話にあうチャンピンデータを選ぶことになる。 このプロセスは必ずしも間違っているとは言えない。多くの場合は他の方法論やデータで仮説は補強されて行くものだからだ。何よりも、そもそもその仮説が正しいのか、そちらのほうがはるかに重要だ。あやふやなデータのみでできた論文はどんなにstoryが魅力的でもやがて淘汰され忘れられる。某先生にいわせると”Natureのような商業誌に出る論文の半分は嘘”だそうだが、確かにTwo-hybrid全盛時代に出て来た分子の多くが忘れられている。手前味噌で恐縮だが正しいものはSOCSやSpredのように何年も続いていくし他の研究者も参入してくる。なのでstoryが怪しいことをいちいち咎めるのは時間の無駄かもしれない。科学の仮説がすべて正しいわけではないことは皆よく知っているし、間違った仮説や定説を否定しながら科学は進歩してきたことは歴史が証明している。酒井先生の本には”間違いを恐れては独創的な仕事はできない”と書かれている。

しかしそれと意図的なデータの改ざんは全く別物でこれは罪が大きい。たとえ論文の内容は間違っていないと言ってもそんな行為を許していると今のような科学の社会システムが成り立たない。データのひとつにでも改ざんがあるとすべてが疑惑の眼で見られ認められなくなる。PIがすべてを掌握することは難しい(と言ってはいけないのだろうが)。若い人たちは十分心する必要がある。ネガティブコントロールだからどれでもいいだろうという意識では全体が雑になる。また別のデータを流用していると本当に重要なことを見逃す。研究者にとっては論文は”成果””業績”と考えられるのだから詐欺にあたるとも言える。今回の告発者のようなWatcherは実はありがたい存在なのかもしれない。

酒井邦嘉『科学者という仕事』中公新書 第六章『研究の倫理』参照。いろいろと面白い事例が紹介されている。このなかで酒井先生は研究者の不正の芽は学生時代にあると言われている。今はコピペは簡単にできるからよくよく気をつけて誘惑に負けないようにしなければいけない。確かに今の学生のレポートはコピペだらけである。このままでは規範意識が薄れるということだろう。そうするとこれから不正はなくなるどころかもっと増えるのかもしれない。東大などではレポートはすべて手書きだそうだ(手書きだからコピペがなくなるとは言えないが)。手書きのレポートは読むほうはかなりつらいが、少しでも規範意識を植え付けるなど不正撲滅は学部教育からということだろうか。。。

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