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再評価される幸徳秋水 - 大逆事件も名誉回復の動き進む
大逆事件の冤罪の真相が次第に究明され、幸徳秋水ら事件の犠牲者の
名誉回復
が進んでいる。在野の人々の長年の地道な努力によって、明治国家の恐るべき権力犯罪(テロ弾圧)の真実が浮かび上がりつつある。
犯行
の中心にいて指さされているのは、山県有朋、桂太郞、平沼騏一郎。一昨年、大逆事件から100年を前に、NHKのETV特集で
放送
があり、6名の検挙者を出した和歌山県新宮市での名誉回復の様子が紹介されていた。NHKで大逆事件を扱うのが意外で、画期的だと思い、注目して映像に見入った。また、昨年の1/24、「大逆事件百年後の意味」と題した
院内集会
が開かれ、福島瑞穂が挨拶、鎌田慧が講演をしている。今年も同じ
集会
を1/24に開催していて、参加を呼びかける
ツイート
を福島瑞穂が連打していた。大逆事件の真実と意味を明らかにし、刑殺された者たちの無念を晴らそうと懸命に動いている人々がいて、関係者の強い熱意を感じさせられる。インターネットの中を見ると、幸徳秋水と大逆事件について情報発信しているサイトが多い。きわめて大量の研究と解説がストックされ、一般市民のアクセスを待っている。幸徳秋水への関心の高さ、復権を願う者の多さ、その営為を続けている在野の者の多さに驚く。幸徳秋水の思想については、古典である本人の著作は別にして、ほとんどネットの資料だけで十分な知識を得られるのではないか。
幸徳秋水はインターネットの世界で生きている。ネットの中で、次第にゲバラ的な神聖なシンボル性を帯びつつある。そして、クリスチーヌ・レヴィの努力によって世界に紹介され、思想家として再評価され、思想的意義を高めつつある。レヴィは『廿世紀之怪物 帝国主義』(1901年)を
仏訳
、レーニンの『帝国主義論』の16年も前に、日本人の幸徳秋水が帝国主義を論じていた先進性に注目している。表題の「怪物」の語は、明らかに『共産党宣言』の中の「一つの怪物がヨーロッパを徘徊している」から取ったものだ。
レヴィ
が仏訳版をパリで刊行したのが2008年。幸徳秋水の帝国主義論は独特で、愛国主義や道徳の問題に重点が置かれて論じられていて、資本論の経済学から段階規定したレーニンの方法と全く異なる。内容を精読する前に意味を喋々するのは憚られるが、おそらく、これは中江兆民の思想の影響であり、そして、ウエスタン・インパクトを受けた側からの帝国主義の認識なのだ。帝国主義を倫理の問題として説き考えるという方法、本来、それこそが必要だったのではないか。レーニン的な(機械的な)分析と概念では、それは人の内面の問題にならず、政策の選択や判断の問題にならない。洋学紳士と豪傑君の葛藤の問題にならない。帝国主義が政治学ではなく経済学の問題のみに止まってしまう。
これまで、幸徳秋水の帝国主義論に日本国内で光が当たらなかったのは、レーニンの教科書という国際標準のドグマが存在したからであり、正統派がその意義を過小評価していたためと思われる。正統と教条が崩れ、正統の日影にあった思想に光が射すようになった。そして何より、歴史的な先行の点だけでなく、重要なのは、日本人が自分の頭で考えた独自の帝国主義論だという思想的事実だろう。ロシア革命が起き、昭和に入って以降、日本の社会主義はコミンテルン日本支部の下請活動に収斂して行き、理論も運動もソ連の指導と支配に従う卑屈な思想的奴僕の如き態様となる。理論家たちは、モスクワから出るテーゼ(27年、32年)の正当性を証明し補強して忠誠競争する理論官僚となった。ロシア革命の鋳型のみが唯一絶対とされ、それを杓子定規に日本に適用させるのが理論家の仕事となったのだ。このNHKの番組では、おそらく河上肇を扱う
大正編
の第7回で、講座派と労農派の「日本資本主義論争」が登場するだろうが、今日から振り返って、明治維新をブルジョワ革命であると規定するかしないかという問題に、果たしてどれほどの意味があったのだろう。神学論争であった側面は否定できない。この二派の対立は戦後も続き、現在に至るまで不毛な喧嘩と断絶を続けていて、日本の政治を不興で非生産的なものにしている。
戦前、社会主義は教条主義の性格を強め、外国の政権に奉仕する運動となり、著しく生命力を弱めることとなる。労働者は国境を越えて団結すべきだったが、求められた団結の中身はクレムリンの独裁者への奉仕であった。独裁者は正統の地位を盾に恣意の限りを尽くして日本の運動に介入し、玩具のように弄んで攪乱しつつ、そこから有為有能な指導者が出現せぬよう、粛清と混乱を仕掛けて運動体をロボット化するのである。運動体は官僚組織となり、出世したい者が独裁者の機嫌を取り合い、ライバルを蹴落とすために理論を道具にした。こうして幸徳秋水に焦点を合わせ、その立脚点に拠って歴史を眺めると、ロシア革命以降の日本の社会主義の問題点が浮き彫りになる。NHKの番組では、幸徳秋水が渡米し(1905年)、SFで現地の社会主義者たちと交流する中で、アナキズムやアナルコ・サンジカリズムに影響を受けた件が説明される。西海岸SFのアナキズムとアナルコ・サンジカリズムには伝統があった。奇しくも、同じ夜、オークランドのデモがニュースで報じられた。帰国した幸徳秋水は、労働者による直接行動に傾き、日本社会党を結成して普選運動で勢力拡大を図っていた堺利彦や片山潜と対立する。この問題の解説で、レヴィが路線対立ではないと主張していて、気になって調べようとしたら、ネットの中に1907年の『余が思想の変化』の
全文
と
現代語訳
があった。まさに、ネットは幸徳秋水の資料の宝庫。
直接行動と議会主義の対立。この運動論の対立は、今日から見て意義が大きい。米国でOWSの運動が起こり、世界中の先進国で議会と政党の弱体化と無意味化が広がっている現在、まさに人々の政治的関心はそこ集中し、その問いに答える政治学が求められている。私自身、正直なところ、2年前までは直接行動など論外という立場で、政党をどうやって立ち上げるかという問題意識しかなかった。「直接行動は過激」という固定観念しかなく、幸徳秋水の思想旋回に意味を認める前提を持っていなかった。政党政治による民主主義の枠組みが不問の所与だった。NYのOWSを見た後、考え方はすっかり変わり、直接行動に意味を見出す方向に逆転している。幸徳秋水と同じ軌道上にある。幸徳秋水はこう言っている。「私はかつてドイツ社会主義者もしくはその流れを汲んだ諸先輩の説だけを聴いて、あまりに投票と議会の効力に重きをおいていた。『普通選挙が行われれば必ず多数の同志が選出される。同志が議会の多数を占めれば、議会の決議で社会主義を実行することができる』と思っていた」「今のいわゆる代議制なるもので、多数の幸福が測りうるはずがない。まずその選出のはじめから、候補者、運動者、壮士、新聞紙、瞞着、恐嚇、饗応、買収とゴッタがえして選出された代議士に、国家とか人民とかいうまじめな考えをもつものがはたして何人いるだろうか」。
「仮に適当な人物が選出されたとしたところで、環境が変われば心も変わる。議員としての彼らはもはや候補者としての彼らではない。首都の政治家としての彼らはもはや田舎の有志としての彼らではない。選挙以前の気持ちを持続できるものは果たして何人いるだろうか」。この主張の部分は、「ドイツ社会主義者」を「山口二郎と政治改革論者」に置き換え、「普通選挙」を「二大政党制による政権交代」に置き換えて読み直してみるといい。そして、民主党政権のこの2年半を思えばいい。100年前の幸徳秋水の言葉がわれわれの胸に突き刺さり、恐ろしいほどの説得力で迫ってくるとは思わないか。そしてこう言う。「いかなる普通選挙の下においても、選挙で勝利を占めた者は、多くは最も金のある者、もしくは最も鉄面皮の者、もしくは最も人気取りに巧みな者で、国中、または党中の第一流の人物が選出されるのはきわめてまれな事実である。ゆえにこれまで厳正な意味において民意が代表されている議会は、世界を通じて皆無といっていいぐらいだ」。実に、政治理論というものは100年の歳月を飛び越え、直に現代を言い当ててしまう。新鮮だ。幸徳秋水は、この主張を普選制度の実現前に言っていた。そして、こう結ぶ。「同志諸君、余は以上の理由において、わが日本の社会主義運動は、今後議会政策をとることを止めて、一に団結せる労働者の直接行動をもって、その手段方針となさんことを望むのである」。
幸徳秋水についてよく言われるのは、その文章の素晴らしさであり、漢文表現が駆使された絶妙の説得力である。幸徳秋水には学歴はなかったが、漢籍の素養があり、また、英語を2年間学んでいる。私塾通いと書生生活の中で全てを修得した。英語の能力の程度は分からないが、堺利彦と共に『共産党宣言』の英語版を初めて
翻訳
して平民新聞に載せている。また、半年間の渡米生活で米国在住の社会主義者と交わってもいる。明治の知識人たちに共通しているのは、信じられないほどの言語能力と、そして東洋と西洋の思想的古典への精通と素養である。近代日本人の底知れぬ瞬発力と言うか、猛烈なエネルギーを感じさせられ、これが日本人かとたじろぐ気分になる。英語の福沢諭吉、仏語の中江兆民、二人とも漢籍の造詣が深く、それは知識人として必須の条件だった。論語と孟子を読み、諳んじ、聖書を読み込み、日々の議論の中に引用し、思考の糧としていた。漢詩は男子の当然の心得だった。今、われわれは彼らの知能と教養の水準に驚くが、彼らからすれば、江戸期の先輩はもっと勉強していたということになるのだろう。そう言えば、三宅民夫が司会したNHKの番組では、幸徳秋水が『
共産党宣言
』を邦訳した事実は見事に落とされていた。『社会主義真髄』について一言の紹介もなかった。日本になぜ社会主義の思想が生まれたのか、資本主義の発達や労働者の増加という問題には触れず、いきなり「日露戦争に反対」で説明し、それで最後まで済ませる。
まるで、NHKは社会主義とは非戦思想とイコールだと言っているようだった。
by
thessalonike5
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2012-01-31 23:30
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