【内・外】 批判力は手放さない
皆様ありがとうございます。
前回投稿しました
「つらつら日暮らし」の和尚が削除したコメント が仏教カテ人気記事1位になりました。
重ね重ねありがとうございます。
創価のカテで1位にはならないところがミソのような感じがします(笑)

日本のブロガーさんは、他者を批判する事はよくない事だとおもっておられるかたが
結構おられるようですが、感情的な文面になる事を恐れているという事もあるように思います。
感情的にならずに批判をするというのは結構むずかしいものですが、いざやってみると
批判するものに対しての客観的観察力を培うことができます。
新聞テレビ雑誌などは、いいかげんな事を書いていると批判の的になりますが、個人が
発信する情報というものも本質的には同じものだと考えます。
ある程度主義主張が通った批判は、相手がなにを考えてどの論拠をもとにしているのかが
解りますし、批判された側にすれば読者にどの主張が通じていなかったかが解る一面も
あると思うのです。
宗教の自由 にしても 表現の自由にしても 相手が批判的であっても意見を交わすところから
共有点も見えてくるのではないでしょうか。
決して「批判がゆるされない」世界に思想の自由があるでしょうか?
「和を重んじる」事と「事なかれ主義」はまったく別の事だとおもいます。
先日公明党の山口代表が政府が行ったはずの震災関連の10会議の議事録が存在しない事
を指摘して、「国民や国際社会に対する背信行為だ」と批判をしていました。
(参照リンク:公明党HP 逃げの答弁に終始~)
http://www.komei.or.jp/news/detail/20120131_7181
公明党webTV
わたしは、この考えはネットにあっても然りだと思います。
世間に向けて主張をするのならば、批判があっても然りですし
そのやりとりは公開されてこそ、平等性が発揮できるものではないでしょうか。
従って、ネットで放った批判に対して批判は「メール」でよこすのがスジなどというのは
読者に対する背信行為だと思うのです。
だからこそ、私はあえて批判をされた人の意見を迷惑をかけず可視化できるようにログを
残したり公開したりしています。
「あらぬ混乱を避ける」ためという見せかけの「和」の理屈で議事録もやりとりも残さないなど
というのは公開の場においては隠蔽体質そのものでしかありません。
みせかけの「和合」で、ごまかしきれる時代ではなくなりました。
両論併記で読者が主体的に選択する時代になったのです。
「見たくないものは見えない」無気力 から、 「見よう(知ろう)として見る」批判力を持つことは
メディアリテラシーには大事だとおもいます。
ただし「行動(目的)なき批判」「保身の為の批判」は多くの先人たちが戒める所です。
自分が惨めになるだけです。
臆病に負けずに正しい批判力をつけましょう。
それが玉石混交の情報社会を泳ぎ切るコツだとおもいます。
そして、リアルでのしがらみが意味を持たないネットは批判力を付けるには最適かもしれません。
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「つらつら日暮らし」の和尚が削除したコメント が仏教カテ人気記事1位になりました。
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創価のカテで1位にはならないところがミソのような感じがします(笑)
日本のブロガーさんは、他者を批判する事はよくない事だとおもっておられるかたが
結構おられるようですが、感情的な文面になる事を恐れているという事もあるように思います。
感情的にならずに批判をするというのは結構むずかしいものですが、いざやってみると
批判するものに対しての客観的観察力を培うことができます。
新聞テレビ雑誌などは、いいかげんな事を書いていると批判の的になりますが、個人が
発信する情報というものも本質的には同じものだと考えます。
ある程度主義主張が通った批判は、相手がなにを考えてどの論拠をもとにしているのかが
解りますし、批判された側にすれば読者にどの主張が通じていなかったかが解る一面も
あると思うのです。
宗教の自由 にしても 表現の自由にしても 相手が批判的であっても意見を交わすところから
共有点も見えてくるのではないでしょうか。
決して「批判がゆるされない」世界に思想の自由があるでしょうか?
「和を重んじる」事と「事なかれ主義」はまったく別の事だとおもいます。
先日公明党の山口代表が政府が行ったはずの震災関連の10会議の議事録が存在しない事
を指摘して、「国民や国際社会に対する背信行為だ」と批判をしていました。
(参照リンク:公明党HP 逃げの答弁に終始~)
http://www.komei.or.jp/news/detail/20120131_7181
公明党webTV
わたしは、この考えはネットにあっても然りだと思います。
世間に向けて主張をするのならば、批判があっても然りですし
そのやりとりは公開されてこそ、平等性が発揮できるものではないでしょうか。
従って、ネットで放った批判に対して批判は「メール」でよこすのがスジなどというのは
読者に対する背信行為だと思うのです。
だからこそ、私はあえて批判をされた人の意見を迷惑をかけず可視化できるようにログを
残したり公開したりしています。
「あらぬ混乱を避ける」ためという見せかけの「和」の理屈で議事録もやりとりも残さないなど
というのは公開の場においては隠蔽体質そのものでしかありません。
みせかけの「和合」で、ごまかしきれる時代ではなくなりました。
両論併記で読者が主体的に選択する時代になったのです。
「見たくないものは見えない」無気力 から、 「見よう(知ろう)として見る」批判力を持つことは
メディアリテラシーには大事だとおもいます。
ただし「行動(目的)なき批判」「保身の為の批判」は多くの先人たちが戒める所です。
自分が惨めになるだけです。
臆病に負けずに正しい批判力をつけましょう。
それが玉石混交の情報社会を泳ぎ切るコツだとおもいます。
そして、リアルでのしがらみが意味を持たないネットは批判力を付けるには最適かもしれません。
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by abehi-ken | 2012-01-31 15:58 | ネット観察 | Trackback