第41回

「戦後の3大誤報」「平成3大誤報」

〜グリコ・森永事件の時効に関連して〜(2000・12・20転記)

 

 グリコ・森永事件の発端となった江崎グリコ社長誘拐事件が’94年3月21日で時効になった。犯人は、あれだけ世間を騒がせながら

「くいもんの 会社 いびるの もおやめや このあと きょうはく するもん にせもんや」(’85年8月11日)

というマスコミへの挑戦状を最後にピタリと動きを止めた。犯人は一体どんなグル−プで、何が目的だったのだろうか。やはり時効になった東京・府中の3億円事件同様、犯人と警察の知恵比べは残念ながら警察が敗けたことになる。この二つの事件を同一犯人の仕業とみるむきもあるが・・・。    さて、今回は、事件そのものとは別に、この事件で毎日新聞が「犯人取り調べ」と大誤報したケ−スを思い起こしながら、誤報の起きる原因を考えてみたい。

毎日新聞の大誤報

 毎日新聞の’89年6月1日夕刊の扱はハデだった。まず、大阪本社発行の夕刊4版○付きは、一面トップで「グリコ・森永事件 関連の数人取り調べ」「発生後5年2か月 恐かつ、脅迫容疑で 3府県捜査当局 江崎社長に恨み?」という見出しを掲げ、江崎勝久社長の写真入りで一面のおよそ3分の2を埋めている。社会面は「警察の威信かけた戦い」「ついに重大局面に グリコ・森永事件 裏目の連続から」と、やはり、紙面の3分の2を使っている。

一方、東京本社発行の夕刊4版は犯人の数など新しい情報が加わり、見出しも次のようになっていた。

「グリコ事件 犯人取り調べ」「江崎社長の知人ら4人 犯行終息宣言後も 脅迫を続ける 捜査当局」。また、社会面は「劇場犯罪 ついに」「動機は?全容は・・標的≠キぐ隣にいた!GM事件」と全面解決を打ち上げている。 その日、東京では、リクル−ト事件の責任を取った竹下登首相が退陣し、あすにも自民党の後継総裁に宇野宗佑外相が選出されるというニュ−スで持ち切りだった。大阪はといえば、相変らずグリコ・森永事件で各社の取材競争は熾烈を極めていた。        

当時大阪にいた私は、毎日の夕刊を見て、びっくりすると共にチラリと本当かなという感じを持ったのを覚えている。それは、記事の中で、「金沢昭雄警察庁長官は午後1時すぎ、官邸に竹下首相を訪ね、グリコ・森永事件□□□を緊急報告した」とあった。慌ただしく揺れ動く政局の中で、警察庁長官が官邸にわざわざ報告に行くのも疑問だったが、活字の鉛を削ったとみられる□□□の3字が気になった。つまり、「グリコ・森永事件の解決を緊急報告した」としていたところが、自信を無くし、「の解決」の3字を削ったのではないのかと、抜かれた?悔しさからそんなことを想像もした。それも全くの束の間で、時間の経過とともに、記事の全てが大誤報であることがわかってきた。のちに、毎日新聞は、6月10日の紙面に編集局長名で「行き過ぎ紙面を自戒」という4段記事を載せ、「本来、万全を期すべき二重、三重のチェックという点で欠けるところがあった」と事実上、誤報を認めた。

「戦後の3大誤報」

 マスコミに誤報はつきものだが、それにしても、数え上げればきりがないほど多い。中でも、俗に「戦後の3大誤報」と「平成の3大誤報」と呼ばれる誤報がある。「戦後の3大誤報」とは、次の3つである。古いことなので、高田秀二著『物語特ダネ百年史』(実業之日本社 1968年刊)からの引用を交えて、やや詳しく紹介しておこう。

@伊藤律架空会見記           

(1950年9月27日付け朝日新聞夕刊)

東京本社発行の夕刊社会面7段で扱った日本共産党の「伊藤律単独会見記」は記者の完全なでっちあげだった。伊藤律氏はレッド・パ−ジで地下に潜行中だったが、その記事の見出しは「姿を現した伊藤律氏 本社記者宝塚山中で問答」「徳田氏は知らない 月光の下 やつれた顔」となっていた。この記事は、3日後の9月30日付け夕刊で「ねつ造記事と判明した」として、陳謝と全文取り消しの社告で抹消され、縮刷版のこの日の社会面の中央は白紙になっている。『朝日新聞社史』昭和戦後編125ページに「伊藤律架空会見記」の項がある。

Aもく星号遭難事故で死者の談話掲載  

 (1952年4月10日付け長崎民友新聞)

消息を絶った日航機「もく星号」は伊豆大島の三原山に激突して遭難と判明。乗客30人全員が犠牲となり、戦後最大の航空機事故となった。しかし、当時は情報の収集が困難で「全員救助」の情報が乱れ飛び、一部の大新聞も「全員救助」と書いた。しかし、長崎民友新聞は「漂流中を全員救助 危うく助かった大辻司郎」の見出しの下に長崎に向う途中の漫談家大辻司郎の話として「漫談の材料が増えたよ」という談話を載せた。原因は、汽車で先行した秘書が「全員救助」の情報を耳にして長崎民友新聞に知らせたためで、同社は翌日社告を出して読者に詫びた。

B皆既日食観測成功の記事

(1955年6月20日 共同通信社)

セイロン(現スリランカ)で失敗に終わった皆既日食観測を成功と報道。実況放送を予定していたセイロン放送がなぜか「日本のラジオへ」「見える、見える!火炎に包まれた太陽が・・・」と放送しているのを受けて、予定稿の「成功」の原稿にゴ−サインを出した。ところが、観測は天候の急変で中止となり、誤報となった。

 

「平成の3大誤報」の方は、まだ記憶に新しいので項目だけにしておく。      

@「サンゴ汚したK・Yってだれだ」  

 (’89年4月20日、朝日新聞)

A「グリコ・森永事件の犯人取り調べ」   

(’89年6月1日、毎日新聞)

B「連続幼女誘拐殺人事件で犯人のアジト発見」

(’89年8月17日、読売新聞)

誤報の原因

@スク−プ合戦。             

他社はもちろん同僚も知らないスク−プはなんといってもジャ−ナリストの原点であり、使命でもある。それだけに、ジャ−ナリスト個人の巧妙心をかりたて誤報を招きやすい。当然、スク−プは社を挙げて大きく扱う。

A速報主義。

これも、他社にさきがけて出そうという点でスク−プと同じだが、新聞は締め切り時間に、テレビは放送時間に間に合わせようとして無理をした時によく起きる。災害、事件、事故の第一報の死者の名前や数などに多い。

B確認不足。

@、Aとも共通しているが、十分事実関係の裏をとらずに未確認のまま記事にした場合。警察の話を鵜のみにしたり、聞きかじった程度で記事にして誤報になった例は多い。

Cセンセ−ショナリズム。        

 取材者が出来事の異常性や意外性に遭遇した時、事実の判断を狂わせることがある。

Dリ−クにのる。

取材先が故意に間違った情報を流し情報操作することがある。それをよく点検せず、記事にした場合。政治ニュ−スによくある。

E外国情報のたれ流し。          

文化の異なる外国のメディアが報道する不確かなニュ−スをそのまま伝えた場合。

F予定稿の使用。

 組閣、裁判、死亡記事など、予め考えられるケ−スを想定して書いておいた原稿を間違って使用した場合。コンピュタ−時代になって特にその傾向が見られるようになった。

 以上、6つの誤報の原因を見てきたが、情報の真贋を見分ける力が試されている。(「くらしのレポート」No96)