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2006年08月22日

若き日の事件 グリコ・森永事件 2

岩田 公雄岩田 公雄
報道局解説委員長(局長待遇)


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夜討ちの毎日だった
『グリコ・森永事件』の起こった1984年、私は『大阪府警記者
クラブ』のキャップとして、この事件を追っていました。
『江崎グリコ』の江崎勝久社長の自宅には、「朝駆け」の日参をして、
ついに、誘拐されていた小屋から自力で脱出して初めての江崎社長の
肉声を捉えました。
「かい人21面相」の「江崎グリコゆるしたる」という「収束宣言」
からの私の仕事は、捜査側からの情報を得るための「夜討ち」になり
ました。

当時の鈴木刑事部長の官舎は、西淀川区の都島にありました。
その官舎の前には「夜討ち」の新聞記者がずらりと並んでいます。
その姿がなくなるのは午前1時半頃、朝刊の締め切りになるからです。
そして我々民放テレビの取材はそれからですが、会ってくれるかどう
かは分かりません。
ある夜のこと、新聞記者が引き上げてしばらくすると、部屋のランプ
が消えて、「あれ、寝てしまったのかな」と思いながら耳をそばだてて
いると、電話で捜査陣に指示を出していることが分かりました。
そこで意を決してボタンを押すと、「誰だ!」と怒鳴り声……
「読売テレビの岩田です」と答えると、「何だ、今頃?」とパジャマ姿
の部長がドアを開けて現れ、「でも入れ!」と入れてくれます。
この頃の私の残業時間は200時間とか、250時間になり、芦屋の
自室に帰るのは着替えと仮眠だけでした。

不審車と接触しながら取り逃がす
11月14日、「かい人21面相」は『ハウス食品』に、「1億円を車
に積み、『名神高速・大津パーキングエリア』まで来い」という脅迫状
が届きました。このパーキングエリアは過去に「キツネ目の男」が
何度か目撃されていたところです。
そして『ハウス』社員に変装した捜査員がパーキングに到着し、指定
された場所にあった指示書を読むと、「名古屋方向に向かい、白い旗が
見えたら、缶に入れた指示書を見よ」とありました。
ちょうど同じ頃、近くの高速道路と一般道が交差する辺りで警邏中の
滋賀県警のパトカーが不審車を発見、職務質問しようと近づくと、
車は急発進し、パトカーを振り切って逃走しました。
この不審車が停まっていた場所の真上のフェンスに白い布が巻き付け
られていたことから、ここが現金の投下場所と見られています。
何でこのようなミスが起こったかというと、滋賀県警は幹部だけにし
か『グリコ・森永事件』の広域捜査を知らせていなかったからです。
この不審車は乗り捨ててあったのが発見されました。車の中には警察
傍受無線が残され、特殊な工場廃棄物も発見されました。
「かい人21面相」は犯行の際に多くの遺留品を残しています。でも
そのほとんどは広範に流通されているもので犯人の特定には至らず、
この廃棄物は特殊なものなので期待されたのですが、犯人に結びつく
ことはありませんでした。

再び鈴木部長に夜討ち
この「不審車の事件」の後、鈴木刑事部長に「夜討ち」を掛けました。
「誰だ!何だ、今頃?でも入れ!」で、部屋に上げて貰って、
「犯人が逃走に使った車について、我が社は独自の情報を掴んだので
すが、イエスかノーか答えて下さい」と問いかけると、
「これは重要な事件だし、警察庁の命令もあるし、一切イエスかノー
なんて答えないし、捜査の進捗状況を含めて質問には答えない」と、
身も蓋もない答えです。
困った私は、「肉声がだめなら、身振りではどうですか。私の質問が
真実に近いときにはアゴの角度を下げ、違うのであれば横を向くので
はどうでしょうか」と提案すると、「バカなことを言うな」と言います。
それでいて、「俺は知らんぞ」と言いながら首を縦に振り、「俺はたま
たま首の運動をしたいのだ」ととぼけるのです。
この模様は映像では使えませんが、大いに助けられました。
この事件は長期化し、食品業界の狼狽は続きました。
「かい人21面相」の最後のメッセージは翌60年8月12日のもの
で、「もうゆるしたろ くいもんの 会社 いびるの もお やめや
悪党人生 おもろいで」と、終息を宣言しました。
以後、「かい人21面相」も「キツネ目の男」も動きを消しました。
そして、2000年(平成12年)2月13日、時効となりました。

「鈴木さん、警察は犯人グループの尻尾を掴んでいたのですか」
刑事部長を退任するとき、私は聞きに行きました。
「岩ちゃん、それを知りたかったら、俺が本当に棺桶に片足突っ込ん
だときに来い」
「そうしたら、やっぱりお前の捜査に関する取材の道筋は正しかった
と言ってくれるんですか」
「それでもやっぱり言わないまま、あの世に行ってしまうのかな」
こんな会話がありました。
鈴木さんは今もお元気で東京で活躍されております。

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