元オウム真理教幹部の平田信(まこと)被告(46)=逮捕監禁罪で起訴=をかくまったとして、東京地検は30日、元信者の斎藤明美容疑者(49)を犯人蔵匿罪で起訴した。一方、警視庁は平田被告について、95年に東京都杉並区内のマンションで時限式爆発物を爆発させたとする爆発物取締罰則違反容疑で31日にも再逮捕する方針。
斎藤被告の起訴状によると、平田被告が目黒公証役場事務長の仮谷清志さん(当時68歳)拉致事件で特別手配されていると知りながら、97年5月上旬~昨年12月31日、「吉川祥子(よしかわしょうこ)」の偽名で借りた東大阪市内のマンション2カ所でかくまったとされる。かくまった期間は、逮捕容疑では04年6月からとしていたが、捜査の結果、97年5月上旬以降だったことが裏付けられたという。
一方、爆発事件の公判記録などによると、平田被告は、指揮役とされる元教団幹部、井上嘉浩死刑囚(42)の指示で現場に行き、見張りや爆発の確認をするなどの役割を果たしたとみられている。出頭後、関与を認める供述をしているという。平田被告は、同事件でも特別手配されていた。
「入信せず、出家もしなければ、違った人生があったと思う」。犯人蔵匿罪で起訴された斎藤被告は、オウム真理教に関わったことを後悔し、「もっと早く出てくればよかった」と話しているという。30日夜に接見した滝本太郎弁護士は、斎藤被告が「裁判では真摯(しんし)に全て正直に話す」と語っていることも明らかにした。
滝本弁護士によると、教団の看護師をしていた斎藤被告は、「治療省」の上司だった林郁夫受刑者(65)=無期懲役が確定=が地下鉄サリン事件などを悔やんだ手記「オウムと私」を逃亡中に読んだという。「信頼していた林受刑者が言うのなら間違いない」と感じ、帰依を捨てるきっかけの一つになったとみられる。
10日に自首した斎藤被告は、17年近く一緒に逃げた平田信被告について「尊敬が愛に変わった」と語り、偽名を使い料理店や整骨院で働いて生計を支えた。逃亡生活の経緯は「福島、宮城、青森県の後、仙台市から大阪に行った」などと説明。自首時には800万円を持参、「事件の被害弁償に充ててほしい」と話した。
警視庁は、2人が逃亡中に教団関係者らの支援を受けた可能性もあるとみているが、これまでの捜査ではそうした形跡は確認されていないという。【松本惇】
毎日新聞 2012年1月31日 東京朝刊