
人格無視された拉致被害者
| 北の朝日と言われる北海道新聞に掲載されたコラムである。 ----------------------------------------------------------
人格無視された拉致被害者
認められなかった自由意思 野田正彰
北朝鮮から五人の拉致被害者が帰郷して一年が過ぎる。北朝鮮を攻撃し国家主義w煽る風潮が起こるだろうと予測したが、これほどまで拉致被害者が利用されるとは思わなかった。石原慎太郎東京都知事による、経済制裁しろとか、国家のプライドはどうしたといった煽動が続いている。これらの発言は拉致被害者にことよせて、敵国を作り上げ、敵国を作ることによって強い国家を力説し、その強い国家の指導者として自分を目立たせようとするものである。
しかし被害者に感情移入し、彼らの立場で考えれば、帰国当初から日本政府と日本社会は彼らの意思を無視してきたことが判明する。
家族より政府決定優先
帰郷して一年たった十月十四日、地村保志さん、富貴恵さん夫妻が、報道各社に長文の手記を寄せた。そこには極めて重要な心情の変化過程が記されている。夫妻は帰国直後、「まだ一時帰国という認識を強く持っていた」、「子供たちを残して永住帰国することが果たして親としての取るべき行動なのかと思い悩んだ」と述べている。
しかし、考えが変わる。というのも、「日本に留まることを最終的に決めたのは、結局日本政府が<一時帰国者を帰さない。北朝鮮と毅然とした態度で臨む>と言明した時点であった。それは家族、友人の思いより日本政府の決断、対応が今後の問題解決の決め手であると確信していたからだった」と説明している。つまり自分たちの意思よりも、あるいは「帰国を強要する説得を控え、冷静に私達の決断を見守ってくれた」家族の思いよりも、日本国政府が被害者本人たちの意思決定に先立って、帰さないと決定したからである、とはっきり経過を述べている。なお家族についても、自分たちの分からないところで、(北朝鮮へ行かない)努力をしていたと、あえて付記している。
結局、私たちに意思決定の自由はなかった、意思決定の時間を与えれていなかった、あるいは私たちの意思とは言えない、と述べているのである。ところが手記を受けとったいずれのマスコミも、この箇所を無視していた。
北朝鮮社会への愛着
拉致被害者が帰国した直後、私は次のように述べた。 一時帰国者は今後、拉致されるまでの人格Aと、北朝鮮で適応してきた人格Bを、あわせて肯定しながら、新たな人格Cへと統合していかねばならない。日本人が一方的に人格Bは無いものと決め付け、人格Aと人格Cをひとつと見なすのは、他者の人格を認めないことになる。彼らを洗脳された者と呼んでいるが、「一時帰国者の精神状態はそんな簡単なものではない。拉致されたことへの怒り、絶望、恐怖を乗り越え、次第に北朝鮮社会に適応し、自分の役割をこなしてきた。理不尽な権力に従わざるを得なかった屈辱感、罪の意識、抑圧された怒り、そして長い歳月暮らしてきた北朝鮮社会への愛着が混じり合っている。人格Bは無いものと見なすのは、彼らの本当の精神的葛藤を知らないからである」(「背後にある思考」みすず書房)
自分らしく生きられず
そう危惧したとおり、日本社会は被害者が人格A、B、そしてCを統合していく時間を認めなかった。拉致された夫妻の子どもは北朝鮮の文化を身につけて人格形成しており、文化的には北朝鮮の人である。だが、それすら無視している。相手のため、相手を思って言っていると主張し、相手の意思決定を待たない人間関係。拉致被害者にとって多くの人々の構えは、今なお私たちの社会が自分と他者の人格を曖昧にしていることを示している。被害者たちは二十数年前、北朝鮮で自分らしく生きられなかったと同じように、この日本で個人として自立して生きていくことが許されていない。菌糸のようにまとい付くうとましさの上に、日本政府の外交はある。
北朝鮮の金正日軍事独裁政権は、彼の国の人々の人権を抑圧してきた。同じく、被害者になりかわって北朝鮮を攻撃する日本の世論も、被害者の人格を尊重してきたとは言えない。(のだ・まさあき = 京都女子大教授 北海道新聞)
このような言説はこれからも繰り返し繰り返し現れることだろう。拉致被害者の帰国をあえて「帰郷」と表現するおかしさ。また、地村さんの手記の引用も正確ではない。該当部分の手記の原文はこうなっている。
------------------------------------------------------------------------------ ■日本に留まることを決めるまでの葛藤 帰国直後は、まだ一時帰国という認識を強く持っていた。それは当然家族を残してきたからだ。当初家族、友人の説得に曖昧に答えざるを得なかったのも、子供たちを残して永住帰国することが果たして親としての取るべき行動なのかと思い悩んだからだった。 この心情を知ってか家族親戚は帰国を強要する説得は控え、冷静に私達の決断を見守ってくれた。それ故、帰国問題をめぐって家族との目立った葛藤はなかった。ただ私達の分からないところで(例えば日本政府との交渉とか拉致被害者家族間での協議など)その努力をしていた。半面友人、特に同級生たちは子供たちのことを心配しながらもこのまま留まること再三勧めた。 日本に留まることを最終的に決めたのは、結局日本国政府が「一時帰国者を帰さない。北朝鮮と毅然とした態度で臨む」と言明した時点であった。それは家族、友人の思いより日本国政府の決断、対応が今後の問題解決の決め手であると確信していたからだった。 ------------------------------------------------------------------------------
この手記に何かおかしなところがあるだろうか。拉致被害者の方々は当初、日本政府を信用してはいなかった。当然である。二十数年間、何もしてくれなかった政府を信用しろという方が無理である。永住帰国にしても、友人や家族がいかに勧めてくれても、肝心の日本政府が及び腰であったら、自分たちが長い間放置されたことが繰り返され、二度と子ども達を会えなくなってしまう恐れがある。日本政府を信用してもいいのかどうか、見極める必要があったのである。拉致被害者のご家族によれば、永住帰国を決め政府にそれを告げた際、安倍副長官や中山参与等によって永住帰国は日本政府の意思として表明するということになった。これは北朝鮮に対する強い意思の表明であると同時に、拉致被害者に対する日本政府の強い意思の表明でもあったのである。これによって、初めて、日本政府を信用して、日本で子ども達の帰国を待つ、と決断出来たのである。地村さんの手記はそれを言っているのであり、この筆者のように理解することは逆に地村さんを貶めることに他ならない。
http://www.mainichi.co.jp/news/article/200310/14/001.html
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