ふたたび、宮城鳴瀬一中避難所へ、行く。PART2
昨晩は山形のカップ酒で、爆睡した。
ああ、よく寝た。
さ、測定、測定。
室内。0.08μSv/h 0.3CPS
大気、地上7階。0.09μSv/h 0.4CPS
こんなかんじ。7階だから20mくらいあるのかな。
20mつーたら、モニタリングポストと同じ高さだ。
こんな高いところで計測してるのか。
この数値を、子どもたちの生活の場に当てはめるんじゃ、ないよね。
さて。
このホテルは素泊まりだから、
朝食を買い出しに。
1Fに食料品売り場がある。
山形といえば、芋煮ですね。
昨日、
親友のYさんから教えてもらったのは、
同じ山形でも
日本海側の味付けは、味噌。
内陸は、醤油。
庄内は、味噌。
米沢は、醤油。
あ、ほんとだ、なるほど。
カレー芋煮!
芋煮ドロップ!!
おそるべし、芋煮。
おお。
パインサイダー、マシュマロって。
元祖パインサイダー、わらび餅って。
お菓子な顔、って、しゃれ?
山形、おそるべし。
いやいや、道草してる場合じゃないんだ。
Yさんに教えてもらった、
お菓子屋さんで売っている弁当が、
なんでも美味しいらしい。
それを昨日予約しておいた。
ゲットした。
九十九鶏弁当。
こんなかんじ。
いやぁ、おいしそう。できたてだから、まだあったかい。
女将、このところ左手の動きがよくないので、
枕をテーブル代わりにして、ね。
いただきます!
すごくおいしい。
鶏肉が、ぷりぷり。
付け合わせも、みなとても良い味付け。
さすがYさん、グルメだ。
ぱくぱくもぐもぐ、
ああ、おいしい、
ごちそうさまでした。
おし、
じゃ、
鳴瀬一中へ、GO!
山形は、いいなぁ。
計測、計測。
菅生PA。ほんと、山形から宮城にかけての数値は、福島に比べて低い。
長町。
仙台港北。
松島海岸。
高速をおりて、津波に襲われた地域を巡る。
基礎ごと抜かれた看板。
道路と、屋根。
屋根を測ってみた。
地面、異常なし。
ちょっと高いかな、でも問題ないかな。
消防用ホースのようなガードレールと、水銀灯。
お墓と自動車。
女将、娘たち、言葉なし。
アポイントの時間になった。
鳴瀬一中「武道館」と、女将。
今回はYさんのお友だちからの冷蔵庫一台、
親友@tobby1kenobiからの自転車を含む3台、
大きなステンレスの寸胴、
画用紙、クレパス、クレヨン、ノート、おもちゃ、
などを持ってきた。
自転車たち。
この避難所のコーディネートをされている、菅原さん。
元気そうで、よかった。
前回に比べて、髭がやや伸びたかな。
う〜ん、あんまり変わらないか。
避難所の雰囲気が、前に比べてちょっとだけ、ゆとりがでているのかな。
気候も暖かくなってきたし。
いろいろとお訊きする。
義捐金の配分が、どうやら決まったそうだ。
家屋全壊・・・・・・・・35万円
家屋半壊・・・・・・・・全壊の1/2
家族死亡一人あたり・・・35万円
菅原さんの場合は、奥さまと息子さんをなくされたので、
35万円×2=70万円
家屋は全壊なので35万円
総額105万円ということだ。
これは6月以降の支給になる予定だという。
しかし、これ一回で終了という話しのようだ。
新たな義捐金が集まれば、それをまた再度配分するようだが、
その予定は、あくまで
「新たな義捐金が集まった場合」
の話し。
その他に、被災者の方々の再建支援制度として、
家屋全壊世帯・・・・・・100万円
家屋半壊世帯・・・・・・・50万円
加算支援金として
「建設・購入」の場合は・・200万円
「補修」の場合は・・・・・100万円
「賃借」の場合は・・・・・・50万円
ということのようだ。
ということは、菅原さんの場合は、
義捐金105万円+全壊世帯100万円+建設・購入200万円=405万円
となる。
でも、これでは家を建てるのは至難だ。
もし、貯金があったとしても、
仕事がなければ切り崩すだけだから、
家を建てるとすればそうとうな賭けになるだろう。
賃借とすると、
義捐金105万円+全壊世帯100万円+賃借50万円=255万円
となる。
すべてを失った方々は、
これで、これからを生きてゆくことになるわけだけれど、
これがまた、とても難しいらしい。
3.11以後、賃貸物件の家賃が高騰している。
もし幸運にも仮設住宅に入居できたとしても、
交通の便が悪いことを考えると中古の自動車が必要になるが、
その中古車の価格も上がっている。
ぼくなんかだったら「自転車でいいや」となるけど、
高齢者はそうはいかない。
会社、工場ごと流されてしまい、
職を失った人々もたくさんいらっしゃるから、
新たな職を見つけることも、難しい。
それでもまだ、農業・漁業従事者の方々は
協同組合があるから助成金でなんとかなる部分もあるが、
問題は、自営業の方々だという。
すべてを失った方々は、たくさんいらっしゃるだろう。
お話をうかがえば伺うほど、溜息が出てきてしまう。
あれ、次女は何処へ?
あ、いた。
「今日、壊れた自宅に戻って洋服を探したら、
濡れてもいなくて、まだ使える洋服が見つかったの」
「そうなんですか、よかったですね」
お孫さん用の洋服も見つかったので、
この避難所にいる子どもさんにあげようと、
ビニール袋に入れて持ってきたそうだ。
そういえば次女は、
こちらへ来てからずっと行方不明だったから、
こちらでお話しをしていたんだな。
近藤さんと、次女。
近藤さんは、野蒜にお住まいだった。
ご主人がご病気で、
病院にいたので無事だったという。
娘さん(60ん歳)は、
ご自宅で津波に遭い、
二階に避難していたがそれでもだめで、
津波に飲まれながら、右手一本で鴨居に掴まり助かったという。
左手は複雑骨折治療中だったそうだ。
「真冬でしょう、一昼夜びしょ濡れで、寒かったのよ」
と、被災のお話しを笑顔で話される。
そのすごみたるや。
おなじ野蒜小学校で、菅原さんの奥さまと息子さんは命を落とされた。
野蒜小学校は、避難所に指定されていた。
その体育館にも津波は押し寄せた。
かろうじて体育館二階に逃れた方々は助かった。
菅原さんも、周囲の方々も異口同音におっしゃること。
「命が助かる、助からないは、運です」
あと数秒、あと1cm、というところで
助かる人もいれば、命を落とす人もいた。
そういった壮絶な場を、自分の目で見、
助けようとし助けた方々、
助けられて生き残ってきた方々が、
いまここにいる。
2ヶ月半が経ち、
彼らを、パッと見た限りでは
被災した人々だと気付く人はいないと思う。
でも彼らは間違いなく、
そういった修羅の場を生き抜いてきた。
そういう彼らを、
ぼくらは、
非力ながら応援させていただきます。
彼らが、自立できる感触をつかめるまで。
外国からも、義援の手が。
ちょうど俳優の東山紀之さんが(中央)、
カレーの炊き出しに来られていた。
これからの季節を考え、
たくさんの扇風機も持って来られていた。
ごくろうさまでした。
さ、ぼくらはそろそろおいとまします。
また近々におじゃまします、
お元気で!
石巻へ。
日和山(ひよりやま)公園。
のどかだ。
つつじが満開。
いやぁ、きれいだわ。
で、ここを、ね。
ここを曲がって、ね。
こっちに曲がって、ね。
ここにくると、ね。
こういう景色が見えます。
なにもなくなっている。
計測。0.15μSv/h 0.6CPS なぜか、やや高かった。
下に降りる。
瓦礫と、女将。
石ノ森萬画館。
鉄人28号(横山光輝)
礫の中の娘たち。
ちょっとだけ小高い丘の上では、いまも通常の生活が営まれている。
新しい電柱。
敷設工事器具。
新しい電柱と、すでに配線済みの電柱たち。
瓦礫の中での、計測。0.11μSv/h 0.3CPS
自動車と、ジーンズ。
片付けられた学校。
前回来たときは、こうだった。
このように、この3週間でだいぶ瓦礫撤去が進んでいる。
無理にとはいわないが、
この未曾有の震災の爪痕は、
今ならまだ、見ることができる。
物見遊山ならしなくてもよいかもしれないが、
自分の目に、心に焼き付けておきたいと思うなら、
今が最後のチャンスかもしれない。
石巻海岸、計測。
0.09μSv/h 0.5CPS
ここです。
今回も、避難所の方々とお会いでき、
彼らからいろいろと教えていただいた。
一つ、良かったと思えたことは、
ここ東松島そして石巻の放射能汚染度が低かったことだ。
それだけは、計測器を持ってきて測ってみて、
ほんとにそう思った。
でも、
被災した方々は、
2ヶ月半経った今でも、
先がまったく読めない状態が続いているのも事実です。
これからでも遅くはないので、
もし、東北にご縁のあるのなら、
どこでもいいから一度、
被災地を訪れてみてはいかがでしょう。
そろそろ被災地は宏大な「更地」になります。
そうなれば、悲劇の匂いはしなくなります。
無理矢理に悲劇を感じる必要はありませんが、
でも、一度、知り・感じておくと、
その後の感覚が変わってくるかもしれません。
同じ日本人が、
まだたくさん、被災したままの状態でいます。
被災地となんらかのご縁がある方々、
あるいは今回のぼくのように直接ご縁はなくても、
親友のその従兄の方が被災されたとか、
なんらかの縁があれば、そこをきっかけに、
どこかの被災地に入り、ボランティアを体験したり、
なんらかの形で援助をされるのはよいことだと思います。
そこから新たな縁が生まれることもあるかと思います。
そうなれば、遠地の肉親を思うような気持ちで、
被災地のことを考えることができます。
「いま、あのひとはなにをしているんだろう」
とか、
「寒くないだろうか(暑くないだろうか)」
とか、
「なにか食べたいもの、ないのかな」
とか、
いろいろと浮かんでくると思います。
今回の震災は規模が大きすぎます。
復興はきっと、かなりの長期戦になると思います。
細く長くで良い。
援助が続くことが大事だと思います。
ぼくは、三たび、現地に入ることにしました、近々。
きっと、美味しい現地入りになると思います。
ぼくも、ちょっとわくわくしています。
詳細は、
STAY TUNED!(チャンネルは、そのままだよ!)
2011-05-23 19:16
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