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なんでも「ほどほど」では困る人もいるのです

2012年01月30日 13:26

大西宏

香山リカさんという女性の学者さんが、「ほどほど」論のおススメを書いていらっしゃいます。確かに、人生は「ほどほど」のほうがいい場合もあります。
しかしそういう説を唱えるご本人が、共産党が先頭を走る反ハシズムのキャンペーンを支える御用学者として暴走しまったのだから「ほどほど」どころではありません。自らの立ち位置も把握出来ない心理学者って困ったものです。
香山リカの「ほどほど論」のススメ :

確かに「ほどほど」のほうがいい場合もありますが、なにもかも「ほどほど」では、うまくはいきません。ビジネスでは、それこそ必死になって、あるいは無我夢中になって、知恵を働かせ、また動かないと、いい結果はでません。またお客さまの共感を呼ぶ提案もつくれません。

テキトーにトップにゴマをすって、「ほどほど」に仕事をしていたから、オリンパスの不正も起こったのです。経営者が「ほどほど」の会社に、誰が将来を託せるのでしょう。

人には緩急自在が必要です。必死にもがかなければならないときはもがき、しかしそればかりでは、もたないのでほどほどのリラックスも必要です。考え詰めているだけではいいアイデアも浮かびません。考えぬいてもアイデアがでてこない、しかしちょっと肩の力が抜けたときに、突然アイデアがでてきたという経験を持っている人も多いはずです。しかし、「ほどほど」だけしかやらないひ人は信頼もされません。

とくに現実の世の中では否が応でも厳しい意思決定がせまられることがあります。オン・オフの発想は駄目だということですが、思考の過程では、グレーの部分とか、曖昧さに耐えることも必要でしょうが、ものごとを決めるときは違います。議論して結論が出ないときは、誰かが決めなければものごとは進みません。

なにも、デジタル時代になったからオン・オフの取捨選択の時代になったというわけではあません。それこそ戦国の時代でも、どちらの陣営につくかを決めて行動にでなかれば、それこそ敵と見なされたわけで、「ほどほど」の曖昧さを許してくれたわけではありません。

ビジネスでは、最終的には、なにかを選択する勇気が必要になってきます。経営者やリーダーを育っていくために絶対必要なことはなにかを決める場数を経験することだといわれています。そのとおりだと思います。
いつ始めるのか、なにから始めるのか、誰と誰を組ませるのか、進めるのか、止めるのか、それこそ日常のなかでも決めなければならないことがたくさんあります。

どんな小さな会社でも、なにをアピールするのか、なにを売るのか、お客さまからのさまざまな要求に、どう対処するのか、なにをしないのかを決めなければなにも前に進みません。どのお客さまに重点を置くのかも決めなければ流されてしまいます。小さな決定でも、間違うと命取りになることすらあります。香山リカさんは、学者だから決めなければならないことがあまりないのかもしれません。

そういえば、日本電産の永守社長が、日経の経営者ブログで挫折とジャッジの回数を重ねることがリーダーを育てるもっとも重要なことだと書かれていました。「ほどほど」な挫折とか「ほどほど」のジャッジで人は育ちません。
挫折とジャッジの回数が強いリーダーを育てる  (永守重信氏の経営者ブログ) :日本経済新聞 :

いちど永守社長と香山リカさんとの対談があれば面白いなあと感じます。「ほどほど」の経営、オン・オフではなくゆとりと、曖昧さを残した意思決定のオススメをしてみればと思います。はたしてどうなるのでしょうね。

東北の被災地をまわった瀬戸内寂聴さんが、「もうみなさんは頑張ってきたのだから、頑張れとはいいません。泣いてもいいのですよ」と声をかけ、被災者の人たちの心の苦しみを解き放ったことは、けっして「ほどほど」とは縁遠い話だとも思います。

ビジネスラボ代表取締役。自称「マーケティングの棟梁」

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