昨夜は素晴らしい若者と出会えました。といってもネット上のことではなく、リアルな世界でのことです。夜おそくまで気の置けない仲間たちと楽しくお酒を飲みながら語り合っていました。ミュージシャン、アーチスト、建築家、デザイナー、作家、映画監督…おおよそ芸術系の友人が多いですが、年齢も20代前半から60代までさまざまです。あんまり詳しく言うと素性がばれるので言いませんが、私は友人に恵まれて幸せだなとつくづく思います。昨夜も若い子が仕事上の悩みをみんなに相談して、それをみんなで考えながら率直にアドバイスしてくれる。それはそのアドバイス以上に、そうしてみんなで悩んでくれる場所がリアルにあるということのほうが、信頼できる仲間といっしょに前向きに生きていける力になるのだと思います。

私は創価学会の信仰をまったくやらなくなってからも何一つ悪いことはありません。あえて言うなら最近自分のブログに頭の弱そうな人格障害者が飛び込んできたことぐらいでしょうか(笑)。仕事もこんな慢性的な不景気の世の中にもかかわらずすこぶる順調で、黙っていてもどんどん仕事が舞い込んでくるし、家庭も気味が悪いくらい円満です(笑)。仕事とは別に、友人たちとの輪が広がり、すばらしいアートプロジェクトがいくつも進行中です。そうした活動を通じて世界的なアーチストや作家もたくさん友人にいます。さきほどもパリ在住のピアニストと私が主催するコンサートの打ち合わせをネットでしたところです。また明日は日本の誰もが知っている世界的な作家がアメリカから私のところにやってきます。考えてみたら創価学会に関すること以外は順風満帆で、多くの仲間に恵まれて、若い頃からやりたかったことをこうして仕事にできる自分は本当に幸せだと思います。もちろん仕事上でもプライベートでもさまざまな問題は起きますが、それはみんなで前向きに何かを生み出していくためのプロセスの中で起きてくる問題なので、とてもやりがいがありますし、みんなで乗り越えるたびに互いの信頼関係が深まっています。これは学会の信心をしてきたこととはまったく関係ありません。私は昨年の11月に勤行を全くしなくなってから、創価学会の信仰は功徳もなければ罰もないということもよくわかりました。むしろ自分の生活を創価の信仰に結びつける必要がなくなったので、ものごとがはっきり見えるようになって、いろんなことを躊躇なく推進できるようになりました。

前にも書きましたが、私は自分の中で創価学会の部分と創価学会とは関係ない部分をはっきり分けて生きてきました。そうしなければ芸術活動は成り立たないからです。私が自分のMCに気づいてから急激に学会の姿が見えてきたのは、そうしたスタンスで生きてきたからなんだろうなと思います。だから自分の中の創価学会の部分をバッサリ取り除けば、こんなに幸せ者はそうそういないんじゃないかと思うほどです。ただ残念ながら私は学会二世として自分の意志とは関係なくこの信仰を強いられてきたという現実があります。この現実に対してどうすればいいのかということを考えた末にこのブログを立ち上げました。

罰が恐くて学会を辞められないで悩んでいるみなさん。創価学会は宗教ではありません。功徳もなければ罰もないことはあきらかです。この信仰を保てば功徳がある、捨てれば地獄に堕ちる。それはそんな言葉で人々の信仰心を悪用して心を縛り上げ、金品や労働を搾取する卑劣なシステムです。またその中で生まれる利権に群がる外部のものたちも含めた巨大な詐欺集団です。何も怖がることはありません。単なる詐欺なのですから、躊躇せずに脱会するべきだと思います。多くの人々が功徳という甘い罠に騙されているだけです。私があえて脱会せずにいるのは、学会員の立場であるほうが学会の実態を社会に示すことができると判断したからです。形式上の脱会は簡単ですし、その後に組織から何を言われようが今までのように聞き流しておけばいいのですからね。でも私は自分のこれからの人生を考えたときに、自分にとって学会の存在を何もなかったかのように考えることができません。ですから手始めにこうしたネットを通じた情報交換をしていくなかで、学会の実態を多くの人に知っていただくことから始めようと思ったわけです。その後のリアルでの展開についてもいろいろとシミュレートしていますが、まずはこのネットでできることでより多くの方とのコミュニケーションを図っていきたいと考えています。一人でも多くの方が創価学会の実態や、それに関する思いをここに語っていただくことを願っています。どうかよろしくお願いします。

それからまだ懲りずに幼稚なカマってちゃんが出没しているようですが、相手にしないでください。あれは現代社会の病理のかけらですから、相手にするだけ時間の無駄です。リアルで相手にされない寂しさを紛らわそうとしているだけなので、相手にしない方が彼のためです。現実に向き合うことのできない自分の不甲斐なさをごまかしているだけですから、みなさんスルーしてください。よろしくお願いします。

さて、気分を変えて(笑)、別の話題に移りたいと思います。というかページを更新しましょう。

今回はちょっと笑い話でも。

私はこのブログを立ち上げる前に、つまり「まだ学会はそれほど間違ってもいないんじゃないか」となんとなく思っていた頃、う〜ん、去年の10月頃はまだそんなふうな感じでした。でも、なにがそのきっかけになったのかはわかりませんが、ふと思い立って学会員のブログをのぞいてみたんです。おそらく自分の心のどこかで何かがいっぱいになってこぼれだしたんだと思います。で、たまたま除いた「私こそが創価学会員だ」と宣言するブログ。そのあまりの盲信ぶり、排他的、独善的、また反社会的な言動に驚いたのです。まさに金太郎飴のようにステレオタイプの「指導」の言葉を繰り返すサイト。それはもうでたらめでした。イケダセンセイのためなら爆弾抱えて国会議事堂にでもつっこみそうな勢い(笑)。でもそのときはそんな極端な盲信者も中にはいるだろうぐらいにしか思いませんでした。それで、そこに「53歳学会員」の名前で「学会員のあなたがこんな恐ろしいことを書いて学会の信頼を踏みにじってどうするの」みたいなことを長々と書きました。そのときは本当にそう思ったからです。反応はすぐにありました。「おまえは学会員じゃない。学会の評判を落とそうとするナリスマシだ」と。そしてすぐにアクセス禁止になりました。そのことはこのブログの最初のページにも書いた通りです。今でも当時の私の書き込みは一部ですがその盲信者のサイトに「ナリスマシのサンプル」として表示しています。それが全部でないのは、彼にとってよっぽど都合が悪かったのでしょう。

それからその盲信者はアンチとの対話の専用サイトを開設しました。そこでは愚にもつかない低レベルの話がぼちぼちあるようですが、ひとたび彼の都合が悪くなると、すぐに「ナリスマシ」と決めつけて片っ端からアクセス禁止にしているようです。その姿はほんとうに全国の学会員の縮図を見ているようです。ですからほんとにくだらない話がボソボソとあるにすぎないみすぼらしいサイトのようです。おまけに彼にいつも盲従していた子分がいるのですが、2chなどでさんざんいじめられたせいか、自分のサイトも削除して、その後もいっさい顔を出さなくなりました。言葉の使い方が変だったし、もともと挙動不審なところも見られたので、ちょっと心配しています。

なぜ私がそんな取るに足りないサイトの話を持ち出したのかというと、私はこの盲信者のサイトを見て創価学会のおかしさを実感したわけです。さらにこのことでアンチ側のサイトを見てみようという気になりました。今思えば、よくまああそこまで極端にくだらないサイトに遭遇したものだと思いますし、もう少しまともなサイトであれば、私はまだMCが解けないまま、このブログもなかったろう思います。その反動のせいもあってか、その後に高倉先生の「白バラ通信 パンドラの箱」と、クロさんの「真実と幻想と創価学会」を見たときに、これこそがまともな人間の言うことだと確信できました(こんな言い方をしてすみません)。あーーー¢§£※⁂℃∀∈!!!って感じでした。そこからみるみる目が覚めていきました。以前もアンチのサイトを見たことはありましたが、なんか口汚く学会を罵倒するサイトばかりで、まったく気持ちが動くこともありませんでした。気持ちのわずかな振れと、そこにたまたま居合わせた盲信サイトときちんとしたアンチサイト。この出会いがなければ今の私はいません。

あの盲信者のサイトに出会い、そして高倉先生とクロさんのサイトにであったことで、私の人生観がガラリと変わったのです。そう言う意味でもあの盲信者サイトは特別な思いがあるので、ときどき覗いたりもします。でも相変わらずですけどね(笑)。そりゃそうですよね。見方によっては史上最強のアンチ学会サイトです。なんせ信心53年のベテランを退転させてしまったのですから表彰状ものです(笑)。だからいつかこのお礼を言いたくてしょうがない。「目覚めさせてくれてありがとう。こうして洗脳されたまま妻や子供までも不幸にしなくてすんだのは、あなたのおかげです。私は最初から言い続けているようにナリスマシではないし、今でも創価学会員です。どんなに多くの人があなたのサイトを攻撃したからといって学会の評判が悪くなるとも思いません。誰よりも学会の評判を悪くしているのはあなたなんですよ。よかったら私のブログに来てみませんか…きっと頭おかしくなりますよ(笑)」って。彼はこのブログの存在を知らないのか、知っていて知らないふりをしているのかわかりませんが、アンチ学会の旗手として今日もわけわからないサイト運営に精を出しているようです。誰か伝言してくれないかな…

笑い話でした チャンチャン

たとえば、日本国憲法前文や世界人権宣言には、いまの世の中で考えられる最も崇高な精神と自由を保障するかのような言葉が連ねられています。字面を追っていけば、ほんとうに素晴らしい涙が出るほどの理想が語られています。しかし現実はどうか。この平和ボケと言われて久しい日本においても、目に見えて卑劣な人権侵害は横行しているし、凶悪犯罪は絶えることなく、私たちは民主主義などとはほど遠い利権国家にいることに甘んじています。大多数の一般庶民は単に搾取されるだけの愚民となり、小さなコミュニティのなかでのささやかな人情に生きる糧を見出しているに過ぎないようにも思います。特に311以降、私たちは幸せになる権利があるのかどうかさえ疑問に思えてしまうほどです。 しかしそうした中にあっても、やはり一人の人間としての正義感というものは絶やしてはならないと思います。それが実現できそうもない単なる理想であったとしても、言葉として掲げていくことの意味は大きいと思います。どんな世の中になろうと、私たちは幸せになる権利を持っているのだということを信じて示していきたいと思います。

創価学会の欺瞞と矛盾がもはや隠せない段階に来ているとはしても、まだまだ数百万人という会員が騙されていることに気づかないばかりか、よかれと信じてその悪行に加担してしまっています。私は生まれてずっと創価学会という閉鎖的かつ排他的な環境の中で育ってきました。私の親も兄弟もそれとは知らないままその社会悪に加担してきました。そして私は53年目にし てやっとそのことを客観的に見る機会を得ることができました。それまでの数多くの学会の矛盾に関しても、無理矢理思考停止を余儀なくされると言ういわゆるマインドコントロールによって、疑問が疑問でなくなるという恐ろしい状態に陥れられてきたわけです。個人の思想を否定し、ひとつの思想を強制し、従わないものは地獄に落ちると恐怖をあおることで縛り上げる。そしてすべての金と権力を池田という一人の傲慢この上ない人間に集中させる行為を崇高なものと植え付けていく創価学会を宗教ととらえること自体がおかしいことであって、そのおかしさに気づかないことが、あきらかにカルトによる大規模な犯罪行為であることの証左であると断言します。

こうはっきりと断言できるようになった私でさえ 、まだ自宅の仏壇を処分することにためらいを感じてしまうのは、あきらかにMCから解かれていない証拠だと思います。本尊の曼荼羅が何の意味もない印刷物だとわかってはいても、むげに廃棄してしまうことを躊躇する自分がいます。これはなんだろうかと考えます。信じてはいない。功徳などあるわけもなく、しかし自分のこれまでの人生のかなりの部分も同時に否定してしまうことの躊躇なのか。自分の中での理屈と感情が軋んで音を立てているようです。
仏壇を処分する。これは自分は仏教徒であるという、普段はさほど気にもしていなかったアイデンティティを、ここにおいて、しかもこんなくだらないことが原因で、あっさり否定してしまっていいのかという問いかけでもあると思います。もちろん創価学会とは決別するにしても、宗教とりわけ仏教との縁を切ってしまってもい いものかどうかという疑問というか不安…。これは墓の問題とも関わってくることです。この先、自分の中での宗教観というもの、また信仰というものをどのように捉えていけばいいのかという、おそらく初めてつきあたる問題に正直戸惑っています。なにかしらよくわからない重荷というより欠落感がやはり心のどこかにあるようです。
創価学会は宗教であるという前提で考えれば、これが宗教ならば必要ないという結論とともに、いわゆる無神論者として生きる道もあるでしょう。今の世の中を見れば、神も仏もあるものかと思うのも当然なのかもしれません。かといってこの世界での人間の知覚能力を遥かに超えた力の存在を否定するにも、あまりに無理があると私は思います。創価学会は宗教ではないということを前提に考えれば、あらためて自分自身と宗教、もしくは自分とこの世界をつなげるなんらかのものに対する認識について、もう一度検証し直さなくてはいけないと個人的には思っています。これはあくまで私個人の考えですが、今まで創価学会の考えと違うというそれだけの理由で、自分の中の封印してきた感覚をもっと大切に生きていきたいと思うのです。
そう考えると、創価学会がいかに人を宗教や哲学から、それ以前に人として感じ考えることを遮断させてきたかが思い知らされます。まったく愚かなことです。もはや人類が辿ってきた信仰の軌跡を否定する気はありません。そこから素晴らしい技術や文化が生まれ、芸術が生まれ、人々はさらに生きる意味を問いかけてきました。そして同時にこの世界で生きていくことの喜びをも表現してきたように思います。むしろ無心論者の言い分が偏狭なアナーキズムのようにも私には感じられるのです。
世の中はそう簡単には変わらないだろうし、現に今の世界はろくでもない支配者によって搾取され続けています。それでもこの世に生まれてきたことに感謝し、子どもたちに命をつないでいくことの尊さを伝えていく自分でありたいと思います。
このブログはなにも特別なことをやろうとしているのではありません。自分の時代には実現できないであろう幸せな世界を、せめて子どもたちか、またその子供たちの時代には、その理想を見失うことなくつくりあげていってほしいという思いで立ち上げました。創価学会の現実を一日も早く社会に示すこと。これはみなさんのひと言ひと言の積み重ねによって必ず実現するものと信じています。ちょっとしたことでもかまいません。それぞれの立場で創価学会を見てきたこと、感じてきたことをありのままお話ししていただけるとありがたいです。ここで学会を罵倒し攻撃する必要はありません。ありのままの事実とあなたの正直な思いをここに記していただけるだけでいいのです。創価学会員であるがゆえに創価学会の真実から遠ざけられて、何も知らされていない多くの会員さんの心に届けたいと思います。よろしくお願いします。

今のところ私自身に関しては、学会組織から何も言ってこないので、目に見えて困ることはありません。目に見えてというのは、しつこく家庭訪問があったり、新聞啓蒙を強要されたり、会合に連れ出されたりなどいったことはありません。おそらく私に何を言っても暖簾に腕押し状態なので、諦めているんだろうと思います。また親兄弟が幹部だときついことも言えないというのもあるみたいです(笑)。

で、これから少しずつ自然な感じで組織活動に首をつっこむとなると、まず最初のとっかかりで怪しまれないようにしなければなりません。ここにこうしてゲリラ戦略を公表していくわけですから、ここをチェックしている本部組織から全国に「シニフィエを探せ」の通達が出回るかもしれません(笑)。まあ、私一人ぐらいならどおってことないでしょうが、全国に同時にいろんなところにシニフィエが出没して、学会の実態をネットで報告されるとなれば話は違ってくると思います。その実態報告はこの「対話を求めて」に集約されてもいいし、第二第三の「対話を求めて」が無数に立ち上がるというのもいいですよね。つまり日本同時多発シニフィエ作戦(テロとは言わない)!まあ、学会上層部にとってはテロみたいなものですけどね(笑)。

シニフィエという私のHNはもともとソシュールなどが提唱した近代言語学から借用したものですが、その本来の意味からかなり力技で「表に出ない本来の実態」のようなものとしてのイメージを込めています。創価学会の表のご都合主義な部分に騙され続けている学会員に、その恐ろしい裏の実態を知ってもらう。それには決して表にでないところでの行動じゃないと太刀打ちできない。だから次第に増殖していくシニフィエなるものがネットを通じて創価学会の実態を社会に告発していくことができれば、その動きの中で多くの学会員が騙されていたことに気づいてくれるのではないかとの思いです。

まずは最初のとっかかりが大切ですから、慎重に動き始めたいと思います。これでほんとうに「シニフィエ注意報」なるものが組織に出回ったとしたら、それ自体でも学会が自分で自分の首を絞めることになるでしょう。全国の組織の末端まで「シニフィエって何?」「なんでも創価学会のウィキリークスらしいぞ」「シニフィエってじつはあいつなんじゃないか」「いや、あいつも怪しいぞ」「お前だろ、涼しい顔して学会に弓するものは」「とかいいながらほんとはお前なんじゃないのか」「まてまて、あの幹部だって勤行してないって言うじゃないか」という話題がひそかに広まる。そのうち「創価学会って大丈夫?」「やっぱおかしいんじゃないか」「俺たちって利用されてんじゃないのか」「池田先生ほんとに顔見せないしな」「死んでんじゃね」「ちょっとネットも見る価値あるかも」とかなんとか噂が広まって、そうして「対話を求めて」にやってくる。そこには恐ろしいほどの数の人が語る創価学会の実態が集まっている。そこで彼らは何を思うか。今まで信じてきた表向きの創価学会とは何だったんだと気づく人がひとり二人と増えていくといいなと思います。

「創価学会は宗教ではない」←いきなり刺激的なタイトルをつけました(笑)。でもこう考えると学会のすべてのことに合点がゆくのです。なんかおかしいな?と思うのは、創価学会を宗教団体という前提で考えているからであって、人間の良心や信仰心を逆手にとって利用した大掛かりな詐欺集団だという前提で見ると、「あっ、なるほど!」ときれいさっぱりと見えてきます。MCが解けるときって、物事の考え方の前提を変えることができるか否かにあるのではないかという気がしてきました。

今日、母に会ってきました。母は草創期の幹部で、戦後間もなくしてからその人生のほとんどを学会のために費やしてきたような女性です。もう年老いて半分認知症の状態です。私に会うのが久しぶりというわけではないのですが、今日は開口一番「あんたは誰だったかね?」と言われました。かなりショックでした。でも母は自分の認知症が進行していることを認めようとはしません。私もあえてそれには触れません。そんな母に対して「学会は間違いだった」「僕は学会をやめようと思う」などとは言えません。おそらく遅かれ早かれ母はあの気味の悪い学会の墓に埋葬されるでしょうし、母自身がそのことを望むでしょう。年に一度も家族が訪れないような遠いところにあるみすぼらしい墓に望んで入るのです。また兄夫婦がそのようにするでしょう。私の心情からすれば親を学会の墓には埋葬したくないというのが正直な気持ちですが、ここで波風たててもどうなるものでもありません。母はこの期に及んで息子が退転してしまったと、おそらく一日中仏壇の前に座って狂ったように唱題するでしょう。認知症が進みつつあるので、息子の退転の話を聞くたびに初めて聞いたように嘆き悲しむでしょう。そしてどんなに話をしたところで、それは終わりつつある母親の人生を私が一方的に否定してしまうことにしかなりません。とても悲しいです。年老いて息子の名前さえすぐには思い出せなくなった母の顔を見ると、学会って何だったんだろうとつくづく思います。どれだけの人の人生を食いものにしてきたかと思うと、やはり自分一人が脱会して済む問題ではないと私は思っています。かといって私は学会の悪の実態を指摘してギャフンと言わせることをしようとしているのではありません。自分や自分の親のように人生を間違った価値観によって利用される人がこれ以上増えないことを願うものです。復習とか報復ではなく、自分の人生を自分の考えで生きて行けるような日本であってほしいという願いからです。多くの人が学会のおかしさに、つまり「創価学会は宗教ではない」ということに気づいてほしいということです。

このブログが新しい場所に移ってまだ4日目ではありますが、今のところこれまでのような不具合は見られません。ちょっと気になるのが18日に「こんばんは」とひとことだけ投稿してあるコスモスさん、それから17日に投稿していただいたはちみつさんの文章が途中で終わっていること。これがシステムの不具合でなければいいのですが。もし、以前のようにコメント入れてもすぐに削除されてしまうなどがありましたら、ブラウザをIE以外にしてやってみてください。よろしくお願いします。

このところ仕事が忙しくて寝る間もないのですが、それでもここのことが気になるので見るだけは見ています。書き出すと仕事そっちのけで書いてしまうので、ぐっと自分を抑えています(笑)。これから3月までいよいよとんでもない忙しさになってくるので、じっくり考えてものを書いたり、学会の会合に潜入…いや参加したりすることができそうにありません。もちろん、ここでのみなさんの対話はどんどん続けてください。まだ書いたことがない方もどんどん参加されてください。ひとことだけでもいいですからコメントください。それが多くの方が学会のおかしさに気づく力となります。もちろん現役活動家の方でもいいんですよ。外部の方でもいいんです。それぞれの立場で創価学会に関してこういうことがあったとか、それに対してこんなふうに思うとか、ここのところがどうしても理解できないのだけどどう?とか。このサイトは一日のアクセスが今のところ1300〜2000ほどです。もちろん一人で何度かカウントされる場合もあるでしょうから、見られている人数はそれよりはだいぶ少ないでしょうけど、それでも少なくとも毎日数百人の創価学会に興味のある方が見てくれているわけですから、ここでのコメントはなにかしらの意味はあると思います。それぞれの立場から学会に対する質問などありましたら遠慮なくなさってください。

身元が割れないように話をするというのはけっこう大変ですね(笑)。自分の書いたものを見るにつけ、話がどうしても抽象的になって、いまいち説得力がないよなあと思います。書いている途中で「あ、いかんいかん、これじゃどこに住んでて何をしている人間かまでわかるじゃん」と思ってごっそり消してしまうこともあります。で、そのうち自分じゃないようなキャラになってしまっているときがあるんですね。四六時中学会のことばっかり考えているわけにはいかないし、それでは仕事になりませんからね(笑)。

これまでこのブログで「広宣流布って何ですか?」というのと「功徳って何だろう?」という記事を書きました。それに対して多くの方にコメントをいただきました。結果、「広宣流布って会員を騙すための口実だ」ということ、「学会の信仰に功徳なんかない」という意見というより体験をお話しいただきました。私もそのその通りだと思います。創価学会は宗教を騙る利権集団であり、戦後最大の人権侵害と詐欺の組織であるということがよくわかりました。このことが分かった以上、もういまさら後戻りはできません。私も半年前だったらそこまでは言えなかったと思います。でも、いったんこの学会のおかしさを「おかしい」と気づいてからの学会の姿を見ると、すべてに合点が行くわけです。このサイトを見られている方で、「なんか学会っておかしいな」と少しだけ疑問に思ってここを訪れていらっしゃる方、その素朴な疑問をここに打ち明けてみてください。同じような疑問を抱いていた方がその後の思いや行動を話してくださると思います。たとえば「人間にとって信仰は大事だと思うんだけど、それと選挙活動を強制されることの意味がわかりません」とか。「全財産を財務にすると人間革命ができると指導されましたが、仏法はお金を出せば幸せになれるという信仰なのですか?」とか、「聖教新聞では元気いっぱいに執筆活動やメッセージをくださる名誉会長が、実際には一年半以上もまったく姿を見せないことをなぜ誰も話題にしないのですか?」など、ほんとに素朴な疑問でいいんです。ここでは日蓮仏法の教義を詳しくひも解いて学会の矛盾を指摘するような場所ではありません。また他宗との違いを書き並べたり、学会の宗教性について議論するつもりもありません。なぜなら創価学会は宗教ではないということに気づいたからです。創価学会を宗教的側面で語るとすれば、それはカルトとしての社会的影響という視点でしょう。私はそんな難しい議論をここでもちだすつもりもありません。学会に対する素朴な疑問や、現実の組織活動の報告によって、学会の本当の姿を内外の方に知っていただくことを目指しています。そしてそのような対話の中で、これまで学会によって無駄なお金と時間と労力を費やして、自分の家族の生活や人間関係を破壊してしまった方の実態も明らかになればと思っています。創価学会の真実の姿がはっきりと社会に示されたときが、多くの学会員の目が覚めるときです。すでに学会からは慣れている方でも「私はこうして学会の真実に気づいた」そんなことをお話ししていただけるとうれしいです。どうかよろしくお願いします。

おかげさまで、このブログ「対話を求めて」には連日たくさんの創価学会の実態が寄せられています。これは外部から見た憶測や中傷記事ではなく、現役学会員がその目で見てきた現実の話です。全国どこも同じような、そして恐るべき反社会的な、また人権無視の活動が繰り広げられてきたことがつぶさにわかりますね。ここではこうした創価学会の真の姿をできるだけたくさん紹介できる場所にしたいと思います。「オレにもひとこと言わせてくれ」「私も言いたいことはいっぱいあるけど、こんなこと言っても誰も信じてくれない」「組織に逆らったら何をされるかわからない」「前々から変だとは思ってたけど、やっぱりそうなんだ」などなど、創価学会のおかしさに少しでも気づいたならば、ここにコメントしてください。驚くほど同じような気持ちの方がいらっしゃいます。話がよくわかると思います。
学会に疑問を感じて未活になったけれども、その疑問を外部にだって言えないし、幹部に言ったらめちゃくちゃな「指導」をされるだけだし、それでもくい下がったりしたら何されるかわからないから、あたらずさわらずでじっとしているという方も多いようです。また入信動機がないまま純粋培養されてきた2世3世の方の悩みも半端ではありません。あらためて思うことは、未活の学会員さんたちの多くが未活であることを悩みとして抱えていることです。学会のおかしさに気づいてしまったが故に、あのとんでもないご都合主義の集団にとてもついていけない。ちょっと話をしただけでもこちらが傷ついてしまう。よくわかります。相手はよかれと信じて言ってるかもしれないけど、言われているほうは、そのたびに傷ついているんだということが全くわからない。学会員は人を思いやっているような気になっているんだけど、じつは集金と集票マシンとしていいように操作されているだけで、自分から他人の幸せのために動いているわけでは決してありません。それはここに寄せられる多くの方のお話でもよくわかります。とんでもなく迷惑なことを「あなたのために」と無理に押し付けて来られると、こっちの神経が予想以上に参ってしまいます。ほんとにこっちの頭がおかしくなります。そして何を言っても聞く耳を持たないのがMC学会員ですから、私もできれば関わりたくないというのが本音です(笑)。無駄に傷つきたくはない。でも、このまま何もなかったように生活はできません。これは気持ちの問題だけではなく、現実にこれからさまざまな問題を解決していかなければなりません。
その中のひとつに「お墓」の問題があります。以前も書いたとは思いますが、私の家の墓は日蓮正宗と学会のつくったペット霊園のような墓(私はそう呼んでいる)の二カ所にあります。私が死んでも、もはやどちらにも入る気はありません。じゃ、どうしよう…という問題。妻は…子どもは…。まったくわかりません。それ以前に兄弟に対して「自分は家の墓には入らないから」とそう簡単には言えないというのもあります。自分でも墓の問題をどう考えていいのやらまったく検討もつきません。友人の曹洞宗のお寺の住職に一度相談してみようかなとも考えています。きっと「創価学会員がなんでうちに墓の相談に来るの?」ってびっくりするでしょうね(笑)。
いずれにせよ私に限らず、創価学会が完全に崩壊したあと、自分の骨をどこに埋めるのかはしっかりと考えていかなければいけません。
今の仕事のバタバタが一段落したら、本幹とかにも顔を出してみようかなとか思ってます。本幹なら黙って聞いてればすむから大丈夫だと思いますが、座談会に出るときっと何か話せと言ってくるでしょうから、そこで何を話していいのやら(笑)。「しばらくみなさんがたから遠ざかっていましたが、やはりこの信心でしか宿命転換はできないと決意しました!これからは大聖人の仏法を根本に、池田先生にお応えできる人材として、師弟不二の精神で、創価学会は間違いない!ということを社会に実証していきたいと思います!どうかよろしくお願いします!」とかなんとか言ったら、婦人部の人なんかは涙流して喜ぶんでしょうね。でもこっちの頭がおかしくなるでしょうね。…どうしよう(笑)で、最後の幹部の指導を聞いたりしたら笑いをこらえきれなくなるんじゃないかと心配です。でも、つい口答えなんかしたら大変なことになるでしょうね。「もしかしたらこいつがシニフィエかも」って…思わないだろうけど(笑)。
まあ、なにしろ私の身の回りもこれからいろいろと面倒なことが待ってるだろうと思われます。でもそんなことも、ここでみなさんに報告できると思えば楽しみでもあります。いったいどんなトンデモが飛び出してくるのか。
みなさんがたの中で、できる状況の人は今の学会の実態報告もここで大いにやってください。ここシニフィエのブログ「対話を求めて」は、皆さんからの創価学会の真実の声1万人分を目指して頑張ります!どうかよろしくお願いします。

全国の方が突然ここのコメントが読めなくなるというトラブルが起こり、スワッ、サイバー攻撃か?!と身構えましたが、グーグルのブログ故の不具合だったようです。みなさま大変ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。多くの方がWINDOWSのIEでブラウズされているため、あちらこちらでコメントが表示できないとかフリーズしてしまうなどのトラブルが発生した模様です。とりあえず原因がわかってほっとしました。ただ、緊急避難的にこのFC2さんに引っ越しては来ましたが、なにぶん勝手がわからず、お世話になっていてあつかましいですが居心地悪いです(笑)。個人的な好みもあるでしょうけど、とにかく広告があるのが耐えられないんです。
。引っ越しのやり方もなんとかわかりましたし、少し落ち着いたら広告のないすっきりした場所にサイド引っ越そうと思ってます。今後ともよろしくお願いします。
ひとつお詫びをしなければなりません。このブログをFC2さんへ移した時に、なぜかコメントされた方の名前がのきなみクロさんと希望さんの名前に入れ替わってしまいました。もう私の方ではどうにもできません。とくにクロさんと希望さんには大変申し訳ないのですが、どうか見過ごしてやってください。お願いします。
ということで、今日はこのゴタゴタであまり仕事にならなかったので、これから徹夜で仕事です(笑)。

しかしまあ、今回はほんとにサイバー攻撃を受けたときにどうするかということがわかりました。勉強になります。そして多くの方がこのブログをガッチリ守ろうとしていただきました。ほんとに心強いです。ありがとうございました。ほんとに一人じゃないって思いました!

この騒ぎで、先の「功徳って何だろう?」が薄れてしまったので、ここからもう一度始めるために、ここに再度アップさせていただきます。ここはひとつ仕切り直しってことで、よろしくお願いします。
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創価学会員のみなさん。「功徳」って何だろうって、もう一度あらためて考えてみませんか。
私は学会のおかしさに気づいてから、功徳ということばがどれだけ滑稽なものかを感じます。多くの学会員は「功徳」につられて信心を始め、「地獄に落ちる」という言葉で学会から抜けられなくなります。信心したおかげで病意が治った。信心のおかげで貧乏から抜け出した。私も子どもの頃からそんな話をさんざん聞かされて育ちました。信心すれば、もっといえばお題目を唱えるだけでどんな夢も叶う。「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」などと御書の中のいろんな箇所を引っぱり出しては、とにかく何も考えなくていいから信じていきなさいという。信心してもしなくても、人生にはいいこともあれば悪いこともあります。なのになぜか学会では入信した途端いいことは信心による功徳であり、悪いことは信心が足りないことになる。どんなときもです。幹部は会員のそうした一喜一憂を功徳と信心が足りないのどちらかで済ませてしまいます。つまり「余計なことは考えなくていいから、学会活動に励みなさい」結局幹部が言うのはこれだけです。会員はそれを真に受けます。さらに近頃は功徳は「信心のおかげ」ではなく「先生のおかげ」になっています。いいことすべては「先生のおかげ」であり、することすべては「先生のために」が合い言葉です。どこかの将軍様とひとつも変わらないですよね。
昔、私が若い頃勤めていた仕事場の同僚がネットワークビジネスにはまったことがありました。「ちょっと話があるんだけど家に行っていいかな」から始まりました。私も別に断る理由はなかったので、軽い気持ちで彼が来るのを待っていました。結局簡単に言うと「一生遊んで暮らせるビジネスをしないか?」ということでした。「これだけのことをやるだけで、孫の代まで遊んで暮らせるんだ」ということです。「今度そんな暮らしを実現している凄い人が来るから、話だけでも聞きに来ないか」と言うんです。どこかで聞いたような話でしょ(笑)。「僕はね、君の幸せを思って誘っているんだ」「ここでほんの少し頑張れば、あとは素晴らしい人生が待っている」「ほら、こんなにたくさんの人が入っていて、みんなで楽しくやってるよ」「僕もね、最初はそんなうまい話があるわけないだろと思ってたんだけど、実際にこれをやってる人たちは、ものすごい財産を築いてる。それも最初に数人の友だちを誘うだけで、あとは何にもしなくてもその友だちがまたその友だちを誘って、その人たちが稼いだ利益が全部自分のものになる仕組みなんだよ。これは驚いたね。友だちに健康にいい食品や素晴らしいキッチン用品を勧めるだけで、あとは何もしなくてもどんどんお金が舞い込んでくる。夢のビジネスが目の前にあるんだ。その利益はたとえ自分が死んだとしても、自分の子どもたちに入って来るんだよ、ありがたいよね、凄いだろ。」やはりどっかで聞いた話です(笑)。そのとき私は友人として止めるべきだったのかもしれません。しかし彼はまさに欲に目が眩んでしまって「僕はこの夢のようなビジネスに人生をかけてみるよ」という始末。結果は案の定でした。もちろん私はそんな口車には乗りませんでしたが、つきあいでいろんな健康食品やキッチン用品を買いました。商品はどれも粗悪なものでした。トマトすら切れない包丁やバカ高いフィルターをしょっちゅう交換しなければならない浄水器。ほんとに効果があるのか分からないサプリメント…彼ばかりではなく、それまで会ったこともなかった彼の家族までがどかどかと自宅に乗り込んで来ては商品を売りつけに来ます。30万円ほどは買ったでしょう。そのうち彼はそのビジネスを辞めました。私に何も言わなくなりました。辞めたことすら言いませんでした。まあ、それはそれでよかったのだと思います。
それから10数年後に、別の友人が彼とは別のネットワークビジネスにハマりました。私は以前の友人のことがあったので、「君とは今まで通り友人としてつきあっていきたいから、僕の前ではネットワークビジネスの話をしないでくれ」と言いました。彼は約束を守ってくれました。そのうち彼もネットワークビジネスから足を洗いました。以前の友人と同じで、そうとう損をした結果のようでした。
ネットワークビジネスがあれだけ社会問題として世間を騒がしていたにもかかわらず、なぜ彼らはハマっていったのか。それはまさに欲に目が眩んでまわりが見えなくなるんですね。「一生遊んで暮らせる方法」を目の前にちらつかせる。実際に億万長者になったほんの一部の人の体験談のパンフレットを読ませる。話を聞かせる。自分もこんなふうになりたいと思ってしまう。それはそっくりそのまま創価学会の折伏にあてはまります。学会はそれこそ「功徳」ということばの魔力によって多くの会員を獲得しました。「これをやれば夢のような人生を送ることができる」「これをやれば不治の病も必ず治る」といった甘い言葉で会員を増やしていく手法はネットワークビジネスとひとつも変わりません。
ご存知のようにネットワークビジネスで実際に利益を上げるのは、上層部のほんの一部だけです。上にお話しした友人のようにほとんどの人が犠牲となります。つまりもともとこの犠牲を目的としています。会員は多くの自分の顧客(会員)を獲得することで組織の上部に昇進することが出来ます。逆に昇進しなければいつまでも自分で商品を仕入れて売り続けなければなりません。会員の多くは昇進を目指してビジネスを続けますが、結局とんでもない量の在庫を抱え込んで破綻します。一定期間に販売実績を確保しなければ上には上がれない。だから売れもしない商品を自腹を切ってでも仕入れて数字をあわせることで現状をキープするのです。来月もその次の月も同じように…ということで、いつのまにかビジネスではなく自分自身がネットワークビジネスの餌食になっていることに気づかない。それは欲に目が眩んでいるから現実が見えなくなってしまっているんですね。ほんの一部の億万長者を掲げることで、そこにたどり着けるよう一心不乱にビジネスに駆け回る。あの遠慮のない異様な姿はほんとうに創価学会員によく似ています。こうした何も知らされずに狂ったように働く末端会員の犠牲をほんの一部の上層部が吸い上げて巨万の冨を独占するシステムがネットワークビジネスであり、それはそのまま創価学会の「功徳」による集金システムでもあります。
もうひとつ創価学会によく似たことをやる集団がいます。「あなたは先祖を粗末にした罰で病気になった。このままではあなたの子どもまで長くは生きられない。でもこの印鑑を買えばすばらしい先祖供養ができて、家族共々幸せがやってきます。はい30万円」「どうやらあなたの曾祖母がとてもひどい死に方をして成仏できないでこの家に災いをもたらしています。でも安心してください。この壷を買って玄関に飾っておけば、すべての災いを跳ね返してくれます。はい200万円」こうした霊感商法に引っかかる人が今でも絶えません。わけのわからない不安を煽って恐怖心を植え付け、そこにつけ込んで法外な高額商品を売りつける。この手口もどこかで聞いたことがありますよね(笑)。創価学会員がみんな口にすることば「地獄に落ちる」。会員さんの多くはほんとうにそれを信じています。私もそうでした。毎日行なっている朝晩の勤行を何かの理由でできなかった日に、ちょっと悪いことが起こると「あ、勤行さぼったからかもしれない」と思ってしまう(笑)。それくらいならまだ可愛いものですが、子どもが大きな病気にかかってしまったとか、連帯保証人になって他人の莫大な借金をかぶってしまったとか、そんなこともみんな自分の信心が足りなかったからなんだと思い込まされて、ますます学会活動に励みます。それでいくら折伏や新聞啓蒙をやり、全財産を財務に貢いでも何も事態は変わらない。当然です。たとえ疑問を抱いたとしても幹部は「仏法は道理だ。仏法に背けば地獄に落ちるのはあたりまえ」そんな言葉で脅しに脅してなんとか学会に留まらせる。こうした精神的な脅しは完全に暴力です。いまどき他人にそんなことを言えば普通に訴えられます。ここにコメントしてくださる方も、この精神の暴力に耐えられなくて脱会できないでいた場合が多いようです。創価学会は精神の暴力をつかって巨万の冨を集める集団です。その莫大な利益はすべて「先生」に集まってきます。
このように創価学会はネットワークビジネスと同様の「功徳」と、霊感商法と同様の「精神の暴力」によって末端会員からお金をすいあげてきました。こんなわかりやすいシステムが内部にいるとわからなくなるんですね。これがMCの恐ろしいところです。要は人間の心の弱さにつけ込んで、どこまでもお金をしぼりだしていく。それだけの集団です。創価学会は世界の平和や文化とは無縁の非合法な営利集団なのです。
53年間、創価学会員であるこの私がはっきりと言います。
創価学会の信心による功徳なんかありません。
功徳欲しさに信仰にすがりつく姿は、欲に目が眩んでネットワークビジネスに明け暮れる人と同じです。
学会活動をやめても地獄へ落ちません。
私はこの2ヶ月間、勤行唱題目を全くしていません。でも悪いことは何一つないばかりか、以前より仕事も順調で家庭も円満です。
創価学会員のみなさん。ここに寄せられる多くの学会員の体験や思いを、この「功徳」と「精神の暴力」といった観点から、もう一度見直してみてはいかがでしょうか。自分が日々行なっている信仰は、単に「功徳」と呼ばれる甘い汁欲しさのためではなかったろうか。そして信仰に背くことに対して異常なまでに恐怖心を抱いてはいないか。はたしてそれが信仰と呼べるものなのかどうか。もしかしたらとんでもないネットワークビジネスと霊感商法の餌食になっているんじゃないか。一度でいいですからそうした視点でここに寄せられる多くのコメントを読んでみてください。きっと自分のやってきたことの本当の姿が見えてくるかもしれませんよ。

なぜかこのブログのコメントが全国的に閲覧不能になったようです。
原因は不明です。
天下のグーグルのブログにこれだけピンポイントで
不具合が発生するというのは通常なら考えられないことですが、
これまでのコメントが閲覧不能になっていることは事実です。
 
私としてはことを荒立てて挙げ足をとるような
みっともないことはしません。
これからも粛々とみなさんとの対話の場を
維持していくことが大切だと考えます。
 
もしかしたら単なるシステムの不具合かもしれません。
しかしそうでない場合も可能性がある以上、
私としては最悪のことも考慮していかなければなりません。

もし意図的にこのような操作がなされているとしたら
たいへん恐るべきことです。
グーグルのシステムを意図的に操作できる力が
働いているということになります。
それがたとえ誰の指示であろうと、
日本はこんなことが許される国なのだということを
私たちは肝に銘じなければならないでしょう。

「正義は勝たない」
私はこのブログで何度も言ってきました。
こんな名もない1個人のプライベートな発言すら
一方的な力によって制約されてしまう。
そんな国なんです。
以前、ここでの私の書込みが「陰謀論」や「自虐史観」を
真に受けているという批判が2chの住人からありましたが、
自虐史観は筋違いにしても、
陰謀論があながち笑い話であるとするには無理があるでしょう。
まあ、ここではもともとそうしたことを
議論するような場所ではありませんから言及はしませんが、
この日本でさえ「正義は勝たない」国なんだということは言えると思います。

http://signifie02.blog.fc2.com/
みなさん、ひきつづき↑ここにコメントをください。

とにかく多くのひとが事実を明らかにすること。
その事実を世の中に示すこと。
その事実に対して世の中の人がどう判断するか。
それが大切なことだと思います。

このブログへは現在1日に2000のアクセスがあります。
これが一日に10万、20万のアクセスになったとき
もはや隠しようのない創価学会の真実の姿が
自然と浮かび上がってくるのではないでしょうか。

ここをご覧になっているみなさん。
この事態を、ぜひあなたのお知り合いへ教えてください。
ツイッターでもフェイスブックでもミクシィでもかまいません。
またネット上に大きな影響力をもっているブロガーの方へ
この事態をお知らせしていただけないでしょうか。

これからはこちらの動きもあまりお知らせできないかもしれません。
私はできるだけメールも控えさせていただきます。
どこからどういったことがなされるのかわからないからです。
どうかみなさんの力をお貸しください。

また、ブログ管理会社のオーナーさま。
ご覧のとおりグーグルのブログはいとも簡単に
制約されてしまいました。
このブログ内容がみなさんのコメントも含めて
確実にみなさんに伝わるような保証のできる環境を提供してくれる
勇気ある方はいらっしゃらないでしょうか。

「対話を求めて」は今後もどんなかたちであれ継続して行きます。

闘うのではなく、真実の姿を浮かび上がらせること。
私にできることはそこまでです。
でもそれができれば「この国も捨てたもんじゃないぞ」と
思えるのではないでしょうか。
たとえ勝つことが難しくても、ここに多くの人の正義への行動が
あるというだけでもいいではないですか。
それをわたしたちの誇りとしてかたちに残していきましょう。

ここをご覧になっている方の勇気ある行動を信じています。

どうやら昨日の午後からこのブログにコメントできない状況が発生しているようです。
とりあえずこちらに↓別ブログを開設しましたので、
http://signifie02.blog.fc2.com/
申しわけありませんが、各地の(関東とか関西とか西日本など)状況をお知らせいただければと思います。
よろしくお願いします。
 
みなさんからのご報告によると
どうやらかなりの地域でみなさんからの過去のコメントすべてが閲覧できない模様です。
こんなことってあるんでしょうかね。

もう少しみなさんからのご報告をこちら↓のコメント欄へいただけないでしょうか。
http://signifie02.blog.fc2.com/
どうかよろしくお願いします。
 
これからもブログ「対話を求めて」は粛々と続けていきたいと思います。
ただ、現状のように皆さんからのコメントが閲覧できないのでは意味がありません。
このブログはグーグルのブロガーなのですが、
http://signifie02.blog.fc2.com/へもデータをエクスポートしようと思います。
ただこの手のことが苦手でうまいことできません(苦笑)
どなたか移行の仕方をわかりやすく教えていただけないでしょうか。
よろしくお願いします。

これから仕事で出かけなければいけませんので
しばらくネットから離れます。
コメント等は、こちらに是非お願いします。
http://signifie02.blog.fc2.com/
ちょっとしつこかったかな(笑)

創価学会員のみなさん。「功徳」って何だろうって、もう一度あらためて考えてみませんか。
私は学会のおかしさに気づいてから、功徳ということばがどれだけ滑稽なものかを感じます。多くの学会員は「功徳」につられて信心を始め、「地獄に落ちる」という言葉で学会から抜けられなくなります。信心したおかげで病意が治った。信心のおかげで貧乏から抜け出した。私も子どもの頃からそんな話をさんざん聞かされて育ちました。信心すれば、もっといえばお題目を唱えるだけでどんな夢も叶う。「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからずなどと御書の中のいろんな箇所を引っぱり出しては、とにかく何も考えなくていいから信じていきなさいという。信心してもしなくても、人生にはいいこともあれば悪いこともあります。なのになぜか学会では入信した途端いいことは信心による功徳であり、悪いことは信心が足りないことになる。どんなときもです。幹部は会員のそうした一喜一憂を功徳と信心が足りないのどちらかで済ませてしまいます。つまり「余計なことは考えなくていいから、学会活動に励みなさい」結局幹部が言うのはこれだけです。会員はそれを真に受けます。さらに近頃は功徳は「信心のおかげ」ではなく「先生のおかげ」になっています。いいことすべては「先生のおかげ」であり、することすべては「先生のために」が合い言葉です。どこかの将軍様とひとつも変わらないですよね。
昔、私が若い頃勤めていた仕事場の同僚がネットワークビジネスにはまったことがありました。「ちょっと話があるんだけど家に行っていいかな」から始まりました。私も別に断る理由はなかったので、軽い気持ちで彼が来るのを待っていました。結局簡単に言うと「一生遊んで暮らせるビジネスをしないか?」ということでした。「これだけのことをやるだけで、孫の代まで遊んで暮らせるんだ」ということです。「今度そんな暮らしを実現している凄い人が来るから、話だけでも聞きに来ないか」と言うんです。どこかで聞いたような話でしょ(笑)。「僕はね、君の幸せを思って誘っているんだ」「ここでほんの少し頑張れば、あとは素晴らしい人生が待っている」「ほら、こんなにたくさんの人が入っていて、みんなで楽しくやってるよ」「僕もね、最初はそんなうまい話があるわけないだろと思ってたんだけど、実際にこれをやってる人たちは、ものすごい財産を築いてる。それも最初に数人の友だちを誘うだけで、あとは何にもしなくてもその友だちがまたその友だちを誘って、その人たちが稼いだ利益が全部自分のものになる仕組みなんだよ。これは驚いたね。友だちに健康にいい食品や素晴らしいキッチン用品を勧めるだけで、あとは何もしなくてもどんどんお金が舞い込んでくる。夢のビジネスが目の前にあるんだ。その利益はたとえ自分が死んだとしても、自分の子どもたちに入って来るんだよ、ありがたいよね、凄いだろ。」やはりどっかで聞いた話です(笑)。そのとき私は友人として止めるべきだったのかもしれません。しかし彼はまさに欲に目が眩んでしまって「僕はこの夢のようなビジネスに人生をかけてみるよ」という始末。結果は案の定でした。もちろん私はそんな口車には乗りませんでしたが、つきあいでいろんな健康食品やキッチン用品を買いました。商品はどれも粗悪なものでした。トマトすら切れない包丁やバカ高いフィルターをしょっちゅう交換しなければならない浄水器。ほんとに効果があるのか分からないサプリメント…彼ばかりではなく、それまで会ったこともなかった彼の家族までがどかどかと自宅に乗り込んで来ては商品を売りつけに来ます。30万円ほどは買ったでしょう。そのうち彼はそのビジネスを辞めました。私に何も言わなくなりました。辞めたことすら言いませんでした。まあ、それはそれでよかったのだと思います。
それから10数年後に、別の友人が彼とは別のネットワークビジネスにハマりました。私は以前の友人のことがあったので、「君とは今まで通り友人としてつきあっていきたいから、僕の前ではネットワークビジネスの話をしないでくれ」と言いました。彼は約束を守ってくれました。そのうち彼もネットワークビジネスから足を洗いました。以前の友人と同じで、そうとう損をした結果のようでした。
ネットワークビジネスがあれだけ社会問題として世間を騒がしていたにもかかわらず、なぜ彼らはハマっていったのか。それはまさに欲に目が眩んでまわりが見えなくなるんですね。「一生遊んで暮らせる方法」を目の前にちらつかせる。実際に億万長者になったほんの一部の人の体験談のパンフレットを読ませる。話を聞かせる。自分もこんなふうになりたいと思ってしまう。それはそっくりそのまま創価学会の折伏にあてはまります。学会はそれこそ「功徳」ということばの魔力によって多くの会員を獲得しました。「これをやれば夢のような人生を送ることができる」「これをやれば不治の病も必ず治る」といった甘い言葉で会員を増やしていく手法はネットワークビジネスとひとつも変わりません。
ご存知のようにネットワークビジネスで実際に利益を上げるのは、上層部のほんの一部だけです。上にお話しした友人のようにほとんどの人が犠牲となります。つまりもともとこの犠牲を目的としています。会員は多くの自分の顧客(会員)を獲得することで組織の上部に昇進することが出来ます。逆に昇進しなければいつまでも自分で商品を仕入れて売り続けなければなりません。会員の多くは昇進を目指してビジネスを続けますが、結局とんでもない量の在庫を抱え込んで破綻します。一定期間に販売実績を確保しなければ上には上がれない。だから売れもしない商品を自腹を切ってでも仕入れて数字をあわせることで現状をキープするのです。来月もその次の月も同じように…ということで、いつのまにかビジネスではなく自分自身がネットワークビジネスの餌食になっていることに気づかない。それは欲に目が眩んでいるから現実が見えなくなってしまっているんですね。ほんの一部の億万長者を掲げることで、そこにたどり着けるよう一心不乱にビジネスに駆け回る。あの遠慮のない異様な姿はほんとうに創価学会員によく似ています。こうした何も知らされずに狂ったように働く末端会員の犠牲をほんの一部の上層部が吸い上げて巨万の冨を独占するシステムがネットワークビジネスであり、それはそのまま創価学会の「功徳」による集金システムでもあります。
もうひとつ創価学会によく似たことをやる集団がいます。「あなたは先祖を粗末にした罰で病気になった。このままではあなたの子どもまで長くは生きられない。でもこの印鑑を買えばすばらしい先祖供養ができて、家族共々幸せがやってきます。はい30万円」「どうやらあなたの曾祖母がとてもひどい死に方をして成仏できないでこの家に災いをもたらしています。でも安心してください。この壷を買って玄関に飾っておけば、すべての災いを跳ね返してくれます。はい200万円」こうした霊感商法に引っかかる人が今でも絶えません。わけのわからない不安を煽って恐怖心を植え付け、そこにつけ込んで法外な高額商品を売りつける。この手口もどこかで聞いたことがありますよね(笑)。創価学会員がみんな口にすることば「地獄に落ちる」。会員さんの多くはほんとうにそれを信じています。私もそうでした。毎日行なっている朝晩の勤行を何かの理由でできなかった日に、ちょっと悪いことが起こると「あ、勤行さぼったからかもしれない」と思ってしまう(笑)。それくらいならまだ可愛いものですが、子どもが大きな病気にかかってしまったとか、連帯保証人になって他人の莫大な借金をかぶってしまったとか、そんなこともみんな自分の信心が足りなかったからなんだと思い込まされて、ますます学会活動に励みます。それでいくら折伏や新聞啓蒙をやり、全財産を財務に貢いでも何も事態は変わらない。当然です。たとえ疑問を抱いたとしても幹部は「仏法は道理だ。仏法に背けば地獄に落ちるのはあたりまえ」そんな言葉で脅しに脅してなんとか学会に留まらせる。こうした精神的な脅しは完全に暴力です。いまどき他人にそんなことを言えば普通に訴えられます。ここにコメントしてくださる方も、この精神の暴力に耐えられなくて脱会できないでいた場合が多いようです。創価学会は精神の暴力をつかって巨万の冨を集める集団です。その莫大な利益はすべて「先生」に集まってきます。
このように創価学会はネットワークビジネスと同様の「功徳」と、霊感商法と同様の「精神の暴力」によって末端会員からお金をすいあげてきました。こんなわかりやすいシステムが内部にいるとわからなくなるんですね。これがMCの恐ろしいところです。要は人間の心の弱さにつけ込んで、どこまでもお金をしぼりだしていく。それだけの集団です。創価学会は世界の平和や文化とは無縁の非合法な営利集団なのです。
53年間、創価学会員であるこの私がはっきりと言います。
創価学会の信心による功徳なんかありません。
功徳欲しさに信仰にすがりつく姿は、欲に目が眩んでネットワークビジネスに明け暮れる人と同じです。
学会活動をやめても地獄へ落ちません。
私はこの2ヶ月間、勤行唱題目を全くしていません。でも悪いことは何一つないばかりか、以前より仕事も順調で家庭も円満です。
創価学会員のみなさん。ここに寄せられる多くの学会員の体験や思いを、この「功徳」と「精神の暴力」といった観点から、もう一度見直してみてはいかがでしょうか。自分が日々行なっている信仰は、単に「功徳」と呼ばれる甘い汁欲しさのためではなかったろうか。そして信仰に背くことに対して異常なまでに恐怖心を抱いてはいないか。はたしてそれが信仰と呼べるものなのかどうか。もしかしたらとんでもないネットワークビジネスと霊感商法の餌食になっているんじゃないか。一度でいいですからそうした視点でここに寄せられる多くのコメントを読んでみてください。きっと自分のやってきたことの本当の姿が見えてくるかもしれませんよ。

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