2012年1月29日(日)

老人を助け起こしただけなのに損害賠償! なぜだ?

2011/09/2105:00
今回のテーマ:

 ある高校生が8月23日、インターネットの提示板でやり切れない気持ちを打ち明けた。「道で転んだおじいさんを助け起こしたのに、家に帰って父親にその事を話したら怒られた」。実はこれには次の二つの判例が影響している。一つ目は2006年11月のこと、南京市の青年、彭宇さんが自分の不注意で転んで骨折をしたおばあさんを助けた。ところがその後、彭宇さんはそのおばあさんが倒れた責任を問われて訴えられ、第二審を経てようやく和解した。二つ目は2009年10月のこと、天津市の許雲鶴さんも転んだおばあさんを助け起こしたところ、おばあさんが転んだ責任を問われた。この裁判では今年6月、第一審が許雲鶴さんに対し、おばあさんに10万8000元(約130万円)の損害賠償を命じる判決を下した。この二つの事件に対する反響は極めて大きく、善意で助けたのに逆に災いを招くことのないよう、多くの人が注意するようになった。(翻訳:ZJ)

助けなければ良心が痛む 【メディアコメンテーター 陳言】» 他の観点

 この高校生がしたことは正しいし、私は支持したい。日常生活の中で人目には余計な事と思える事を私もしばしば行い、ばかを見ることもある。だが私の良心に基づけば、この世の中にはやはり善人が多く、道徳心の喪失を強調するのは良い事をしたくない人の言い訳だと思う。南京の彭宇さんと天津の許雲鶴さん場合は特別な例であろう。自分のした事に間違いはないと信じ、自分の心に恥じることがなければそれでよいと思う。

 良い事をするにもその方法を選ぶ理性が必要なことは否定しないが、人を傷つけていないことを証明することはかなり難しい場合がある。こうしたやるせない結果を招かないためには、やはり専門知識と責任感を備えた裁判官に頼るしかない。たとえ1枚の判決文であっても、それが社会に与える影響はドミノ倒しのようであり、1枚が倒されれば、その影響は広い範囲に及ぶことになる。

このような判決には司法解釈を示すべきだ 【南方テレビ局キャスター 馬志海】» 他の観点

 許雲鶴さんの事件では裁判所の判決が善良な人の心を大きく傷つけたばかりか、本来脆弱な、人と人との助け合いや心配りという信念を大きく揺るがすことになった。今の社会ではすでに人と人の間での関心やいたわり、信用が薄れている。このような事件の発生は、最後に残された善良さをも無情に打ち砕く。これ以上ひどい事があるだろうか。

 現在、より多くの司法解釈によって法律の正確な適用が確保されている。最新の司法解釈規定では、直系親族による証言を拒否する権利があり、これは法律が人間性尊重に向かっていることを示している。ではこのような似通った事案に対してなぜ司法解釈を示さないのか。全く予想しなかった結果に驚かされた善良な人々には、理にかない、法にかなった解釈が必要である。

良い事をするのにも方法を考えよ 【精神科医師 周国嶺】» 他の観点

 良い事をしたのに逆に訴えられるという事件が起き、社会的モラルに大きな打撃を与えている。こうした極端な状況は、人々が良い事をするのをためらわせることになりかねない。そのため、良い事をするのにもその方法を考えることをすすめたい。

1.良い事をする前に自分を守ることを優先する。例えば老人を助け起こす場合、その後のもめ事を避けるため他の人に証人となってもらえば、自分を守れるし、老人を助けることもできる。

2.良い事をする前に自分がそうする能力があるのか確かめる。それができないと思えば、無理に自分だけでやろうとせず、他の人の力を借りるべきである。

 とにかく、良い事をするのは大いに支持したいし、それは社会的モラルや一般道徳に従った行いなのである。

良い事をしないのは自分を守るため 【市民 章さん】» 他の観点

 他人を助けるのは良い事であり、理論的には皆に奨励すべき事である。だが時代は変わった。現代社会にはペテン師が多すぎるため、複雑化した状況では冷静を保ち、時には自分の安全を優先すべきだと思う。

 私は家族に対し、転んだ老人を助け起こすような良い事は決してしてはならない、といつも話している。これは私たちが冷淡で、社会的責任感を欠いているのではなく、今の社会の現実を見るとまずは自分を守らなければならないからだ。もし好意で他人を助けたのに逆に責任を問われた場合、賠償金を請求されるのはまだいい。しかしもしこうした事をした、または目にした子供が精神的な痛手を負えば、それは金銭では補うことはできない。さらに、これらの過程では多くの時間と労力も費やさなければならない。従って、余計なことはしない方がましだ。

私たちは冷淡なのではなく心配なのだ 【ミニブログユーザー】» 他の観点

馬伯庸:これらの事件は実に恥ずべきことだ。今後は老人が転んだのを見ただけで罪になるのだろうか?私たちは冷淡なのではなく、こうした事件のような結果を招くことが心配なのだ。

揚韜:許雲鶴さんに10万元の賠償を命じた事案で、もしその判決が確定した場合、今後は次のような人が現れても不思議ではない。つまり、毎日道端に座り、車が来るのを待って自分でわざと転び、その車の運転手に賠償を請求する。理由は簡単で、その車に驚いて転んだのだから、運転手に賠償責任があると言えばいい。

タグ:ばかを見る   モラル   助け合い   司法解釈   善意   損害賠償   自己防衛   良心   道徳心   
ご挨拶 | お問い合せ | 個人情報保護方針 | 著作権について | About us
Copyright © 2010 www.insightchina.jp, All Rights Reserved.