昼休みになると、教室を出た。特に目的地はないが、教室にいるのが面倒だった。葛葉が一応の説明をしたとはいえ、話を聞きたがる手合は多いだろう。それに対していちいち相手をするのが億劫だった。午前中の十分間の休み時間は、彩未の協力もあって何とかやり過ごすことができたが、昼休みは一時間ほどもある。
とりあえず学食にでも行こうと、そちらの方角へと足を向けた時だった。
「嬢瑠璃せんぱーい!」
いきなり、背後から声とともに衝撃がやって来た。質量を伴った何かに背中を直撃されて、物凄い勢いでつんのめった。前転するように綺麗に一回転すると、ぶつかって来た何かと絡み合うようにして壁に激突した。
「きゃっ」
「ふぎゃっ!」
嬢瑠璃とその何かは、同時に悲鳴を上げた。幸い頭から壁に突っ込むことはなかったが、背中を痛打し、数瞬呼吸が止まった。明らかな危険行為だが、ここが麻帆良である以上、仕方がないことでもある。
「いったあ……」
身を起こすと、嬢瑠璃の身体の上で目を回している少女がいた。
「痛いです痛いですぅ……」
「痛いのはこっちよ。一体どういうつもり?」
嬢瑠璃はまだ視線の焦点が定まっていない要すの少女に話しかけた。
「うー、わたしそんなに体重重くないですよぅ」
「全体重かけて突っ込んで来られたら、たとえ軽くても同じよ」
「だってー、すっごい久しぶりに嬢瑠璃先輩の姿見えたんですもん。我慢できなくなって、つい……」
「『つい』でこんなことされたら堪らないわよ。打ちどころ悪かったら死ぬところだったじゃない。ていうか早くどいてよ。重いでしょ」
「だからそんなに重くないですってばー」
「軽くても重いの。あと、危険」
「厭ですー。已めませんー、あと、もう少しだっこを所望ですー」
少女はそんなことを言いながら首に手を回し、頬をすり寄せてくる。
「わたしはあなたのテディベアじゃないっ」
埒が明かないので、無理矢理腕を振り払って立ち上がった。少女はしばらく名残惜しそうに科を作っていたが、やがて未練がましくのろのろと立ち上がった。
いつの間にか、微妙な距離を置い憐憫の情を含んだ視線が幾つも飛んできていた。
「全く……」
嬢瑠璃は頭を押さえる。
「久しぶりであなたの存在を忘れていたわたしが悪いのかしらねーー滑坂」
滑坂房藻。下級生で、なぜか昔からまとわりついてくる少女。まとわりつくというのはこの場合比喩ではなく、むしろ控えめと言える表現だ。「しがみついてくる」の方が正解かもしれない。
ーー認識阻害の結界がなければ、滑坂も大人しくなるのかもね。
ふと、主人に教えられたこの学園の異常を思い出して考える。もちろんないものねだりであり、埒もない考えだ。
ーーというか、あれは常識外の異常に対応するものだったか。
「せんぱーい、今の今までどこで何してたんですかー?」
滑坂房藻は嬢瑠璃を中心に惑星のようにぐるぐる周回しながら、こちらの内心も知らぬげに訊いてくる。
ーーその手の質問攻めを避けるために教室を出て来たのに……。
心中でぼやきながら、適当にあしらう。
「家庭の事情よ、家庭の事情」
「そうですかー。家庭の事情ってどこも大変ですもんねー」
房藻は思いの外素直に引き下がった。本当に納得してしまったのかも知れない。
「それじゃあね。今度からは、話しかけてもいいけど、タックルしてくるのは勘弁してね」
「了解でーす。我慢してみまーす」
「……已める気あるのかしら」
制服の埃を払って溜息をつくと、嬢瑠璃は再び学食の方向へと歩き始めた。
すると、房藻もついて来る。
「奇遇ですねー。嬢瑠璃先輩も学食ですかー」
「……ここは、残念ながら、と答えるべきなのかしらね」
「冗談きついですよー。あははははー」
笑いながらも、房藻は嬢瑠璃の周囲を楕円軌道をとって巡っている。危なっかしいことこの上ないし、こちらまで周囲に奇異の目で見られるので迷惑なこと甚だしい。
「あなた、自分のクラスの子と一緒に食べないの?」
「その予定だったんですけどー、嬢瑠璃先輩発見しちゃってから、これはもう予定を変更しない訳にはいかんですよ」
「あ、そう。気に入ってくれてるみたいで光栄だわ」
また溜息をつき、歩く。
その正面に少女が現れた。それもまた、嬢瑠璃の見知った姿だった。
「お帰りなさい、先輩」
その少女は静に言った。実は普段はそんなに物静かという訳でもないのだが、房藻の後だとどうしてもそう感じられる。
「一応ただいま、と言っておくべきなのかしらね、りさこ」
嬢瑠璃は足を止めてその少女ーー都草りなこに言った、今日学校に戻ることを伝えているのは、担任教師である葛葉刀子の他には、このりなこだけだった。同じ部活の後輩であり、「配下」と言ってもいい存在だ。
「うわー、何でこんないいところに登場するですか、この巨乳星人!」
りなこに指を突きつけて房藻が言った。品のない言い様であるふぁ、異星人であるかどうかはともかく、「巨乳」という形容に関しては恐ろしく正しい。
「いいとこって何のこと?」
りなこはあからさまに不機嫌そうだった。
「わたしは、あんたが一方的に先輩に迷惑かけてるところしか見てないけど」
「かーっ、迷惑ですって! 勝手に人のこと代弁しちゃってるですよ、この人! 感じ悪いですね! こういう人が戦争とか起こすんですよ! この世の正義を代弁しちゃってるようなこと言ってバカバカ人殺すんです!」
「あんたのこと迷惑に感じないのは、余程人間関係に飢えてる人くらいよ。それに、わざわざ代弁しなくても、わたしがあんたのこと迷惑に思ってるし」
「巨乳星人に迷惑に思われても何ともありませんよーだ! べろべろばー」
「あんたが馬鹿晒すのは別に知ったことじゃないけど、その下品極まりない呼び方はやめてくれる? それに、胸ならあんたの敬愛する源先生だってそうじゃない」
「しずなせんせーは母性の塊なんですー。巨乳星人のような淫乱とは違うんですよ!」
「……あんたねー」
「い・ん・らん! い・ん・らん!」
「…………」
沈黙の後、鈍い音がした。
そして短い悲鳴。房藻がどさりとその場に倒れ込む。
また沈黙。
ややあって房藻は立ち上がり、再びりなこを指差した。
「わ、脇腹に実力行使とは何たる鬼畜ですかっ」
「言ってるも判らない子には、叩いて判らせるしかないでしょ」
「偉そうーに! 同い年のはずですっ」
「だったらそれらしく振る舞ってよね」
「ふん、結局のところ嬢瑠璃先輩取られるのが厭なだけのジェラシー淫乱魔がそれらしいこと言ってるんじゃないですよ!」
「もう一度脇腹に欲しい? さっきは右だったから、今度は左?」
「わっ、鬼畜極まりないですよこの人!」
言い合う二人を見ながら、嬢瑠璃は声をかけた。
「ねえ二人とも、とりあえず諍いは後にするか別の場所でしてくれない? そこでやられると、前に進めないんだけど?」
ーーそういえば、こんな風だったか。
久しぶりだから疲れてしまうが、数箇月前まで自分が身を置いていた日常とは、このようなものだった。そんな日常に、自分は帰って来たのだ。
そして自問する。
ーーでも、何のために帰って来たんだろう?
源しずな先生のバストは、学園の七不思議の一つ。
一体何が詰まっているのやら。
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