放射能はいらねえ~ 牛乳を飲みてぇ~

清志郎が生きていたら、今の現状に何を叫んでいたんだろう。

宮城の放射線量過去平常値 0.0176~0.0513μSv/h(文科省発表)
堀場製作所Radi PA-1000でγ線(μSv/h)を測定。


テーマ:
“原子力は地球の未来”は本当か?
2月6日月曜深夜[火曜午前 0:00~0:50]
 このドキュメンタリーの原題“AはATOMのA”は、1952年にゼネラル・エレクトリック社が制作した原子力の未来を謳ったショートフィルムのタイトル。この時代は英米ソ連政府やGEなどの大企業がこぞって原子力の平和利用のため、巨額の投資を行い開発を競っていた。この番組は20年前の制作だが、原子力利用の危うさを指摘する内容は、今見ても示唆に富んでいる。

 戦後間もない1952年、アメリカの大手電力関係企業ゼネラル・エレクトリック(GE)社は、原子力発電を推し進めるため、その未来を謳った広報用ショートフィルムを制作した。そのタイトルは“A is for Atom”(“すべては原子力から始まる”)。原子力でパワーアップした巨人が送電線を世界中に張り巡らせ、世界を変えていくという筋立てだ。
 それから40年たった1992年、このショートフィルムと同じタイトルのドキュメンタリーがBBCで放送された。アメリカ、ソビエト、イギリスなどの先進国や大手企業が進めてきた原子力技術開発に疑問を投げかけ、安全性がないがしろにされてきた実態に警鐘を鳴らす番組だ。イギリスの電力省関係者は「開発が進むにつれ、原子力発電はコスト面で火力発電とそれほど変わらいことが分かってきたが、巨額の開発費を使っていたため引き返せなかった」と証言する。またソビエトの原発設計者は「科学は万能だという夢にあふれた時代だった。しかし、常にコストと開発のスピードを問われたため、安全は二の次になっていった」と言う。
 “原子力開発では技術の名の下で政治的・社会的・経済的な判断がくだされてきた。しかし今後、原子力開発を続けるかどうかは全く違う判断基準が必要だ。私たちのモラル(生き方)が問われているのだ”という番組の結語は、20年たった今も色あせない問いかけだ。

原題:A is for Atom
  制作:BBC (イギリス 1992年)
-----------------------------------------------------------------------------------------------
お隣さんに原発が!~住民の選択~
2月7日火曜深夜[水曜午前 0:00~0:50]
 カナダのアルバータ州、その名もピースリバーという小さな町に突然、原子力発電所の建設計画が持ち上がった。町は賛否両論に分かれ、不安を募らせた人びとは信頼できる情報を求めて右往左往する。ピースリバーで農業を営む2人の女性が原発の安全性を理解するための旅に出る。
しかし、さまざまな情報があるものの、二人が納得できる答えはついに得られない。二人の不安と困惑は、今、世界中の人びとのそれを象徴する。

 カナダのアルバータ州ピースリバーで、原子力発電所を建設する計画が持ち上がった。静かで平和な町の安全が脅かされると反対する市民がいる一方で、町の経済の活性化を期待し、歓迎する人びともいた。
建設計画を進めるブルース・パワー社は住民の理解を得るための説明会を開催するが、原発の安全性や核廃棄物の処理について「説明が足りない」と感じた参加者も少なくなかった。建設候補地に隣接する土地で農業を営むロレインと友人のブレンダは納得のいく答えを求め、専門家や原発の町を訪ねる旅に出る。
 電力の20%を原発に頼るオンタリオ州。原発の町・キンカーディンの住民のほとんどは原発を不安視しておらず、人口が増えて景気がいいと満足げ。さらにブルース・パワー社のCEO自身の案内で原発を見学することになった二人。そこでは、退役軍人を中心とした屈強な警備チームが原子炉だけでなく大量の使用済み燃料をテロ攻撃から守っていた。ロレインとブレンダは、キンカーディンの人びとの多くが原発にはよい面と悪い面があると語りながら、その悪い面について積極的には語らないことに気づく。
 旅を終えても二人は確実な答えは得られなかったが、自らの意志で次世代のために判断し、それを貫くしかないと悟る。

原題:My Nuclear Neighbour
  制作:Reel Time Images (カナダ 2010年)
----------------------------------------------------------------------------------------------
原発労働現場 異常なし?
2月8日水曜深夜[木曜午前 0:00~0:50]
 原子力発電を推進してきたフランスの原発で働く労働者の実態に光を当てる。原子力発電事業が民間企業に移行し、経済の論理が優先される中で、熟練の技術者が解雇されるなど安全対策が後回しにされている。
現場は日常的に事故と隣り合わせだが、労働者たちの声が外に届くことは稀だ。日々、人知れずリスクに向き合う原発労働者の声に耳を傾け、この選択の是非を問う。

 世界の原子炉の半数が稼働するヨーロッパ。中でもフランスは強力に原子力発電を推し進めてきた。地域の活性化を喜ぶ人びとは議論を避け、原発労働者の存在は社会から気づかれなくなっていく。
 原子炉の安全運転に欠かせない現場労働は、コスト削減を目指す企業の論理の中で賃金の安い下請け労働者に委ねられる。フランスの原発ではメンテナンス作業の8割を下請け労働者に頼る。中でも危険な仕事が原子炉内に入って部品を交換する「ジャンパー」。こうした人びとが癌を発症するのは何年も経てからで、フランスでは10年以上経過したケースでは原発による被曝が原因とは認定されず、また、下請け労働者の場合はそもそも原発労働者と認定されていない。
 無視されるのは労働者たちの被曝だけではない。フランスでは「レベル0」と呼ばれる小さなものも含めると、年間1000件以上の事故や不具合が起きていると専門家は言う。しかしある元原発労働者の証言では、リポートに「異状なし」と書くよう強要されるのは日常茶飯事で、「異常あり」と書こうとして解雇される例も多い。
 コスト削減を目的に大量の現場経験者が解雇されたローヌ地方のクリュアス原発。安全な操業が脅かされていると訴えたマネージャーも解雇され、労働者たちは安全性を軽視する経営陣に対し、ハンガーストライキで抗議を続けた。これをきっかけに原発内の実態を知った地域住民も支援し、解雇の一部は撤回されたが、安全よりも経済性を優先する根本姿勢への不安は消えない。

原題:Nuclear, Nothing to Report
制作:CRESCENDO FILMS / ARTE France (ベルギー/フランス 2009年)
-----------------------------------------------------------------------------------------------
永遠のチェルノブイリ(再)
2月9日木曜深夜[金曜午前 0:00~0:50]
 チェルノブイリ原発事故から25年。事故を起こした原発はいまだに周囲を汚染し続け、その処理は今も続いている。しかし甚大な被害を被ったウクライナでさえ、事故は風化しつつある。番組は、チェルノブイリを題材にしたゲームソフトが流行している現状や、いま進められている対策が根本的な解決にほど遠いことなどを指摘。
 さらに原子力エネルギーが注目を集め、ヨーロッパ各地に原発が次々と建てられている現状に警鐘を鳴らす。

 25年前のチェルノブイリ原発事故で、甚大な被害を受けたウクライナ。事故を知らない世代も増え、チェルノブイリを舞台にしたゲームソフトも流行している。若者たちにとって、もはや原発事故はゲームの中でしか存在しない過去の遺物だが、なかにはバーチャルな世界の体験を通し、事故を深く知ろうとする人も出てきている。番組は、原発の周囲30キロの地帯「ゾーン」を訪れる若者たちに密着。そこでの体験や、当時を知る人々の話などを通して、チェルノブイリと向き合う姿を映し出す。

 一方で、番組は原発事故の処理がいまだに続いている現状を伝える。現在、事故が起きた原子炉はコンクリート製の“石棺”で覆われているが、崩壊の恐れがあるため解体しスティール製の巨大シェルターを被せる計画が進められている。しかし、石棺は放射能に汚染され解体作業には大きな危険をともなう。三世代に渡って石棺で働く一家は「シェルターがすべての問題を解決する」という考えには懐疑的だ。また巨大シェルターの建設と保守にどれくらいの費用がかかるのかもわかっていない。こうしたなか、ウクライナでは原子炉22基を新たに建設する予定だ。

 番組は、独占入手した石棺内部の映像も紹介。さらには原子力問題の専門家や、地元の医師などのインタビューを交えながら、事故が風化するなかで、今も後遺症に苦悩するウクライナの葛藤を描く。

原題:Chernobyl 4 Ever
制作:国際共同制作 NHK/Simple Production/Crescendo Films/Arte France/RTBF/WIP
(ベルギー、フランス 2011年)

テーマ:
1 文部科学省による第4次航空機モニタリングの結果
  (福島第一原子力発電所から80Km圏内の地表面から1m高さの空間線量率)
放射能はいらねえ~ 牛乳を飲みてぇ~-1216

2 文部科学省による第4次航空機モニタリングの結果
  (福島第一原子力発電所から80Km圏内の地表面へのセシウム134、137の沈着量の合計)
放射能はいらねえ~ 牛乳を飲みてぇ~-1216-1
3 第4次航空機モニタリングの結果の測定結果を反映した東日本全域の地表面におけるセシウム134、137の沈着量の合計
放射能はいらねえ~ 牛乳を飲みてぇ~-1216-2

テーマ:
原発事故、最悪シナリオを封印 菅政権「なかったことに」
http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012012101001950.html

 東京電力福島第1原発事故で作業員全員が退避せざるを得なくなった場合、放射性物質の断続的な大量放出が約1年続くとする「最悪シナリオ」を記した文書が昨年3月下旬、当時の菅直人首相ら一握りの政権幹部に首相執務室で示された後、「なかったこと」として封印され、昨年末まで公文書として扱われていなかったことが21日分かった。
 複数の政府関係者が明らかにした。

 民間の立場で事故を調べている福島原発事故独立検証委員会(委員長・北沢宏一前科学技術振興機構理事長)も、菅氏や当時の首相補佐官だった細野豪志原発事故担当相らの聞き取りを進め経緯を究明。
2012/01/21 20:01 【共同通信】

テーマ:
干しシイタケも出荷困難 宮城県南露地物から基準超セシウム
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1090/20120118_05.htm
河北新報 2012年01月18日水曜日

 宮城県白石、角田両市の露地物の原木シイタケから国の暫定基準値(1キログラム当たり500ベクレル)を超える放射性セシウムが検出され、国の出荷制限を受けたことで、県南の産地が打撃を受けている。
  例年なら今月末ごろにも迎える干しシイタケの出荷も難しい状況だ。生産者からは「補償がなければ立ち行かない」との声が上がっている。
 「やっと軌道に乗ってきたのに…。もう諦めるしかない」。白石市白川犬卒都婆の農業佐藤健吉さん(70)は悔しがる。
 県の昨年12月の検査で、佐藤さんの原木シイタケから国の暫定基準値を超える放射性セシウムが検出。白石市の露地栽培の原木シイタケ(ハウス栽培は除く)は出荷自粛となった。今月16日には国から出荷制限が掛けられた。
 佐藤さんは4年ほど前から干しシイタケの生産に専念、今季も一部の生産を始めていた。
 だが、露地物の原木シイタケが出荷自粛になった段階で「消費者の安全のために」と生産を諦めた。

 県は「乾燥状態なのか水で戻した状態なのか、国から検査方法が示されていない」(県林業振興課)として、干しシイタケの検査を行わず、出荷制限の対象外としている。一方で「出荷制限となった原木シイタケを加工した干しシイタケは出荷できない」との認識を示し、事実上、生産者に出荷自粛を求めている。
 白石市は県内でも有数の干しシイタケ産地。「出荷できないと、年金以外の収入はゼロ。この先も栽培が続けられないのなら賠償してほしい」と佐藤さん。周囲では東京電力への賠償を求める声が強まっている。


テーマ:
脱原発 横浜宣言 8項目を提言 世界会議閉幕
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012011602000036.html
東京新聞 2012年1月16日 朝刊

原子力エネルギーからの脱却と、再生可能な自然エネルギーへの転換をテーマに、約三十カ国の専門家らが集まった「脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA」は十五日、前日に引き続き横浜市西区のパシフィコ横浜で開かれた。会議の成果として「原発のない世界のための横浜宣言」を発表し、二日間の日程を終えた。 

 同会議には、十四、十五の両日で計一万千五百人が来場した。

 宣言には「原発事故被害者の権利を守る」「政府、東京電力は完全に情報公開し、説明責任を果たす」「核燃料サイクルから段階的に脱却し、原発の廃炉に向けた工程表をつくる」など、八項目の提言が盛り込まれた。

 脱原発を掲げる八人の市町村長による討論では、福島県双葉町の井戸川克隆町長が「住民の被ばく問題がなおざりにされている」と指摘。東京都世田谷区の保坂展人区長は「浜岡原発で事故が起きたら、世田谷にも大きな影響がある。私たちは積極的に(脱原発の)道を開いていかないといけない」と話した。

 閉幕イベントでは、脱原発を主張する六人の著名人が登壇。俳優の山本太郎さんは「無関心の人にも(この動きを)つないでいかないと、大きなことはできない」と訴えた。NPO法人「ガイア・イニシアティブ」代表の野中ともよさんは「ここからが本当の民主主義の始まりだ」と、来場者に呼び掛けた。

テーマ:
2012年1月14日 脱原発世界会議 開会式 肥田舜太郎(広島被爆医師)の講演
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1398.html

1945年にわたくしは軍医として広島陸軍病院に勤務し、
原爆の日は、たまたま午前2時に6キロ先の辺坂村に往診して、原爆による即死を免れました。
そのかわり逃げてきた多数の被ばく者の救急医療を行う事になりました。
市内で即死を免れた者も、火傷や怪我に加えて、
まぶた、鼻、口、肛門,陰部からも出血し、頭の毛が全部抜け落ちるという急性放射能症で死んでいきました。

当日広島におらず、原爆には合わなかったけれども、
爆発後数日以内に市内に入り、救援活動や肉親捜しをしたものが、
俗に言われたぶらぶら病というものを発症し、
数十年間、「あなたには病気はない」とか、「ノイローゼだ」とか、ひどい場合には「仮病」と言われて悩みぬきました。

1975年に、ニューヨークで私は放射線被害の研究で有名なピッツバーグ大学のアーネスト・スタングラス教授に会い、入市被ばくのぶらぶら病は、体内に入った放射線に体の内部から被ばくして起こる症状で、有機的にはまだ不明な証拠分であると教えられ、目から鱗が落ちた思いがしました。

1945年の9月1日連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーは厚木空港に降り立つと同時に、日本国民に占領方針を発表し、その中で「原爆被害は米軍の軍事機密である」と宣言。
被ばく者には「被害の事実に際して一切しゃべってはならん」
医師、学者には「被害の調査研究を行ってはならぬ」
「違反者は重罪に処す」という、宣言を発表しました。

原爆の放射線被害が、世界の人にも日本国民にも伝えられてこなかった原因は、
アメリカが放射線被害を隠蔽し続けた事にあります。

また、1949年にアメリカが放射線被害の調査のため、広島と長崎に設立した医療機関ABCCは、
「内部被ばくは放射線が微量で、人体にはまったく無害である」と宣伝し、
入市被ばく者は診療をせず、その場から追い返しました。

日本政府は1957年と1968年の2回に渡り、いわゆる原爆日本と言われた援護の法律を作り
国による被ばく者の援護を遅まきながら始めました。
しかし、国は二つの法律が最高の補償を定めた認定被爆者から、内部被ばく者を除外するなど、
法律制定から35年間、内部被ばく者を差別し続けてきました。

内部被ばくの被害を否定するのは、核兵器保有国であります。
日本政府のそれは、アメリカの前線基地の任務を負わされた従属国の義務としか思えません。
国を建てる上でその基本にかかわる重大問題であると私は思っています。

2011年3月11日福島第一原発に事故発生の報告を聞いた時、私は正直、大変なことが起こるなと直感しました。

福島原発は広島原爆のウラニウムと長崎原爆のプルトニウムを混ぜたプルサーマルを使用しています。
事故からの放射線被害を受ける人たちが、広島と長崎で被爆者に生じたのと同じ症状が起こってくるに違いないと、
医師である私は推定しています。

2011年4月5日「福島県の若い母親から5歳の男の子の下痢がとまらない」との相談の電話がありました。
必要な事を聞いて一番近い白河市の総合病院に行かせ、2週間の検査を受け「なんでもない」と帰されたそうです。

その後電話相談は数を増し、子どもの症状も、口内炎、鼻血、皮膚のあざなどだんだん増加して、
地域も福島県から関東甲信越の各県にひろがり、
講演に招かれた名古屋、京都、大阪でも会場からの発言で、
子どもの下痢や鼻血で不安を募らせている母親の情報が伝えられました。
12月に行った佐賀と福岡でも同じ話が聞かれています。

結局、福島原発からの放射線は3月15日の大量放出から、約300日間ずーっと続いていて、
すでに日本列島の隅々まで、広範囲に飛散していると推定されます。

微量でも危険な放射線の内部被ばくのことを思うと、
原発を廃炉にして放射線を完全に止めないかぎり、ホットスポットがどこに現れても不思議ではない。
疎開や放射線の無い、汚染の無い食材の入手は、もはや無意味になっていると思われます。

厳密に言えば、安全な場所は、日本にはもうないのです。

「どうしたらよいか」わたくしは相談を受けます。

身を守るには遠くへ移住せよ。
汚染の無い水と食材を食べろ。
この二つが指導されてきました。

それが出来ない人はどうしたらいいのか。
その答えは専門家と呼ばれた人は誰もしゃべっていません。

私は被ばく者のための医師として、
被ばくの後遺症にならずに長生きする生き方を、30年間考え、指導してきました。

その経験から、一つの結論に行きついたように思っております。
それは、自分が自分の命の主人公になって、親からもらった免疫の力を守り、
ひたすら健康に生きるよう、必死に努力する事しかないと思っております。

人類は地球上に生まれ出た時、明かりもなければ火も持っていませんでした。
太陽とともに起き、太陽が沈むとともに寝る。
そういう生活を何千万年も続け、自然放射線や紫外線から命を守る免疫を作ってきました。

その基本の早寝早起きの健康の大原則を愚直に守る事が、
親から引き継いだ免疫力を維持して病気を防ぐ唯一の道であるとわたくしは確信しています。

あとは、食事、排せつ、睡眠、労働、遊び、休養、セックスの6つの行為を節度を守って行う事です。

行為には決まりがあります。
その決まりはどこの国でも年寄りが伝えてきました。
例えば日本では、おばあさんが「ご飯は30回噛め」と伝えています。
調べてみると、立派な根拠があります。

お米の栄養はでんぷんで、胃液では消化できません。
唾の中にある酵素ジャスターゼだけがでんぷんを分解して、小腸から吸収できるように変化させます。

「30回噛め」というのは、噛みつぶすのではなく、
30回舌を動かして、唾液をたくさん出し、必要なジァスターゼの量を供給するためであります。

年寄りの言葉と思ってバカにしないで、守らなければならない恒例の一つであります。

わたくしの話しの結論。
人間は、放射線を安全に操作することはできません。
ですから、原発も核兵器もなくして、「安全な地球に住む」という事しかないわけです。

ご一緒に頑張り抜いて、我々のひ孫に、綺麗な日本を残しましょう。


おわります。

テーマ:
二本松市の新築マンションから放射性物質
http://www.fukushima-tv.co.jp/news/index.php?no=0195490
福島テレビ 2012年01月15日

二本松市のマンションのコンクリートから比較的高い放射線が確認され環境省ではコンクリートに放射性物質が混入したまま工事が行われたと見て調べています。問題が発覚したのは二本松市で去年9月に建設されたマンションです。
 環境省などによりますと先月27日、マンションに住む生徒が身につけていた積算線量計が3ヶ月で1・5ミリシーベルトと高い値を示したことから二本松市が周辺の調査を行いました。
 その結果マンションの基礎部分のコンクリートから毎時1・4マイクロシーベルト前後、室内からも1・2マイクロシーベルト前後が確認されたと言うことです。環境省ではコンクリート内に放射性物質が混入したまま工事が行われたと見て施工業者から事情を聞くなど確認を進めています。


テーマ:
シリーズ原発危機:知られざる放射能汚染 ~海からの緊急報告~
NHK総合 2012年1月15日(日) 午後9時00分~9時49分

 東京電力・福島第一原発の事故によって、大気中に、そして海に放出された大量の放射性物質。事故から10か月、放射能汚染はどこまで広がり、その影響はいつまで続くのか。その実態を明らかにするひとつの鍵が「水」という存在だ。
 今回、NHKでは、専門家チームとともに初めて、原発から20㎞圏内の海の本格的な汚染調査を実施。同時に、陸においては、山間部の湖から河川もふくめた広範囲の調査も行った。そこからは、次々と新たな放射能汚染の実態が浮かび上がってきた。予想もしない場所で発見されたホットスポット。山奥の湖で、人知れず進行していたワカサギやイワナなど淡水魚の汚染。
 いずれも放出された放射性セシウムが、「水」を媒介にして意外な影響をもたらしている現実だ。こうした結果は、これまで事故以来、様々な調査にもとづいて作られてきた日本列島の「放射能汚染地図」を改めて書き換える必要があることを意味している。
 放射性物質はいかなるメカニズムによって運ばれ、魚介類に濃縮され、私たちの暮らしを脅かしていくのか、その知られざる実態に迫る。

放射能はいらねえ~ 牛乳を飲みてぇ~-0113-7 放射能はいらねえ~ 牛乳を飲みてぇ~-0113-9

テーマ:
自動車部品34個から放射線 ロシア極東、輸入禁止
http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012011101001525.html
2012/01/11 18:28 【共同通信】

 【ウラジオストク共同】ロシア極東のウラジオストク税関は11日、今年に入ってから10日間の検査で、日本から運び込まれた自動車のエンジンや車体、部品など計34個から放射線を検出し、ロシア消費者権利保護・福祉監督庁が輸入禁止の措置を取ったと発表した。同税関当局者は、積み出し港は「日本の数港」と述べたが、具体的な港名は明らかにしていない。
 同税関の管内では昨年、主に日本から運び込まれた計273の中古車や自動車部品などから放射線を検出。除染措置が取られ輸入を認められたものを除く191の物品が輸入を禁じられ、日本に積み戻されるなどした。

Amebaおすすめキーワード