今月1日から神奈川県の「受動喫煙防止条例」が始まった。民間も対象にした屋内施設での喫煙を規制する全国初の条例だという。松沢成文神奈川県知事は「歴史的な一日」と胸を張ったというが、「条例の内容を把握している県民は1割に満たず、制度の周知が課題となっている」(毎日新聞)という状態のようだ。
神奈川県の条例で完全禁煙が義務付けられ罰則もあるのは、学校、老人ホーム、映画館、集会場、公共交通機関、神社、寺院、教会、運動施設、公衆浴場、百貨店、金融機関、図書館、博物館、美術館、動物園、遊園地、保育所、病院、薬局、官公庁施設だ。
このうち保育所や病院などは施設の性質上、禁煙もやむをえないと思うが、老人ホームに住む喫煙者は一体どうするのだろう。また学校といっても小中学校だけではなく、喫煙年齢の学生もいる大学も含むのだから奇妙な話だ。また後述するように警察の取調室も禁煙になるという。ヘビースモーカーの容疑者は、一服のタバコをエサに誘導尋問されるだろう。どこから見てもこの条例は松沢知事の「思いつき」から出たことにしか見えない。
一方で日本たばこ(JT)は煙の出ない煙草を5月から発売するという。これは、「たばこの葉が詰まった専用カートリッジに、プラスチック製のパイプを装着して利用。葉を細かく刻むことで空気に触れる面積が増え、火をつけずに吸い込むだけで味と香りを味わえる」もので、「古くからある嗅ぎたばこを応用して数年かけて開発した」ものだそうだ。(東洋経済2010年4月7日)
去年の秋に市民ニュースのJANJANに「嫌煙運動のファシズム化に抗議する」という記事を書いたが、JANJANが経営不振でサイトを閉じてしまったため、ブログに転載する。その趣旨は「喫煙室や喫煙所をしっかり作る事が分煙化に一番効果があり、ヒステリックに禁煙を強制するのは人口の30%もいる喫煙者のライフスタイルの圧殺に他ならない」ということだ。松沢知事のような思いつきによる条例制定は、江戸時代のお役人サマが町人に無理な規則をおしつけるのと何の選ぶところもない。選挙で選ばれたか否かと関係なく、民主主義を標榜する国の政治家として資質に欠けるとしか言いようがない。
喫煙者の権利を守れ!〜嫌煙運動のファシズム化に抗議する〜
最近、浜松へ出張する機会があった。2時間も新幹線内でタバコを我慢し、ニコチン切れにな
った私は駅前でまず喫煙所を探した。しかし、浜松駅の周辺はどこを見てもタバコを吸っている人はいないし、喫煙所のサインもない。30分ほどウロウロした挙句にようやく見つけた喫煙所は、地下におりてかなり歩いた、ちょっとした広場の隅のわかりにくい場所にあった。もちろん駅からそこまでに喫煙所の場所を示す表示など一つもなかった。
浜松には「市民マナー条例」という、喫煙所以外の公共の場所でタバコを吸ってはいけないという決まりがある。灰皿の後ろにはその旨が日本語のほか英語とポルトガル語でご丁寧に書いてある。しかし、市の決まりを、他から来た人や外国人にも守らせたいのであれば、なぜ喫煙所の位置をはっきり表示しないのだろうか。
これは浜松市だけのことではないし、表示の不備だけのことでもない。この問題の根は、喫煙者に対する非喫煙者の全体主義的な態度と、禁煙を宣言すれば文化的だという自治体の安易な態度にあるのだ。
◇ 「嫌煙が文化的」という誤解
この原稿を書いているときに産経新聞に「禁煙後進国ニッポン」という論説が出た。禁煙法が出た台湾に行ってきた記者が書いたこの記事は「嫌煙文化人」が陥りやすい欠点をみごとに取り揃えた文章なので引用する。
(日本では)関西の大手私鉄5社はまだ分煙レベル。朝夕のラッシュ時のみ全面禁煙という駅が多い。(中略)全国に約3万6000ある公立小中学校で、敷地内を全面禁煙にしているのは66%。100%実施という都道府県は秋田、茨城、静岡、福井、滋賀、和歌山の6県にすぎない。(中略)受動喫煙の防止措置を求める健康増進法が施行されて6年5カ月もたつのにこの状況では、子供たちがかわいそうというものだ。 米がん学会の試算によると、来年1年間に世界で、喫煙が原因で死亡する人は約600万人。年間死者数の1割に当たり、受動喫煙の犠牲者も20万人を下らないという。まともな為政者なら躍起になって、喫煙を国内から追放しようとするだろう。台湾のように。(中略)禁断症状を伴う喫煙は中毒、病気なのである。(10月22日産経新聞)
l 「まだ分煙レベル」という言い方は、分煙より禁煙が文化的だという価値判断を含んでいる。
l 「敷地内を全面禁煙」と「受動喫煙の防止」というイコールで結べないことをすり替えている。
l 教師にも喫煙者が多いのに、なぜ「敷地内全面禁煙」にしなければならないのかということに全く疑問を呈していない。
l 台湾のように法で喫煙を追い出そうという態度を「文化的」だと断じている。
l 喫煙が病気なら、喫煙者は病人である。病人はいたわるものであって追放する対象ではない(!?)。
実事求是を旨とすべき記者が、現実に疑問を持たず、自分のケチな価値尺度で物事を断じ、気に食わない者を追放しようという記事を書くのは編集権の濫用だ。
◇ 禁煙条例より喫煙場所の確保が先決
禁煙主義者にタバコの害を挙げさせたら、五十でも百でも箇条書きにする事ができるだろう。癌や心筋梗塞の発生率、不妊、低体重児出産、受動喫煙の害、におい・・・・。でも喫煙者のほとんど全員がそんなことはよく知っているのだ。私だって小児のいる所や混んだレストランでタバコは吸わないし、妊娠したらタバコは一時はやめるだろう。
いま一番大きな問題はタバコの害そのものではなく、タバコの害を錦の御旗として日本に三千万人もいる喫煙者を無視し、喫煙者用の施設を整備することもなく、その権利を条例や規則で圧殺しようという点にあるのだ。
新しいオフィスビルへ行くと必ず障害者用のトイレがフロアに一つは設置されている。またバリアフリーに気を配った設計のところも多い。その一方、オフィスのどこかにきっちりと喫煙所を作っている会社や役所は極端に少ない。どの職場でも4−5人に一人は喫煙者がいるはずだ。その数は、障害者用トイレやバリアフリーの恩恵を受ける人より絶対に多いはずだ。それなのに多くはビルの裏口の横に申し訳程度に灰皿を置いたり、或いは3畳ほどの薄暗い物置のようなところを「喫煙室」と名づけている状態で、まともな喫煙施設と言うには程遠い。。
バリアフリー化が進む一方で、なぜ喫煙者用施設の整備は進まないのか。一つの答えは、多数派の非喫煙者にとってバリアフリーは善であり、喫煙は悪だからだ。多数派の身勝手な善悪感によって30%の同僚、同胞を見捨てるのは全体主義以外の何物でもない。
喫煙者の人数を考慮して喫煙所が整備され、初めて訪れた人にも喫煙所の場所がすぐにわかれば、オフィスでも街中でも野放図にタバコを吸う人は激減するだろう。この問題の解決はひとえに、喫煙者の人口比率に応じて喫煙室・喫煙所の整備を行い、非喫煙者がタバコの煙や臭いを感じないで済むようにすることに尽きる。逆に言えば、禁煙条例を安易に作るだけで喫煙施設を省みない無責任な自治体やヒステリックな喫煙の害の主張は、何の役にも立たないということだ。
◇ 低い喫煙率は「文化的」か
中国では女性の喫煙率は3パーセント前後ときわめて低い。北京に住んでいた時、バーでタバコを吸っているとそのスジのお姐さんと間違われて男が寄ってきたことも一度や二度ではない。OECDのデータでは韓国女性の喫煙率は4.6パーセント、日本は12.4パーセントと、東アジアの女性の喫煙率はきわめて低い。
喫煙率が低いのが「文化的」ならばアジアの女性が世界でもっとも文化的であり、(英国は22%、ノルウェー24%、オーストリア32%。)ヨーロッパがもっとも「非文化的」な地域だといえる。しかしこれはウソだ。喫煙率はフルタイムで働く女性の比率と正比例しているのであって、中国が文化的だということではない。つまり女性の社会進出が遅れ女性の地位が低い「後進国」では女性の喫煙率が低いだけの話だ。
◇ 法的な疑問
神奈川県では「公共的施設における受動喫煙防止条例」が施行されるため、警察でも取調室をすべて禁煙にするという。ヘビースモーカーの容疑者を取り調べるときに、長時間タバコを吸わせないことは拷問に等しい。タバコを吸わせてやるからと言われて誘導尋問に応じてしまう容疑者がいないと言い切れるだろうか。容疑者に食事をさせないで長時間取り調べることが人権問題であるのなら、ヘビースモーカーにタバコを吸わせないことも全く同様だということを何故無視するのだろうか。
足利事件で自白の誘導や取調べ方法の妥当性が問われている中で取調室を禁煙にするのは、足利事件の教訓を無視し、禁煙は文化的だという誤った西洋崇拝の尻馬に乗っただけではないか。日本の憲法には、強制、拷問若しくは脅迫による自白は証拠とすることができないと書いてある。神奈川県の条例は憲法の規定に反する行為を誘発しかねない危険な悪法である。
江戸の「粋」の化身とも言うべき助六は廓でも大人気、髭の意休をやり込めて「キセルの雨が降るようだ〜」と見得を切る。これを見て「喫煙は不道徳だ」、「こんな歌舞伎は教育的でない」と嫌煙家たちが言うのであれば、それこそ無粋の極みだろう。寛容の欠如は「粋」を殺すだけではなく、ファシズムそのものであることを、ヒステリックな嫌煙主義者たちは知るべきである。
(以上は2009年JanJanに掲載されたものの再録です。)