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【社会】

南相馬市長 東京マラソンに 被災地の声 伝えたい

2012年1月27日 13時55分

早朝ランニングをする桜井勝延・南相馬市長。海に向かい、犠牲者の声なき声に耳を澄ます=23日、福島県南相馬市で(鈴木学撮影)

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 東日本大震災と福島第一原発事故で甚大な被害を受けた福島県南相馬市の桜井勝延市長(56)が、東京マラソン(東京新聞共催)に初参加する。約三年ぶりに臨むフルマラソン。亡くなった人、故郷を離れて暮らす人…。さまざまな人の思いを背負い、復興への道のりと重ね合わせて四二・一九五キロを走る。「一メートルでも二メートルでも前へ」と。(鈴木学)

 道路脇には残雪、突き刺さるような寒さの中、黙々と走る。あえて選んだこのコースにはかつて住宅があり、人々が生活していたが、今は野が広がる。積み上げられたがれき。「これが亡くなった人たちの命を紡いでいたんだ」と話す。

 中学時代は駅伝選手としてならした。稼業の農業で腰を痛め、体を立て直そうと三十代半ばで再び走り始めた。フルマラソンの経験は十回を超え、二時間四十八分台の記録を持つ。

 昨年三月十一日の朝も約八キロ走ってから登庁し、中学の卒業式で祝辞を述べた。午後、激しい揺れが東日本を襲い、津波は若者たちの命も奪った。「夢に向かって踏み出す時だったからねぇ…」。小さくため息が漏れた。津波被害があった地域を走ると、「自分の声を聞いてほしい」という訴えが聞こえてくるようだという。

 震災後、市長室に寝泊まりする生活が始まった。市内の死者・行方不明者は約六百五十人。人口約七万人だが、原発事故の影響で残った人は一時一万人台となった。震災と原発に追われる日々が続いた。

 日課の早朝ランニングを再開できたのは震災から約二カ月後。昨秋に災害相互援助協定を結ぶ東京都杉並区の田中良区長から「被災地の思いを伝えるために東京マラソンを走ってみては」と提案された。

 復興の真っただ中での参加には、「好意的な声ばかりでないと思います」と話す。しかし、政府は原発事故の収束宣言をしたが、原発も震災も何も終わっていない。「そうではない」と現場が声を上げ、行動する必要があると思い、参加を決めた。

 市内には、いまだ屋根や壁をブルーシートで覆った家があり、建設中の仮設住宅もある。自身の自宅も福島原発二十キロ圏内の警戒区域にあり、知人宅に身を寄せている。住民は四万三千人台にまで回復したが、除染やインフラ整備など課題は山積だ。

 「百年、千年先を見て復興に臨む」と話す。その道のりは、マラソンと似ている。「苦痛と思ったら、何にもできない。今を一生懸命に前へと進まなければと思うだけで、悩んでいる暇はない。結果に悩むより前へ進むことです」

(東京新聞)

 

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