IE9ピン留め

阿部日ケ~ンの公開ブログへようこそ

誰でも恐れていることと
  願っていることを,やすやすと信じる

フランスの詩人 ラ・フォンテーヌの言葉です。

インターネットというコミュニケーションツールは、時代だけでなく
赤裸々な人間性を映し出す鏡でもあると私は思います。

自分にとって「魅惑的」で気になる存在がいるからこそ、心がわきあがり
言葉(文字)で表現したくなるのではないでしょうか。お互いが影響し合う事で「なにか」が見えてきます。

主に創価学会系ネットワークでのやりとりを通じて、
阿部日(あべひ)ケ~ンが係わってきた人々のネット上の連携行動や
書き込みなどを元に、私が感じた事を書き連ねていきたいと思い公開ブログをつくってみました。

過去に私が公開した資料は以下です。
大石寺納骨被害者を嘲笑う日蓮正宗法華講員
http://abenikke-n.shukubou.com/remains/record.php
JR福知山線事故を嘲笑う 日蓮正宗 法華講
http://abenikke-n.shukubou.com/jrf/record.php
しばくよおまち(日蓮正宗門徒・黒川和雄氏関連のログ)
http://abenikke-n.shukubou.com/heresy/


(いただきもの)
模擬店 “帝釈・天邪鬼”掲示板記録 (れいな=黒川和雄氏の過去ログ集)
http://abenichi.php0h.com/tai&ama/

お世話になった 「ふうふうさんのwebナビ」
http://who-who.freehostia.com/webnavigation/shortmain.html
ふうふう雑記帳
http://who-who.freehostia.com/webnavigation/diary2/nik.cgi
/////////////////////////////////
なおこちらのブログのコメント欄は非公開にしております。
こちらの記事を見て阿部日ケ~ンと対話や討論をしてみたいという人は
10年間お世話になっている「富士宮ボーイ掲示板」へどうぞ。
http://fboybbs.dip.jp
「富士宮ボーイ掲示板」はアクセスipが表示される掲示板ですので、
ネット上で自分のホストを漏らしたくない人は書き込みはされないように
ご注意ください。


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# by abehi-ken | 2013-12-31 23:59 | Trackback

【外】「つらつら日暮らし」の曹洞宗和尚からお返事がありました

今朝さっそく「つらつら日暮らし」の管理者の和尚から「引用禁止」の不可解な
主張がありました。
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/7f34fd2f5b9c5c25bce34d3245a868f6?st=0

早速お返事をしました。以下は私の返答の転載です。
わかりやすいように和尚のレスは緑色にしています。

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反論っていったって、その権利すら無いでしょ?

いえいえこちらのブログで論評されることは憲法に保障された権利ですよ。
反論されたから権利侵害だというのは少々大げさな発想です。

勝手にこのブログの文章を引用する権利があると思っているんでしょうかね

引用の権利は法律にて保障されております。
和尚のように、無断引用禁止などというのは著作権上なんら法的な拘束力はないのです。

直ちに削除するように要求いたします

従って上記の要求は承伏いたしかねます。

それよりも、『仏遺教経(仏垂般涅槃略説教誡経)』における和尚の解釈と
反論は不可だという仏典的な根拠おさがしねがいたいものです。

---------------

トラックバックという機能をつかうと被リンク者の和尚には解るように
なるそうですが、いまひとつ私には意味が分からないので直にブログ内で
URLを貼ったことを通知するためにあえてコメントを残しました。

和尚はけっこうネットを使って広報活動をなさっていますね。
貴殿が思った事をテキストなどで表現されるという事はその記事に対して
論評の対象にもなりえます。
表現の自由は批判できる権利も含まれていますし、和尚の今回の記事も
全く問題在りません。

お互いがお互いの権利を尊重したうえでやりとりをするのは仏法的に
ありえないことでしょうか?
出家もしていないドシロウトに指摘される事が不快だとおっしゃるの
なら心の統御という概念自体が空虚だなと私は感じました。
少々残念です。

(以上)
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ネットの楽しさには著名人との直接交流とか異文化交流があるとおもいますが、私がそもそも10年も
こういった宗教界隈にのたくっているのはまず「現場」であうと体裁上取り繕っている立場の方が意外に、
凡人とおなじナマの人間くさい反応をする事が新鮮にみえるからなのかもしれません。

ある意味、自分のブログや掲示板というのは「俺の部屋」的な精神的開放感がありますので「素」が
でてしまいがちなものです。

しかし、実際には「宮城県の曹洞宗寺院の副住職」という世間上でも通用する権威のある肩書きを晒して
発言されている訳です。
世間話はともかく、仏教的なお話は「プロ」の解釈として捉えられ世間に流れます。
いくら「曹洞宗が良いといっているわけではない」と法衣を着た状態て主張されよう
が在家からみれば「曹洞宗の和尚は博学だな」と評価があがるでしょう。

素人と素人のやりとりではなく、それでメシを食っている専門家と素人とのやりとりです。
たった1度反論されたからといって
「アハハ(笑)過剰反応も良いところですな。笑えます。」だとか
「引用の権利なし」だとか我が身を護らんが為の卑下や傲慢なそぶりを公開する
事も当然「曹洞宗の和尚」の姿だと認識される事を考えておられないのかもしれません。

バーチャル門前払いというところでしょうけれど、お互いが情報を公表できるネットではあまり意味をなしません。

他人に見て欲しいけれど話題にはされたくない、なんて発想はネットの世界ではナンセンスなのです。
目立つ格好をして「なんだよジロジロ見やがって」と高圧的に迫るグレたにいちゃんを連想してしまいました。

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# by abehi-ken | 2012-01-27 10:49 | ネット観察 | Trackback

【外】 折伏は無慈悲と臆病を斬る化他行

ブログ村での仏教人気記事にて曹洞宗のお坊さんが「折伏」について記事をかかれていました。

折伏とは、いたずらに相手にのみ向かうことではない。ただ、統御するということである。

「戒」による心の統御を重んじる曹洞宗の方らしい反論だとおもいました。

氏のいわれるように日蓮系では「折伏」行を推奨しています。
残念ながら折伏と称して罵詈雑言だけを吐いて勝手に去って行くおよそ仏教徒とはおもえない
未熟な人もいることは否定しません。

しかし字面でみて、まるで人格そのものを否定をするイメージで書かれているように
思えます。
なぜ「折る伏せる」という強引をイメージする漢字をつかっているのかといった教義的説明は省きますが
簡単にいえば自分以外に「布教」をするという事をあらわしているに過ぎません。

曹洞宗でも行を通じて衆生を「化導」する事をしているとおもいますし、座禅を受けられた方が
喜ばれると氏も嬉しいと感じられることでしょう。
曹洞宗では本来くる者拒まず去る者追わずの「摂受」を重んじられているとおもいますが、
私にいわせてもらうなら、ブログなどで公に
「日蓮系宗派の折伏は本来とちがう!本当の意味は経文に云々・・」と他人に対して述べられる
事は模範的な『折伏行』です(笑)

そして紹介された 『仏遺教経(仏垂般涅槃略説教誡経)』 の折伏の部分は
折伏・・つまり布教をする上で我が身の「臆病」な心を克服しなければいけませんよ
と書かれているのではないでしょうか。

折伏をすることによってもともと存在する事柄にたいする意識を変えて、よりよい教えを
伝えるという事は私たちにすれば「このお茶よりもこっちのほうがおいしいし体に良いよ」
「この大根はこっちのほうが新鮮なものですよ」と言っているのと同じ事です。

自分が呑もうと思っている茶や買おうとおもっていた古い大根に対する意識を変えてもらうというのは「仏教」ではないのでしょうか?
どうなるか解っているのに放置したり、批判から自分を守る為に口にださない。
これこそ氏が引用した「この心を縦にすれば、人の善事を喪う。」と厳しく喝破されている部分です。

良いものは良い 悪いものは悪い といった基本的かつ本能的な判断力や言論を否定する社会が
どういったものになるかは歴史をみても他国をみても想像に難くないとおもいます。
為政者は、民にたいして恐怖をうえつけ連帯を断裂させる事で意のままに操ろうとします。
人としての善事が正しく認識できない愚衆をつくればつくるほど統率するにはたやすいでしょうが
社会全体が不幸にまっしぐらでしょう。 

tenjin95さんは修行を経て曹洞宗副住職という立場になられた訳だとおもいます。
その結果が肝心な部分で教典の読み違えをし、ご自分の取っている言論と主張が相反している
事に気がつかない「愚」だとおもえてなりません。
曹洞宗を経験して今の自分の思考が形成されているにもかかわらず、あえて
※「禅こそが本来の仏教だ、等というつもりはない」という思考的に「空」のスタンスをとって隠そうとしている
その「臆病」こそが弘教の妨げになるのだと言うことではないでしょうか。

また
念仏であろうと、唱題であろうと、それを「行」として考えれば、心の統御に繋がると思う。

まさにここが、個人の表面上の「心の統御」を重んじる曹洞宗的な発想だとおもいます。
そしてこの誤った思考は今の日本の信仰をもたない人や、信仰を困ったときだけ鎮静剤的な
考え方と見事に合致しているといえるでしょう。

曹洞宗の副住職として発言しているはずなのに、曹洞宗での教え(経験)に則ったものだと言うことを
憚っている自分がいるのです。

繰り返しますが
まさに勤めて精進して汝が心を折伏すべし」とは、本来修行として民衆を救わねばならないのに
言うに言えないという臆病な心を戒めている部分
です。

そしてtenjin95さんは言うべきことを言っているのに、他者が同じ事をするのは違うという論述的矛盾を
はらんでいます。
日蓮大聖人が「禅天魔」と指摘されたのは、仏教をして仏教には在らずという困惑のタネとなる思考を
「心の統御」という思考停止の状態で封印している事を指しているのだと私は考えます。
本心をどんなに押さえようと植えられたタネは、時がくれば芽を出し、花をさかせ実を付けます。
どんな宗教でも気持ちが大事で、必要とされないのであればそれでもいい。宗派を選択するのは
おかしいじゃないか。
その曹洞宗の撒いたタネが時を超え現在の日本の社会を構成している一因を成しているという事実を
早く認識されることをお祈り申し上げます。

ともあれ「折伏」に関する経文がある事を知らしめていただいた事には感謝いたします。


(参照ブログ)
「※」で引用したtenjin95さんの弁はすべて以下の「つらつら日暮らし」 
「折伏」すべきは一体何か?(2012/1/25投稿)に依ります。
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/7f34fd2f5b9c5c25bce34d3245a868f6


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# by abehi-ken | 2012-01-26 13:20 | ネット観察 | Trackback

【外・内】なぜか読売新聞に池田名誉会長の提言予告

池田名誉会長、脱原発依存提言へ…公明に影響も
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120125-OYT1T00944.htm
(追記:なぜか記事リンクが下記に移動 )
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120125-OYT1T01096.htm
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120125-OYT1T01096.htm

詳細がよくわかりませんが、もともと池田先生は原子力発電に関しては放射線の危険性を危惧して
おられましたからね。
事実なら明日の聖教新聞に詳しく掲載されるのでしょう。

某巨大掲示板では池田先生の提言があることについて、生きていたのかだの替え玉だの
適当な事を言い散らかしていますが、そもそもメッセージ等に関してはずっと発表されつづけて
います。

悪意満々の日蓮正宗門徒さんや浮かされアンチさんは、内容そのものよりも一部の人間が発した
「池田大作は原発推進派」などというデマを下敷きに反論をするでしょう。
しかし事実は


原子力エネルギーの開発と実用化は、その目的がたとえ平和利用であっても、慎重に
考慮すべきであると考えます。 そして、もし、絶対的に、永久的に安全な、廃棄物の処理法が
発見されれば、そのときはじめて利用を再開してもよいと思います。

しかし、それまでは、いったん中止しても、危険な廃棄物を生じないエネルギー資源の開発、
循環可能で枯渇の恐れないエネルギー資源の開発に、現代科学の総力を傾注して取り組む
べきであると思うのです。

ルネユイグ・池田大作対談 「闇は暁を求めて」~抜粋


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創価学会は教祖様信仰のオカルト系ではありませんので、この提言が「預言」であるかのような
扱いはしません。ごく当たり前の放射性物質についての事が懸念されているわけです。

さて一部の自称内部政治活動家はすでに原発問題に関して動き出していますから要注意。

http://megalodon.jp/2012-0125-2227-56/8316.teacup.com/5555555/bbs/2845

かつてアウトロー的な個人プレーでマスコミに取り上げられた人が再度動き出す可能性
ありますね。

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# by abehi-ken | 2012-01-26 00:16 | 政治/社会 | Trackback

【内・ネット】ブログ村ポイントから他者のアクセス数を推察してみる

どれぐらいの注目度か、どれだけウソをついているかが解るケースがあります。

私は菊川さんと同じ掲示板を使い、同じブログランキングに登録しているので「ブログ村」経由の人数なら
大方見当がつきます。

まず菊川さんのブログポイント数を見てみましょう。
以前にもブログ村ランキングの数値を取り上げましたが、ブログ村登録者の1アクセスは
10ポイントがつきます。
たいていOUTがINの数を上回ることがないのですが純粋にOUT数を加算すると

創価の森 1256(仏教)+314(創価)÷10=157(人)

月下の騎士 1480÷10=148(人)

(注:一週間分) ですから日に20人ほどのアクセスだといえます。

私のケースをあてはめてみれば、ブログ村のアクセス者と、その他のアクセス者の
比率は 18(ブログ村):100前後(総アクセス・-・ブログ村アクセス)ブログ村経由は二割には
達していません。
もちろん知名度も扱っている記事の内容にも左右されますので菊川さんとは単純に比較できませんが、
菊川さんの来訪者は約200ぐらいではないでしょうか。

さて注目度と申し上げましたが、離婚訴訟で創価学会を訴えた高倉教授は約1年で30万ページビューがある!等々豪語されてます。
しかし実情は「白バラ通信パンドラ箱」で検索(YAHOO・google共に)すると第2位に些末な私のブログが
ある程度が実情です。

ブログ村では「創価」のカテとあとどこかにポイントが割り振られているようですが創価カテでの
高倉さんのOUTポイントはたった87(1週間)です。
最大三つのカテに登録する事ができているのでおそらく33%ずつ割り振られたとしてもブログ村からは
日に10人もアクセスされなくて全然人気がない事を示しています。
ブログ村とその他アクセスの弘津が1:9の割合だとしても日に100人前後しか「パン箱」を見ていない。

読者の皆さん。アクセス数なぞ気にせずに肩の力を抜いてブログ運営をしてくださいネ。
でもプライバシーなどへの配慮はお忘れなく。一度漏らすと消せません。

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# by abehi-ken | 2012-01-25 14:37 | ネット観察 | Trackback
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広大なネットの海で縁あって巡り会った情報の「意図」を考察していきます。


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