- (発行=12.01.26)
法華講は暗闇に蠢く不法集団
世間で誰も相手にしない低劣ビラを砕く
脇書きは御本尊の本義とは無関係
日顕宗の法華講が性懲りもなく低劣なビラを最近も各地で配布している。
こんな幼稚なイタズラをするのは妙観講員や一部の法華講員であろうが、ドブ
ネズミかゴキブリのように真夜中にコソコソと動き回って、各戸へ、無差別に
バラ撒き、住民から顰蹙を買っている。これは折伏どころか、逆に反感を招いて
いる訳だから、いかにも法を下げる日顕宗らしい愚劣な行為である。
ビラでは、学会が授与する日寛上人御書写の御本尊をニセモノ呼ばわりして
おり、このこと自体が大謗法と言わざるを得ない。
「ニセ本尊」というなら、相承も受けていないニセ法主の日顕が落語を聞き
ながらステテコ姿で模写した本尊、二代目ニセ法主の日如が下手な字で写した
本尊こそが「ニセ本尊」である。
日顕の本尊は誤字脱字が多いと言われ、また筆ペンかサインペンで書いたよう
な日如の本尊については、法華講員からも拝む気がしないとの声が聞かれる。
学会授与の御本尊を書写された日寛上人は大聖人直結、御本尊・唱題・御書を
根本として他宗派の破折に力を尽くされ、中興の祖と呼ばれる法主である。その
御本尊の功徳も絶大だ。
それに対して「御本尊を信じられない」と嘆く日顕、題目もあげず、勤行も
ろくにしない日如の本尊には功徳などある筈がない。
また、法華講員がバラ撒いているビラの欠点は「開眼がない」「授与書きを
削除している」など、過去に本紙で何度も破折し尽くした愚にも付かないネタ
の焼き直しばかりだ。御本尊に法主の開眼は不要である。
御書に「今末法に入って、眼とは所謂未曽有の大曼荼羅なり、此の御本尊よ
り外には眼目無きなり」と認められている通り、御本尊そのものが、大聖人の
魂魄がとどめられた仏の眼目であり、根幹なのである。
次に、日寛上人から御本尊の授与を受けた本證坊日證師への授与書きがない
ことを非難しているが、これも見当違いだ。
御本尊の余白に脇書きとして授与を受けた人の名が記された意義は、その人
の強盛な信心を称え、且つ貫き通してきた功績を証左する為で、日興上人が
「所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり」と仰せの通りである。
しかし、授与を受けた人の名前は御本尊の本体に属すものではなく、御本尊の
力用とは関係がない。故に御形木にする場合、その名前を削除しても一向に
差し支えない。
邪宗門が「学会は授与書きを削った」と騒ぐのは単なる難癖である。正確には
「御本尊の本体の部分だけを御形木にした」のであって、淨圓寺所蔵の御真筆の
御本尊の授与書きを削った訳ではない。
逆に、宗門の方こそ寺の本堂の御本尊の脇書きにある願主名を削ったり、漆で
塗りつぶしたりしている。
例えば、大石寺の総一坊、総二坊の板本尊から「願主 法華講総講頭 池田大作」
という脇書きを消し去ったではないか。
この他、葬儀の在り方とか戒名につい御託を並べているが、坊主の導師や戒名
などは不要である。
何よりも大聖人ご自身が、在家門下の葬儀の導師をされたことは一度もない。
友人葬こそ時代の流れである。
(参照画像)
http://userimg.teacup.com/userimg/8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0001111.jpg
日顕宗でお坊さんなんて親しげに言うと原理主義者からボコられかねない。
講員には 御僧侶・または御僧侶様・御住職様で統一されておる。
「御僧侶方も読んでいる宗教と政治の決定版必見フォーラム21・購読申し込み受付中」
ちなみに 御 住職 様 というのは二重敬語なので日本語的にはヘンなのです。
「御住職様 日蓮正宗」は門徒のブログ等を探すマジックワードでもあります~
- (No.34531 投稿者:フォーラム21愛読者 投稿日:2012-01-27 10:42:08)
学会ネタで細々メシ食ってる人たちが集まったマイナー冊子の愛読者という
事ですので日蓮正宗のお坊さんですかね(笑)
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/image/detail/comm_id/8774/id/1/
レックス村松(jmuzu)くんが↑この画像を公開してくれたから愛読者というと
大石寺の坊主を連想する私w 大石寺内の書籍販売コーナの垂れ幕は秀逸です。
「お坊さんも読んでいる宗教と政治の決定版必見フォーラム21・購読申し込み受付中」
でも富士宮ボーイ掲示板には無用の投稿です。
- 今朝さっそく「つらつら日暮らし」の管理者の和尚から「引用禁止」の不可解な
主張がありました。
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/7f34fd2f5b9c5c25bce34d3245a868f6?st=0
早速お返事をしました。以下は私の返答の転載です。
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※反論っていったって、その権利すら無いでしょ?
いえいえこちらのブログで論評されることは憲法に保障された権利ですよ。
反論されたから権利侵害だというのは少々大げさな発想です。
※勝手にこのブログの文章を引用する権利があると思っているんでしょうかね
引用の権利は法律にて保障されております。
和尚のように、無断引用禁止などというのは著作権上なんら法的な拘束力は
ないのです。
※直ちに削除するように要求いたします
従って上記の要求は承伏いたしかねます。
それよりも、『仏遺教経(仏垂般涅槃略説教誡経)』における和尚の解釈と
反論は不可だという仏典的な根拠おさがしねがいたいものです。
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トラックバックという機能をつかうと被リンク者の和尚には解るように
なるそうですが、いまひとつ私には意味が分からないので直にブログ内で
URLを貼ったことを通知するためにあえてコメントを残しました。
和尚はけっこうネットを使って広報活動をなさっていますね。
貴殿が思った事をテキストなどで表現されるという事はその記事に対して
論評の対象にもなりえます。
表現の自由は批判できる権利も含まれていますし、和尚の今回の記事も
全く問題在りません。
お互いがお互いの権利を尊重したうえでやりとりをするのは仏法的に
ありえないことでしょうか?
出家もしていないドシロウトに指摘される事が不快だとおっしゃるの
なら心の統御という概念自体が空虚だなと私は感じました。
少々残念です。
(以上)
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ネットの楽しさには著名人との直接交流とか異文化交流があるとおもいますが、
私がそもそも10年もこういった宗教界隈にのたくっているのはまず「現場」で
あうと体裁上取り繕っている立場の方が意外に、凡人とおなじナマの人間くさい
反応をする事が新鮮にみえるからなのかもしれません。
ある意味、自分のブログや掲示板というのは「俺の部屋」的な精神的開放感が
ありますので「素」がでてしまいがちなものです。
しかし、本当は「宮城県の曹洞宗寺院の副住職」という世間上でも通用する
権威のある肩書きを晒して発言されている訳です。
世間話はともかく、仏教的なお話は「プロ」の解釈として捉えられ世間に流れます。
いくら「曹洞宗が良いといっているわけではない」と法衣を着た状態て主張されよう
が在家からみれば「曹洞宗の和尚は博学だな」と評価があがるでしょう。
素人と素人のやりとりではなく、それでメシを食っている専門家と素人との
やりとりです。
たった1度反論されたからといって
「アハハ(笑)過剰反応も良いところですな。笑えます。」だとか
「引用の権利なし」だとか我が身を護らんが為の卑下や傲慢なそぶりを公開する
事も当然「曹洞宗の和尚」の姿だと認識される事を考えておられないのかも
しれません。
バーチャル門前払いというところでしょうけれど、お互いが情報を公表できる
ネットではあまり意味をなしません。
他人に見て欲しいけれど話題にはされたくない、なんて発想はネットの世界では
ナンセンスなのです。
目立つ格好をして「なんだよジロジロ見やがって」と高圧的に迫るグレた
にいちゃんを連想してしまいました。
- 久しぶりに投稿してみましたが、すぐさまホスト規制をかけ直されました(笑)
北海道の事業協力者さんの奥村准教授の関係でも身体障害者の成功者という事で
招かれていた事は記憶していますが、実際にどのような形で公的に証明されている
のかはお住まいの該当機関が知っているはず という意味だったのですが
あちらのお歴々には理解できなかったのかもしれません。
http://www.crayon-box.jp/seido/tetyou/toukyuuhyo.htm
当然ながら住所を変わった場合は再度指定医師の診断がなければいけないはずです。
一般論ですが
以前聴覚障害者を偽装した不正受給が問題になりましたが探してみると
時々こういった公的証明をつかって商品購入後不正転売などをしている人がいるようです。
けっこういろいろな割引制度があるんですね。
http://s_heart.incoming.jp/service.htm
先ず第一に・簡・単・に・確・認・し・よ・う・が・な・い・ことです。
今までそうだったように、ほとんどが「自己申告」です。
で、本当かと聞くと「ホントだよ。こっちへ来たら見せてやる」と
その話し自体を釣り餌のようにして使うことが多かったですね。
これは個人的な考えですが、
彼のネット自己申告には「ウソが多い」・み・た・い・です。
人の気をひくための「ウソ」と言った方がいいかもしれません。
いつかはバレルのですが、こんなこともありました。
――どこかの誰かにかけた携帯電話の写真の掲示。
しかし、写真をネットで掲示したからと言って、
その・事・実・の・証・明・に・は・全・然・な・ら・な・い・ってことを、
考えてか考えずにか、平~気でする人です。
逆に、疑えば疑うほど、変な迷路に入ってしまうのが、
彼の「自己申告の持つ魔力」(魅力?)みたいなもの、笑。
また本当に出向いて行って本人に会った人たちは、
ほとんど戻って来ませんでした、爆笑。
いや、別に彼にとって喰われたわけでなく、
なぜかネットの世界にサヨナラしている。。。笑。
まあ、君子あやうきに近よらず、ってのもありますしね。
オキをつけられませ。マグマグo(*^▽^*)o~♪
池田SGI会長の提言が発表された。今回で30回目を迎えるが、新たな視座「人間の安全保障」を提唱する画期的なものだ。きちんと調べたわけでない。恐らくだが、過去29回の中で「立正安国論」をベースにした提言は、今回が初めてではないだろうか。
また去年の東日本大震災の際のメッセージ「勇気を持て希望を持て」(2011年3月16日)に「立正安国」とあった。そして今回の提言が学会創立の目的(会則第4条)にダイレクトに即した内容となっていることに、今までの提言と違う新鮮な驚きを感じた。
特に第二の視座では――汝須(すべから)く一身の安堵(あんど)を思わば先ず四表の静謐(せいひつ)を禱(いの)らん者か(立正安国論、御書31頁)――の意味を現代的に展開し、学会が創立以来一貫して目指す運動理念を改めて平易な表現で提示している。
――つまり、人間は誰しも無限の可能性を内在しており、かけがえのない尊厳を自ら輝かすことのできる力がそなわっている。その尊厳の光が苦悩に沈む人々の心に希望をともし、立ち上がった人がまた他の人に希望をともすといったように、蘇生から蘇生への展転が広がっていく中で、やがて社会を覆う混迷の闇を打ち払う力となっていく、との確信であります。(2012年1月26日、第37回「SGIの日」記念提言「生命尊厳の絆輝く世紀を」)――
更に特筆すべきは、仏法哲理は生命尊厳の理念に立脚した現実的な行動を提唱し、例えば「毒矢の譬」のように形而上学的な空論を戒めるが、日蓮仏法の大実践論「御書」にこそその精髄が結晶していることを今回の提言は明示している。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- (参照ブログ)
「※」で引用したtenjin95さんの弁はすべて以下の「つらつら日暮らし」
◎「折伏」すべきは一体何か?(2012/1/25投稿)に依ります。
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/7f34fd2f5b9c5c25bce34d3245a868f6
ブログ村での仏教人気記事にて曹洞宗のお坊さんが「折伏」について記事を
かかれていました。
※折伏とは、いたずらに相手にのみ向かうことではない。
ただ、統御するということである。
「戒」による心の統御を重んじる曹洞宗の方らしい反論だとおもいました。
氏のいわれるように日蓮系では「折伏」行を推奨しています。
残念ながら折伏と称して罵詈雑言だけを吐いて勝手に去って行くおよそ仏教徒とは
おもえない未熟な人もいることは否定しません。
しかし字面でみて、まるで人格そのものを否定をするイメージで書かれている
ように思えます。
なぜ「折る伏せる」という強引をイメージする漢字をつかっているのかといった
教義的説明は省きますが簡単にいえば自分以外に「布教」をするという事を
あらわしているに過ぎません。
曹洞宗でも行を通じて衆生を「化導」する事をしているとおもいますし、座禅を
受けられた方が喜ばれると氏も嬉しいと感じられることでしょう。
曹洞宗では本来くる者拒まず去る者追わずの「摂受」を重んじられていると
おもいますが、私にいわせてもらうなら、ブログなどで公に
「日蓮系宗派の折伏は本来とちがう!本当の意味は経文に云々・・」と他人に
対して述べられる事は模範的な 『折伏行』です(笑)
そして紹介された 『仏遺教経(仏垂般涅槃略説教誡経)』 の折伏の部分は
折伏・・つまり布教をする上で我が身の「臆病」な心を克服しなければ
いけませんよと書かれているのではないでしょうか。
折伏をすることによってもともと存在する事柄にたいする意識を変えて、
よりよい教えを伝えるという事は私たちにすれば
「このお茶よりもこっちのほうがおいしいし体に良いよ」
「この大根はこっちの新鮮なものがいいですよ」と言っているのと同じ事です。
自分が呑もうと思っている茶や買おうとおもっていた古い大根に対する意識を
変えてもらうというのは「仏教」ではないのでしょうか?
どうなるか解っているのに放置したり、批判から自分を守る為に口にださない。
これこそ氏が引用した「この心を縦にすれば、人の善事を喪う。」と
厳しく喝破されている部分です。
良いものは良い 悪いものは悪い といった基本的かつ本能的な判断力や言論を
否定する社会がどういったものになるかは歴史をみても他国をみても想像に難く
ないとおもいます。
為政者は、民にたいして恐怖をうえつけ連帯を断裂させる事で意のままに
操ろうとします。人としての善事が正しく認識できない愚衆をつくればつくるほど
統率するにはたやすいでしょうが社会全体が不幸にまっしぐらでしょう。
tenjin95さんは修行を経て曹洞宗副住職という立場になられた訳だとおもいます。
その結果が肝心な部分で教典の読み違えをし、ご自分の取っている言論と主張が
相反している事に気がつかない「愚」だとおもえてなりません。
曹洞宗を経験して今の自分の思考が形成されているにもかかわらず、あえて
※「禅こそが本来の仏教だ、等というつもりはない」という思考的に「空」の
スタンスをとって隠そうとしているその「臆病」こそが弘教の妨げになるのだと
言うことではないでしょうか。
また
※念仏であろうと、唱題であろうと、それを「行」として考えれば、
心の統御に繋がると思う。
まさにここが、個人の表面上の「心の統御」を重んじる曹洞宗的な発想だと
おもいます。
そしてこの誤った思考は今の日本の信仰をもたない人や、信仰を困ったとき
だけの鎮静剤的な考え方と見事に合致しているといえるでしょう。
曹洞宗の副住職として発言しているはずなのに、曹洞宗での教え(経験)に
則ったものだと言うことをはばかっている自分がいるのです。
繰り返しますが
「まさに勤めて精進して汝が心を折伏すべし」とは、本来修行として民衆を
救わねばならないのに言うに言えないという臆病な心を戒めている部分です。
そしてtenjin95さんは言うべきことを言っているのに、他者が同じ事をするのは
違うという論述的矛盾をはらんでいます。
日蓮大聖人が「禅天魔」と指摘されたのは、仏教をして仏教には在らずという困惑
のタネとなる思考を「心の統御」という思考停止の状態で封印している事を指して
いるのだと私は考えます。
本心をどんなに押さえようと植えられたタネは、時がくれば芽を出し、花を
さかせ実を付けます。
どんな宗教でも気持ちが大事で、必要とされないのであればそれでもいい。
宗派を選択するのはおかしいじゃないか。
その曹洞宗の撒いたタネが時を超え現在の日本の社会を構成している一因を成して
いるという事実を早く認識されることをお祈り申し上げます。
ともあれ「折伏」に関する経文がある事を知らしめていただいた事には感謝いたします。
- 話の流れがまったく分断されているツイッター的短文投稿でスレッドの消費を
する事はやめて下さい。
- 簡単な理由です
貴殿は修羅界の境涯に支配された状態で菩薩界の人を見るから
「あれが足りない これが不十分だ」とケチを付けるしかないのです。
第三者に語りかける誠意の見えない文章は提言とはいいません。
また「あれができた。 これで満足だ。」と自画自賛をする人もまた
修羅界の境涯に支配されている状態だとも言えるでしょう。
こういうと気分を害されるかもしれませんが、他を意識する修羅の境涯は
根本的な一点だけを改善すれば菩薩の境涯です(笑)
利己に徹するするか利他に徹するか。
利他のフリをして利己に走っていると、今の政治のように足踏みになるわけです。
今回のSGI提言で紹介されるまでもなく、日蓮大聖人の慈悲の心はまず「民」に
むいています。
まず自分の一門だけ幸せになれば他はあとまわしでいい
よさげな人に追従すればなんとかしてくれるだろう なんていう日顕宗の連中
のような発想の人が多くなれば多くなるほど混沌とします。
大聖人は菩薩界に関して以下のように記されています。
※
第九に菩薩界とは六道の凡夫の中に於て自身を軽んじ
他人を重んじ悪を以て己に向け善を以て他に与えんと念う者有り、仏
此の人の為に諸の大乗経に於て菩薩戒を説きたまえり。
(十法界明因果抄)
「自身を軽んじ」は自分を卑下しなさい という事ではありませんよ(笑)
「他人を重んじ」は他人の言いなりになれ という事でもありません。
悪に対しては我が身を盾にし、善行の「果」つまり功徳を他に与える(教える)
事を祈念しつづければ行動にあらわれるはずです。
今がんばる時じゃありませんか?
- 菊川広幸が書いた 悪書と言う記事をみても明らかにわかるように
あいつ等の物事の判断・・・というのは2進法で
それしか味わった事しかなく コチラ・・・・としては
その姿を見て残酷だなぁ・・・・としか思っていなく
その肝心な善悪に対しての判断基準は実は創価が敵対する出版社に委ねられている方程式が
やつ等には把握していないんですよ 勿論、春田を含む外部も・・・なんですけれどね~~~
- いまの時期と言うのはSGI提言と同時に 直木賞 芥川賞は誰なのか?・・・と言うのが
同時多発的に話題になるんですね~
本当 正木ひろしさんの著作は直木賞にも該当するのですが
審査員の質が悪かった為か何故か受賞しなかった・・・・・・
菊川さんに言ってやるよ その良書 悪書の判定だって
おめぇーさんが嫌う 新潮や文春社には 皮肉にも良書が存在したり
その判定をする権限が
悪書とレッテルを貼りたがる出版社にあることも含めてなwww
- >>疑問を投げかける段階でオイラが思っていることを引用して落し・・・・
厳密に言うと、2006年以降のSGI提言は
オトコが女に対し・・・
「発情の顕れ」としてのアピールする手法と同じ生態で
要は「あなたの世界」に僕は入り込んでいるんだぞ
おまえと同調しているんだ・・・・と言いながら 精査すると
今までの悪因を辿って鑑みてみれば「実はおめぇーが誑かした原因だろ!!」
・・と子宮自身が(なんか危ない表現だな ただ・・・解る人には解るような)
だから オイラは その記事を読んで相変らず「毒入りサンドイッチ」として
ブログで愚痴る このパターンが3~4年続いているじゃんか
・・・と書くんだけれど 現時点で立場が違うと 答えも様々??
- >>34518
相変らず皮肉な話しを事前に用意するよね・・・
今朝の聖教を読みましたが疑問を投げかける段階でオイラが思っていることを引用して
落し そしてオイラはその記事を読んで相変らず「毒入りサンドイッチ」として
ブログで愚痴る このパターンが3~4年続いているじゃんか
(否 ネットで創価の話を始めてから 5年経つのか)
- >>34516
SGI提言が スクープされたことが不味かったのかなぁ・・・
確かに微妙な問題が孕んでいるし 今後を占うことにも繋がるからなぁ・・・
ところで 明日・・と言うか今日か 何を書いてくるのか存じかねますが
ただ 核廃絶一つみても 核のゴミはどうするんだ?・・とか
原子力発電所と偽って核兵器を作ったり「核兵器を持っている」・・と宣伝して
相手の国を侵略したり・・・と核廃絶が一種の言い訳と言うか
権力の道具にされている問題等については触れようともしない
また ソレ以前に「争い」を止める方法や原因と結果を考察して
今、自分たちが同じプロセスを歩んでいないか? それらの事もチェックした上で
提言をしていかないと 結局は人と人を使って殺し合いをする戦争に戻ってしまう
事実 過去の提言が仇になって返ってきたのも見逃していない。
例えば 国際刑事裁判所の設立 その国際裁判所が権力を握ったり
自己正当化をして 返って人権を汚す結果にも繋がる事は解っている筈なのに
それを推奨して、20年後には収集のつかない地獄を築きあげてしまう。
ところで人権と言うのは人として生まれた以上 菊川だろうがオイラだろうが
日顕だろうが大川隆法だろうが 犯罪者やヤクザだろうが誰でもあるのですが
その事を考えると 一方的な人権しか認められず 片一方は人権を剥奪して
人権そのものがモノポリやチェスと同じ状態になっている事も見逃している。
人権を盾にだして自己正当化権力化している問題も放置している
その辺を抽象化の罠・・・という形で去年は提言にしたんだけれど
ところが残念ながら それを提言した当の本人も嵌っていて 解決が出来ず
とかく去年は 今までのツケが一気に出てきて
創価を含め 行詰まった年だったと 個人的には思いますよ
- >>34516
>>http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120125-OYT1T00944.htm
>> ↓
>>http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120125-OYT1T01096.htm
>>
>>2012年1月25日19時18分配信をなぜに23時20分の配信にしたのだろうか・・
>>
- http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120125-OYT1T00944.htm
↓
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120125-OYT1T01096.htm
2012年1月25日19時18分配信をなぜに23時20分の配信にしたのだろうか・・
>>34513
>>さて一部の自称内部政治活動家はすでに原発問題に関して動き出しています
>>から要注意。
>>
>>http://megalodon.jp/2012-0125-2227-56/8316.teacup.com/5555555/bbs/2845
阿部日様
確かに怖いですね、この人の発想と言い論法と言い。。。
で、広宣流布と原子力の利用を並べて書くところが特に、笑。
それと勤行も真面目にしていないかもですねぇ。お経、間違っていますし、笑。
書いていることは中々・立・派・そ・う(偉そう?笑)なのですが。
文節をやたらと切り刻んで書くのも・特・徴・的(個性的?笑)でもありますね。
もしももっと以前に、現実にこんな人にめぐり会っていたら、
私は今「反学会戦士」になっていたかもしれません、爆笑。マグマグo(*^▽^*)o~♪
今年の春節はちょっと物足りない。爆竹の数が少ないと思えて仕方ない。今朝お知らせした状況は一日の内の最高湿度(朝8時現在40%弱)で、昼間は「10%台」しかない。とても乾燥しているから花火や爆竹は危険だと皆が思ったのか?思い返すに、2008年北京五輪の年の春節最終日(旧暦1月15日、元宵節)、街中が花火大会で(笑)中央テレビ局が火災に見舞われても、ほとんどの市民はそれに全然気づかなかったこともあった、笑。
今日はまた阿部日様から有益なことをお教え頂いた。鯖さん発案の「圏単位ネット活動者会」には笑ってしまった。ずっと以前から目新しくてユニークな考えをお持ちなのだ。それと――「学会の良さをBLOGとして書く」とか、数値化目標をもとに推進すべき(2010年11月19日、鯖板)――には意味不明ながら考えさせられた。特に「数値化目標」とはどう言う意味なのだろう。ブログ来訪者の数のことだろうか?
またついでと言うと申し訳ないが、読者諸賢に一つお知らせしたい。eco様の掲示板が盛り上がっている、笑。いや、多分おひとりで書かれていると思うが非常に的を射ている。ロジックもしっかりとされている。私は少し心配していた。最近こちらで最後に書かれたこと(例えば当板No.34492)の、感情(怒り?)の昂揚おさまらずのことと思いきや、冷静さを取り戻されていた。ご興味がおありの向きは是非ともご一読を。
で、やっと本題だが(笑)、鯖さんが定義される「サイコパス」には私も含まれるみたいだ、笑。また相当お怒りのご様子。菊川さんと言い、この方と言い、どうしてこちらの書き込みには敏感に反応されるのだろう。それは多分、阿部日様がご常連としておいでで(笑)、時にeco様が来られたり、また私が由ない腰折れを書いたりしているからだろう。で、こうなると「月下のブログ」なぞ元々必要なかったことにもなろう、笑。
――初心者だと、自分のBLOGに対して、批判者が別の掲示板なんかで「物笑い」にしているのに憤ったりする事でしょう。しかし、それを「気にして」読みに行ったりしてはいけません。/真正面からBLOGにコメントして来るならまだしも、「安全地帯」から他人の批判をする臆病者の愚痴に、まともなものなどあるはずがない。たとえその者が「学会員」を名乗ろうと、先生の弟子を名乗ろうと、読む価値は無いと断言します。(2012年1月25日20時21分、鯖板)――
初心者向けのアドバイスにしては少し不穏当だ。前提として「ちょっと頭がアレ」(まま)の人や「サイコパス」(まま)がワンサといる中、それらを一々相手にするなと忠告された。が、ここでまだ念押し、駄目押しをする意味は何か?まあ、鯖さんの名アドバイスに反して、とても感傷的で衝動的な菊川さんが、今後も相手方に殴りこみを仕掛けることは十分考えられる。先輩の気づかいはまことに有難いものだ。
が、基本的にアドバイスを与える側の鯖さんが感情的になられてはいけないと思う。気にして読みに行くなと厳命した後――真正面からBLOGにコメントして来るならまだしも、「安全地帯」から他人の批判をする臆病者の愚痴――の・存・在・を示唆するのは、反対に「怖いもの見たさ」の幼心(おさなごころ)を煽ることになりはしまいか。どうして「何を書かれても気にするな」とすっきりと言われないのか?
そこで思い出したことがある。沖浦さん事件勃発後、それぞれの掲示板で紅白合戦が盛り上がっていた時だ。私は横のつながりの強化を提案したことがある。「ネット界の対沖浦統一戦線」みたいなことを想定してだ。が、小野様は一笑に付された、笑。曰く――ネットの曼荼羅(模様)の如きも現実相。それぞれがありのまま、思いのままに書けばよい(取意)――と。私の非現実的で爾前迹門的な発想は直ぐに崩壊した、笑。
先ごろ阿部日様ご紹介の新年勤行会拝読御書にこうある――わづかの小島のぬし(主)らがをど(威嚇)さんを・をぢては閻魔王のせめ(責)をばいかんがすべき、仏の御使と・なのりながら・をくせんは無下(むげ)の人人なりと申しふくめぬ(種種御振舞御書、御書911頁)――と。相手の何某が学会員であろうがなかろうが、自分が仏の御使いを名乗るのであれば、どこまでも破邪顕正の精神を忘れてはならないと思う。
広いネットの世界。まさに小野様が仰せの小宇宙、星雲群だと看做してもよかろう。で、現在、学会員はそのほんの一部の存在でしかない。学会員同士での意見の打ち合いや本音のぶつけ合いを避け、また内外を問わず、一方的に批判者を「ちょっと頭がアレ」やら「サイコパス」だと烙印して排斥することに何の意味があろうか。特に鯖さまは海外におられる。「小島の主」なぞ屁でもない世界的視野をお持ちだろうし。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- ※池田名誉会長、脱原発依存提言へ…公明に影響も
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120125-OYT1T00944.htm
詳細がよくわからないけれど、もともと池田先生は原子力発電に関しては
放射線の危険性を危惧していましたからね。
さて一部の自称内部政治活動家はすでに原発問題に関して動き出しています
から要注意。
http://megalodon.jp/2012-0125-2227-56/8316.teacup.com/5555555/bbs/2845
- (発行=12.01.23)
「現代の一凶」とは日顕宗だ!
堕落坊主らの年頭の「挨拶」を一刀両断
根拠なき妄言で学会を誹謗する極悪僧
日顕宗の悪僧共が年頭から学会員の折伏に力を入れるよう発破をかけている。
特に、許し難いのは総監の八木日照、重役の藤本日潤、宗会議長の土居崎慈成、
中国の大支院長・原山元征、北海道・大慈院の上地広暁らの発言である。
八木は元旦勤行の席上で「学会を根絶やしにしなければならない」と喚いて
いたが噴飯物である。
この八木は鬱病の傾向があり、人と会うのを嫌って部屋に引きこもっている
ことが多い。勿論、自分一人では折伏も出来ない。口先だけは威勢はいいが、
まるで「張り子の虎」である。
学会員を折伏するどころか、本紙への反論も弁解も出来ない情けない堕落坊主
である。
次に、藤本は元旦勤行では学会批判をしなかったが、日顕が読む「大日蓮」
一月号に次のような「挨拶」を載せている。
「昨年は、三月十一日に東日本大震災という未曾有の大規模な災害に襲われ、
二万人に及ぶ死者行方不明者を出しております(中略)その根本原因が邪義邪法の
害毒にあることは明らかであります。而して、その邪義邪法の最たるものが、
現代の一凶たる創価学会であることも亦(また)明らかであります(中略)学会員
の一人一人を慈悲の精神をもって折伏して行くことこそ最も大事なことであると
思うのであります」
日顕が読まない「大白法」では、この部分をカットしているが、藤本は日顕の
歓心を買うため「大日蓮」だけで大震災の原因が学会だと誹謗しているのだ。
ニセ法主になる度胸もなく、日如に譲った小心者の藤本らしい姑息な手を
使っているが、「白を黒と言いくるめる」とは、このような詭弁を指すのだ。
大震災に際し、救援活動をしなかった邪宗門が、献身的に救援に尽くした学会
を批判するとは許せない。
日顕宗こそ大聖人の仏法を悪用して金儲けに血道をあげる邪義邪法の一凶で
あると断ずる。いかに邪僧共が息巻いても学会の大前進を止めることは出来ない。
災害の原因が日顕批判とは笑止の極みだ
日顕宗は災害の度に学会に難癖をつける。平成二年(一九九〇年)十一月十七日
に雲仙普賢岳が噴火した時も、噴火は、その前日の本部幹部会(十一・十六
スピーチ)で日顕を非難したことが原因だと、日顕自身が大暴言を吐いていた。
また、平成五年(一九九三年)七月の北海道南西沖地震でも日顕は「私の乗った
飛行機が北海道に渡ろうとした時、墜落するように祈念した者がその島にいた
から」と根も葉もない妄言。平成七年(一九九五年)一月の阪神・淡路大震災
でも「前日に学会が御本尊に関する謗法を犯した」と根拠のない戯言を述べて
いたが、全て的外れの感情論だ。
「大日蓮」一月号誌上で土居崎は「現代の一凶たる創価学会の破折なくして
御命題達成はない」と生意気なことを書き、原山は血脈に関して屁理屈を並べて
学会批判。上地は「一凶である学会を破折せず世界広布はない」と言っていた。
学会を破折できないから邪宗門に広布などできない。これら極悪坊主を撲滅する
のも正法流布の戦いである。
- 総務省のサイトです。
-----------------------
国民のための情報セキュリティサイト(小学生むき)
個人情報を大切にしましょう。
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/security/j_enduser/shogaku02.htm
掲示板に個人情報が公開されたときにはどうするの?
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/security/j_enduser/shogaku05.htm
-----------------------
いい大人がこれぐらいのことを知らずにネットをしていると笑われますよ。
仮に自分が写真をあげたり個人情報を漏らしてしまう事で、第三者がその情報を知り得た
場合、第三者がその情報を取り扱っただけでは現行法的には罰せられることは難しいです。
以前Takedaさんとの討論で改めて感じましたが、道義的な部分で考えるしかありません。
例えばAさんに送ったメールをAさんがネットで公開しても罰せられないように
高倉教授が訴えているような「情報コントロール権」を理由に他人に渡した日記の
返還を求めるのは却下されると思います。
- ※昨日2012年1月24日にこちら「富士宮ボーイ」掲示板を訪れた人、
但し「延べ人数」はたった457人。
どれぐらいの注目度か、どれだけウソをついているかが解るケースがあります。
私は菊川さんと同じ掲示板を使い、同じブログランキングに登録しているので
「ブログ村」経由の人数なら大方見当がつきます。
たいていOUTがINの数を上回ることがないのですが純粋にOUT数を加算すると
創価の森 1256(仏教)+314(創価)÷10=157(人)
月下の騎士 1480÷10=148(人)
(注:一週間分) ですから日に20人ほどのアクセスです。
私のケースをあてはめてみれば、ブログ村のアクセス者と、その他のアクセス者の
比率は 18(ブログ村):100前後(総アクセス・-・ブログ村アクセス)
ブログ村経由は二割には達していません。
もちろん知名度も扱っている記事の内容にも左右されますので菊川さんとは
単純に比較できませんが、菊川さんの来訪者は200ぐらいではないでしょうか。
さて注目度と申し上げましたが、離婚訴訟で創価学会を訴えた高倉教授は
約1年で30万ページビューがある!等々豪語されてますが
「白バラ通信パンドラ箱」で検索すると第2位に私のブログがある程度が実情です。
ブログ村では「創価」のカテとあとどこかにポイントが割り振られているようですが
高倉さんのOUTポイントはたった87(1週間)です。
最大三つのカテに登録する事ができているのでおそらく33%ずつ割り振られたと
しても日に10人もアクセスされなくて全然人気がない事を示しています。
- マグマグ殿中国では春節のお休み中ですね。
いかがお過ごしでしょうか。
ところで
サイコパスの一面には「病的な嘘つき」の面がありますよね。
有名なDSM-IVの診断を使うだけでは社会不適合者や詐欺師があてはまって
しまいます(笑)
サイコパスの定義 (ロバート・ヘア)
1 饒舌で一見魅力的
2 過大な自尊心、自己中心的
3 異常なほど嘘をつく
4 後悔/罪悪感が全くない
5 冷淡で共感がない
6 行動の責任を取れない
「サイコパス」とまで言うにはやはり、他者を巻き込みながら自分の人生に
破滅的な結果(例えば犯罪行為等)を及ぼしつつも見せかけ上の心理的な
二面性を失わない事だと思います。
菊川広幸(偽名)さんは、私の行動が理解できない(または解らない振りをしている)
為に、第三者に解る形をあえて使って鯖くんをまきこもうとしています。
相手に対しては忠告や苦情は「直接メール」で送るのが礼儀みたいに主張していて
連絡の取れる鯖くんをダシに鯖板常連との連携をとろうとしているのですから
恣意的だといえるのではないでしょうか。
ちなみに
私にはネット上で菊川さんが公開している以上の情報なんてわかるはずありません。
個人情報の三原則ともいわれている 住所 氏名 電話番号 なんて解るはずが
ありません。
たとえば彼のブログ情報から住所が「守谷市」と私が主張したところで、実際には
会ったこともない人ですし行った事もない所ですから、彼の情報そのものが
架空でないとまでの確証すらありません。
私のネット記事での推察を読んで誰だか特定できる人は本当の知り合いだけで
しょうね。
正直私がネットに関してなにやら特別な知識やプログラム等を使って菊川さんの
漏らしている事を検証している訳ではありません。
コツはあっても“だれでもできる事”しか私にはできません(笑)
で、私は思うのですが、菊川さんは自己宣揚の為に現場でネットの事を出しても
地区部長や支部長や友人などに相談のできない人なのではないかと思えてなりません。
実費で数十万円をつかって400冊ものブログ本を配布して、一向にブログの
コメンターが増えない事をどう考えておられるのかなとも思います。
自分が不快なのであれば見なければ良い関わらなければよい というのが鯖くんの
処世術マニュアルではなかったでしょうか?
私は、彼等が私に対しての論評をすることに関してなんら不快におもっていません。
私が彼等の論評をしているのに、論評をされることを良しとしないのは唯の我が儘です。
また鯖くんはおもしろい提案をしています。
http://megalodon.jp/2012-0124-1509-46/jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/8831/1290158612/253-
まぁ簡単にいえば学会組織はネットの監視と情報共有に力を入れるべきだった~
という主張ですが、なぜ「されていない」と思うのか不思議です。
アンチさんにいわせればペーペーの学会員の私ですらできる事を本部がやってないわけ
ないと私なら考えますし、自分でもできる事を本部にやらせろというのは単なる
他人任せのクレーマーです。
およそ「一人たつ」精神からかけ離れた発想だと思います。
また “圏単位ぐらいでネット活動者会を開き” などというのは机上の空論で
あり、現場軽視の愚論。
ネット活動者というくくりで全国組織を作るつもりでしょうか(笑)
そうなれば鯖くんのような掲示板はまっさきに閉鎖ものです。
また、沖浦さんが主張した聖教新聞ネット配信をして配達員の負担を軽減云々の発想と
同じです。
ここまでネットという情報通信機器が普及しているにもかかわらず、未だに
混迷した社会を根本的に変革し解決する新たな利用法がある という希望的観測に
縛られている人が多いのはいかがなものかと思います。
昨年度のSGI提言や日々聖教新聞に掲載される指導を見て、心に入っていないのかも
しれませんね。
マスコミではことある事にネットを過大評価しますが
私的には使っている側の人間が成長しないかぎり、集客とサービス提供、そこに企業が
関わる以外の革命的展開はないと考えています。
最近ひきあいにだされるネット発の社会運動に関してもそうです。
「きっかけ」にはなっても「解決策」を実行してくれるものではない。
中東でのネット発の民衆革命の経緯を見ていくと、結局騒動の鎮静化を図るのに
肝心の「反体制側」の結束がバラバラなので住民の生活は一向によくなる気配がない。
「将」を立てない戦もまた民主的なのでしょうか。
混沌こそが民主的だというのであれば、中東はたしかに民主化に成功したといえる
のかもしれません。
また、参加するだけで誰もが責任を負わない(全うしない)ネット世界もまた民主的。
民主党主導の日本政府もこれまた民主的なのでしょう。(大笑)
ちょっと長くなりましたが思うところを書き込んでみました。
昨日(1月24日)紹介した菊川さんへのアドバイスだが、どんとんと話しが流れている。流れるとは本筋から離れると言うこと。これを読むと鯖さんや菊川さんがネットをどのように考えているのかが何となく分かる。
――私の場合は、何だか批判者が多く集まるんです。こればかりは、本当に不思議ですし、困っています。(笑)/私の今の望みは、創価の森ブログを楽しくやっていきたい。それだけなんです。それで、余裕を作って、鯖板でおしゃべりする。これで、十分です。私は。(笑)そのために、これからちょっと努力して、安心して歩めるようにしたいと思っています。(2012年1月24日22時26分、鯖板、菊川さん)――
泣いたカラスがもう笑ったと言うか、菊川さんはすでに苦悩と悲嘆の深淵から這い上がり、平常心を取り戻されたよう。立ち直りのはやい人だ、笑。読者諸賢は「批判者」の単語にご注意を。多数集まる先が「創価の森のブログ」(まま)のようで、それでも「楽しくやっていきたい」と言うのも何だか涙ぐましい。
つまり菊川さんは振り出しに戻ったと解せよう。そうすると「月下のブログ」は必要なかったことになりはしまいか。更に「菊川さんのお願い」(当板No.34488)をわざわざ貼り付けに来なくてもよかったことになりはしまいか。不思議なのは彼自身だ、笑。
――もう一つは、世界には、一定の割合で「サイコパス」と呼ばれる人がいる、という事です。彼らは、社会生活においてはむしろ人から好まれるようなタイプである事が多い。従い、普通はわかりません。しかし、匿名のネットという場所で、自我が肥大して、本性が現れる場合がある。(2012年1月25日5時4分、同上、鯖さん)――
菊川さんの新たな感慨に対して、鯖さんはこのようにアドバイスをされる。菊川さんが言う「批判者」がこの「サイコパス」(まま)に呼応しているかどうか文脈上分かりにくい。が、鯖さんの感性が読み取られてとてもよい勉強になると思う。これを「サイコパス」と呼ぶかどうかだ。
サイコパス(Psychopath)は「精神病質者」と訳され、反社会的人格者を意味する心理学上の用語。原意に照らすと、鯖さんの理解は微妙に間違っている。また昨日の私の引用に「あの人はちょっと頭がアレなんで」(まま)とあった。この二つを見比べると、彼の認識がある程度読み込まれよう。
いずれにせよ、ここで一つの疑問だが、菊川さんはアンチとか批判者と言った言葉を多用する癖がある。で、鯖さんではそれが性格異常や精神病質の問題と理解される嫌いがあるようだ。はっきりと言って危ない。危ないのは鯖さんの・こ・う・言・う・感・性・が・だ。
――私は、かなり乱暴な言い方をするならば、掲示板に新規で訪れる人の1~2割、ヘタするとそれ以上、上記を疑わざるをえない人が含まれている、と感じています。したがって、「くるものは拒まず」というスタンスでいると、そういった人を呼び込み、せっかくの「善意の参加者」も、嫌な思いをする。(上掲の続き)――
問題は「上記を疑わざるをえない人」で、どう読んでも「サイコパス」のことを指しているように思われる。「そういった人」(まま)と表現をぼやかされてもいる。掲示板の新規参加者の中に1割から2割の割合で・そ・う・言・う・人・が・い・る・らしい。これはまことに恐ろしい状況ではないか。
で、この推量が本当であれば、鯖板や菊川さんご自慢のブログは・も・っ・と・高・い・確・率・で批判者や精神病質者の攻撃に晒されていることになる。ここも第三者的にはっきりと言って「ウソ」だ。いや、彼らの被害妄想的推量だと考えられる。
2008年の推計で日本のネット人口は9,000万人と言う(2009年4月7日、読売新聞)。本当かどうかを別にして単純に1割で「900万人」。卑近な例で申し訳ないが(笑)、昨日2012年1月24日にこちら「富士宮ボーイ」掲示板を訪れた人、但し「延べ人数」はたった457人。
それだけ当板が世間様から注目されていない(失礼!笑)のは自然と言えば自然なこと。で、極少数ながら新規参加者もボチボチ訪れて来られる。1割とか2割と計算するまでもなく、ひとり、ふたりと地道にやって来られるわけだ、笑。
眼を転じて、鯖板や菊川ブログの新規参加者はと言うと、これまたはっきりと言って・似・た・り・寄・っ・た・り・だろう、爆笑。誇大妄想的と言うか、被害妄想的と言うか、鯖さんの名アドバイスは早朝から微笑ましい。それとどんどんと会話が流れている。いや、わざと流しておられるのか。
まあ、このように不真面目にマトモな考えを持たず、思いつくままに・会・話・を・楽・し・む・から、「批判者」や果ては「サイコパス」によって集中的なイジメに遭うのかも知れないぞと、お二人は考えられたことがない様子だ。
サイコパスってそんなに多いのか?爆笑。本当ならばネットどころでなく深刻な社会問題だ。社会問題をとりあげて掲示板やブログの運営を論じる鯖板に心からのエールをおくりたい。マグマグo(*^▽^*)o~♪
連休四日目の朝、今、外気温は-12℃、湿度約40%です、笑。
で、部屋の中も心持ち冷やりとしていて、温度計を見ると室温19~20℃の間。
ところで皆様は「豆乳機」と言うものをご存じでしょうか?
(本当はこの字ではありません。豆乳と書くと我々が言う豆乳と別のもの。
ここにその字が書けないので便宜的に「豆乳機」と書きます。)
我が家で手間要らずで、添加剤なしの豆乳が出来る優れものです、笑。
前の晩に大豆を水につけてふやかしておき、翌朝「豆乳機」に入れて水を適量加え、
スイッチを押すだけで約10分、出来たてホヤホヤの豆乳の出来上がり!
今日のように寒い朝の朝食にもって来いの飲み物です。。。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- 今年から慧妙では教学力低下著しいネット日蓮正宗工作員あてとしかおもえない
ネットネタ破折シリーズが始まっています。
口先では「怪文書」だのと卑下していますが、やはりネットでの影響力を無視
できなくなった事の証左でしょう。
(それだけ日蓮正宗はネット情報が有用だともいえるでしょうけれど)
画像は慧妙の新シリーズ「ネット上に蔓延る邪義を破す」の告知の部分です。
http://userimg.teacup.com/userimg/6001.teacup.com/qwertyui/img/bbs/0008750.jpg
連載されるようなので私なりに慧妙編集部の詭弁をよみといてみたいと思います。
捨てハンドルの壊れたレコーダーのような日蓮正宗門徒より論立てされている分
解析をする楽しみもあります。
第一回は「相伝」について。
そもそも「相伝」というのは「代々受け継いで伝えること」とあるように
その本質は師匠と弟子の事です。
慧妙では
「よって大聖人の教義を学ぼうとすれば、当家に伝承される唯受一人の相伝
を根本とした教義を学ぶという、姿勢が必要不可欠であり、その道筋に則ってこそ
大聖人の御真意に到達できるのである。
正法不信の眼によって御本尊や御書の検証を行っても所詮真実には辿り着けない
ことを知るべきであろう」 (慧妙 2012/1/16日付け)
のっけから「正法=唯受一人=法主」のお話です(大笑)
法主に不信を抱くと真実には辿り着けない まさに法主本仏論全開ですね。
法主無謬論です。
日蓮大聖人は「妙一女御返事」において
慈覚大師は伝教大師に直接逢って習い相伝したが、日蓮さんはそれから400年も
開いて「相伝」しているというのはどうでしょう? という意地悪な問答があります。
要するに「口伝」が大事か「経文」が大事か というお話なのですが
日蓮正宗では、たった一人からこぼれた口伝を重んじるというバカな話なのです。
- http://megalodon.jp/2012-0124-2252-17/jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/8831/1290158612/267-
※正直、疲れましたよ。ブログを見るのも途中イヤになりましたから。(^^)
おそらく、あのようなヘンなブログは過去にないでしょう。
私の場合は、何だか批判者が多く集まるんです。
こればかりは、本当に不思議ですし、困っています。(笑)
(菊川さんのコメント)
※おそらく、物腰のやわらかい菊川さんに甘えて、沢山人が集まるのでしょう
(鯖君のコメント)
物腰のやわらかいのは身内向け 外向きには訴訟も辞さない。
何度も見てきた典型的なダブルスタンダードだといえるでしょう。
なぜ批判者が集まるのかといえばそれだけ目立っている事は間違いはないけれど
批判者(自分に対してのアンチ)を集めるつもりでブログをつくっている人は
珍しくもなんともないですね。
変なブログは過去にないなんていう判断もなにを根拠に述べているのか不明。
- >>34501
>>他の判決のように全文を提示してみれば、この詭弁が分かると思います。
>>だから絶対に出せない(笑)
相変わらず被害者気取りですか。
- ecoさんも指摘していましたが、菊川さんは他人の仕事はバンバン引き合いにだし
ますが肝心の自分の仕事はけっこう慎重に情報管理されています。
渋谷に会社があるとはいえ、本社のあつかいなのかはよく分かりませんが
おっしゃるように現在は「企画・広告」の部門におられるような感じがします。
以前は研究部門という事でしたが『当時の会社との直接の関係が解りかねます。』
ただし被害日本大震災の折、デスク系の仕事から営業に回されたそうなので
(しかも主に福島県)大きな販売系も持っている会社のようです。
あと気になったのはヘルプで出張された折に社長からとある会社の「焼酎」を
手渡されたとの事。
関連(取引)のある会社のものかもしれません。
ちなみに復興支援のお仕事関係の削除予定記事ですら書き換えられています。
http://megalodon.jp/2011-0925-1858-57/sokanomori.exblog.jp/16896012/
↓ ↓
http://megalodon.jp/2011-0927-1054-15/sokanomori.exblog.jp/16896012/
- 「しらぬまに つもりし雪の ふかさかな」――これは大正から昭和にかけて活躍
した浅草生まれの俳人、小説家、劇作家として知られる久保田万太郎の句である。
きょう21日は暦の上では"大寒"で、日本列島も冬本番である。
北の国からは連日、豪雪の便りが届けられる。
創価学会の牧口初代会長は『人生地理学』の中で"純白の雪から感じる潔白さ、
すべてをおおう銀世界の公平さなど、雪は人間の心情と密接に関係がある"と
綴られた。深々と雪の降る厳しい冬の後の春の到来は、苦難を乗り越えて栄冠を
つかむ人生の醍醐味にも譬えられる。
雪から教訓を得るといえば、今から110年前の「八甲田雪中行軍遭難事件」が
ある。1902年(明治35年)1月、日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が八甲田山で
冬季訓練中に遭難した事件で、訓練に参加した210名中199名が死亡、日本の
冬季軍事訓練において最も多くの死傷者が出た。
この事件は、1977年に公開された東宝・シナノ企画制作の映画『八甲田山』で
取り上げられた。この映画は極限状態での組織と人間のあり方を問いかけた作品
として多くの人の記憶に残っている。
悲劇の原因は、自然の厳しさに対する認識の甘さと油断など、さまざまに指摘
されてきたが、最大の原因は事前の準備不足と指揮系統の混乱にあった。
この雪中行軍と宗門事件には共通点がある。それは愚劣な日顕という指揮官
のもと、真実を何も知らされないまま無謀な「C作戦」にかり出され、御供養だ、
登山だ、と法華講員は「死の行軍」を強要されているからだ。登山しても、供養
しても功徳はない。末寺坊主や法華講員からは犠牲者が続出している有り様だ。
仏法の因果の現証は厳然としている。大聖人は「夫れ運きはまりぬれば兵法も
いらず・果報つきぬれば所従もしたがわず」と仰せである。どんなに折伏の誓願
目標達成と叫んでも、仏意仏勅なき故に信徒は減少の一途を辿り、どの寺も衰退
の坂道を転落するばかりである。
こんな愚かなニセ法主の日顕と日如が「大御本尊と不二の尊体」とは笑止千万!
「僧侶主導の広宣流布」と力説しても勤行・唱題を嫌い、一人の折伏も出来ない
坊主に広宣流布をリード出来るはずがない。
愚かな坊主の指揮では常に負け戦である。仏意に叛くが故に
「終にはほろびざるは候はず」と。
- >>C作戦って、裁判で無視された、例の仮想作戦ですか?
昨年11月30日の本掲示板の阿部日ケ~ン(院政)様の書き込みからの引用
よくC作戦を出すと、長野地裁の判決文の一部を適当にキリ文して
「C作戦」はなかった という事にしているけれど
民事の寺明け渡し裁判で
「なお、被告は、右対立状態に至った原因は、原告(※宗門)の画策実行した
C作戦と呼ばれる作戦にある旨主張し、(中略)右主張に沿う部分があるが、
これらはいずれも一方的であり、その内容も客観的根拠に乏しく、また、
これらを補強し得る的確な証拠もないから、右証拠から直ちに被告の右主張を
認めることはできない」
とあるだけで
「C作戦」そのものが被告(住職)と原告(日蓮正宗)の
「対立状態(寺明け渡し)の根拠」にはなりませんって事です。
どうやらこの裁判では「吉川雄進住職」側は陳述書に「C作戦」を
取り上げたようですが、いかんせんC作戦は「対創価学会」用の謀略なために
寺院の明け渡しとは直接関係があるわけではないために「客観的根拠になりえない」
と判断されたのでしょう。
他の判決のように全文を提示してみれば、この詭弁が分かると思います。
だから絶対に出せない(笑)
※阿部日ケ~ン(院政)様。あえて全文引用させていただきました。